ドラマティックレポート 6
1998年4月。
俺、緋勇龍麻は、新しく引っ越したマンション…厳密には鳴滝のおっさんから巻き上げた…の一室で、鏡と睨めっこしていた。
ゆっくりと眼鏡をかけ、前髪を下ろす。
しばらく自分の顔を眺めた末、にんまりと笑った。
「ふっ、完璧」
眼鏡はレンズの下のみに金属縁があるタイプで、色は紺。しかも、流行とは逆に、顔に対して大きめでしかも太い金属フレームを選んでみた。目にかかった前髪の下にくっきりと目立つそれは、逆に中の瞳を目立たなくさせる効果があった。
「俺、目が印象的〜なんて、よく言われるからな。これで多少紛れるだろ」
独り言を呟き、眼鏡を外す。実は全く度の入ってない素通し眼鏡なのだ。
だが、眼鏡を外すと前髪が目に入りかけて鬱陶しかったんで、また、ただのガラスなそれを顔に戻す。
「逆に言やぁ、他んとこが全然印象的じゃねーってことだけどなー」
ぶつぶつ言いながら、今度は全身が映る鏡の前に立つ。
新しい学校の制服は濃緑色だ。良い色だと思う。何と言っても、血飛沫が目立ちにくい。これで白だったりした日には、おちおち戦ってもいられねー。
中肉中背…というには、やや小柄、やや細身。前髪が長めな以外は特徴といった特徴の無い顔。
肌の色も白くもなく黒くもなく、ニキビの類も無し、体毛は薄い方。鼻と口は、大きくもなく小さくもない。平均的過ぎて、多分、誰にも覚えられない。もちろん、自分が不細工とは思わない。つーか、不細工なら、それはそれで記憶に残る顔だろーが、俺の顔は実に『無難にまとまって』いるのだ。
だが、これまで俺を『平凡』と称する友人はいなかった。たいていの奴は「だってお前、目が目立つんだもん。いや、洒落じゃなくて」と言う。
俺の目が青いとか色が変わっているというのではない。色は平均日本人と同じ黒(幾分焦げ茶色)である。
俺自身は俺の目を鏡で見たり、写真で見たりするしかないんだが、それでは俺の『眼力』はよく伝わらないんだそーだ。直接見ると、すっげー輝いているらしい。ある友人曰く「闇夜の灯台つーかサーチライトみたいなもんだ。周りの景色なんざ見えなくなるくらい、強烈に光ってんだよ、お前の目」だと。俺の平均的な顔だの平均的な体格だのを一蹴するくらい、目だけでインパクトがあるらしい。
そこまで表現されると、俺は外道照身霊波光線持ちかよ!人外魔境かよ!と突っ込みたくなる。
しかしまあ、あながちそいつだけの感想でもないのか、俺の目とまともに向き合った者は、眩しそうに目を細めるか、目を逸らすか…あるいは、虚勢を張って「何をがんくれとるんじゃ、われぇ!」となるか。俺は、決して平和主義ではなく、どちらかと言えば逆のタイプなので、がんくれ→どつき合いはむしろ望むところではあるが、タッキーから重々「目立つな!」と念を押されているのである。住居から生活費からぶら下がっている身としては、言いつけを守らざるを得ない。
そんな訳で、俺は視力2.0を誇るにも関わらず、伊達眼鏡なぞというものを購入してみたのである。
もう一度、鏡の中の自分を見る。
目を隠した顔で、おずおずと笑ってみた。
全く染めたことのない髪は漆黒ストレート。古くさいイメージの眼鏡といい、無意味な穏やかな笑顔といい、人畜無害なちょっと気弱系優等生の出来上がりである。
鏡の両端を掴んで、くっくっくっと喉を鳴らす。
「すっげー、俺って真面目そー」
緋勇龍麻18歳。これまでの人生で、世間は建前はともかく「外見で判断する」ことをよーく知っている。
「いーじゃん、いーじゃん。ま、最近は大人しそうな奴でも妙な事件起こして「普段からは分からなかった」なんて言われるから、外見がこれでも安心できねーけどな」
だけど、仮に。
その場に真面目そうな奴と、見るからに不良がいて。
でもって切り裂かれた動物の死体なんかあったりすると、どっちが疑われるか、なんて考えるまでもなく不良タイプ。
