2012年10月28日:説教概要
「安心して帰りなさい」
マルコ5:21−34
25,26節に「ところで、12年の間長血をわずらっている女がいた。この女は多くの医者からひどい目に会わされて、自分の持ち物を使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった」とあります。この女の人・・・悩んでいました。悲しんでいました。苦しんでいました。彼女の病気は社会的にも汚れた者として人に近づくことができません。また彼女の病気を知っている者も彼女を近づけません。なぜなら触ると汚れるからです。触れると自分も社会から抹殺されるからです。彼女に同情してくれる人はいたのかもしれません。でも、誰も話しかけてくれない、友達になってくれない。たった一人ぼっちです。病気で苦しんでいるだけでなく、誰かに聞いてもらったり、分かち合ってくれる人がいない。孤独です。見捨てられてしまっている。それがもう12年・・・周りの人からは「汚れた女」と見られ、自らも「私は汚れています」と言い続けなければならない。
いつしか、彼女の心には私は汚れているという思いになったであろうと思います。また医者からは持てる財産のすべてを奪われてしまっている。そういった状況で最後の望みである希望すら失ってしまっていた。そんな彼女にイエスさまの噂が耳に入ってきた・・・イエスという人はいろんなところで足の不自由な人を、目の不自由な人を直しているそうだ・・・次々と入ってくる噂を耳にするごとに失われていた希望が少しずつ輝きだしてきた。希望と共にイエスさまに対する信頼が芽生えてきます。
「着物にでもさわることができれば・・・きっと直る」・・・彼女の心の変化を見てみると、医者に見放され、財産も使い果たし、希望を持つことすらできなくなってしまっていた。そんな彼女が生きていくために残された道は「あきらめ」・・・「これが私の運命だ。どうせ私は汚れているんだ」といったあきらめの中に身を置く。生かされていることを自分で捨ててしまう以外に生きる道は残されていない。そんな彼女がイエスさまの噂を聞いた・・・直してほしい、と気持ちが少し動く。
しかし、信じられない。信じたくても信じられない・・・過去の現実の重みです。しかし、次第に彼女の心に光が差し込んできた。人に対する不信の思いが、疑惑の氷が解け始めた。イエスさまに手を触れていただきたい。しかし、私は汚れている。せめて、あのお方の着物にでも触れることができれば・・・きっと直る、と自分に言い聞かせるようになったのです。そして勇気を振り絞って群衆に紛れ込み、おそるおそるイエスさまの着物に触れた。その時、痛みが直ったことを体に感じた。
このことを通して信仰ということについて二つのことを教えられます。一つは、信仰とは、こうしてほしいという必要をもってイエスさまに触れるということです。もう一つは、信仰とは結局自分一人のことだということです。いろんなことを考えると、結局はこのままでいい、と言うことになってしまいます。
着物を触られたイエスさまはというと、30節で「イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、だれがわたしの着物にさわったのですかと言われ」32節では「それをした人を知ろうとして見回しておられた」とあります。弟子にしてもヤイロにしても群衆は群衆でしかありません。しかし、イエスさまは群衆の中を自らを求める一人の人として探された。もし、彼女が群衆の中に隠れたままであったなら、おそらく何が彼女を直したのか、彼女にはわからなかったままだったと思います。迷信的なものに隠されて,神様が彼女に見て下さった一番大切なものを見失ってしまったのではないだろうか。彼女は直ったんです。このまま群衆の中に隠れたままでいたかった。
しかし、イエスさまはそれをお許しにはならなかった。彼女が一人でイエスさまの前に出てくるのを求められたんです。彼女はイエスさまに触れたことを叱られるという思いが全くなかったわけではないと思います。しかし、彼女はすべてをイエスさまに打ち明けます。12年間の苦しい日々を、誰も理解してくれない苦しみ、肉体的、精神的、経済的な行き詰まり、孤独と絶望の中での生活を・・・そんな中でイエスさまのことを知り、どんな気持ちでここに来たのか、そして着物に触れた時、自分に何が起こったのかを包み隠さず話しました。決して立派な信仰告白ではないのかもしれません。
しかし、もうイエスさま以外頼るお方はいない、この方ならきっと救ってくれるとの思いで着物に触れた。イエスさまと話すうちにイエスさまに対する信頼が・・・イエスさまの自分に対する深い愛が彼女の心に刻みつけられていった。イエスさまはそんな彼女に言われます。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい・・・」着物でもさわれば・・・単純な信仰をイエスさまは見て下さったのです。受け入れて下さったのです。