ドラマティックレポート 



 それ以降。
 どうせこっちから接触しねぇ限りは、もう二度と会うこたぁねぇと思ってた緋勇だが、予想外にも一週間に一度くらいの割合で歌舞伎町に訪ねてくるようになった。
 顔合わせりゃ2,3言喋って、それからどこかに寝に行く。前のヤサの時もありゃあ、ラブホの時もある。どこでも緋勇が抵抗した試しは無ぇ。
 どうもよく分からねぇ。
 緋勇が愉しんでいるか、と言われりゃあ、まあ最後にゃイってんだから愉しんでんだろうけどよ。しかし、何かが違う気がしてならねぇ。
 俺に惚れてるにしちゃあ、散々なぶろうが優しい言葉をかけようがまるっきり様子が変わんねぇし、かといって性欲処理と割り切るほどの経験も無さそうなんだが。
 しかしまあ、休み前の夜には必ずと言っていいほど、俺の前にふらふら現れるし、一番しっくりくる解釈は『俺に惚れてる』かつ『体だけの関係でも良いと諦めている』ってとこか。そう考えると健気と言えなくもねぇんだが…しかしなぁ。何かが違う気がすんだよなぁ。
 釈然としねぇままに、もう二ヶ月ばかりが経過しようとしていた。お互い初心者だった頃に比べりゃ、格段にレベルアップして、それなりに肌は馴染むようになってはいた。特に緋勇は予想を裏切って俺のもんを口にするのに抵抗が無ぇらしく、おしゃぶりがかなり上達していて、この俺がそれだけで満足しちまいそうになる。
 それを考えると、あっさり切っちまうのは惜しい気はするが……ついに秋月が正式に接触する決意を表明した。
 さて、どんな反応を示すかねぇ。

 「イカサマだ!」
 目の前で明るい茶色の髪の男が顔を真っ赤にしている。そんなセリフは珍しくも何ともねぇ。
 ただいつもと違うのは、俺がこいつの財布の中身を予想して計算尽くで身ぐるみ剥ぎ取ってやったくれぇのもんだ。
 「へっ、見破れねぇもんをイカサマたぁ言いがかりだな、兄さん」
 ホントにイカサマなんざやってねぇがな。ここはイカサマと見せかけておいた方がいいだろう。そうすりゃ動体視力の優れた奴を引っぱり出して来る…つまり緋勇あたりが出てくる。ひょっとしたら真神の連中がぞろぞろと来るかもしれねぇ。マサキの絵によりゃ荒ぶる黄龍と戦うのは、学生服が複数だからな。ついでに話をしておくらしい。
 ま、こんな手段をとってんのは俺の趣味だが。
 パンツ一丁で悔しそうに雄叫びを上げて走り去っていく男を見ながら、俺はタバコをくわえた。
 さぁて、どう出る?緋勇。
 歌舞伎町で白い制服の男に花札で巻き上げられたって時点で、俺の仕業ってぇのは分かるはずだが。
 マサキからは「丁重にご招待」しろって言われてるが、どうやらそうは行かねぇようだ。
 言い訳するなら、俺にゃどうにもあれが<黄龍の器>なんてご大層なもんに見えねぇんだ。力を試してみてぇってくらい大目に見て欲しいもんだ。

 翌晩。
 予想通り、赤茶色の髪の男を先頭に真神の連中が乗り込んできた。緋勇は最後尾で大人しくしてるらしく、気配が薄い。
 俺の「力尽くでやってみな」て挑発に乗っていきり立つ赤茶色の髪の男に、緋勇が何やら呟いた。
 それを皮切りに、真神の連中が向かってくる。俺の手下どもも頑張ってんだが、やはり普通人と<力>持ちとの違いだ、瞬く間にのされている。
