吾輩は犬である 3





 さて。
 朝からまた取手に飯を貰って、と。
 取手が出て行ってからは、何もすることが無いんだよなー。
 下手に出ていって、入ってこられなくなったら困るし。
 テレビも無いし、パソコンも無いし…勝手にオーディオ動かすのもちょっとあれだよな。誰もいない室内から音楽が!って感じで。
 うーんうーん。
 何か面白いもの無いかなー。
 よいしょっと。
 イスを利用して取手の机の上に登る。
 綺麗に整頓されてはいるが、さすがに楽譜が開きっぱなしだったりと如何にもプライバシー空間って感じだ。…ちょっと気まずい。
 あ、あの羽ペンは俺があげたやつだ。使ってるんだなー。凄いよな、今時の男子高校生が羽ペンなんて。
 それから…写真立て?何であっち向いてるんだ?
 隠されてるってことは、ホントは見ちゃいけないもんなんだろうが…でもやっぱ気になるよな。あの取手にも好きな女の子の一人や二人いたのか!?って感じで。
 後で直しときゃいいだろ。
 それじゃちょいっとな。
 ………。
 俺だよ、おい。
 いや、厳密には俺と取手。
 取手がバスケのユニフォーム着て、俺はジャージ姿。うん、確かに覚えがある。取手が後輩の指導に行ってて、ついでに俺もちょっと遊ばせて貰って、したら後輩が記念に写真撮っていいですかーって言って。
 俺は一応顔も守秘義務っつーか、あんまり写真残されると困るんで、ちょっと悩んだんだけど、あんまり取手がしょんぼりしたので、まぁいっか、と。
 いや、一応努力はさせて貰ったけどな。ピースサインのフリして目のあたりは手で隠して写真に残らないようにしてみた。
 それでも取手は喜んでたんだが…机の上に飾るくらい気に入ったのか。
 ふっ、愛い奴め。
 まあ、野郎同士のツーショットが恥ずかしくて向こう向きに飾るという神経は分からんでも無い。
 やっぱ、あれか。本人も言うとおり、俺は取手の<初めてのお友達>か。…いや、今までにも友達は大勢いるだろうがな。
 可愛いよな、取手って。
 さて、んじゃま、この写真立ては元通り向こうに向けておこう。
 他には面白いもの無いかなー。
 音楽雑誌は…さっぱり分からんしー…今の状態で教科書なんぞ読みたくないしー。
 ちぇっつまらん。
 寝るしかないのか。

 俺が寝るのにも飽ききってぐったりしてる頃に、取手が帰ってきた。
 また普通のメシを作ってくれて、取手ももそもそ食っている。
 普通に旨いと思うんだが、取手は一口食っては溜息、というのを繰り返していた。
 そんな食い方すると、消化に悪いぞー。
 「九龍くん…どこに行ったのかな…部屋にもいないようだし…はぁ…」
 えーと。
 ひょっとして、俺の部屋をノックくらいはしたんだろうな。まさか、中まで入ったりは出来ないだろうが。あぁ、取手ならすっごい耳良いから、俺の気配を探るくらいは出来るのかもしれない。
 うわ、どうすんべ。
 やっぱ、病気で動けなかった説は無しだな。
 取手がこんなに心配性だとは思わなかった。
 今まで遺跡に誘わなかった時でも、翌朝、普通に挨拶とかしてたし…。
 まあ、確かに音信不通になったことは無い…あ、七瀬になった時くらいか。でも、あの時は俺の体も学園内に存在してたしな。
 うーん…あれだな。こんな具合じゃ、仕事が終わっても、そのままフェードアウトってめっちゃ恨まれそうだな。
 あんまり任務説明とかしちゃ駄目なんだけど、終わった時には、もう出て行くから、くらいは言い残した方が良さそうだ。
 で、俺がそんなことを考えていると。
 取手は寝るまで、溜息と携帯チェックを繰り返した。
 すまんな、何度見てもメールは入ってないと思うぞ。
 さすがに申し訳なくなって、寝るときに慰めるようにちょっと頬を舐めてやったら、取手は俺をぎゅうっと抱きしめた。苦しいぞ、おい。
 「…九龍くん…!」
 いや、俺は『はっちゃん』だろうが。そういや、一度もそう呼ばれてないぞ。
 で、そのままの体勢で寝たが、昼間寝過ぎたせいでうつらうつらしか寝られなかった俺は、取手がうなされるのを全部聞く羽目になった。
 うーん、どんな夢みてるんだ。
 少なくとも、俺が出演するのは確かなようだが。
 俺の名前以外にも何か言えば見当がつくのに、ほとんどが「九龍くん」で構成されていて、さっぱりぽんだ。夢の中でもガードが堅いな、取手。


