後編
騒ぐ仲間を置いて、今度は、村雨は、龍麻のマンションに来ていた。 ここだと確信があるわけではない。 が、龍麻のベッドは、綺麗に整頓されていた。消失しているのではなく、誰かに無理矢理連れ去られたのでも無いと考えられる以上、自宅に帰っていると考えるのは、自然な発想だった。 マンションの入り口で、携帯に何度目かのコールをするも、返答はない。 エントランスに入ると、通常は呼び出しか暗証番号でしか開かないドアが、ちょうど内部から人が出てきたせいで、まだ閉まりきっていなかった。 こんなところで発揮される己の<運>に苦笑しつつ、エレベータに乗り、5階を押す。 「先生、いるんだろ?村雨だ」 インターホンを押しつつ、ドアに向かって幾分大きめの声で呼ばう。 3度、押した後に、室内から、微かに人が動く気配がした。 かつん、と小さな音を立てて、鍵が外される。 ドアノブが、下がり。 隙間に足をねじ入れ、開こうとした村雨の腕を、手が掴んだ。 とても、とても、冷たい、手。 足下が崩れるような脱力感に、眉を顰める間もなく、村雨の身体は、宙を舞っていた。 ひどく長く引き延ばされたような時間の中で、薄暗い玄関と、そこに佇む姿を、部屋の内側から見ている事に気付き。 背中に受けた衝撃で、時間観念が元に戻る。 自分が、玄関から中に引きずり込まれ、廊下を吹っ飛んで、居間まで突き通り、ソファの背にぶつかったのだと、ようやく知る。 <人間>の力では、あり得ない出来事に、ざらりと背筋が総毛立つ。 「・・・先生?」 声は、我知らず、嗄れていた。 のろのろと、その人影が、きびすを返し、こちらへ、歩み寄ってくる。 その表情は、長い前髪に隠れて、見えない。 そして、ソレは、口を開いた。 「・・・さても、運の悪い、男だ」 座り込んだままの村雨の傍らに、片膝ついて。 凍える手が、村雨の顔を包む。 また、そこから、異常な脱力感を覚えるのに、力づくで手を振り解くと、ようやく、ソレが面を上げた。 確かに、顔は、緋勇龍麻、その人。 しかし、その瞳は。 がらんどうのような空虚さと、同時に、底知れぬ飢餓を浮かべていて。 ただ、それだけのことで、<人間>はこれほどまでに<非人間的>に見えるのだと知る。 「お前の、<氣>を寄越せ」 囁いて、龍麻が再び、手を触れ、顔を寄せて来た。 冷たい唇が、合わされたかと思うと。 身体の中心から、根こそぎ精気を奪われる心地がする。 「・・・やめろ、先生」 身体の自由が利かぬ為、<氣>を高め爆発させると、龍麻の身体は部屋の隅に吹き飛んだが、柔らかな動きで壁に留まったか思うと、ふわり、と音もなく降り立つ。 「・・・何故?」 幼児のような仕草で、首を傾げた。 「<氣>が足りない。このままじゃ、俺、崩れる。・・・イヤだ。俺は、生きて帰りたい」 ぼんやりとした、ロボットのような口調が、不意に生き生きと人間味を帯びた。 「俺は、生きて帰るんだ。人間に戻るんだ。・・・みんなの所に帰るんだ」 だから、と、愛らしくねだるような仕草で、手を伸ばす。 「ねぇ、<氣>を頂戴?」 この、目前の者が、本気でそれを言っている事は、容易に判別できた。 そして、触れられただけで、精気を吸い取られていくことも。 もしも、龍麻の言うがままになったとしたら。 多分、出来上がるのは、精気を吸い取られた死体だ。 いつの間にやら、からからに乾いていた唇を、ゆっくりと舐める。 「なぁ、先生。アンタ、物の怪じゃないんだから、欲しいのは<精気>じゃないんだろう?」 龍麻の手紙を思い出す。 東京の龍脈をコントロール−−突出した<氣>を取り込んで、足りなくなった辺りに少しずつ放出する。 しかし、東京全体の<氣>が足りなくなるわけではないだろう。 柳生によって、乱されたのは、<氣>の調和。 <陰>と<陽>のバランス。 だとすれば。 足りないのは−−−<陽の氣>。 「「俺の<氣>は、確かに、他人よりゃあ<陽>に傾いちゃあいるだろうが、精気を吸ったって、そりゃ、薄すぎて満足できねぇだろ?」 