2012年9月16日:説教概要
「福音にふさしい生活」
ピリピ1:27〜30
私たち・・・日本人として、地域に、ある種の集団においてふさわしく生活をしていると思われます。しかし、神の国の民としてふさわしく生活をしているかどうかと問われると疑わしいところも出てくる。なぜなんだろうか?その原因はどこにあるんだろうか?ひょっとしたらキリストの福音にふさわしい生活をするよりも地域に属する集団にふさわしい生活をしているほうが最終的に守ってもらえるような気がするといったことはないだろうか。つまり地域よりも、企業よりもキリストが、教会が私の中で小さくなっているということではないだろうか。
パウロがこのことばを語る時、大きな一つの前提条件があることを見落としてはならないと思います。まず最初に何かをすることよりも前に、私たちが自由にされ、大きな賜物を与えられていなければならないと言うことです。神の子どもとされている特権を与えられている。ゆえに、すべてのことから父なる神が守り導いてくださる。だからこそ、「ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい」・・・ただ一つの願い、目的としなさいと言うことです。そのことをパウロがいる、いないに関わらず生きなさい。
そして27節で福音に生きる方法を3つ示しています。「あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており、またどんなことがあっても反対者たちに驚かされることはない」と・・・第一は「霊を一つにしてしっかりと立つ」と言うことです。一人一人の考えや思い、それぞれ違います。しかし、信じる者の内に御霊が内住してくださっている。・・・その御霊は一つである。私たちの思いや哲学、思考が教会を形成するのでなく、御霊が一人一人を結び付けてくださる。
第二は福音のために「心を一つにして共に奮闘する」と言うことです。すべての願い、思い、感情を一つの目的に向けて戦うように・・・互いに戦うのでなく、教会として共通の敵に対して共に戦う。一致は力です。それに反して不一致は・・・分裂は力の分散となり力を浪費させてしまいます。
第三は「反対者に驚かされない」ことです。どんな状況になっても、自制心を失ってあわてふためかないようにと励まします。ピリピの伝道を始めたとき、異邦人の反対にあってパウロは牢獄に入れられた。
しかし、毅然とした彼の姿を見て看守とその家族が救われた。そのことをピりピの教会の人たちは思い出したことでしょう。ピリピの教会の人たちが聖霊の内住によって一致を保ち、その思いを一つに結集し、福音のために共に戦い、恐れないで勇気をもって立ち向かって行く時・・・そこに神の力が働く。その力はこの世的な意味での勝利の力はみられないのかもしれない。・・・どういう力なのか。
「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は弱さのうちに完全にあらわれるからである」と言った力ではないだろうか。今の社会において、この手紙が書かれた時代の状況とは違うのかもしれない。福音のために戦うといったことはないのかもしれない。しかし、キリストの福音にふさわしい生活をするということにおいて原則的には変わることはないであろうと思える。
神を信じているという告白とその生き方が一致する。このことが福音にふさわしい生活ではないだろうか。