礼拝説教概要
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2012年9月9日:説教概要
試される信仰の勇気」
列王記第一18:1〜15

サマリヤの王宮の中で、バアル崇拝のまっただ中でバアルに膝をかがめないオバデヤが主によって生かされていた。彼は主の預言者100人をイデベルの魔の手から救いだし、50人ずつ洞穴に匿ってパンと水をもって養っていた。オバデヤは君主アハブがバアル崇拝に落ち込んで行くのを暗い思いで見ていたことであろうと思う。主に背き続ける王の近くにいることの矛盾を極限まで感じ取っていたのかもしれない。主に従いつつ反逆の王に仕えるのはこの世にあって主に従うキリスト者がいささかなりとも体験していることでもある。

しかも、オバデヤは財務長官に抜擢されるほどアハブの信用を得ている、腹心の部下として信頼されている。厳しい状況、環境の中でオバデヤは神によって生かされている。・・・まさに、神のなせるわざである。こういった歩みの中にあって、主に従うことが危険であると思える時・・・その時に信仰の勇気が試される時ではないだろうか。

神の命令によってエリヤはアハブに会いにでかけます。アハブは防備で固められた王宮の外にいます。それもたった一人で・・・6節にはこう書かれます。「アハブはひとりで一つの道を行き、オバデヤはひとりでほかの道を行った」エリヤがその道を行けば、1対1でアハブと対面できる。ところが、彼はアハブのところには現れず、オバデヤのところに姿を現した。勿論、エリヤはアハブとオバデヤが一人ずつ王宮の外に出て飢饉の状態を調べているなどとは知らない。またオバデヤがどの道を通っているかも知らない。いわば・・・神が必要な時に必要な人に会わせてくれるといったことであろうと思える。オバデヤは向こうから歩いて来るのがエリヤだとわかると、ひれ伏して「あなたは私の主人エリヤではありませんか」と呼びかけた。オバデヤはエリヤに私の主人と呼びかけた。・・・その呼びかけにエリヤは「そうだ」と答えた。そう答えながらも続けて「行って、あなたの主人にエリヤがここにいます。と言いなさい」と言ってオバデヤの主人が実はアハブであることを示唆します。

この言葉・・・ひとつの挑戦として捉えることができます。「オバデヤ、あなたは私を主人と呼びます。しかし、あなたの主人はアハブではないのか。どちらがあなたの主人なのか。私に代わってアハブに私がここにいると伝えてくれないか」アハブにつくのか私の側につくのか・・・エリヤの言葉に対してオバデヤは即座に答えます。「あなたはこのしもべをアハブの手に渡し、私を殺そうとされるのですか」と.申し出を断った。オバデヤにすれば、エリヤの事件のほとぼりがそろそろ冷めてきそうな時期に、エリヤの名前を思い出させるだけでアハブの怒りを買ってしまう。もしや今までエリヤを匿っていたのでは、とあらぬ疑いをかけられてしまうかもしれない。

また神出鬼没のエリヤのこと・・・アハブを連れて来ても、雲隠れでもされていたら・・・オバデヤにとって不安材料はいくらでもある。・・・とてもじゃないがエリヤの側につくことは出来ない。このオバデヤを見たとき、サマリヤの王宮で100人もの主の預言者をイデベルの魔の手から匿った。すごい信仰、信仰者であることは変わりないのかもしれない。

しかし、信仰の勇気が試される・・・「この時のため」といった彼の出番の時に彼は何をしていたのだろうか・・・このあと、バアルの預言者たちをカルメル山に集め、エリヤは全イスラエルを前にして信仰の一大決心を促した。そのとき、オバデヤは何処にいたんだろうか。何をしていたんだろうか。勿論、彼の陰の祈りがエリヤを支え続けたのは事実であろうと思う。しかし、「この時のために」と言った彼の出番を逸したのではないだろうか。