中編
それから、約2週間が経過した。 村雨は、桜ヶ丘に立ち寄りもしなかった。 この騒動で、秋月の方が忙しかったせいもあるが、何よりも。 (冗談じゃあねぇ。愁嘆場を見せられんのも、くっだらねぇ喜劇を見せられんのも御免だぜ) 容易に想像が付く、病院の光景。 さぞかし仲間が集まって、龍麻の心配をしているのだろう。 (反吐が出そうだ) イライラする。 (誰も、気づきもしなかったくせに、お仲間ヅラしてんじゃねぇよ) 途方もなく、イライラする。 死ぬかも知れない−−−いや、<人>としての意識を消失するかもしれない。 それは、酷いストレスだったはずだ。 しかし。 恐怖、絶望、怒り−−− そんな気配は、露ほどもなかった。 誰も、気付かなかった。 洞察力と勘を誇る、村雨でさえも。 (いつからだ。いつから、<知って>た?) 内臓がむず痒いような不快感を紛らわせるために、タバコに火を点け、肺一杯に煙を吸う。 いつでも、龍麻は、へらへらと笑っていた。 <黄龍の器>という宿命を聞かされたときも、敵の正体を聞かされたときも、その敵に斬られたときでさえ。 『ま、気にしない、気にしない』 『お前の事だーーっ!』 『あ、俺?俺は、別段、気にもならないけどな。はっはっは、俺ってば、大物だな、やはり』 いつだって、ふざけて。 蓬莱寺に黄龍かましたり、芙蓉を口説いたり。 かく言う村雨をも、口説いたこともあった。 仲間全員に愛されなくては気が済まない、暴君。 そう−−−思っていた。 だから、村雨も、わざと気を引くような真似をして、その駆け引きを楽しんでいたつもりだったのに。 その影で、知っていたのか。 自分の未来は無いかもしれないことを。 (アホだな。とんでもない、大バカの、くそボケ野郎だ) 相談して欲しかったわけではない。 そんな間柄でも無かったはずだ。 だが、この苛立ちは。 置いて行かれたような、無力感は。 裏切られたような屈辱は。 村雨は、火の点いたままのタバコを、握りしめた。 イライラする。 途方もなく−−−イライラする。 「いい加減にしなさい、村雨」 あきれたような声が、上から降ってくる。 「それに、結界内は、禁煙だと、何度も言ったはずですが」 「・・・うるせぇな・・・」 殺気の籠もった低い声に、全く動じた様子もなく、御門晴明は、秋月邸の縁側から、すいと降り立った。 「まったく・・・これ以上、お前の鬱陶しい<氣>を振りまかれては、こちらの気が滅入ります」 相変わらず、扇で顔半分は隠れて見えない。 「・・・何の用だよ」 「お前に仕事ですよ」 当然でしょう、と言わんばかりの表情で、御門は言う。 「私の名代として・・いえ、秋月を代表して」 ぱちり、と扇子を鳴らす。 「緋勇さんのお見舞いに行ってください」 「芙蓉が行ったろうが?」 「最初の2日目にね。そろそろ、また顔を見せても良い頃でしょう」 「やなこった」 「お前に拒否権はありません。・・・まったく・・・最初から、お前が行っていれば良いものを。 もしも仮に緋勇さんが目覚めるなら、まだ彼には利用価値がありますから、関係は保っておきたいのですよ」 それが、いつもの御門流の言い回しと判ってはいても。 やはり胃の腑が焼け付くような不快感が襲った。 村雨は、握っていた手をゆっくりと開いた。 ぽとり、とタバコの吸い殻が足下に落ちる。 かすかな肉が焦げる匂いを、どこか他人事のように感じた。 村雨は、現実の<浜離宮>から、バイクを駆っていた。 じき、桜ヶ丘に着く、という時。 胸ポケットから振動が伝わった。 ち、と舌打ちし、バイクを道路脇に停める。 「・・・何だ?」 『村雨!!』 表示名も御門、声も御門であるのは、頭では理解していたが、その声のあまりの取り乱し様に、再度通信者名を確認する。 『村雨!!聞いていますか!!』 「・・・聞いてるよ。いったい・・・」 『柾希が・・・!!とにかく、帰りなさい!!!』 携帯は、それで、ぷつん、と切れた。 しばらく、真っ白な頭で、意味を咀嚼する。 (柾希・・・が?どうしたって?・・・・柾希に、何か!!) 目前の桜ヶ丘に、一瞥だけくれて、村雨はUターンした。 <浜離宮>の秋月邸。 玄関に駆け上がった村雨を出迎えたのは、薫だった。 「祇孔!兄さまが・・・!」 声とともに、”走り寄って”来る。 そう、目前に来たのは、間違いなく、薫。 しかし−−−自分の足で立ち、ずっと歩いてなかったにもかかわらず、萎えてもいなかった。 薫の足は、星神の呪い。 それが、解けた。 その意味するものは。 「まさか・・・柾希・・・が?」 死んだのか、と、口にすることは出来なかった。 身を翻して、また駆け去る薫の後を、動かぬ足を叱咤して、なんとか付いていく。 そして、部屋に入り。 「よっ!祇孔、久しぶりっ♪」 布団の上に座っている青年を目にし、思わず、その場にへたり込んだ。 「・・・柾希・・・?」 