 で、またしても退屈な一日を過ごし。
 夕方取手が帰ってきたら、思わず盛大に尻尾を振って愛想を振りまいてしまった。だって、1人で何もする事無いって、退屈なんだ。
 が、取手は少しだけ俺の頭を撫でた後、クローゼットを開けた。
 えーと…その衣装は…取手さーん?
 びしっとボンデージ衣装を身に着けた取手は、その上から制服を着た。ほっ…良かった、そのままの格好で外に行くのかと思ったぜ。マスクもしてないし。
 いや、安心してる場合じゃない。
 口数は少ないし…いやまあ部屋の中に犬しかいないんだから、喋ってたらかなり独り言だが…何より目が据わっている。
 まさか、執行委員に戻ったんじゃ…でも、ちゃんと制服を着るという常識は残ってるしなー。
 意識ここにあらずって様子で取手は俺の前にコッペパンを置き、自分はそのまま出ていった。
 …何か…やばい気がする。
 あの目は、何かを決意した目だ。
 何を決意したかは分からないが…たぶんは戦闘モードだ。
 一体、何をするつもりだ、取手ーっ!
 さすがにこれは…安穏とここで待ってる場合じゃないな。
 俺は三度の跳躍の末、部屋の鍵を開けて、出ていくことに成功したのだった。