 俺の目前に赤茶色の髪の男が木刀片手に迫ってくる。それに『紅葉』をかけながら見ると、緋勇は最初の位置から動きもせずに両手をズボンに入れたままぼんやりと立っている。
 つまんねぇな。
 怒り狂って勝負かけてくりゃ、ちったぁ面白いのによ。
 適当なところで切り上げて両手を上げる。
 降参の意を示して、赤猿…蓬莱寺に財布と制服を返してやった。
 それから「ある人があんたたちに会いたいっつってるんで、力を見せて貰った。転校生誘拐事件についても情報がある」ってぇ類の話をすれば、当たり前だが疑いの目で見られている。…しかし緋勇は相変わらずそいつらの後ろに隠れていて、表情が読めなかった。気配としちゃあ、怒ってるでもなし、何というか…あえて読めねぇように『氣』を断ってるってとこか。
 真神の連中は俺の話に乗り気じゃなかったが、緋勇が一言、「行く」と言った途端、一斉に頷いた。大した信望ぶりだ。
 そして帰っていく。まるで、俺のことなど全く知らない、といった素振りで。
 つまんねぇなぁ。何か言やぁ面白いのによ。
 「おい、緋勇」
 声を掛けると、振り向きもせずに淡々とした答えが返った。
 「じゃ、また明日」
 何ともつれない。そりゃねぇだろ、と背後から肩に手をかけようとした途端。
 緋勇の体から目に見えるほどの殺気が巻き上がった。
 「今の俺に近づくな。…殺されたくなければ」
 ふ…ん。
 何だ、きっちり怒ってやがったのか。
 顔を合わせたら何をするか分からないってか?くく、可愛いねぇ。
 足を早めた緋勇は先行していた真神の連中を追い抜きざま一言叫んだ。
 「ひーちゃん!?」
 「悪い、先、帰る!」
 そして、駆け去る。
 最後まで俺の方を見なかったが…きっと裏切られた怒りで一杯ってとこだろう。
 ま、ホントなら泣き叫ぶとか怒り狂うとかを表に出して、俺に掴みかかるくれぇのことをして欲しかったんだがな。これはこれでおもしれぇからイイか。
 さて、明日はどう出るかねぇ。
 とはいえ、きっちり感情を固めてくるんだろうぜ。まったくつまんねぇ話だ。

 翌日、指定の場所に真神の連中は勢揃いしていた。緋勇は俺とは目を合わさねぇが、目の下に黒々とクマを作り、いかにも夕べ寝てません、といった表情だった。ふぅん、可愛いとこあるじゃねぇか。
 しかし<浜離宮>に案内する間も、俺とは口もきかねぇでまるきりの無視。怒ってるとか傷ついてるとか、俺を罵りゃいいのによ。全部てめぇで始末つけようってのが気に入らねぇ。一体てめぇは何様だってんだ。
 それにしても、真神の連中も、俺とのことは知らされてねぇらしい。反応が夕べと変わってねぇ。ついでに言うなら、これだけ緋勇が憔悴した顔してんのにさして気にした様子もねぇのがな。よくあることと割り切ってんのか、意外とクールな付き合いしてんのか。そう考えると、ちっと可哀想だな、緋勇。
 さて、<浜離宮>に着いて、真神の連中は御門に引き渡し、俺はマサキを迎えに行った。
 屋敷の玄関ですでに車椅子に乗って待っていたマサキに、ちょいと帽子を上げてみせる。
 「悪ぃ、待たせたかい?」
 「いいえ。僕が楽しみで待ちきれなかっただけ」
 微笑むマサキにゃ悪いが、俺がちょっかい出した分緋勇の好感度は低いと思うぜ?
