夜来たる。しかも複数 中編


 「悩み癖を持つ天使」こと天使長近衛隊隊長アドルは、今日も苦悩していた。
 (リアムの様子がおかしい・・・やはり、あの毒蛇頭男(←クレイドルのことらしい)に、何かされたのではっ)
 泣き出したリアムをなだめて、どうにか聞き出せたのは、考えことをしていて、寝不足のため、つい、眠ってしまった、ということだけだった。
 そもそも何を考えて夜更かししたのかも、聞いてみたが
 「自分で解決しなければならないことですから・・・」
 と、、答えてもらえなかった。
 (あの、儚げな微笑・・・俺に、いや他人に心配をかけまいとするとは、なんと健気な・・・。やはり、リアムは、我々フラヒスの天使が守ってやらねば!!)
 裏を返せば、『あんたに言ったって、しょうがないじゃん』と言われてるのだが。恋する男は盲目である。
 (まずは、情報収集だ。他の者達に、今日のリアムの様子を聞いてみよう・・・)
 そして、夜も更けたというのに、フラヒスでは、天使が収集された。


 その頃。
 リルダーナでは。
 「来る・・来ない・・・来る・・・来ない・・・」
 リアムは、ススキの穂をむしりながら、ぼんやりと呟いていた。
 (もし、明日、クレイドルさんが来なかったら、どうしよう・・・アンヌンに訪ねて行くわけにもいかないし・・・ナデューさんかシトラさんに、お手紙でも渡すしか無いよね・・・
  ・・・ひーん、やっぱり、あんな夢見たりするから、ジーア様が罰をお与えになったんだー!)
 神様は、そこまで、暇ではない。
 床に散らばった穂を掃除しながら、思いっきりため息をつく。
 (とにかく、今日は寝よっと。で、明日のことは、明日考えよう・・・)
 裏口から外に出て、穂をはたき落とし、井戸を眺めて少しの間考える。
 今晩は、まあまあ暖かいし、頭を冷やしたい気分でもある。今日は、水浴びにしよう、と決め、パジャマやタオルを取りに一旦寝室に戻る。
 なお、この辺りで、浴槽などというものを持っているのは、一部の限られた裕福な家だけである。
 入浴というのは、水浴びか、公衆浴場、たらいにお湯を沸かして張るくらいのものである。それも普通の人は、毎晩入ったりはしない。
 リアムは清潔好きのため、毎晩水浴びをしているが。
 閑話休題。

 同時刻。
 クレイドルは、リアムの家の前で逡巡していた。
 帰ってからも、思い起こせば思い起こすほど、「・・・・ドルさん・・・・好き・・・」の部分が、「アドル」であった気がしてならないのである。
 目覚めたリアムが、一番に口にしたのも、アドルの名であったし。
 (この俺が、ようやく、惹かれてやっていることに、気付いてやったというのに!)
 いや、そこまで偉そうにされても、困るが。
 まだ、素直に「好き」と認められないようだ。
 大上段な思考の割には、約束もなしにリアムを訪ねるのが躊躇されて、ノックのために手を上げかけては、下ろしたりしているクレイドルである。
 意を決し、いつも通りノックする。・・・・出ない。
 もう一度、強く叩いてみる。・・・・・やはり、出ない。
 もう時刻は宵。誰かが訪ねてきている時刻でもないのだが。
 いや、まさか・・・誰かが訪ねてきていて、出られない状況なのかも。
 自分のことは棚に上げて、クレイドルは怒りに奮える。
 押し込んでやろうと、ドアノブに手を掛けた時、家の裏から、水音がした気がした。
 (・・・いるのか?)
 家の角を曲がり、裏を覗いて・・・クレイドルは、硬直した。

 リアムは井戸の脇に立っていた。
 ばしゃあっっと、頭から水をかぶる姿は、意外に豪快である。
 心持ち俯いていて・・・まだこちらには気付いていない。
 月明かりに照らされた、その姿は・・・全裸。しかも、真っ正面。
 健康的にすんなり伸びた手足、肉の薄い体躯、淡く色づいた胸の飾り、そして、まだ幼い色の、翳りを帯びた部分。
 全てがさらけ出されている。
 ただの・・・人間の、少年の肉体である。
 そんなものに、悪魔が欲情する訳がない・・・理屈では。
 この身体を、腕の中に閉じこめて、存分に貪りたい。
 彼だけを、その瞳に映させて、思う様、蹂躙したい。
 もしも、本当に、この人間が、天使を選ぶというなら。
 今すぐ、アンヌンにさらっていってしまえば良いだけのこと。
 躊躇うことはない・・・この子供に、 それを阻止する力はない。

