バクバクっ子しゅうた

 NICUを退院して、約3週間でしゅうたは再び病院へ戻った。といってもNICUを卒業してしまえばNICUに戻ることはないので、今度は母親が付き添いながらの入院だ。家に帰って一番うれしかったのは、しゅうたに何をしても他人の目がないこと。自分のペース、自分のやり方ですべてを世話できるという当たり前のことにとても充実感を感じていた。そんな充実感に慣れはじめてお外へしゅうたを出したことから、しゅうたは体調を崩し、入院することになった。入院するはめにはなったけれど、「付き添う」ことで近くにいられたことは、NICUではなかった喜びでもあった。
「ただの風邪。ちょっと入院して、またすぐウチへ帰ろう」と軽い気持ちの入院だった。
ところが、しゅうたの風邪はちっとも良くなった気配を見せない。そのまま1週間が経った。毎日、夜中も含め1〜2時間毎の吸引に、私はホトホト疲れ果て、夫に一晩だけ付き添いを交代してもらった。翌日、部屋へ戻ると、そこには夫の姿だけだった。
「挿管するから部屋かわったよ」といわれ、ここで待つよう言われた私たちだったが、待てど暮らせどしゅうたの様子はわからない。もう何時間も経っていた。
結局、挿管ができないままコロニーに転院し、コロニーで奇跡の挿管を果たし、翌日、気管切開の手術を受けた。

 あの日、主治医の先生から挿管できないといわれ、コロニーへの救急車の中でのしゅうたは本当に「もうだめだ」と思わせられる状態だった。先生たちの顔だって余裕がなかった。「しゅうたが死ぬ」かもしれないという事実に初めて直面した。今まではしゅうたの病気を考えるたびに「こんなはずじゃなかった」という思いばかりしてきた。でもこのとき初めて今までのその思いをすごく反省した。「まだだめ。私はこの子に何もしてない。」
救急車が転院先について、先生たちが私たちに「帰ります」と挨拶してくれたその背中を見たとき、「もう、先生たちには会えないのかなぁ…」と見送ってしまった。
 結局、その後1時間もしないうちに奇跡的に挿管できた。けれど、この挿管が本当に奇跡的だったということは後になってから知ったんですけどね。

 3週間、再び私としゅうたは離れ離れになった。コロニーは完全看護でNICUとよく似た入院だった。そして気管切開の傷がよくなって、状態も安定したので陶生に帰ることになった。
 再び、主治医の先生方に会えたことは、本当に安心したし、すごくうれしかった。
 コロニーでは人工鼻に吸引カテーテルを差込、持続吸引をしながら酸素を流していた。術後しばらくは人工呼吸器を使っていたが、それからは使っていなかった。けれども、病室に入ったら呼吸器が置いてあった。「どうして?この子には呼吸器なんていらないよ」と思ったが口には出さずその場を見守った。
「人工呼吸器」を在宅で使っている人のことを時々テレビで見かけていたが、何時間おきの吸引が大変というマイナスなイメージが大きく、私はなんとしても外して帰りたかった。
 ところが、最近の機械は賢くて、しゅうたの呼吸にあわせて圧をかけてくれるというスグレモノだった。呼吸の浅いしゅうたは細かい呼吸をたくさんして、酸素を使っていても常に「苦しい」状態にいた。送られる空気も加湿されていて痰なんてほとんど出なかった。人工鼻と酸素の方が、唾液の垂れ込みとの戦いで返って大変だった。おまけに、呼吸が楽になったおかげで笑顔が増え、周りへの興味や体の動きも明らかに発達した。
 今改めて、気管切開したこと、呼吸器を使うことがよかったんだと実感できる。障害自体は重くなってしまったけど、バクバクっ子、気切っ子との新たな出会いも増え、母はますますパワーアップした。NICUにいた頃の私なら、きっとこの現実に耐えられなかったかもしれない。神様はきっと、そんな風に思って小出ししたのかなぁ。

バクバクっ子とは??
人工呼吸器をつけた子のことをいいます。バクバクとはアンビューバッグを揉むときの音をたとえています。人工呼吸器をつけた子の親の会が「バクバクの会」といいますので、その子供たちのことをバクバクっ子とよんでいます。しゅうちゃんちも「バクバクの会」に入る予定です。