自分の生命がかかった説得だが、あまり焦った様子を見せるのは逆効果。 あくまで、理路整然と説明する。 もっとも、今の龍麻が、どれだけ理性を残しているのかは、よく判らなかったが。 一見、大人しく、龍麻は頷いた。 「じゃあ、どうしたらいい?俺、どうしたらいい?」 「<陽の氣>を練って、やるよ。その方が、いいだろ?」 「うん、頂戴?早く、頂戴?」 生まれたての雛のようなさえずりに、村雨は、苦笑する。 身を起こし、ソファに腰掛けて、龍麻を手招きした。 「手から、勝手に吸い取るのは、勘弁な」 「わかった。待ってるから、早く、頂戴?」 足下に、ぺたんと座り込んだ龍麻から目を逸らし、意識を集中する。 足裏から、大地の<氣>を取り込んで−−と連想するも。 大地の<氣>が枯渇しているのに気付く。 どうやら、この辺りの<氣>は、龍麻が吸い尽くしているらしい。 予想されてしかるべき事態ではあったが、これで、自分の<氣>のみを持ち札としなければならないことがはっきりした。 (俺の<氣>が尽きるのが先か、先生が満足するのが先か・・・) 命を張った大勝負に、こんな場合だというのに、昂揚している自分に気付く。 それを、押さえるように、村雨は、目を閉じ、意識を集中し直した。 体内の<氣>を高め、腰椎を通し、丹田に集める。 「先生・・・口開けな」 おもむろに、己のモノを取り出し、龍麻に示した。 「?」 相変わらず空虚な瞳が、村雨を見つめる。 「俺も、そっちの達人じゃねぇんだ。<陽の氣>を放出するのに、閨房術の真似事しか出来ねぇよ」 もっと手慣れた者なら、掌をかざしたり、額から<氣>を放出することも出来るのだろうが、そのようなことはやったこともない。 とりあえず、この方法しか思い浮かばなかったのだが。 龍麻の意識では、『それで<氣>を取り込むことが出来る』という認識になったのだろう。 素直に、口を開け、ソレを迎え入れた。 餓えた眼で、村雨を見上げる。 「はい、一回目」 色気もクソもねぇな、などと不謹慎なことを考えつつ、村雨は放った。 何が起こるのか、判っていなかったのだろう、龍麻が、むせ返る。 けほ、と咳き込みつつも、村雨を見た瞳は。 明らかに、歓喜に染まっていた。 だが、それも、すぐに、また飢えた色に取って代わり。 顎へと滴ったとろりとした液体を、指先で拭い、舌先で味わうように舐めとる。 ひらひらと舞う赤い舌先の妖艶さに思わず見とれていた村雨は、龍麻の 「頂戴、もっと頂戴」 という甘えるような声で、我に返った。 放っておくと、むしゃぶりついて来そうな頭を、両手で押さえ、 「せかすなよ」 と窘める。 だが、龍麻は、その手を振り切って、村雨のモノに、かぷりと銜えついた。 そのまま、乳を欲しがる赤子のように、ただ、無心に吸う。 その動作には、技巧も何も無いのに、何故か反応してしまう自分に慌てた。 「待て・・・って。<氣>を練らせろよ」 言っても、龍麻は聞いていない。 諦めて、自分の意識に集中した。 その動作に慣れたのか、はたまた龍麻によって高められた射精感が加わったせいか。 先ほどよりも早く、村雨は2度目の精を放った。 喉の奥深くまで銜えていた龍麻は、やはり、むせた。 その拍子に、数滴の精液が、口から床に零れ落ちる。 <陽の氣>が含まれているそれを、少しでも取りこぼすまいとしたのか−−− 龍麻は、床に這って、それを舐めとった。 その姿をを見た途端。 どくん、と村雨の心臓が跳んだ。 (いや、俺は、これは、あくまで、先生に<陽の氣>を与えるために、仕方なくやってるんであって・・・) 自分で、言い訳してみても、これが『欲情』であることは、自分自身が一番よく知っている。 数瞬の逡巡の後。 村雨は、口を開いた。 声のトーンが、やや上擦っている辺りが、まだ若い。 「先生。いちいち、むせるんじゃ、大変だろ?・・・こぼさないように、してやろうか?」 