「なんだよー、まさか俺の顔、忘れちゃったとか言わないだろー?」 にやり、と笑う。 「たっだいまー♪秋月柾希、無事、生還いたしましたー!」 そのまま、目線を横にずらせば。 御門が、部屋の隅に向かって、正座していた。 その横には、芙蓉がおろおろと主を気遣っている。 柾希が、村雨の視線に気付いて、ぱたぱたと手を振った。 「あー、あれな。晴明さー、なんか知らないけど、『私の柾希がーっ!』っつって、あの状態なんだわ」 だーれが、お前のものかっつーの、とけたけた笑う柾希に、目眩がする。 「仕方ないでしょう!」 「わっ、びっくりさせんなよ、晴明ー」 「わ、私の柾希が・・・こんなに庶民的な口調になってしまって・・・!」 はらはらと涙を落とす。 「あの、バカ黄龍のせいにちがいありません!あぁ、柾希、早く元に戻ってください・・・」 その一言に反応して。 気付くと、御門の胸ぐらを捻り上げていた。 「どういう意味だ?先生が、何の関係がある?」 「無礼者!」 手を叩き落とした芙蓉を、射抜くような目で睨んで。 「うるせぇっ!言え!先生と、柾希、どんな関係があるってぇんだ!!」 「それ、俺から説明するよ」 まじめな顔になって、柾希が口を開いた。 「その、バカ黄龍だか先生だか知らないけど、多分、俺を助けてくれたヤツだ。 俺は、ずっと、喩えて言うなら、ぐるぐる巻きにされてるような状態だった。 それは、剥がそうにも、強固に俺の身体を縛り付けていた。 今回・・・」 言って、柾希は、瞼を半分下ろした。 「最初に気付いたのは、金色の光だった。 幾層にも絡め取られているはずなのに、それを通して、光が見えた。 それから、その光がだんだんと強くなってきて。 俺は、いつの間にか、身動きできることに気付いたんだ。 身体を戒めていた<何か>を解いていったその光が、俺の頭の中に、直接語りかけてきた。 『秋月柾希で間違いないな?』 そうだって、答えると、ソレが笑った感じがした。 『アンタ、助けると、薫ちゃんの足も治るんだろ?』 そのときは、俺は何を言われてんのか判らなかったけど。 『薫ちゃんや芙蓉ちゃん、それに村雨と約束したから』 それから、金色の光が、俺のを包んで。 気付いたら、目が覚めてたのさ」 柾希は、また、目を開く。 「あれは、誰なんだ?」 その声を、村雨は聞いていなかった。 『村雨と、約束したから』 確かに、龍麻と約束した覚えはある。 『俺、頑張って、星宿の位置とやらを変えて、薫ちゃんが歩けるようにするから』 『へぇ、そりゃそりゃ、ありがてぇこって』 『信じてないなーっ!?約束するってば!俺は女の子の期待には応える男だ!!』 まさか。 自分の存在が危ういときに、赤の他人を助けることまでやってのけたのか? なんだって、そんな事ができるんだ? 自分の事だけで、手一杯じゃないのか、普通は? そして、ざわり、と背筋に悪寒が走る。 「おい、柾希・・・それから、その金の光はどうなった?」 柾希は、何か思い出そうとしている様子で、目を閉じた。 「えっと・・・段々、小さくなったんだ。同時に、俺の中に、何かが染み渡る感じがして・・・」 柾希の中に、吸収されたのか。 それが故に、柾希の口調が、龍麻に似ているのか? そう、思った途端。 村雨の身体は、勝手に部屋から飛び出していた。 「村雨!どこに行くんです!これからの対策を・・!」 「龍麻んとこ、行く!!」 残された御門は、やや、呆気にとられたような顔で、扇子をぱちりと鳴らした。 「龍麻のところ・・・・・・龍麻、とは・・・誰でしたっけ?」 「・・・・・・緋勇龍麻さまに御座います、晴明様・・・・・・」 「おぉ、そうでした。私としたことが・・心の中でずっと『バカ黄龍』と呼んでいたので、忘れてしまっていましたよ」 ふふふ、と美形らしく笑う御門に、薫と柾希が同時に突っ込んだ。 「晴明!なんて非道い!」 「うわ〜、晴明って、そんなヤツ?仮にも俺の恩人に向かってさー」 「い、いえ!け、けしてそのような・・・!」 「晴明様・・・自業自得です・・・」 村雨は、再び桜ヶ丘に向かって、バイクを駆る。 制限速度もブッちぎり、信号無視も幾件か。 しかし、持ち前の運の良さで、警察に捕まることも、事故ることもなく、無事桜ヶ丘に着いた。 決死の形相で龍麻の部屋に向かう村雨を見て、そこにいた何人かの仲間が、腰を浮かせた。 「村雨様?」 「いったい、どうしたってんだ?」 それには答えず、ドアを開けようとして−−−まだ、結界が有効なのを知る。 舌打ちし、ドアに額を付け、中の<氣>を探ると。 そこには、<緋勇龍麻の氣>は無かった。 「・・・開けやがれ!!」 思い切り、ドアに力を込める。 「む、村雨様、いけません!」 「そんなことしたら、龍麻くんが!」 「るせぇ!」 「やめろ、村雨!」 仲間を振りきり、開けたドアの向こうには。 空っぽのベッドのみ。 |