 すい、と一歩、前に踏み出した。
 
 もう一度、頭から水をかぶったリアムが、ふるふると小動物めいた仕草で、頭を払った。
 腕で顔を拭い・・・目を上げた。
 目が、合う。

 最初は、何が起きているのか判らない、といった体で、首を傾げる。
 それから、笑った。
 本当に、嬉しそうに、笑った。
 先程までの、暗い情動がかき消されるのを、クレイドルは感じる。
 心に刺さった、氷の棘が溶けていく。
 大丈夫。この子供は、彼を嫌ってはいない。

 「クレイドルさん」
 と、リアムは、呼びかけた。
 甘い、自覚してはいないだろう媚びを含んで。
 そして、とっとっとっと、彼に歩み寄る。
 「・・・近寄るな」
 彼の声に、見る見るうちに萎れていく。
 「・・・部屋に入って、待っているから・・・とりあえず、服を着ろ」
 そのセリフで、初めて気付いたように、リアムは自分の身体を見下ろした。
 解読不能な叫び声を上げて、わたわたと裏口の方に走っていく。
 見届けて、クレイドルも表へと、歩き出す。
 ・・・何となく、歩きづらいようだった。


 ソファで待っていると、リアムが頭をタオルで拭きながら、飛び込んできた。
 「ご、ごめんなさい、僕、もう、どなたも来られないと思ってて!水浴びしちゃってたんです!・・こんな格好で、すみません」
 パジャマ姿で、かつ余程慌てていたのかボタンが一個ずつ掛け違っている。
 そのせいで、いつもはシャツに隠れている首筋と、鎖骨が、見え隠れしていた。
 まだ水を含んで、瑞々しい肌。
 犯したい、傷つけたい、というのではなく・・・ただ、触れたい、と思う、その衝動は、奇妙に新鮮な気分であった。
 朝と同じように、クレイドルは自分の座る隣を、とんと叩く。
 了解して、リアムが隣に座る。
 うっすらと上気しているのは、慌てて着替えたせいだろうか?
 「今朝はすみませんでした、クレイドルさん。僕、お客様がいらっしゃってるのに、寝ちゃったりして・・・」
 見上げるリアムの目元が明らかに紅い。
 目が合うと、恥ずかしそうに、俯いた。
 「・・・夕べは、俺の方が、寝た。気にするな」
 「・・・ゆ、夕べ・・!あ、あ、あは、あははは、そそそそ、そうですね・・!」
 ・・・何故、こんなに動揺しているのだろう?何やら後ろめたそうに首を竦めているが・・・。
 手を伸ばし、縮められた首と、パジャマの間の空間に指をねじ入れた。
 戸惑ったように見上げたリアムの口から、引きつった吐息が漏れ・・・、
 「くしゅん、くしゅん、くしゅん!」
 くしゃみ、3回。
 すみません、と言いかけて、更に1回。
 手を伸ばす先の進路変更。
 「ク、クレイドルさん!?」
 「・・・騒ぐな」
 思わず抵抗するリアムを封じて、強引に膝に抱き上げる。
 予想以上に冷たい身体に、暗紫色のマントを巻き付けてやった。
 無言のまま、しばらくその姿勢でいると、リアムの身体から徐々に緊張がとれ、クレイドルにもたれかかってきた。
 まだ濡れている髪が、クレイドルの首に触れる。
 「あったかい・・・」
 小さな、ため息のような呟き声。
 見下ろすと、リアムの耳は、薄紅色に染まっていた。
 (珍しく、ちゃんと通じているようだが・・・)
 まだ、油断は出来ない。
 いきなりムードをぶち壊されそうな予感は、何故かひしひしと迫ってくる。
 すり、とリアムの顔が、クレイドルの首と肩の間に寄せられた。
 「あのね、クレイドルさん・・」
 囁き声が、くすぐったい。
 「僕・・・クレイドルさんの、匂い・・・好きです」
 伏せられて表情は見えないが、耳は、深紅に染まっている。
 急に・・・最近は薄まっていたはずの、グラウメリーの香りがきつくなった気がした。
 この、子供から発せられる、魅惑の芳香。
 (目眩ガ、シソウダ)
 首筋を支え、少し仰のけると・・・潤んだ瞳がクレイドルを見つめ、そっと閉じられた。
 わずかに開いた唇から、柔らかそうなピンク色の舌が覗いている。
 (目眩ガ、シソウダ)
 くらくらする頭の命じるままに、クレイドルは、腕の中の子供に、顔を寄せ・・・


