黄龍を倒した、龍麻達の前で、渦王須が崩れ落ちた。 「何故、何故、何故、何故何故何故何故何故」 非人間的な憎悪の視線がねめつけるのに、龍麻が不意に動いた。 まるで、その質量さえ伴うような圧倒的な<陰の氣>を感じていないかのように、すたすたと何の気負いも無く、渦王須に歩み寄る。 「おい、ひーちゃん、危な・・・」 駆け寄りかけた京一の前に、天井の梁が重い音を立てて落ちてくる。 その音にかき消され、聞こえなかったが、龍麻は何かを言ったのだろう。 渦王須の顔に、奇妙な表情が浮かんだ。 仲間からは、渦王須の口が動くところは見えるが、その内容までは聞こえない。 また、一言、二言。 どぉん、と腹に響く、建物が崩壊する、音。 不意に。 渦王須の顔に、あどけない、とすら言える、穏やかな表情が浮かんだ。 そして、笑って−−−目を閉じた。 それを見下ろす龍麻の顔は、仲間達からは見えない。 「先生!いい加減、やばいぜ!」 村雨の声に、初めて、自分が置かれた状況に気付いたように、龍麻は振り返った。 「悪ぃ!今、行く!」 |
前編
炎上する寛永寺を前に、真神の4人が呟いている。 「・・陽があるから、陰が・・・云々」 まだ、セリフは続いているというのに、龍麻は、さっさと背を向けた。 「おい!ひーちゃん!どこ行くんだよ!」 「帰る」 面倒くさそうな声で、龍麻は短く言う。 「・・俺のセリフがまだなのに・・」 醍醐が、がくりと肩を落とした。 「美里と桜井は、醍醐が送っていけ。その他の連中も、適当に解散」 腰に手を当て、皆に通達する龍麻の顔は、炎の照り返しで赤く染まっている。 一大事件が終局を迎えたのだ。 もっとにこやかになっても良さそうなものだが、どこか疲れが滲むその顔に、誰も口を差し挟めない。 (これで、結構、気を張りつめてたのかね) 些か意外に感じつつ、村雨は、龍麻に歩み寄った。 「なんだ?」 「送っていくぜ、先生」 「いらん」 ぶっきらぼうに答えて、龍麻は歩調を早める。 すたすたすたすた。 すたすたすたすた×4。 いつの間にやら、村雨のみならず、京一、壬生、如月も後を追っていた。 「・・・お前らな〜」 「だってよぉ・・・いーじゃん、ひーちゃんとは同じ方向なんだし」 「マンションの入り口までで我慢するから」 「送って行くぐらい、良いだろう?龍麻」 はぁ、と龍麻は溜息を吐いた。 「用事があんだよ。まったく、うざってぇ・・・撒くぞ」 宣言して、龍麻の身体が、不意にかき消えた。 「おぉっ!?」 驚く忍者&暗殺者を余所に、村雨は、呆然と目線を上にやる。 屋根の上を、往年の虎縞ビキニ着用鬼娘のように、ぴょんぴょんと飛び跳ねて行く龍麻の姿があった。 ただし、 『がらがらがっしゃーん!』 「こらーーっ!誰だーー!!!」 『どすっ!ぐわしゃ!』 「きゃ〜!一体、何〜!!?」 大音量付きで。 「如月・・まさか、お前が教えたんじゃねぇだろな、あれ・・・」 「まさか!僕が教えたら、もっと、優雅な忍び歩きになるはずだろうが!」 「僕も、教えたのは、天井裏の歩き方だけですし・・・」 「教えたんかい!」 京一が木刀で突っ込むも、それをあっさりかわして、壬生は言う。 「ま、いいじゃないですか。あれじゃ、僕らを『撒く』ことは出来ませんし」 「そうだねぇ。ゆっくり行っても、どこ向かってるかは、一目瞭然、てか?」 壊れた屋根と、住民の怒声を頼りに、4人は龍麻を追う。 その『ゆっくり追いかけても大丈夫』と考えさせられたことすら、龍麻の術中であることには気付かずに。 その目的地が近づくにつれ、京一の顔が青ざめる。 「まさか・・この方向は・・・」 そう、桜ヶ丘病院である。 別の意味で、紫龍組も青ざめた。 「龍麻は怪我をしていたのかい?」 「いや、そんな気配は無かったぜ?第一、怪我人が、屋根を飛んでいくかよ」 「疲労が溜まっているようにも見えたが・・直行するとは、只事ではないな」 急ぎ足になる3人に、置いて行かれそうになり、京一も、渋る足を説得して、桜ヶ丘へ向かう。 玄関から入った途端に、岩山がこちらを見据えていた。 「来る頃だと思ってたよ。