吾輩は犬である 4





 ふと目覚めると、ルイ先生が俺を覗き込んでいた。
 「気分はどうだ?」
 えーと。死にそうな血圧低下も無し、吐き気も無し、痛みも無し…。
 「割と大丈夫っぽい」
 答えてから、自分が人間の言葉として答えたのに気づいた。
 慌てて己の姿を見下ろしてみると、見慣れた体に戻っていた。ラッキー、ハラショー。
 「取手が怪我をしたお前を連れてきたのでな。預かって取手は帰したんだが、ちょうど荷物も届いたことだし、解呪を試みたんだ。巧くいって良かった」
 まったくですな。
 あー、やっぱ落ち着くわ、自分の体って。
 結局は、せいぜい3日ってとこか。いやまあ、短かけりゃいいってもんでもないが。
 「ルイ先生さー」
 「何だ?」
 「取手って、何であんなに俺を心配するんだ?何か聞いてない?」
 ルイ先生が用意してくれていた私服に手を通しながら聞いてみたが、ルイ先生は何とも言えない顔つきで黙り込んで、キセルをぽんと叩いた。
 「私の口からは…何とも…」
 少しは分かってるってことか。うーん、まあでも、確かに本人に聞いた方が良いか。
 「世話になったなー。ありがと、ルイ先生」
 ベッドの横で屈伸運動。
 よし、体調はオールグリーン。
 えーと、今は夜か。
 普通に明日登校するか。
 さぞかし取手が騒ぎそうだが…ちょっと驚かせてみたい気もするから、極力普通の顔してよっと。
 何気なーく「おはよう」なんつってさ。
 取手の反応や、いかに。
 想像するに、まず第一候補としては、泣き出す、ってとこだな。無事な俺を見て感極まって泣き出す取手。…周囲が引きそうだな、おい。
 他パターンとしては…思わず俺を抱きしめる、とか。
 思わず満面の笑みをこぼす、とか。
 うーん、どんな反応してくれるだろう。
 何にしても、きっと、普段の伏し目がちな小動物とは違って、まっすぐ俺を見るに違いない。
 あ〜、楽しみだな〜。

 そんな感じにワクワクしながら、俺は翌朝普通に学校に行った。
 残念ながら、取手とは会わなかった。ま、あいつも昨日は怪我してたしー…昼休みに音楽室と保健室を覗いてみるか。
 そう考えていると、甲太郎が面倒くさそうな顔で俺に言った。
 「どこ行ってたんだ、九ちゃん。取手が心配してうるさかったぞ」
 ドライなようでいて、案外世話焼きだよな、甲太郎って。
 「あ、そう?…なー、甲太郎」
 「何だよ」
 「取手って、何で俺を心配すんだと思う?そんなに俺って頼りないかなー」
 甲太郎は、何か言いかけてから、アロマを持った手でがりがりと頭を掻いた。
 「いや…何つーか…お前が凄腕のトレジャーハンターでも、同じように心配するだろうがな」
 ちょっと待て。俺が凄腕でもって…俺は凄腕じゃないと!?
 くっ、ロゼッタ内ランキング赤丸急上昇中の俺に向かって…。
 いやまあ、それはバディの功績もあるが、…あるが!基本的には俺のハンターランキングであって!
 …いや、そういう話じゃないか。
 えーと、つまり。
 「あぁ、取手は心配性だと」
 ぽんと手を叩いて頷けば、甲太郎が微妙に斜めに傾いた。
 「お前なぁ…いや、俺が口を挟む筋合いじゃねぇけどなぁ…」
 何よ。
 ま、いっか、とりあえず、俺が頼りなく思われてるんじゃないのが分かれば。

 で、昼休みに保健室に行くと、予想通り取手がベッドに横になっていた。
 眠ってはないらしく、ルイ先生とぼそぼそ喋る声がしたので、俺は足音を立てて近づいた。
 「うーっす!取手、おひさ〜」
 普通に明るく声を掛けると、コンマ数秒の沈黙の後、しゃっと音を立ててカーテンが開かれた。
 取手は俺を認めて…困ったような顔で何度か唇を舐めた。
 「…あ…えと…う、うん、久しぶり…かな…」
 あれ。
 何か、予想外。
 取手は何を言って良いのか分からない、といったように、目線をうろうろさせた。手がぎゅっとシーツを握ってる姿を見ると、何か俺が虐めてるみたいだ。
 「あ、ひょっとして、カウンセリングしてた?俺、邪魔してる?」
 しばらく待っても取手からは返事が無かったので、俺はルイ先生の顔を見たが、ルイ先生は完璧ポーカーフェイスで、何を考えてるのかよく分からなかった。
 うーん…何だかなー。
 取手がどんなに喜ぶだろう、とか想像してた俺が馬鹿みたいじゃないか。
 やっぱ、あれか。俺って自意識過剰ってやつだったのか。
 うーむ、気まずい雰囲気が漂ってるし、さっさと退散するか。
 「や、何か甲太郎が、取手が心配してたとか言ってたんでさ、ちょっと顔見せに来ただけだから」
 へらっと笑ってやると、取手はただでさえ悪い顔色をますます白くして、暗〜く「そう」と一言答えた。
 …気まずい。
 やっぱ俺って邪魔者扱いかいな。
 「んじゃ、そーゆーことで」
 さささっさささっと立ち去った俺だった。