 ゆっくり車椅子の車止めを外し、押し出す俺をマサキは体を捻って見上げた。
 「ねぇ、どんな人?皆に好かれているらしいけど、やっぱり祇孔も好意を持った?」
 あー。
 そりゃ答えにくい質問だねぇ。
 「…俺は、ああいう自分で何もかも抱え込む奴は、あまり好きじゃねぇ」
 正直に…いや、まるっきりの正直ってんでもねぇが、言葉を選んでそう言えば、マサキはころころと笑った。
 「あぁ、祇孔は頼って欲しいんだね?じゃ、結構気に入ったんだ」
 いや…それもちっと解釈が違う…。
 が、あまり先入観を与えてもいけねぇし、俺はもごもごと誤魔化して車椅子を押し続けた。
 御門と緋勇が並んで立っている。その立ち位置が何となく、御門は緋勇を気に入ったんだな、と見えた。おかしいな、御門ならあれを気に入るはずはねぇと踏んでたんだが。
 表情が見えるところまで来て、確信する。御門は顔を扇子で覆ってはいるが、押さえきれない楽しさが滲み出ている。そんなに興味を引くような奴じゃねぇんだが…。
 マサキも気づいたんだろう、独り言のように呟いた。
 「珍しいね。晴明があんなに楽しそうなの」
 どうせ話が済めば、すぐにばっさり切り捨てるだろうという予測は外れそうだった。おかしいな。御門と緋勇の性格から判断すりゃ、そうなる確率が九割ってとこだったんだが…。
 何かが狂ってきているという不安に駆られつつ、マサキの車椅子を止める。
 「初めまして。お呼びだてして申し訳ございません。秋月マサキと申します」
 礼をするマサキに、緋勇も軽く礼をした。他の連中みてぇに雰囲気に飲まれたりしていねぇ、堂々とした態度だ。軽くっつっても馬鹿にしたとかおざなりってんじゃなく、まるで…そうだな、『鷹揚』とでも言いてぇような頭の下げ方だ。
 「祇孔が何かご無礼を働きませんでしたでしょうか?」
 見えるのは相変わらず口元だけだが、それでも。
 どこか冷笑じみた形に吊り上がった唇が、緋勇には似合わない気がした。
 「いや、特には」
 まるで「あぁ、その通り」と言っているかのような響きで、逆のことを言う。すぐに裏に気づいたのだろう、マサキが申し訳なさそうに礼をして、俺を見上げて軽く睨んできた。それにそっぽを向いてると、すぐに諦めてマサキが本来の用件を話し始める。
 この地の龍脈が乱れていること、それを収める者、そしてマサキが描いた絵…。
 引き込まれるように真剣な顔で聞いている真神の連中と異なり、緋勇はどこかどうでもよさそうに聞いていた。ちゃんと表面上は聞いているんだが、意識は全く別の所にあるような。てめぇの『宿命』にも関係深い話のはずなのに、一体何を考えているんだか。
 そして、マサキが見せた絵を前に、ようやく緋勇の表情が動いた。他の連中の驚きの顔とは違う。嫌悪…とまではいかないか、不愉快って感じか。
 「あの…緋勇さんは、絵がお嫌いですか?」
 マサキがおずおずと見上げる。
 言われて初めて自分の表情に気づいたのか、不意に無表情に変わる。そうして改めて絵を見て、また唇の両端を持ち上げる嫌な笑い方をした。
 「いわゆる名作の類は嫌いかな。余計な執念が染みついてたりするから、見てて気持ち悪い。いっそ、小学生が描いたような絵を見るのは楽しいんだが」
 そりゃ一般論だろ。その絵が好きかどうかの返事にゃなってねぇな。
 …そういや、緋勇がこんなにはっきりと自分の意見を述べたのを聞いたのは初めてかもしれねぇな。俺といる時にゃいつもぼそぼそとしか喋ってねぇ。
 「…分かるような、気がします」
 そんなことを知らないマサキは、普通に緋勇の言葉を受け取った。少し俯き加減に言うのに、緋勇はまた微かに笑った顔で付け足した。
 「盲人蛇を怖じずって言葉通り、見えないと危ない時もあるし、見えないより見えた方が得だろね」
 一応慰めてんのかね。どことなく突き放したような感じもあるんだが。
 だが、ほっとしたように笑ったマサキに、ちょっと驚いたような息をして、それからまた笑った。それはさすがに冷笑ではなかったが、どこか遠い場所から面白がっているかのような笑い方だった。
 何か…先ほどから、緋勇の印象が違うんだが。
 こんな表情を露にする奴だったのか?それも人に迎合する気配は全く無い、どこか冷ややかな笑い方をする奴だったのか?
