「次代の宣教を誰が担うのか」
エレミヤ1:4~19
最近、耳にする言葉として「放射能の汚染、完全に除去されるまでに何年かかるかは分からない、しかし、次世代に残してはいけない問題である」また、「国の多大な借金、次世代に残すことはできない。私たちの代で処理しなければならない。そのために消費税の引き上げにご協力いただきたい」といった言葉である。確かにこれらのことは次世代に残してはいけない問題であろうと思う。・・・しかし、また、次世代に残して、いやむしろ積極的に引き継いでいかなければならない課題もある。それは福音宣教ということである。今、福音宣教のために献身の思いを持って立ち上がる若者があまりにも少ないといった現状である。何故、少ないのか?・・・そこには教会のかかえる状況である場合も多くある。
しかし、やはりそれ以上に、個人個人の問題として捉えなければならない課題があるようにも思える。
5節で語りかけた主の招きのことば「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた」・・・主からの献身の召しに対してのエレミヤの答えはと言うと「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」と答えている。エレミヤは若いということの中に主の召しに応じきれないでいる。しかし、神がご自分のことばを伝達するための媒体としてどのような人を選ばれるのかと言うことを見ることができます。
粗末な土の器に天の宝が盛り込まれるのを見ることができます。エルサレムという華やかな都会ではなく、小さなみすぼらしいと思えるアナトテの村、しかも、年長者ではなく、若者の中に、高貴な人間の間にではなく、祭司とはいっても、それほど目立たない家柄の中に・・・それもエリヤのように迫力のある人物、エゼキエルのようなどこか神々しい人間の間にではなく、自分の力のなさを認め臆病になり、しり込みをしている者に主のことばを伝えるための器として選ばれた。
上辺だけをみると・・・神がエレミヤを選ぶきっかけは何一つないと言っていいのかもしれません。なぜか・・・?
「知恵ある者をはずかしめる、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。・・・無に等しい者を選ばれたのです。これは神の御前でだれをも誇らせないためです」
若いということは年齢が若いということだけに留まりません。若いがゆえに、知識の欠如、さらに経験においても大人と比べて大きく見劣ります。そういう中で大人に、社会的にも知識的にも自分よりはるかに優れた人に語る・・・気がひるみます。自分がしり込みするだけじゃなく、周りに目もそのように見てしまう。しかし、何もない。そのような器だからこそ、自分と言うものが入っていないからこそ、天の宝がより多く盛られるのではないだろうか。
若いということはエレミヤを振るい落とす材料とはなり得ません。そしてエレミヤを見ると、彼は生まれつき気が弱く、神経質でもある。・・・これは、今の時代の困難な状況、危機に太刀打ちできない。・・・しかし、主はそのような彼の性質を見抜いて18節でこういわれます。「見よ。わたしはきょう、あなたを、全国に、ユダの王たち、首長たち、祭司たち、この国の人々に対して、城壁のある町、鉄の柱、青銅の城壁とした」・・・多くの人が自分の性格を見て、主の召しに答えることができなくなってしまいます。しかし、神の力は弱さの中にあってのみ全うされるものである。自分の性質が、環境が以下であろうとも、神の働きに召されることの妨げとなるものではありません。エレミヤは自分が弁が立たないものであることを知っています。しかし、その人が雄弁であり、人を動かす偉大な力を持っているとするならば、どうしてもそれに頼ってしまうものです。そしてその結果を能力の有無に置いてしまう危険性があります。すべてのものが神より出て、神によってなり、神に帰す。無口であっても、弁が立たなくとも、神がかたるべきことばを与えてくれ、遣わしてくださる。大切なのは11節と13節で語られているように幻の中に何を見るか・・・
「あなたは何を見ているのか」「私はアーモンドの枝を見ています」アーモンド・・・冬に花の咲くものである。この花が咲くともうすぐ春が来ることのしるし・・・「煮えたぎっている釜を見ています」・・・北の方からバビロンが攻撃してくる。・・・バビロンの捕囚の始まりである。人の心が冷え冷えとし、そんな中にあっても人々は物質的な豊かさの中に安住して平安だ平安だと言っている。平安だと言いながら・・・しかし人々の心は深い所で救いを求めている。・・・その姿を見ることができるだろうか。そのことが大切である。このような情勢、状況にあって主の声が聞こえる。
「わたしは誰を遣わそう」との御声が聞こえる・・・「主よ。私を遣わしてください」と答えたいものである。