 うーん。
 俺がいない間の取手から想像すると、涙ながらに「無事で良かった」とか言いそうだと思ってたんだが。
 何つーの?
 むしろ、俺がいて困ってるような…想定の範囲外の出来事だったみたいな…。
 ひょっとして、逆か?俺が遺跡内で死んでるのを確認したかったのか?いや、でも、「僕は九龍くんを助けるんだ」とか叫んでたしなー。
 分からん。
 さっぱり、分からん。
 ………。
 そして、つまらん。
 もっと、愛情表現してくれると思ったのに。
 い、いや、男に愛情表現して欲しかったわけじゃないが、でも、無事でいてくれて嬉しい、みたいに言われるのは好きだ。あぁ、生きてるんだなぁって感じで。
 …うーん…。

 「ルイ先生〜、あのさ、解呪の道具って、まだある?あ、そう?…いや、ちょっと、また頼むかもーって…」



 てことで、また犬になってる俺である。
 ふんかふんか鼻を鳴らしながら取手の部屋の扉に体当たりすると、何度かしてから取手がそーっとドアを開けた。
 さっさと足下を潜り抜けて中に入る。
 「…はっちゃん!?」
 声を上げてから慌てて口を閉じ、ドアを閉める。
 「どうしたんだい?ルイ先生は、もう外に返したって言ってたけど…」
 あ、そんな話になってたのか。ま、いいや、俺が言い訳出来るわけじゃないし。
 ベッドの横でちょこんと座ってると、取手が膝の上に抱き上げてくれた。
 「怪我はどう?もう大丈夫かい?」
 優しく言いながら、俺の体を確かめるみたいに撫でてくる。
 背伸びして前足をばたばたさせると、耳を寄せるみたいに屈んでくれたので、顎をぺろりと舐めてやった。
 「ふふ…大丈夫って言ってるのかい?…無事で良かったよ」
 にこにこと笑いながら、頭を撫でる。
 …俺は、こうされたかった…んじゃないかと思う。
 優しい声で、優しい顔で、大きな手で撫でられるのは、結構好き。
 「ごめんね、はっちゃん。昨日までの僕は、九龍くんのことしか考えられなかったから…君のことは放ったらかしになっちゃって。怪我までさせちゃったし」
 気にするな、という意味を込めて、きゅうんと鳴いて取手の膝に頭を擦り付けた。
 「本当に、ごめんね。でも…帰ってきてくれたんだ、九龍くん。…無事で、良かった…」
 俺…つまり<犬>にも同じことを言ったんだが、何かこう、明らかに込められた感情が違う。もちろん、<犬>のことも心配してたんだろうが、俺、<葉佩九龍>が無事で良かったっていう台詞には…魂の底から安堵してるような響きがあった。
 いっそ、泣いてるんじゃないか、と思うくらい、心が込められていた。
 うわあ、恥ずかしい。
 …けど。
 何で、犬にそれを言うんだろう。
 昼間に、俺相手に言えば良いじゃないか。
 心配してたって。無事で良かった、って。
 したら、俺だって、心配かけて悪かったって謝れるのに。
 「九龍くんは…知らないんだろうな…僕が、こんなに心配してたって」
 いや、知ってるからこそ、対応に困ってるっつーか…。
 「皆守くんに言われなかったら、僕のことなんて思い出しても無いんだろうし」
 はぁっと取手は深く溜息を吐いた。
 そんなことはない…と言いたいが、確かにいつもの俺なら気にもしてないかもなー。
 だって、基本的に赤の他人だし、俺が何してようが関係ないだろうと思うわけで…。
 取手がこんなに俺のことが好きだとは思わなかった…わけ…で………。

 あれ?

 好き?


 あ、ひょっとして、取手って…俺のこと、好きなんか?


 いや、まさか。
 だって、男だし。
 俺の前では、緊張してほとんど何も喋らないような奴で…俺が誰と遺跡に潜ろうが、何も言わないし…俺と一緒にいたい、とか一言も……。
 まさか、なぁ…。
 俺は取手の膝から降りて、机によじ登った。
 「はっちゃん?」
 そこにあるのは、俺と取手のツーショット。
 俺がひょいっとそれを引っかけて倒すと、慌てて取手はそれを取り上げた。
 「駄目だよ!これは、大事なものなんだから…!」
 取手にしては、強い調子で怒る。
 と、友達でも、大事、とか言うよな、うん。
 が。
 「…はぁ…九龍くん…」
 取手が切ない声で呟きながら、写真を指先でなぞる。
 い、いや、まだ、友達としてでも……。
 取手が。
 写真の右半分に、そっと唇を落とした。
 ………。
 友達は…写真にキスしないわな…やっぱ…。
 はは…はははは……決まり、か。
 信じらんねー!
 取手、俺のこと、好きだったんかーっ!!
 そりゃまあ、そう思い直して記憶を辿れば、確かに、恋する乙女のもじもじ状態と言え無くもないが…。奥ゆかしすぎだろ、取手…。
 

 でまあ。
 衝撃は受けたけど。
 その衝撃は、主には『今まで気づかなかった俺』に集約されていたわけで。
 男に惚れられている、という事態自体は、さほど…気にならなかったわけで。
 こうして、取手の腕の中で眠るのも、まあ、悪くないと思うわけで。いやまあ、俺<犬>だけど。
 もし、取手が<そーゆー意味>で俺のことが好きなら、将来的にはこうして取手にくっついて寝ることもある…と思いながら味わってみても、やっぱ、別にイヤじゃないんだよなぁ。
 目の前に取手の顔のアップがあって、吐息がかかったりして、取手の腕が俺の体に回ってて。
 まあ、でも、それもまた悪くないか、なんて思うということは、俺も案外と取手が好きらしい。
 つまり、まあ…いっか、と。


 が。

 <犬>相手には俺に対する愛を切々と語る取手が、本物の俺を相手に告白するには、まだまだ時間と勢いが必要なのだった。





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