 これまで付き合ってきた中ではそんなことは無かった。
 一般的には、大勢の中にいる時よりは、二人きりで会う時の方が本性に近いたぁ思うんだが。だとすりゃあ。今のこれが虚勢で、いつもの気弱そうな態度が本性ってことになるが…はて。
 今、虚勢を張る必要があるのか?仲間をまとめるにあたってリーダーシップを取るため?
 それとも…俺に対して弱いとこを見せないよう必死で頑張ってる…とか?
 どうもよく分かんねぇなぁ。
 俺が考えこんでいる間に、真神のショートカットが緋勇をつついて何やら話しかけていた。
 「はぁ?」
 呆れたような声で緋勇が振り返る。
 ショートカットの女…桜井とか言ったか、それを先頭に蓬莱寺やら醍醐やらが期待に満ちた目で緋勇を見つめている。
 「あぁ、俺か美里なら治せるかもな」
 緋勇の視線はマサキの足か。ふん、星神の呪いをそう簡単に治せるものか。ちょっとした治癒能力程度でどうこうできる代物なら、俺も御門も苦労してねぇよ。
 御門を見れば、予想通りこれ以上無いほど顰め面をしていた。そりゃそうだろうな。治す努力なんてこれまで何度もしてんのに、横からひょいと出てきた部外者が偉そうにしてたら不愉快にもなるってもんだ。
 「秋月の<星見>と同程度の器の者を代わりにそこに繋げば可能かも。有り体に言えば、身代わり、だ」
 ………。
 ぶっきらぼうってんじゃねぇな。ナイフで切り刻んでるような言い方で緋勇は桜井を見つめている。
 「ついでに言うなら、桜井程度の器じゃ、100人寄っても身代わりにもならないよ。潰されて終わりだ」
 はっきり言うねぇ。
 「分かったら、気軽に『治せない?』なんて言うんじゃねーよ」
 そこで怒った顔でもしてんならまだマシなのに、緋勇の口元は笑っていた。それはもう楽しそうに。
 しょげ返る桜井があまりにも気の毒だったんだろう、マサキが話しかけ、桜井が謝っている。その様子を見る時にも、緋勇はこれっぽっちも反省なんぞしていなかった。『仲間』を傷つけたんだ、なにがしかのフォローをするのが普通だと思うんだが。
 御門が笑う気配がした。
 ま、確かに御門好みではあるわな。
 ……まさか、たぁ思うが……御門に気に入られるために性格作ってんじゃねぇだろうな。そんな器用な奴とは思えねぇが、あまりにもこれまでのイメージと違いすぎる。
 何か話しかけてみようかと思えば、不意に結界を突き抜ける何かが来た。
 臨戦態勢になる俺たちの目の前に出現するのは…ともちゃんかよ。
 おかしいな、言っちゃあ何だがともちゃん程度でどうこう出来るような結界じゃねぇんだが。ともちゃんは確かに秋月とは敵対してるが自分の能力の限界も知っている。本格的に刃向かってこねぇと踏んでるからこそ、これまで放ってきたんだが。
 しかし、ともちゃんは自信満々でマサキに術を仕掛けてくる。それを弾きながら見るともちゃんには、何か別の『氣』が感じられた。そのせいでいつもより術に切れがあるのかよ。
 だが、そのともちゃんの立ち位置に、下から『氣』が吹き上げた。体半分吹き飛ばされた状態で、ともちゃんが叫ぶ。
 「何しやがる!」
 その視線の先には、両手をポケットに入れたまま笑っている緋勇がいた。
 何でもないようでいて、その身に纏う殺気に、俺の背筋が冷える。だいたい、印を組みもせず、拳に乗せるでもなく『氣』だけを操るってぇのが凄まじい。
 ともちゃんにも正体が分かったんだろう、まっすぐに緋勇を見た。
 「そう、お前が…」
 それからいつものきんきん声に変わって高笑いを上げた。 
 「おーっほっほっほっほ!どうせこれはアタシの本体じゃないもの、やられちゃっても構わないわよ。いいこと?富岡八幡宮にいらっしゃいな。待ってるわよん」
 そうして、瞬時にその姿が紙に変わる。
 式を秋月の結界に突っ込めるたぁともちゃんもレベルアップしたもんだ。
 「富岡八幡宮、ね。行くぞ、お前たち」
 緋勇の言葉に、真神の連中が一つに集まる。
 それに御門が声をかけた。
 「あれは私たちにも関係がある者です。どうです?緋勇さん。私と芙蓉か、村雨の力をお貸ししますよ。どちらがよろしいですか?」
 「じゃ、御門と芙蓉、よろしく」
 即答かよ。
 御門がにやりと勝ち誇ったように笑って、俺の方を横目で見た。
 「では、参りましょうか」
 緋勇は俺を一瞥だにせず去っていった。
 マサキと二人きりになって、初めて大きく息を吐く。
 正直、混乱してるぜ、まったく。
 これまでの緋勇は何だったんだ?つーか、今の緋勇こそ何だ?偽物じゃねぇのか?