実際、血塗れの猫を抱えているときに誰かにあっても、悲しそうに目を伏せて、「事故にあったみたいだ。お墓を作ってあげなきゃ」なんて呟けば、誰も俺本人がやったとは思わないんだ。世の中、事なかれ主義がまかり通ってるよなー。
「さあ、頑張ろうぜ、優等生くん」
眼鏡を外してにやりと笑った。
鏡の中からは、先ほどと同じ顔の人物が、炯々と瞳を輝かせて、小悪魔めいた笑みで見返してきた。
真神学園ってところは、たいそう楽しい場所だった。
何度「タッキーありがとう!こここそが俺の生きる場所!」と空に向かって両手を合わせたことか。
あまり大声で言うことでも無いが、実は俺は『変態』である。小学生頃からそれには気づいていた。同級生どもが女の裸の雑誌だのを見て笑い合ってるのを横目に、俺はスプラッタにはまっていた。中学生頃には、はっきり分かった。俺は女には欲情しない。血に欲情するんである。エロビデオを見ても勃ちゃしねー。スプラッタ映画なら何度でも抜ける。しかしまあ、それが異常だと言うことも同時に気づいていたため、うまいこと隠し通していた。小動物だって、まんま俺が殺したことはない。…ま、事故に遭って息絶えだえの奴の傷をいじり倒したことはあるが。
でも、ずっと夢想していた。この手で動物を引き裂けば、この身に血を浴びれば、如何に気持ちよいか、と。その想像だけでイってしまいそうだ。…つーか、イった。普通、自慰の時は女の裸でも想像するもんだろうが、俺は自分が何かを殺しているところを想像してやっていた。
それが、どうだ。
何だか知らんが、俺は重大な役目持ちだとかでタッキーが現れ古武術を仕込まれた。実際に、この手で何かを引き裂く手段を手に入れたのだ。
そして、この地で、犯罪に問われることなく思う存分殺せる相手を得た。
もー、たまらん!パーラダイス!!
血が赤くなくて緑だろーが黒かろーが、そこは勘弁してやろう。
温かな体に手を突っ込み、拍動する内臓を掴んで握り潰す感触。そうして、徐々に冷えていき、流れ出す生命。
あーもー、何度人前だと言うのにイきかけたことか!
それを堪えるのは、もー全人生を賭けるくらいの忍耐で、俺の頭の中は「この感触を覚えてる間に家に帰って、思う存分射精してぇ!」で一杯だった。つーか、後でやろう!という一念で、その場は耐えてるというか。俺も若いよなー。
おかげで、連夜の旧校舎での『修行』にも関わらず、連夜の自慰にも関わらず、俺の体調はこれまでの人生で最高潮、矢でも鉄砲でも持ってこい!という心境だった。
まあ、欠点があるとすれば、制服の消費が馬鹿にならんことだろうか。
真神の他の連中は、あまり返り血を浴びないのだが…つーか、俺もやろうと思えば返り血無しに戦うことは可能だったが、何分血を浴びるのが心地よいため、修行が終わった時には、俺の制服はいつもぐっしょりもうこんなに濡れ濡れ状態だった。さすがにこんなもんをクリーニングに出す訳にはいかない、つーか、それ以前に帰ることすらやばい状態で。
俺は頭を捻った挙げ句、学校で見つけた人間もどきの力を借りることにした。
「犬せんせー、水道貸して〜」
犬神とかいう教師は、人間では無い。ついでに、その俺を見る視線は、どうもタッキーのそれと似ている。「あぁっ!弦麻っ!」「そりゃオヤジの名だ〜!」ぱこーん!という何度も繰り返したそれと。タッキーのは分かり易い。オヤジに惚れていたのである。で、面の似ている俺を見て、飛びかかるのだが。あぁ、念のため言っておくが、俺とタッキーは何もやってねー。タッキーは、自分で勝手に我に返って、宙を見つめて「あぁっすまない弦麻!私には君一人だ!」と呟くからだ。
いや、それはともかく。
犬も俺のオヤジに惚れてたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。だが、犬の知ってる誰かに俺が似ているのは確からしい。絶対、他の奴を見るときとは目の色が違う。
ということで、それに付け込み、制服を洗うのと、着替えるのを黙認させるくらいは出来た。
