礼拝説教概要
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2012年4月22日:説教概要
「たった一度の結果・・・
創世記3:1〜24

神によって造られた人間が・・・造られたときに、神は「よかった」と言われた人間がどうして罪を持つに至ったんだろうか。どのように罪に誘惑されたのだろうか。サタンは甘い言葉もって天使のように近づいてきます。あるとき、蛇がいかにも親切そうに女に、エバに話しかけました。

3章の1節ですが、「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、本当に言われたのですか」・・・「食べてはいけない。どんな木からも・・・」そんな守れないような厳しいことを、あなたに・・・!愛する人間に言ったのですか。神様は厳しいお方ですね。あなたたち人間のことをあまり考えてはいないんですね・・・そんな意味合いの言葉です。でも、神様はそんな厳しいお方なんだろうか。

2章の16,17節では、そんなことは言っていません。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からはとって食べてはならない。それをとって食べるその時、あなたは必ず死ぬ」と言っています。サタンは「食べてはいけない」と言う禁止命令を語ることによって、神様は厳しいお方であるとの印象を与えます。そのことによって、たった一本の木が人の心にクローズアップされます。善悪の知識を知る木が園の全体のように思わされるんです。

その証拠に3節では、「触れてもいけない」と付け加えています。厳しいお方との印象から、きっと触れてもいけないと言ったように思わせてしまった。さらに神様は「それをとって食べると必ず死ぬ」とおっしゃったのに「死ぬといけないからだ」と結果に関しては自分に都合よく変えてしまっている。それを守らないのはあなたのせいではなく、.相手が厳しい要求をしているだけなんですよ、と相手のせいにして、そこから来る結果に関しては甘く捉える・・・これが.サタンの常套手段です。

誘惑と言うのは、何か難しいことを通して行われるのではなく、好ましい好意的な言葉によってなされるものです。また罪と言うもの、誰も見ていない、誰も知らない、そのことに心を動かされて罪を犯してしまいやすいものです。

しかし、誰も知らないと思っている事実の中に二人の人が知っているという事実・・・自分と神様です。だから良心が痛み、心に平安をなくすんです。また罪をあまり大きな事と考えない傾向があります。罪を犯す・・・人との比較ではありません。さらにたった一度だから・・・

しかし、このたった一度が私たちを破滅へと導きます。罪が広がるのと同じように罪の結果も広がります。「あなたはどこにいるのか」・・・神様の前から顔を隠すといったことが起こります。さらに、男は罪の責任を女に、その女を傍に置いたのはあなたの責任ですよ、と神の責任にしようとする。女は私はこんなことを考えてもいなかった。私を誘惑した蛇の責任です、と罪の結果・・・責任転嫁が行われます。

自分の犯した罪は彼らから比べると小さい、些細なことです、と言っているんです。罪の結果・・・神は必ず死ぬと言われた。その通り、人間は神との人格的な交わりを持てない霊的な死という刑罰を与えられます。

しかし、神は15節で「わたしは、おまえと女との間に、またおまえの子孫と女の子孫との間に敵意を置く。彼はおまえの頭を踏み砕き、おまえは彼のかかとにかみつく」とあるように将来、救い主が遣わされ罪を犯してしまった私たちに・・・サタンに勝利することを約束してくださっています神は罪をもたないきよいお方です。罪はどんな罪であれ、さばかなければならない正しいお方です。

しかし、神は一方では私たちを無条件で受け入れて下さる愛の神でもある。・・・ために罪を全くもたないイエス様を十字架につけ、私たちの罪を徹底的にさばかれ、私たちの罪を完全に赦し受け入れてくださった。そのことによって私たちはサタンに勝利した。たった一度の罪・・・しかしそれは神の御子イエスさまを十字架につけるほどの大きな、恐ろしい罪であった。