 そう疑いたいくれぇ性格が違う。
 おかしい…何かがおかしいんだが…くそ、はっきりしねぇな。
 イライラと唇を噛む俺に、マサキが穏やかな声をかけてきた。
 「祇孔、気になるのなら行って来ても良いよ?」
 「違ぇよ。気になるっつっても、そういう意味じゃねぇんだ」
 答えて、屋敷の方へ車椅子を向ける。結界内なんだから屋敷の中だろうが屋外だろうが安全性に違いはねぇんだが、気分の問題だ。
 「ねぇ、祇孔。星宿に集う者なら、緋勇さんに惹かれるのは自然のことなんだけど」
 惹かれてねぇって。
 俺は、単にイライラしてんだよ。どこで読み違えたのかってな。
 マサキはくすくす笑って俺の腕を叩いた。
 「僕のことなら心配いらないよ。式が十一も付いてるんだから。そんなに気になるなら、緋勇さんを手助けに行ってあげて」
 だーかーらー。
 惹かれるとかそういう気になり方じゃねぇんだ。
 とはいうものの…確かに戦い方を見りゃ、多少判断材料になりそうだ。
 式がいれば、多少の敵なら撃退できるし、時間稼ぎしてる間に戻っても来られる。マサキの側を離れるなぁ何だが…。
 「すまねぇ、薫。ちょいと行ってくるぜ」
 「うん、祇孔。緋勇さんによろしく」
 手を振るマサキを後に、俺は飛び出した。
 どうせ行くなら、さっさと片を付けて帰る必要がある。

 「待ちな、ともちゃん。一名追加だ」
 「来ると思ってたわ、しーちゃん」
 富岡八幡宮で結界内に入ろうとしていた緋勇たちを見つけて、仲間に入る。ともちゃんは追ってきた俺を見ても当然って顔してたし、御門もある程度予測済みって顔をしていた。
 緋勇は…どうでもよさそうな顔をしていた。俺がいようがいるまいが全く興味無いってぇ感じで振り向きもしねぇ。
 「マサキが手助けしてやれってうるせぇんだよ。11の式が付いてるから、心配無用だとよ」
 囁いたが、反応は無し。なんだかなぁ。
 結界内では、すでに呼び出されていた式鬼どもと、芦屋の親父が待っていた。こいつらの実力を遙かに越える式鬼の数に、俺は気を引き締める。
 だが、緋勇は、それを見て一言、
 「じゃ、あんた達の力が見たいから、前線に立ってね」
 ひらひらと手を振りながら言う。
 おいおい、まさか俺たちを消費アイテム程度に思ってねぇだろうな。
 しかし、緋勇は、最後尾で突っ立っていた。両手をポケットに突っ込んでいるところを見ると、手出しをする気はねぇらしい。
 耐えかねたらしい蓬莱寺や醍醐が左右の式鬼たちを引き受けてくれるが、嬢ちゃんたちは緋勇を守るように立って、近づいてきた式鬼どもに攻撃するのみで自分から動こうとはしねぇ。
 まったく…てめぇは皆に守られたお姫さんか?
 ともちゃんにぶつけた『氣』は何だったんだ?
