2012年6月10日:説教概要
「神の前に堅く立つ親」
創世記18:16〜33
創世記の18章の前半・・・アブラハムとサラの間に約束の子が間もなく生まれると言う神の憐れみの確かさを語りかける場面です。
そして、後半・・・本日の箇所ですが、ソドムの町の滅亡といった神の裁きに関してアブラハムと神との問答が示されています。アブラハムはこの裁く神を知り、その裁きとの関わりにおいて自分を通して神がなそうとしておられることを理解させられていきます。.アブラハム99歳、サラ90歳・・・二人の間に子供はいません。しかし、神は「わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの.子孫に与えよう」と言われた。子供のいない家庭に、あなたの子孫を与える、祝福する。間もなく子供が与えられる。それで物語は終わっていいんじゃないだろうかとも思える。
しかし16節には、「その人たちは、そこを立って、ソドムを見下ろす方へ上って行った。アブラハムは彼らを見送るために彼らといっしょに歩いていた。」 子どもが与えられる・・・それで目的は終わってもいいわけです。しかし、子供が生まれる、成長していく、その間多くの世話が両親には必要となります。つまり、子供が生まれるというのは、その家庭にとって長い道のりの一つの通過点でもある。神にとっても、これはあくまでも道の途中であり、これからさらに本来の目的地に向かおうとさるのです。
神はアブラハムに神の御計画を知らせます。・・・みこころの目的は、みこころを知らされる目的はどこにあるのだろうか。18節を見ると・・・「アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。」.アブラハムが神の祝福によって.強い、偉大な国民となる。しかし、それ自体が目的なのではなく、そのことを通して、すべての国々が、人々が神の祝福を受ける。そのために、今、アブラハムにみこころが示された。
さらに19節で「わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため・・・」と書かれています。二つ目の理由として、彼の子孫に主の道を守らせる。家族に信仰の道を守らせる。アブラハムにとって、自らが諸国の民に祝福を伝えるだけでなく、自分の子孫が主のみことばに従った生活をし、神の家族を形成する。そこに、みこころを示される大きな理由があった。大きな責任ゆえに、ソドムの町の戦慄すべき出来事を外面的に、表面的に知るだけでなく、本当の意味・・・神のみこころを知っておく必要があった。
ソドムとゴモラの町は神に背き、不道徳、社会的腐敗で満ちていた。神は裁くために、悔い改めの機会を与えるためにソドムの町を調べに行かれる。アブラハムはソドムに対する裁きの宣告を聞いた時、主の前を立ち去ることができなかった。彼は滅びようとする人々のために主に執り成しを始めます。これは部外者として単なる執り成しをするといったことではなく、神の前に立たされる人間社会そのものの問題として、自らが深く関わっていかざるを得ないことを理解した。みこころを示された者として、先に生まれた者として、喜びを知った者としての立場、ポジション、位置・・・ソドムとゴモラの罪は大きく、彼らの側に救われるべき根拠は何もない。・・・滅ぼされて当然でもある。アブラハムは主の前に自らの歩みを前提にして、根拠にして執り成すことなど何もできない。彼は「あなたは、本当に正しい者を悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか」・・・あなたは、そのようなことをなさるはずはありません。と主の公義に対する信仰の告白を土台として執り成します。
滅びゆく者に対する愛・・・何とか助かってもらいたい。50人の正しい者のために・・・その町を赦さないのですか。滅びゆく魂のための必死の祈りです。ソドムの町の悪を知っているアブラハムにとってはたして何人の正しい人がいるのか、不安になってくる。45人の正しい人がいたら、40人、35人・・・30人、20人の正しい人を見つけたら・・・そこに10人の正しい人をみつけるかもしれません。
正しい人の人数が減ってきます。自分自身、自慢できるものがなくなる。誇るものがなくなる、神の前に訴えるものがなくなる。しかし、それはそのまま主のあわれみに対する信仰の広がりの時ではないだろうか。持っているもののすべてを失った時・・・初めて主のあわれみに期待せざるを得なくなる。神の前に赦されることのないことを執り成しの祈りの中で深く感じていった。
社会においても、家庭においても、教会においても・・・過ちと欠点に目を奪われてしまいやすいものである。しかし、神は過ちや欠点よりも正しさや真実を探してくださるお方である。アブラハムが我が子イサクをささげるに至る。その時、彼は一言も発せず歩みだした。他者のために、必死に神様に食い下がり、執り成しの祈りをささげる時に信仰の炎が燃え上がり最大の試練にたちむかう転機となったのではないだろうか。
ソドムとゴモラの日は必ず来る・・・その前に神の前に自らが立たされている場を深く知る必要が求められている。