まー、ホントは制服を洗いたくは無いんだけどさー。そのまま持ち帰ってその香りに包まれて…くっくっく…。
「…欲情する暇があったら、さっさと帰れ」
「はぁい!」
犬は犬らしく嗅覚が鋭敏なので、俺の匂いはきついだろうが、顔をしかめたまんまやっぱりきっつい匂いのタバコを吸って、俺が着替えるのを見ている。
ちゃっちゃか脱いで、ゴミ袋に制服を突っ込み、手や顔、髪を洗って、新しい制服を身につける。
「んじゃ、御邪魔しました〜!ありがとー犬せんせー!」
「…忘れ物だ」
投げられたものを受け取ると、それは俺の眼鏡だった。
「サンキュー!んじゃ、おやすみ、良い夢を!」
俺は挨拶代わりに犬の鼻をぺろりと舐めて、眼鏡をかけた。戦闘中は邪魔だから、こうして着替えと共に犬の住処である生物準備室に置いてあるのだ。
「お前は、いつも楽しそうだな」
「おー、おかげさまで!幸せ一杯でぃっす!」
俺は手を振って生物準備室を出た。
以前、犬は俺に「生き物を殺すことに罪悪感は感じないのか?」と皮肉っぽく聞いたことがある。ちなみに、俺の答えは「罪悪感ならちょっとは感じてるよー。俺の楽しみのために殺しちゃってごめんねって」だったが。でも、続けて言った「生き物殺すとさー、俺は生きてるぞって感じで嬉しいんだよね」は、犬の何かに触れたらしい。犬の知ってる『誰か』も同じようなことを言ったんだろう。その会話以降、犬は俺に説教めいたことは何も言わない。気配としては、犬は俺よりずっとずっと長く生きてるんで、俺なんて生まれたての子犬同然なんだろう。子犬がちょっとやんちゃしたって、多めに見てくれるよな?…と踏んで、俺は距離を測りつつ犬に甘えているわけだが。
て感じで、俺は真神ライフをエンジョイしていたのだが。
その夜は、旧校舎に潜れなかった。制服の予備が尽きたのだ。
「タッキー、制服の予備さー、100着くらい用意出来ねー?」
「100着もか!」
「一応、洗ったりもしてるけどさー。知り合った女たちに繕いも頼んではいるけどさー。でも、どーしよーもなく血塗れなやつとか、びりびりに裂けちゃったやつとかは捨てた方が早いんだもん」
タッキーは、攻撃を受けないようにしろだの、弦麻に似た顔を傷つけるなだのとうるさかったが、俺はさっさと電話を切った。あの人、俺に甘いから、どーせ制服送ってくるわな、きっと。
とはいえ、今日は間に合わない。
いきなり暇になってしまった。こんなことなら、京一とラーメンくらい食って行けば良かった。
さて、スプラッタでも借りてくるか…でも、最近現実の方が激しくて、映画じゃ勃たなくなったしなー。それとも繁華街に出て、不良に絡まれるのを期待するか?さすがに旧校舎の化け物と違って、生きてる不良を殺すわけにはいかないが、どつき倒すのは気が晴れて良いかもしれない。
よし、決めた。と、俺は、新宿の街にぷらぷらと出ていくことにした。
制服着用、もちろん眼鏡着用。ほーら、不良のみなさ〜ん、ここにカモっぽい優等生がいますよー。そんなオーラを垂れ流しながら、のんびり歩いていると。
ふと、何かが耳を掠めた。
場違いな、赤ん坊の泣き声のような弱々しい声。
立ち止まって耳を澄ませたが、喧噪に紛れてはっきりしない。
空耳か、と再び歩き出そうとして、またかすかな声が聞こえてきた。
頭を巡らし、それが最も大きくなる方向を探す。そうして、横道へと、足を踏み入れた。
明るい中心から外れた道は、いわゆる大人関係の店でしめられている。さらにその裏路地へと進むと、ひ弱な鳴き声に加えて羽ばたきの音が聞こえてきた。
薄暗い路地の奥、青いポリバケツの影で、黒い鳥が翼をばたつかせている。俺の足音に気づいたのか、小さな黒い目がぎょろりと動いた。
その嘴は濡れ濡れだ。色は分からないが、この展開でただの水とは思えない。
何をつついていたのか、と下を見れば、小さな小さな塊が3つ。その中の一つが、またひ弱な赤子のような声を上げた。
まだ、生きてんのか、と、じっと見る俺を「食事の邪魔をする者ではない」と判断したのか、またカラスがぴょんと下へ降りた。