・・・あの子の言ったとおりだね」 その顔には、微かに笑みが浮かんでいるが−−−決して、楽しそうな表情ではなかった。 この期に及んで、4人は、会話の主導権を押しつけ合った。 「村雨、お前、女性全般が得意だろうが!」 「えぇ、そうですね。こんな時くらい、役に立てて下さい」 「村雨、ひーちゃんのためだ!大人しく、散ってくれ!」 3対1。 反論をしたいのは山々であったが、先程から、暗くたゆたう様な『イヤな感じ』が鳩尾辺りにわだかまっている。 時間をかけるのは、ますます事態を悪化させる。 そう、感じ取った村雨が、一歩前に出た。 「せん・・・緋勇龍麻は、どうなってる?」 予想された質問であったのだろう、岩山は、巨体を揺すり上げ、短い笑い声を上げた。 「医者にはね。守秘義務ってもんがあるんだよ」 「知ってる。だが、家族には、適応されないはずだ。せ・・緋勇の養父母は香川だろ?代わりに仲の良い友人達が聞いちゃいけねぇって法はねぇ」 あの岩山医師を相手に、一歩も退かず、堂々と渡り合っている。 無意味に京一の尊敬など獲得した村雨だった。 岩山は、見せつけるように、赤い唇を舌でなめずった。 「そりゃ、医師の裁量権の範疇だろうさ。・・・魚心在れば水心ってね」 その意味は、『生け贄を一人』。 するすると音もなく、背後の3人が後ずさるのを、村雨は感じ取る。 「お前らな〜」 首だけをねじ曲げ、睨み付けた。 「特に、蓬莱寺。てめぇ、先生の『親友』だろうが」 「い、いやあ、僕なんかよりも、村雨の方が体力もテクもあって、楽しいですよ、先生!」 慣れない丁寧語で村雨を売る京一。 「ワシとしては、京一をたっぷり可愛がってやりたいところなんだがねぇ。ひひっいひひっ」 沈痛な顔で、壬生は溜息を吐いた。 「他ならぬ龍麻のため・・仕方がないね」 お、お前が龍麻のために身を売るのかっという期待を背負いつつ、壬生は、更に悲痛な声を振り絞った。 「龍麻のために・・・僕の一番大切な・・・如月さんを提供します!!」 「まてーーーーっ!!」 「あぁ、そりゃあ、いいや。俺の大切な翡翠ちゃんを差し出すとするか」 「お前らーーっ!それでも、麻雀仲間かーーーっっ!!」 麻雀は、この場合、関係ないだろう。 逃げようとする如月だが、壬生によって関節を極められている。 「おぉ、こりゃ、美少年だねぇ。楽しみだよ、ひひひっ」 「うーーーわーーーーっ!!」 「ところで、あんたら二人とも、この子が大切な相手なのかい?」 「そりゃあ、もう!」 村雨と壬生、二人で胸を張る。 「「なんせ、3Pした仲ですから!」」 「嘘を吐けーーーっ!!」 真剣に貞操の危機を感じ取っている如月が、泣き出さんばかりになりながらも、律儀に突っ込む。 「それじゃあ、まあ、遠慮なく頂こうかね、いひひ」 舌なめずりをしつつ手を伸ばす岩山から、じりりと後退し、如月は、悲壮な顔で天を仰いだ。 「いたしかたあるまい・・・飛水流奥義!変わり身の術!!」 ぷしうぅ。 間抜けな音を立てて、如月の身体が煙に包まれる。 残ったものは、学生服に包まれた、亀。 村雨が拾い上げると、愛らしいミドリガメは、鼻面をその手に押しつけた。 「如月・・このサイズだったのか?」 しばし待っても、反応は無い。 ちっと舌打ちするのに、どこからともなく、笑い声が響いた。 「ふはははは!そこで、僕が突っ込むと思ったか!!」 「そこです、如月さん!龍閃脚!」 「ぬわあ、しまった!!」 壬生に撃墜されて、如月が落ちてくる。 如月を押さえつけながら、壬生はふっと笑った。 裏に生きる者に相応しい、ニヒルな笑いである。 「すみません、如月さん・・龍麻のためになら、僕は、鬼にも蛇にもなってみせる!」 日本語用法間違い、マイナス20点。 そのどたばたを、我関せずといった体で眺めていた村雨が、一つ息を吐いた。 「先生。そろそろいいんじゃねぇのかい?」 「何がだい?坊や」 「時間稼ぎ、してたんだろ?・・・今、結界が完成した気配がしたぜ」 ふん、と、面白くも無さそうに、岩山は鼻を鳴らした。 言い当てた村雨も、唇を歪めている。 「アンタのポケットから、緋勇の匂いがするぜ。