 ちょっと前の、フラヒスでは。
 「ということは、だ。以上をまとめると・・・リアムは、アンヌンの馬鹿者どもに、何かされるのを、怖れていた、ということか?」
 ふるふると握りしめられている、アドルの拳を面白そうに見つめつつ、ソリュードは、思わず突っ込んだ。
 「いや、そうは、言ってないが。厳密には、何をされるのかを興味を持っていたというべきだ」
 「そうですね・・・私も、そんな気がします・・・私は、うまく答えることが出来なかったのですが・・・」
 おろおろと添えられるフィリスの言葉も、アドルの耳には入っていないようだった。
 「許さん・・・アンヌンの堕天使どもめ・・・!よくも、リアムにそのような真似を・・!!」
 だから、何を想像しているのだ、アドルよ。
 「こうしては、おれん!」
 「・・・は?」
 「アンヌンに行くぞ!」 
 「はあぁ?!」
 他の3人が見えてるのか、見えてないのか。
 アドルは宙を睨み、絶叫した。
 瞳の中に、炎が見える。熱血である。・・・嫉妬の炎かも知れないが。
 「断じて、許さん!一体、リアムに何を吹き込んだと言うのだ、あの馬鹿者ども!行って、確かめてやる!!」
 「あ、アドルが行くなら、僕も行きます」
 後半部分の「一度、行ってみたかったし〜」という呟きは、アドルには聞こえない。
 「では、行くぞ、ティム!」
 「はいっ」
 「あ〜、俺も行った方がいいんだろうなぁ・・・」
 誰か、この二人の暴走を止める役が必要だし。
 妙に嬉しそうなため息を一つついて、ソリュードは、フィリスを見やった。
 「わ、私ですか?私は・・・」
 「そうだろうなぁ・・・まあ、安心していてくれ。何とかするから」
 フィリスが、アンヌンに行くわけがない。
 手を組み合わせて、じっと見つめるフィリスを一人残して、天使達は飛び立った。
 「・・・本当は、面白そうなんですけどね。・・・うふふ・・・」


 で、アンヌン。
 「そこの『魔』!」
 「へっ?あっしですかい?」
 突然現れた天使に、びしぃっと指さされて、ガーゴイル似の『魔』の目が見開かれた。
 「ナデューを呼び出せ!アドルが来ていると言えば分かる!」
 びしぃっ。
 余所様んちの『魔』相手に、ここまで高飛車に言えるのは、アドル以外ないだろう。
 「あ〜、ついでに、ソリュードが来ていると言って、シトラも呼んでくれないか?」
 「あ、ティムが来てるって言って、ロキも呼んで下さいっ」
 ま、他の天使も、口調が違うだけで、こき使うつもりの様だけど。
 どうしようか、と、『魔』の紫色の皮膚に、たらーりと冷や汗が流れる。
 仮にも自分は悪魔様方に造られた『魔』である。
 ほいほいと、フラヒスの天使如きの使いっぱをやってよいのだろうか?
 「早くしないか!」
 びしぃっ。
 ついでに、腰の剣が鞘走る。
 「へ、へ、へい、へいっ!」
 「返事は一回で良い!」
 「へいっ!」
 所詮は哀しき、ただの『魔』。命令には、つい従ってしまうのだった。
 下っ端はつらいよ。