 墓場に着いてみると…おいおい、何人集まってるんだよ。
 取手を筆頭に、椎名、朱堂、肥後、真理野、墨木…あれ、これって。
 「それじゃ、皆、自分の区画を頼むよ」
 「はいですぅ〜」
 「おーっほっほっほ!愛しのダーリンのためですもの!虫一匹逃がさへんでぇ〜〜」
 「頑張るでしゅよ!帰ってきたら、みんなに肉まんを奢るでしゅ!」
 「他ならぬ師匠のため。拙者の出来うる限りのことはしよう」
 「では、ミッション開始でアリマス!」
 えーと。
 自分の区画。
 <元>墓守たち。
 でもって、目的は<俺>。
 つまり…取手は、俺が遺跡で動けなくなってるって仮説を立てたわけか。でもって、各区画について調査する、と。
 ま、確かに皆、自分の区画では襲われないらしいから大丈夫だろうけど…うわああ心配だ。
 だって、絶対、俺はそこにはいないし。
 でも、そんなこと言えるわけもないもんなぁ…心情的にも、物理的にも。
 俺が茂みの隙間から覗いてる間に、<元>墓守たちは墓に入っていった。
 ど、どーしよう。
 俺も行きたいが…仮に行っても、<俺>という<侵入者>のせいで敵が出現したら余計あいつらを危険に晒すしなー。
 うっわ、どうしよ。
 自分の区画にいる限りは、あいつらは安全だ。
 ただ…他の区画に行くのはやばい。
 <俺>は、あいつらの区画にはいない。
 それで諦めてくれりゃ問題無しだが…仮に、もう一つ先の区画に行こうとしたら。
 あの取手のテンパリ具合からするに、やりかねない。
 だいたい、今まで踏破済みの区画には、ひっかかるような罠は残ってないんだし。
 うわああああ。
 せめて全員で行ってくれたらいいんだが。
 したら直接攻撃も射撃も爆破も回復も防御も揃ってるんだし、ちょっとはマシだろうが。
 …あぁああああ、罠外す奴がいねぇじゃん!
 やっぱ、やばい。
 何とかして止めないと!
 墓の下の穴を覗き込む。
 子犬の身からすると、すっげ高さだ。
 ま、骨折しても、歩いてたら治るからいっか…。
 俺はがしがしとロープを噛みながら下へと降りていった。
 ちょっと最後の方に落ちたが、まあ何とか怪我せずに降りられた。
 さて、ここは大広間。
 まだ敵は出てこない。
 さすがに、まだ誰も帰ってきてないな。
 身を隠せる場所は…っと。あぁ、この崩れた柱の陰に入っておくか。
 待つことしばし。
 一人ずつ、大広間へと続く扉から帰ってくる。
 最後に取手が帰ってきたが、全員から報告を受けて、あからさまに肩を落とした。
 「あぁもう…どこに行っちゃったんだ、九龍くん…」
 「拙者、思うに、師匠がヘマなどされるはずがない。ということは、この学園から出ていっているのでは無いか?」
 …ほら、この勘違い侍は、俺を盲目的に信頼してんだよ。ドジ踏んで犬になってるなんて言えるか!
 「いやぁん!ダーリンがアタシには何も言わないで行っちゃうなんてぇえ!」
 うわぁあ。スカーフが食いちぎられそうだ。怖いよ、朱堂。
 「隊長は、ミッション半ばに任務放棄されるような真似はしないと、自分は信ずるのでアリマス!」
 うん、まあ、そうだけど。
 「でも…次の区画に行ってるんじゃないかな…」
 きたー。
 「みんなで行ってみるでしゅか?でも、僕の区画みたいにいきなり大岩ごろごろだと、僕は逃げられないでしゅよー」
 そうだ!頑張れ肥後!皆を説得しろ!
 「そうですわねぇ…リカはぁ、行ってみてもよろしいと思うのですけどぉ、罠を外したりは出来ませんものねぇ…爆弾の解除なら出来ますけどぉ」
 最後の一言が怖いよ、椎名。
 可愛いふりふり着ておいて、爆弾解除はプロって。
 取手は普段から顔色悪いのを、ますます白くして考え込んでいる。
 「でも…九龍くんが通った後なら、罠は解除されてると思うんだ。罠が残っていたら、九龍くんはそこ以降にはいないってことで…」
 「だが、仮に致死性の罠が発動したら、我々ではどうにも出来ん。それでは、余計に師匠に心配をかけるのでは無いか?」
 そうそう。
 聞いてる俺の胃に穴が開きそうだ。
 取手は何かを透かして見るかのように次の区画の扉を睨んでいたが、少し首を振って視線を外した。
 あの目は…あれだ。
 目の前にお宝があるにも関わらず撤退しなきゃならない時の、切ない目だ。
 いやぁ…この場合、俺はそこにはいないからなぁ…。
 諦めてくれよ、もう。
 「それじゃあ…帰ろうか。…皆、付き合わせて…ごめん」
 他の連中は口々に気にするなと言っている。いやぁ、俺の人格の賜物ってやつ?
 みんなでロープに掴まって帰っていって…はっ!俺はどうするよ!