何か持ってんだろ?」 素直に<氣>を感じる、と言えばいいのに、いちいちいやらしい表現をする男である。 黙って、岩山は、村雨を見つめた。 真剣な、だが、どこか疲れ果てたような表情。 村雨も、見つめ返す。 無表情を装っているが、普段とぼけたような顔をすることが多い男であるがゆえに、却って、内心の動揺を伺わせた。 「いいだろうよ。持っていきな。・・・もともと、あんた達に当てたものだからね」 取り出されたのは、封筒。 真っ白な、ただの事務用封筒には、太いマジックで黒々と『パターンB』と書かれている。 それを手に取り、ためつ眇めつする村雨に、奥の方を指さして見せた。 「あっちの家族控え室に行きな。こんなとこにいられちゃ、迷惑だ」 それは、皆が騒ぎ立てる内容だ、という事だろうか。 きびすを返す岩山に、壬生が声をかけた。 「如月さんは、よろしいんでしょうか」 残念そうな声に聞こえるぞ。 「ふむ・・ま、次の機会に、な」 振り返らずに、ひらひらと手を振って、地響きをたてながら岩山は去った。 「・・・・・・壬生・・・・・覚えて置くぞ・・・・」 「さ、行きましょう、村雨さん。早く、読んでみましょう」 さりげなく、無視。 更に言い募りたいのは山々だが、如月も龍麻の手紙の内容が気になるのである。 壬生の思惑どおりなのは気に入らないが、渋々と村雨に付いていく。 そして、こっそりと隠れていた京一も。 「それじゃあ、まあ、読んでみるか」 4人が思い思いの場所に腰掛けたところで、村雨が、その封を切った。 「え〜・・『誰が、これ読んでるのか知らねーけどさー、壬生かアランがいたら、読み上げて、途中から俺の声に変わるって芸をやってくれると、面白くて良いと思うんだけど』 ・・・・・・壬生・・・やるかい?」 「やらない・・・龍麻、きみは、何を考えてるんだい・・・」 いつも通りの龍麻の様子に、一同、肩すかしを喰らって脱力しつつも、何とはなしに、ほっとした空気が流れる。 「続き、いくぜ。 『これを、お前らが読んでる頃、俺は、多分、死んでいる』」 村雨、無言で一枚めくる。 「『なーんちゃって、びっくりした?』・・・先生・・・次会ったら、ぶっ飛ばすぞ」 一本調子で読み上げた後、村雨は肩を怒らせた。 「村雨・・いちいち龍麻に突っ込むのはよせ。暇がかかってしょうがない。 貸せ、僕が読むから」 「あぁ、悪かったって。じゃ、続きを読みますかね」 如月と手紙を奪い合いつつ、村雨は、またもう一枚めくった。 「え〜 『ま、あながち冗談でもないんだけどね。死んではないけど、仮死状態だと 思うよ。 生きて会えるかどうか分かんないからさ、ぶっちゃけて言っちゃうけど。 まずは、「俺は、黄龍の器」これはOK? で、柳生が乱した地脈は、ほっといたら暴れるんだな、これが。 倒しました、<氣>も穏やかになりました、じゃないんだよねぇ、困ったことに。 それを治めるにはどうするか・・・って考えると。 俺がやるしかないんだわ。 <黄龍の器>が、龍脈に溶け込んで、突出した<氣>を取り込んで、 足りなくなった 辺りに少しずつ放出する。 ま、俺の役割は、水道管のバルブみたいなもんかな。 実は、柳生に斬られたとき、入院中に試してみたことがあるんだわ。 そしたら、なんてーの? 時間の感覚が無茶苦茶でさ〜。 俺にとっては5分くらいに思えたのが、現実には半日経ってたり、 逆に短かったり。 だから、いつ、龍脈治めて戻ってこれるか、もう、さっぱり。 ひょっとしたら、30分くらいで戻るかも知れないし、一生戻って来ないかも 知れないし。 あ、肉体の方は、ここにあるけどな。 岩山先生に頼んで、保護して貰ってる。 でも<緋勇龍麻の意識>が戻らなかったら、ただの脳死状態な肉体に 過ぎないけどな。 そんなわけだから、もし1年経っても戻って来なかったら、多分、駄目だわ。 俺の意識は、龍脈に溶け込んで、元に戻れないってことだと思う。 そしたら、残った俺の身体は、好きにしてくれ。 みんなで遊ぶなり、臓器ばらして売るなり、剥製にして俺の美を讃えるなり。 