 「なんだぁ?お揃いでよ?集団で『堕天』する決心でもついたかぁ?」
 不機嫌を装ってはいるが、好奇心でウキウキのナデューが、まずは飛んできた。
 続いてシトラ、ロキ。
 それぞれ、ソリュードとティムと挨拶を交わしてみたりする横で、アドルは、また瞳に炎を燃やした。
 「不謹慎なことを言うな!我々は、ルー様の盾となり、槍となり・・!」
 「まーた、ルーの話かよ・・・って、おい、お前、わざわざアンヌンまで、いつもの話をしに来たのか?」
 「だからっ、つまりっ、リアムが、様子が、お前らアンヌンの者達が・・」
 「・・・さっぱり、訳わかんね・・・」
 ロキにまで言われちゃ、おしまいである。
 ふーっとため息をついて、ソリュードは、ティムに耳打ちした。
 こくこくと頷いて、ティムはいきなりアドルの袖を引っ張った。
 「あ、アドル!あれ、何ですか!?」
 「・・・何!何だ!どれだ!?」
 指さす方向に、目を向けるアドルを余所に、ソリュードは、淡々と言った。
 「・・・・というわけで、だ。かくかくしかじか、と言うことなんだが」
 「は〜、かくかくしかじか、ね。なるほどねぇ・・・」
 うんうん、と頷く、悪魔3人。便利な言葉である。
 「そういやぁ、今日は、私も、おかしなこと聞かれたねぇ・・・。『魔』になるってのは、具体的には、どうしたらなるのかってね」
 「・・・どう、答えた?」
 興味津々なソリュードの問いに、シトラは眉をひそめて、ひらひらと鉄扇を振った。
 「二人っきりでしっぽりと密やかに話すってんなら、私も教え甲斐があるってもんだけどねぇ・・・。昼日中のリルダーナで、しかも、坊やは、ペンとノート手にまじめな顔で座ってるんだからね。さすがのシトラさんも、適当に誤魔化しちまったよ」
 「俺は、『ナデューさんが言う、僕のこと食べたいっていうのは、本当に食べるって意味ですか?違う意味ですか?』って聞かれちまった・・・。今頃、気付いたのかよって感じだったんだが・・・」
 「貴様、そんなことを、リアムに言っているのか〜!!」
 復活したアドルの後ろで、ティムが、小さくため息をついた。
 「あ、アドル!今度は、あっちが・・!」
 「何?今度は、何だ!?」
 あっさり引っかかって、あらぬ方向を探し出すアドルの姿に、ナデューですら、憐憫の情を禁じ得ない。
 「・・・お前らよぉ。・・・本当に、あいつのこと、リーダーだと思ってるか?」
 「まあ、それはともかく」
 はははっ、と爽やかに笑って、ソリュードは一言で切って捨てた。
 アドル・・・不憫な・・以下略。
 「ともかく、リアムは、突然、お前達が含んでいた裏の意味を悟った、という訳なんだな?」
 「裏ってほど、遠回しに言ったつもりは、無かったんだけどねぇ・・」
 「今朝、アドルが訪ねて行ったときには、もう、おかしかった、と。昨日の夕方、フィリスが最後に会ったときには、普通だった、と。・・・ふむ。その間に、何があったのか・・・」
 「・・・夜、か」
 「夜、だねぇ」
 「俺は、行った覚えはない」
 「俺も、ない」
 何となく、見交わす、目と目。
 ナーヴェリーなど無くても、心が一つになる瞬間である。
 「・・・ロキ。お前、ちょっと、クレイドル、呼んで来いや」
 「おうっ!」
 待つこと、数分。
 アドルの『一体、何があるというのだー!』という、あせった声だけが、響き渡る。
 「・・・あいつさ〜、疲れねぇのかなぁ・・・」
 「・・・さあ、なぁ」
 
 「アニキ〜・・・いないよ、クレイドル」
 「な〜に〜!」
 またしても、見交わす、目と目。
 いきなり、『飛んで』消えた、ナデュー、シトラ、ロキ、ソリュードを一瞬探して、ティムは辺りを見渡した。
 ガーゴイル似の『魔』と目があった。
 「あ、お邪魔しました〜」
 ぴょこん、と頭を下げた拍子に、長い三つ編みが宙を舞う。にっこり笑って、ティムも飛んだ。
 『魔』の厳つい顔が、ぽっと上気した。
 ・・・後に、この『魔』を中心とした地下組織『ティム様ファンクラブ』が結成され、生写真を求めて、決死部隊がフラヒスに潜り込むという、血湧き肉踊る冒険が繰り広げられるのだが・・・とりあえず、今回の話には、全く関係が無い。

 「・・はっ、皆、どこへ行ってしまったのだ!?」
 そして、アドルは、まだ、叫んでいた。





  もはや、謝罪の言葉すら見あたらないが・・・・すみません。長くなったので、いったん切りました(苦笑)。しかも、また、アドルオチかぁ・・・。


 
  次回予告!!
 オールスターキャスト(フィリス除く)で、お送りする、リルダーナ編!
 クレイドルの「いきなりムードをぶち壊されそうな予感」は、見事的中(苦笑)!
 キスすら阻まれ、大人しく引き下がるしか無いのか、クレイドル!!
 次回「夜、来たる。しかも、複数(後編)」でお会いしましょう。
 



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