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2013年7月7日:説教概要
「世代交代」
U列王記2:1〜14

エリヤの最後・・・エリヤが天に上げられる日、エリヤは一人になろうとします。ヨルダン川の近郊にあるギルガルからベテルへ、そこから東に戻ってエリコへ、そしてそこから、改めてヨルダン川を渡ってモアブの地へと・・・あたかも、ついて来るエリシャを振り払っているような揺さぶりです。

そして行く先々で三度、エリヤはエリシャに言います。「ここにとどまっていなさい」・・・最後を自覚したエリヤの自然な訴えであろうと思います。一人で死を迎え、神の元へ行きたい。正直な気持ちであったのかもしれません。11節にはこう書かれます。「こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと一台の火の戦車と火の馬とが現れ、この二人の間を分け隔て、エリヤはたつまきに乗って天へ上って行った」・・・今まで話し合っていたエリヤとエリシャであったが、一瞬のうちに二人の間を分け隔てエリヤだけを、片方だけを連れ去ってしまった。それが死であり、死の時も、場所も方法も神によって定められている。

しかし、このことは彼にとって本望であった。なぜなら、彼が真剣に付き合ってきたのは神であった。心の拠り所として生涯を傾けて来たのは神であった。その神の所へ、何も持たずに、誰をも引き連れずに帰って行くんです。・・・そう考えると、西へ東へ移動しながら三度もエリシャの手を振りほどいているエリヤ・・・あたかも地上的な未練を振りほどきながら振りほどきながら、死に直面しようとしているがごときです。最後の時が来た・・・私たちの側からすると意表を突く突然のお迎えのようであっても、神の側からすれば、計画され準備が整ったからお迎えをよこしたということです。

エリヤとエリシャは天からの迎えの車を見ることができた。普通の人にはこれを見ることが出来ません。神によって霊的な目が開かれなければ肉眼では見ることの出来ない出来事です。かつてステパノは殉教の死を迎えた時にこう言っています。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」エリヤは一人になりたいと願っている。

しかし、エリシャはしつこいばかりの食い下がりをします。「私は決してあなたから離れません」この食い下がりが人間的な情ではないことに気づいたエリヤ・・・「私はあなたに何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に求めなさい」・・・エリシャは答えます。「あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように」エリシャは申命記に書かれているように長子の相続分・・・エリヤの後継者となるための霊的な権利を求めた。エリシャはすでにエリヤの責任を継承する器として選ばれ、彼に仕えていた。

しかし、預言者の働きの継承・・・単に地位を継承することではありません。預言者は主の代言者・・・主に代わって主の言葉を語る者である。預言者にとって生きることは、そのまま異教社会との戦いでもあった。召命が確認されなければ立ってはいけない。召命を受けて以来、この10年間の中でエリシャは見抜いていたことがあります。エリヤの働き、彼の勇気によるものではない。また、彼の秀でた能力や手腕によるものでもない、それはエリヤの内に宿る神の霊によるものである・・・エリシャはこの10年間で預言者としての振る舞いを修行し、伝統も叩き込まれた。

しかし、それだけではエリヤの働きを継ぐことは出来ない。そのことをエリシャは知っていた。だからこそ、それを彼は求めたんです。エリヤなしで神と一対一で交わることを体験していなければエリヤの働きを継承することが出来ない。エリヤはエリシャにここにとどまるように命じた。それはエリヤが自らの最後を一人でいたいという思い・・・しかしまた、エリシャがどこまでついて来るかを見ようとしていることも事実です。エリシャが自分で決断して主に従うことが出来るように・・・エリシャはここでとどまってもよかったんです。

しかし、なおエリヤに自発的について行くことは許されていた。従順であることと、自分の意志を働かせることは決して矛盾することではありません。エリシャの求めにエリヤは答えます。「あなたは難しい注文をする。しかし、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば」確かに霊的なもの・・・神の霊をエリヤの一存で約束したり、コントロールすることは出来ない・・・難しい注文である。

しかし、エリヤには一つの確信があった。エリシャは後継者として召されている。ならば、神はその使命を遂行するに必要な御霊の油注ぎを与えてくださるとの確信。エリヤが取り去られる最後を見ることができるかどうか・・・最後まで忠実にエリヤに従って行くということと、肉眼では見えない火の戦車と火の馬を信仰の目によって見ることができるか・・・預言者のともがらは見るんです。エリヤの霊がエリシャの上にとどまっているのを・・・主が世代交代を推進させたなら、何をも恐れることはない。