丁寧に自分の顔に付いた精を、指先で拭っては舐めていた龍麻が、飢えを満たしてもらえる期待に、瞳を輝かせた。 「うん、頂戴。もっと、頂戴。零さないようにして」 「よしよし、それじゃあ、ベッドに行こうな」 言って、村雨は、龍麻を抱き上げた。 ベッドに龍麻を下ろしてから、村雨は思案する。 「先生・・・ジェルとかローションとか、持ってねぇ・・・よな?」 「わかんない、俺、わかんない」 いやいや、と首を振り、餌を見る肉食獣の瞳で、村雨をねめ上げる。 早く、と動く、赤い唇の誘惑を振り切り、村雨は、室内を見回した。 何も、ない。 落ち着いて眺めてみると、どの部屋も、異様なほどに何も置いていなかった。 まるで、引っ越した直後のような、生活感の無い空間。 僅かな家具と、整理された段ボール。 それが、『緋勇龍麻は、生きて帰れるとは思っていなかった』という意味を如実に表していると気付いて、不覚にも、目頭が熱くなる心地がした。 だが、今、龍麻はここにいる。 <人間>としての意識は混濁してはいるが、ここにいるのだと。 己の<陽の氣>で、救うことができるのだと。 同時に、そうも気付いて。 自分の持ちうる<氣>の最後の一滴まで、この餓えた瞳の奇妙な生物に、注ぎ込んでも悔いはない、と。 何故か、素直に、そう、思った。 ごめん、ここで、暗転しちゃうの・・ (だりぃ・・・) 目を閉じているはずなのに、極彩色のモダンアートが世界をくるくる回している。 身体のパーツ、一つ一つが、何トンもあるような気がする。 自分の身体の感覚もあやふやな中、地面が片側にきしみ、転げ落ちる感覚がして、思わず全身の力が入った。 「気が付いたか?」 天使が象とランバダを踊り狂う中、その声だけは、気持ちが良いほど涼しく聞こえた。 お陰で、瞼を押し上げるだけの力は、蘇ってきた。 「・・・・よぉ、先生・・・会いたかった、ぜ・・・」 自分の声が、明後日くらいに聞こえてくる気がする。 だが、声を出したことで、更に意識がはっきりした。 2,3度、目をしばたき、目前の顔を見つめる。 苦笑じみた笑いを浮かべたその顔を。 「本当は、お前が失った<氣>を注ぎ込んでやれば、楽になるんだろうが、まだ、こっちもぎりぎりだ。許せ」 あまり悪いとも思っていないような態度で、ふんと鼻を鳴らし、龍麻は足下を探った。 がさがさとビニール袋が鳴る音の後に、幾つかの瓶が取り出される。 「気休め程度だろうが、精力剤を買ってきた。飲むか?」 太清神丹、栄養ドリンクG、それに『○ンケルゴールド』『赤まむし』『スッポンエキス』ついでに『倍櫓(仮)』・・と目の前に突き出されて、村雨は力無く顔を覆った。 「やめてくれ・・尽きてんのは、精力じゃねぇ上に・・・不能でもねぇんだから・・・」 「ま、そうだな」 あっさりと、それらの類を引っ込める。 くらくらする頭を押さえて、呻っている村雨を気にせずに、龍麻は立ち上がった。 「お前は、まだ寝ていろ。俺は、桜ヶ丘に行って来る。無断で出てきたし、さぞかし他の奴らが騒いでいることだろう」 「・・待てよ、先生・・」 「何だ?」 腰を下ろすことはせず、立ったまま、村雨の顔を覗き込む。 「なんで・・桜ヶ丘から出てきた?あっちの方が、<氣>が充実してるだろうに・・・」 「あそこは産婦人科だからな。知っての通り、赤子は純粋な<陽の氣>の塊だ。あれ以上、あそこにいたら、赤子の生命を奪いそうだった」 何をくだらないことを、と言わんばかりに、つまらなそうに龍麻は言う。 (・・・俺なら、いいのかい・・・) いや、そうじゃなくて。 「てめぇの命がかかってる時に、見も知らねぇガキの心配なんざぁ、してんじゃねぇよ・・・」 その返答は、バカにしたように、鼻を鳴らされただけだった。 「もう、行くぞ」 「もうちょい、待て、先生・・・」 先ほどから、<なにか>が引っかかるのだ。 