 しょうがない、奥の魂の井戸から帰るか…取手の部屋を思い浮かべれば何とかなるだろ…。
 全員が墓から離れた頃合いを見計らって、奥へと行こうとしたら。
 気配を感じて俺は隠れつつ振り返った。
 ………。
 とーりーでー。
 諦めが悪すぎるぞ!
 まったく、こんなことならまだしも全員で行ってくれた方がマシだぞ、おい。
 あぁ、もう、行くなって!
 致死性の罠は最初の方には無かったが、敵は強いんだっての!
 俺は何とか取手に追い縋って閉まる直前に扉に飛び込んだ。
 確か、この次の区画で、敵が…うわ、待てってば!
 またしても何とか扉を潜り抜けた俺だったが、目の前に敵がいたので、慌てて部屋の隅に逃げ込んだ。
 えーと、取手取手…囲まれてるー!
 あぁ、もう、戦おうとせずに、さっさと奥の扉を開けーっ!…その場合、俺は非常にまずいことになるがー。
 だが、心の叫びも虚しく、取手は戦う気満々のようだった。意外と好戦的なのか?
 「そこをどけ…僕は、九龍くんを助けるんだ!」
 えーと、すみません、俺はここです。
 取手はせっせと精気を吸っては自分を回復させている。そりゃまあ、最終的には勝てそうな戦法だけど…痛そうだって。怪我はいったんしてるんだからー。
 もういい加減にしろって。
 何で、お前はそこまで必死に俺を助けようなんてするんだよー。
 あぁもう見てらんない。
 「がうぅうう!」
 同時に襲いかかろうとしていた猿の尻に思い切り噛みついてやる。猿は情けない悲鳴を漏らして飛び上がった。ふむふむ、猿、弱点は尻、と。
 …さて。
 それは良いんだが。
 振り返った猿と、目が合った。
 壮絶、ピンチだよな、これって。
 俺はくるりと背中を向けて、じたばたと逃げ出した。雪の区画は歩きにくくていかんな。
 猿のむきー!と怒る声が迫ってくる。
 じたばたじたばた。
 せーのっ!と。
 ぎりぎりと見計らって方向転換する。追ってきた猿が目標を見失ってたたらを踏んでる間に、俺は背後を取って、もう一回尻に噛みついてやった。
 はっはっは、トレジャーハンターを舐めるな。ただでは逃げんよ。
 そして猿の手が俺を捕まえる前に降り立って、今度は取手の方へと逃げていった。
 あーもー、取手、ぼろぼろじゃないか。動きからすると、重傷ではないだろうが…つか、重傷負っててもせっせと治してるんだろうが…足下の雪は真っ赤に染まってるし、服は裂けまくってるし。
 素人が一人で遺跡に潜るのはお勧め出来ないな、やっぱ。
 「…はっちゃん!?」
 あ、初めて名前呼ばれたかもしんない。
 俺は転がるように取手の足下に駆けていき…ついでに取手の背後から迫ってきてた宇萬良を威嚇した。
 ふざけんなー!吐き気がなんぼのもんじゃーっ!あんまり調子こいとったら、いてまうどーっ!
 …という気持ちだけを込めて、歯を剥き出す。
 取手は猿にかかりきりだし…えーい、仕方ない。噛みついてみるか。甲良に歯が立たん気もするが。
 まーそんな感じで、犬の身では何も手助け出来なかったが、何とか取手は敵を撃退した。
 で、俺は…見事に吐き気に悩まされているわけだが。ちょっくら脇腹がえぐれてたりするし。
 死ぬこたないだろうが、やっぱ人間より小さい分、傷も相対的にでかくて辛い。
 「はっちゃん…ごめんね、気が付かなくて…」
 取手は俺をそっと抱き上げて、ハンカチで傷口を覆った。
 まー、いろいろと言いたいことはあるが、言えないし、何より取手の方が怪我一杯だし…で、しょうがないので、俺は取手の頬をぺろりと舐めて許してやった。
 取手は反省して…帰るかと思いきや、奥の扉をかちゃかちゃ鳴らした。
 「鍵が閉まってる…九龍くんは、ここには来てないのか…」
 もし開いて、また敵と会ったらどうするつもりだ。
 まったく…取手の意識には、まず<葉佩九龍>のことしか無いらしいな。
 …何でだ。
 なんで、そこまで、俺を気にかけにゃならんのだ。
 俺はそんなに頼りないか?
 つか、預かった犬のこともちょっとは気にかけてくれ。死にそうだ、マジで。
 取手の腕の中でぐったりと力を抜くと、ようやく取手は俺…つまり犬の状態に気づいたらしい。
 「はっちゃん?…はっちゃん!」
 叫びながら、わたわたと走り出す。
 「駄目だよ、死なないで!死んじゃ駄目だ!」
 いや、駄目出しされても、死ぬときには死ぬが。
 あーもー眠い。
 ちょっとだけ寝てしまえ。
 
 「死なないで!…僕を、置いて行かないで!」

 遠くの方で、そんな叫びが聞こえた気がした。






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