 そうして何とか式鬼たちを滅した後、芦屋親子に向かって行ったのは、俺と御門、芙蓉のみだった。蓬莱寺あたりは手を出したがってるようだったが緋勇がそれを押し留めている。
 まったく…術者同士じゃ手の内が分かってる分、決定打が出ねぇのによ。
 それでも元々の実力の差か、人数の差か、芦屋親子の傷が多くなってきた。
 もう一息ってところに、戦闘中にも関わらず極普通の足取りで緋勇が近づいてきた。止めるまもなく芦屋の親父の方へ向かったと思ったら。
 いきなり親父の体から血が吹き出した。
 「きゃああ!パパ〜!」
 ともちゃんが転げるように親父の体にしがみつく。
 「待っててね、パパ!今すぐ、あの人の所に連れて行くから!」
 きっ、と俺たちを等分に睨み付け、ともちゃんは結界から出ていった。
 緋勇の背中に邪魔されて、術を打ち込む間もねぇ。
 結局、トドメを邪魔しに出てきただけかよ、緋勇。甘っちょろいことやってんじゃねぇ。確かにともちゃんは悪い奴じゃねぇが秋月に真っ向から楯突いたんだ。見逃す気は無かったってぇのによ。
 
 ともちゃんの結界が消滅して、俺たちは現実の富岡八幡宮にいた。
 帰ろうとする緋勇を呼び止めて、御門が扇子をぱちりと鳴らした。
 「あぁ、緋勇さん。私は貴方が気に入りました。これからも力を貸して上げてもよろしいですよ。もちろん、芙蓉も同じです」
 あぁ!?
 使い捨てみてぇにこき使われて、それか!?
 一体どうしたってんだ、御門。こいつも『星宿』の一人ではあるが、まさか緋勇に惹かれたたぁ思えねぇのに。
 「秋月の次で良いけどね」
 「それは、もちろんです」
 言外に戦力外、と言われてるにも関わらず、御門は澄まして緋勇と握手した。
 楽しそうな顔で俺を見返る。
 「村雨、お前はどうするつもりです?」
 俺?
 さぁて、どうするかねぇ。
 正直、これまでとの落差が気になるっちゃ気になるが…しかし、結局戦闘では最後尾で何も手を下さず、ともちゃんたちを逃がす甘さ…そんなのを考えると、やっぱり基本的にゃ優等生のお人好しって感じだ。どうにも力を貸したいってぇ気にゃならねぇよ。
 「義理は、果たしたと思うがねぇ」
 言いつつ懐のタバコを探り取り出して、一本くわえる。ライターで火を灯し、ふーっと一服吐いてから、俺は手を振った。
 「正直、つまんねぇ男だし、俺はパスさせて貰うわ」
 緋勇の背中がびくんっと震えた。
 御門は笑いを隠そうともせずに俺に流し目を寄越した。
 「後悔すると思いますよ」
 「あぁ?」
 緋勇は御門の方を向いたままで、俺からは背中しか見えねぇ。その背中が震えていて、ついでに泣くのを堪えているような息が喉から漏れてんのを聞いて確信する。
 何だ、やっぱり俺に惚れてんじゃねぇか。俺に一緒に来て欲しいってか。
 だが生憎てめぇにゃ興味ねぇんだよ。
 俺はようやく思った通りの反応を得て、満足した気分で緋勇を切り刻む言葉を吐いた。
 「別に…大した体でもねぇだろ。欲しけりゃやるよ」
 緋勇の手が上がる。
 口元を押さえているらしいそれは、声が漏れるのを必死で押しとどめているんだろう。
 面が見えねぇのが残念だが、これで落ち着くところに落ち着いたってもんだ。
 俺は、はっ、と鼻を鳴らした笑いを残して、その場から去った。
 どうせそこじゃ泣き出す緋勇を皆で慰めるというお笑いな友情劇が繰り広げられてんだろう。
 せいせいした気分で、俺は歌舞伎町へ向かうことにした。
 マサキも気になるが…ひょっとしたら、って勘が働いたからだ。

 そこで何時間潰してただろうか。
 もう日付も変わろうかって時刻になって、緋勇がやってきた。ま、そうなる可能性もあると見越して、ここに来たんだがよ。
 だが、俺はわざと緋勇の顔を見て、うざそうに顔を顰めてやった。
 「何の用だい?」
 緋勇は相変わらず目を逸らして俺の足あたりを見つつ、ぼそぼそと呟いた。
 「えっと…その、やっぱり力を貸して貰えないかと思って…」
 何だ、やっぱこっちが本性か?