見えているその姿は、緋勇龍麻に間違いないが、混乱していた時とも違う、かといって、まるっきり元の龍麻とも言い難い、微妙に異なる気配が・・・。 見つめる村雨に、龍麻が癇性に頬をぴくりと引きつらせた。 炯々と光るその瞳には、あの時の虚無も飢餓も無い。 そう、瞳。 きつい、きつい輝きを放つその瞳。 そういえば。 元の龍麻の瞳を、はっきり見たことはなかった。 いつも、目を合わせているようでいて、口元や眉間といった、少しずれた位置に焦点を合わせていた瞳。 それが、村雨が目覚めてからは、射抜くように真正面から目が合っている。 ただ、それだけの違いと、言ってしまえばそれだけだが−−− 妙に、確信を持って、村雨は聞いた。 「アンタ、『元の』先生じゃないんだな?」 「だったら、どうした」 返事は、打てば響くように戻ってきた。 「お前達が、どう思おうと、『緋勇龍麻』は、今ここにいるこの俺しかいない」 やっぱり、と納得する思いと、信じがたいと反発する思いと。 相反する感情のまま、黙り込んだ村雨をちらっと見て、興味を無くしたように、龍麻は背を向けた。 この龍麻は、躊躇うことなく、出ていくだろうことが、容易に想像され、慌てて村雨は、言を紡いだ。 「『お前達』と言ったな、アンタ。・・・他の奴らに、どんな顔して会うつもりだい?」 「別に、記憶をなくしてる訳じゃない。お前達のデータは頭に入っている。騙し通すくらい、わけないことだ」 そして、ちらっと振り返り、呟きのように、付け加えた。 「『元の俺』が騙していたことにも気付かない奴らだ。どうせ、気づきはしない・・・気付かれたら・・・泣き落としが有効そうだな。甘ちゃんばかりだから」 そうして、今度こそ、出て行った。 やれやれ、と目を閉じる村雨の目の裏に、今、見たばかりの、龍麻の表情が浮かぶ。 (自分が、泣き出しそうな顔してるって、気付いてたかね、あの先生は・・・) 『元の緋勇龍麻』と違う、と指摘された途端に、現れた、その顔。 自分を否定され、それでも、胸を張る、その誇り高さ。 他の『仲間達』が、元の彼との違いに気付かないことを願う。 龍麻のためではなく−−−己のために。 (俺だけが知ってる、緋勇龍麻の秘密ってぇのも、悪くない) |
柳生は倒され、東京の龍脈は平定され、平和な世界が戻ってくる。 お話は、そこでおしまい、めでたし、めでたし。 −−−ではなくて。 これから、始まる、物語もあるのだ。 村雨は、一人笑って、目を閉じた。 まずは、失った<氣>を取り戻し、自由に動けるようになってから。 そう。 これからが、勝負だった。 |
あとがき 宿題だった、最終決戦ネタ、終わりました。積み残しはあるけど。 次、予定されるのは、村雨の告白ですが。 題は多分 『取引』。 いかにも、正当派恋愛告白とは縁遠そうな題ですな(笑)。 マイ設定炸裂のお話でした。でも、最初から、こういう風に柾希復活予定だったので。だから、『マニュアル人間で行こう!』に、『マサキ×2』て表現があります。龍麻さんは、結構マサキ×2と意気投合して御門いじめてます。 『星に願いを』で、龍麻さんがちょっと困ってたのは、自分には未来は無いと思ってたからです。まあでも、うちの龍麻さんの持論は 『絶望は、愚か者の結論』 なんで、とことん、足掻きますけどね。 それにしても、予定では、村雨さんは『この龍麻』に惚れるんであって、『元の龍麻』には、さほどでもない、だったんですが・・・ 元の子にも結構惚れてますよね、これって(笑)。 自分で書いといて何ですが。 あ、エロ入れられませんでした(笑)。お解りとは思いますが、村雨さんは『下の口から<氣>を注ぎ込んだ』んですけど(爆)。 痛いだけの表現なので、ちょっと・・。 マヨネーズ、という単語が頭を過ぎりましたが、小動さまの登録商標(笑)なので、使用したのは、オリーブオイル(設定してても、書いてなけりゃ同じだが)。 では、読んで頂いて、ありがとう御座いました〜! これからも、どうぞお付き合い下さい〜! |