「失せろ」
小さく囁く。眼鏡を外し、裸眼で黒い鳥の目を見つめる。殺気は乗せていない。そこまでしなくても、俺の命令に抵抗できるほど力はないはずだ。
「引き裂かれたくなければ、失せろ」
獣の小さな頭で何を感じたのだろうか、それでもカラスは名残惜しそうに1,2度首を振り、ポリバケツの上へと飛び乗った。
「警告は、2度までだ」
言葉と共に、じりりと足を進めれば、ようやくカラスはどこぞへ飛び去った。
その間にも、ひーひーという鳴き声は弱々しく続いている。
溜息と共にしゃがみ込み、3つの塊に手を触れてみた。そのうちの一つのみが温もりを持ち、ぷるぷると震えているのだった。
「やれやれ、生き物を助けるのは主義じゃないんだが。見つけたもんはしょーがねーよな」
呟きながら掬い上げる。
まだ毛もないのか(あるいは短い毛がべっとりと身体にくっついているのか)肌の色が透けた小動物は、どうにか猫と判別出来た。
「親はどうした?お前たちを守ってくれなかったのか?」
言いながら目をやると、ポリバケツの奥に3つの塊よりは大きいものが蹲っていた。その体からもどす黒い液体が地面にシミを作っている。
「出産したてを狙われたのか。自然の摂理、と言えば摂理なんだが…」
掌で震えているものも、べっとりと血に塗れている。それが出産の過程で付いたものか、同胞の血なのか、はたまたそれ自身の血なのかは判別しがたい。最後の一つの場合、すぐに死んでしまうことは目に見えていた。いや、前2者であった場合にしても、生まれてすぐに母親が死んでしまっては、生き残る確率は皆無に等しい。
厄介なものを見つけてしまったな、と思いつつも、わくわくしているのは自分でもよく分かっていた。
この手を握れば、すぐに途絶える生命。
その感触が、背筋をぞくぞくさせる。
「どうせ、すぐにでも死んでしまうものじゃないか。今、ここで俺が握り潰しても、同じことだよな」
甘い誘惑が囁き、ぺろりと唇を舐めた。
念のため誰にも見られていないことを確認しよう、と振り返れば、光を遮る男の影に、ぎょっとした。
近寄る気配が全く感じられなかったのだ。
確認して良かった、という安堵と、聞かれてなかっただろうか、と後ろめたい気持ちが交錯する。
そいつの顔あたりからは視線を外し、掌の方へ俯く。
逆光ではっきりとしたディテールは不明だが、そいつは白い服を着ていた。背広ではない。しかし、けったいな服だが、私服というのでもなさそうだ。白いズボンに白いエナメル靴、白い上着は膝くらいまである。…漫画で見るような長ランというのが一番相応しいだろうか。
長ランだとすると。これは『不良』か。めんどいなー、今は、これが手の中にいるしなー。
男は、ゆっくりと俺に近づいてきた。
さて、どう出る。動かずに様子を窺っていると、男は俺の間合い直前で止まって、俺の方をしげしげと見ているようだった。
まだ難癖付けられてるわけでもないし、こっちから殴りかかるわけにもいかない。
俺は直接相手の目は見ないよう、視線はずらしながら男を観察した。意外と若いが、無精髭と顎の傷が、如何にもそれもんで、学生じゃねーだろ、という感じはした。んが、それはそれで、長ランのコスプレする筋もんって恐い気がする。いろんな意味で。
「それ、どうせ死ぬんじゃねぇのか?」
あ、やっぱり若い声だ。からかうような、面白がってる声。
それ、ってのは、やっぱこの猫のことだろーな。さて、どう返すか。お前には関係ない、と言ってやりたいが、今の俺は『気弱系優等生タイプバージョン1.02』だ。いや、バージョンに意味はないが。
「死なせたくないから」
こんな感じか?ちょっと掠れたような声になったが、それはそれで緊張してるっぽくて良いかもしんない。
「さっき、あんたも言ってたが、やられんのは自然の摂理だ。しょうがねぇだろ?」
やべっ!どこから聞いてたんだ、この男!俺、やばい気配漂わせてなかったっけか?楽しそうにこれを握ろうとしてんの、見られなかったか?