 こんな引っ込み思案な態度は、俺にゃ逆効果だぜ?イライラする一方だからな。他の連中は保護欲とやらに駆られてんのかもしれねぇけどな。
 「あのな、緋勇」
 溜息を吐きながらずばり言ってやる。
 「俺があんたに近づいたのは、秋月からの依頼なんでな。本来、あんたなんぞには一欠片も興味が無ぇんだ」
 相当悪意を込めて言ってやったつもりだが、緋勇は何を言われているか分からないってな感じで不思議そうに小首を傾げている。
 俺はサドっ気は無ぇつもりだったが、こいつを見ていると残酷な言葉を吐きたくなってくる。余程相性が悪いんだろう。
 「つまらねぇ男のくせに周りに人が群がってやがるから、こりゃよっぽど身体がイイのかと思ったが、大したこたぁなかったしよ」
 それを聞いて、俺の足下を見ていた緋勇の顔が、ますます下がった。
 同時に、緋勇の手が目元に向かうのを見て、涙を拭くのかと思えば。
 「村雨祇孔」
 小さく俺の名を呼ぶ。
 「つまり、お前は今後、俺に関わる気は無いということだな?」
 「そのと……」
 その通り、と最後まで言うことは出来なかった。
 顔を上げた緋勇の顔に眼鏡は無かった。
 俺を真正面から見ているのは、炯々と光る黒洞の瞳。
 緋勇と俺の身長差で、実際には見上げられているにも関わらず、まるで見下ろされているかのような錯覚を起こさせる。
 それは、支配者の瞳だった。
 他人を従えるのに慣れきっている、傲慢な王の瞳。
 一体、誰がこれを凡庸な顔と表現したのかと歯噛みするほど、その瞳だけで一瞬に印象を塗り替えた。
 それは一瞬だったようにも思うし、随分長い時間だったようにも思える。
 心臓まで鷲掴みにされたような強烈な感覚に、口も聞けずにいるうちに、緋勇が笑ったのが分かった。こうなると思っていた、という満足そうな笑み。
 そして、手がゆっくり動いたかと思うと、分厚いガラスが視線を遮断する。
 今初めて、太く濃い色のフレームの眼鏡が、目から意識を逸らさせる道具だと理解できた。
 「それじゃ。もう会うこともないが、元気で」
 再び凡庸に戻った顔で、緋勇は微笑んだ。
 そうして、くるりと振り向き、すたすたと足早に去っていく。
 ちょっと待った〜〜!!
 「お、おい、待てよ、緋勇…」
 慌てて追いかけるも、すでに姿は無い。代わりに、楽しそうな哄笑がかすかに残っていた。
 やられた。
 完璧にやられちまった。
 一体いつから騙されてたのか。
 しかし、騙されたこと自体に嫌悪は感じない。それどころか、闘志が沸き起こる。
 やってくれるじゃねぇか、緋勇龍麻。
 わざわざ顔見せに来たってぇことは、まるっきり俺を切り捨てる気でもねぇんだろう。本性見せて、それでも会わないつもりなのか、それとも…頭を下げて仲間になるかを俺に選ばせてると見た。
 くそ、俺の負けだぜ、緋勇。
 すっかり好奇心が刺激されちまってる。
 不意に、数ヶ月前の自分の思考が思い返された。
  どうせ恋ってもんをするなら、相手はビックリ箱みてぇな奴がイイ。
 ぴったりじゃねぇか。少なくとも、でっかい衝撃は受けたぜ。これからも驚きの連続か、それとも型に填った支配者なのかはしらねぇが。
 良いだろうよ。乗ってやる。
 あんたに近づくためなら、下げたくもねぇ頭を下げてやるよ。それがあんたのご希望なんだろ?緋勇龍麻。





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