怒って地下から<氣>をぶつけたりしないから(笑)、もう何とでも。 ところで、多分、これ読んで、怒ってるヤツがいると思う。 『なんで相談してくれなかったんだ』っつってさー。 だって、しょうがないじゃんか。 冷たいようだけどさ、俺しかこの感覚わかんねーんだもん。 お前ら『しっぽの動かし方教えて』って言われて、回答できるか? だから、俺は、自分で考えて、自分で結論出した。 ま、結構前から、覚悟はしてたし。 あぁそうそう。 『東京・・つーか何もかも捨てて逃げる』って選択肢もあったけどな。 相談したら、それも残せない感じでさー。 そのカードを選ぶ気は無かったけど、ま、その選択肢を残してるだけでも、 ちっとは気が紛れたし。 それから。 最後に大事なことを一つ。 いいか、これを読んだ後、<しりあす>は、禁止だ。 [ひーちゃん、必ず戻って来いよ!]とか [僕たちには何も出来ないのか・・]とかさ。 そんな雰囲気になったら、ますます戻ってこれねー気がする。 浮かれ騒いで、笑い飛ばせ。 そしたら、へらっと戻ってくるからさ。 戻ってきたら、ラーメンでも食いに行くか。 それじゃ。 緋勇龍麻より<愛を込めて>・・・あははは。』」 家族控え室の中を、しわぶき一つ聞こえない沈黙が支配した。 壁に掛かった時計の、刻を刻む音だけが、規則的に落ちている。 村雨は、無言で幾枚かの紙束を整えた。 京一の握りしめた拳が、膝の上で震えている。 その食いしばった口から、しゅっと息が漏れる音がした。 「蓬莱寺。『シリアスは禁止』だ」 如月が、そちらに目をやることなく、感情の籠もらない口調で言った。 壬生の頬が、かろうじて<苦笑>と表現できる動きをする。 「龍麻も・・・随分と酷な命令をくれたものですね」 そして、また、静謐が室内を満たす。 「あぁ、もう、やめやめ!」 村雨が、ふいに叫ぶ。 実際は、そんなに大音量でも無かったのだが、3人はまるで落雷にでも打たれたかのように、びくりと身体を震わせた。 「先生は、騒げってんだろ?お望みのままに、ギャグにしてやろうじゃねーか。 ・・・・・ま、言霊って点では、確かに理にかなっちゃあいるしな」 「そうですね・・・きっと、龍麻は、開口一番『本気にしたか?あはは』と言うでしょうからね」 「しかし、ギャグ・・ギャグか・・・。僕のようなシリアス一辺倒な人間には難しい注文だな」 「「「嘘を吐け」」」 3人が3人とも、ツッコミの手つき付きである。 「ギャグ、ギャグ・・・ひーちゃん好みのギャグ・・」 「ま、そんな真剣に考えんなよ。そーさなぁ・・・ここで、俺達がすべきなのは・・・ 先生の意識が戻らないうちに、4人で弄ぶとするか」 「村雨・・・」 如月が、冷たい目でみやる。 「せめて、3日は待て」 「何を言ってるんです、如月さん。・・・・・・1週間は待たないと」 「・・・お前ら・・・マジによく、そういうボケができるよな・・・」 京一が頭を掻き毟る。 村雨は、火の点いていないタバコを口に銜えつつ 「じゃ、4人の意見を平均すると、3日は待つって事で」 「俺も入ってるんかい!!」 騒いでいるようで、どこか白々しい笑い声の後に。 誰からともなく、目を見交わしあって、はふ、と溜息をついた。 「帰るか」 「・・・・・・」 「俺は、残るぜ。ひーちゃんが目が覚めたとき、誰もいなかったら、後でぶつぶつ文句言うだろうからな」 座り込んでいる京一の頭を、村雨がぽんぽんと叩いた。 「ま、好きにしな。 ・・・他の仲間にゃ、明日、連絡しようぜ。今日は、もう遅い」 「そうですね・・・」 頷き、壬生は凭れていた壁から背を起こしかけて−−−また、元の体勢に戻った。 片眉を上げて、問いかけるような視線を寄越す村雨に、苦笑してみせる。 「もし、自分がいない間に龍麻が目覚めたら・・・と思うと、立ち去りがたいものですね」 「勝手にしな。俺は、帰るわ」 言って、さっさとドアを開けた。 「村雨」 如月の、表情の読めない声。 「お前は−−−龍麻のことが好きなのではなかったのか?」 答えず、村雨は、ただ肩をすくめてみせた。 そして、振り向かずに、そこを立ち去った。 |