必死で思いだそうとしている俺に、男は肩をすくめて、懐に手を突っ込んだ。まさかいきなり武器か?
咄嗟に構えた俺を後目に、男が出したのはハンカチだった。ご丁寧にも、それも白だった。何か拘りがあるのだろーか。そいつはハンカチを手に、店先の水道を捻った。濡らしたハンカチを俺に差し出す。
「拭いてみりゃどうだ?そいつが怪我してんなら、助けようとするだけ無駄だろうよ。もし、そいつの血じゃねぇんなら、助かる見込みはあるが」
ほー、意外と世話好きか、猫好きか。俺はハンカチを受け取ってはみたが…冷たい。よくは知らんが、生まれたてのもんを冷やすのはやばいんじゃないだろうか。
俺はハンカチを握ってみた。しかし、それだけで温まったりしないわな。問うような男の目に、ぼそぼそと呟く。
「これ、冷たいから」
しかし、どーするかな。こうなったら、俺としてもこれを助けざるを得ない。血を拭う…ふぅ、ゴミバケツの側にいたことは忘れておこう。
男は、びっくりしたように目を見開いた。そりゃそうだろう。俺だって驚くと思う。いきなり血塗れの物体を舐めだしたのを見れば。
血の味だ…それ以外は感じない。よかった。これで生ゴミの腐った味とかしたら吐いてるぞ。
親猫よろしく全身を舐め終えると、肌色のそれは、小さな傷しか受けていなかった。まあ、頭の当たりに血腫があるから、やばいかもしれないけど。
舐め終わると、そいつは小さく、みー、と啼いた。ぷるぷる震えている。うーん、濡れたままで風に当たると寒いだろうか。
制服のボタンを外し、ワイシャツのも2個外す。直接胸に抱くと、それはぺとりとした感触でひっついた。俺の心臓がどくどく言う位置に抱いていると、それもどくどくと一緒に波打つ。もしこれが魔物の子だったりすると、俺さまピーンチ!って気はするが、考えすぎだろー。どう感じても、これは死にかけのひ弱い生命体だ。
さーて、助けると決めたら、帰らねば。猫ミルクとか買わなきゃならんし。えーと、醍醐んとこが猫飼ってるっつってたよな。聞いてみよう。
俺は濡れたハンカチを男に返した。男は受け取りつつも、何とも言えない妙な顔で俺を見る。
「物好きだねぇ、あんた」
そこまで言われるとかえって敵愾心が沸くな。絶対、こいつは助けてやるぞ、みたいな気分になる。そもそも俺は、これを助ける気なぞ1ミクロンも無かったんだが。
「死ぬべき運命のものなら、俺が何をしようと死ぬ。もし、これで助かるのなら、元々助かる運命だったんだろう」
「運命論者かい?あんた」
男は飄々と肩をすくめたが…どことなく『運命論者』という言葉に嫌悪を感じているようだった。分からないな。こいつは、一体何がしたいのか。
ま、いい。それこそ、会うべき運命なら、いずれまた会うんだろう。
「…それじゃ」
俺は男の横を通り過ぎて明るい道へと戻った。男の視線を感じて、やや緊張はしたが、相手が仕掛けてくることは無かった。
さて、ただの物好きな通りすがりか、それとも。
一度出会うのは、偶然。
二度目は、必然。
以前ならともかく、今の俺はなにやら重要人物らしい。偶然を装って知り合いになろうとする奴の出現は想定内だ。もしも、あの男と『偶然』再会するようなことがあれば、タッキーに報告して、調べて貰うとしよう。