待望の二人目!

 平成15年7月、お腹に第2子がいることが判明。幸太がお兄ちゃんになることに驚きながら、当たり前に元気な赤ちゃんを想像していた。私の妊娠は順調だった。
 しかし、12月25日の検診で、赤ちゃんが小さいことが指摘された。おまけに水頭症の疑いも。不安を払拭するため、瀬戸市にある公立陶生病院でみてもらうことになった。けれども、陶生病院の先生はエコーを見ながら「大丈夫だと思うけどな…。」といって、赤ちゃんの顔を見せてくれた。かわいかった。
 そのとき通っていたクリニックは、エコーの検査を検診のたびにする病院ではなかった。12月の検診でも、赤ちゃんの推定体重は平均の範囲内に入っていたので、特に気にすることなく、そのままそのクリニックに通院していた。
 そして36週に入った2月13日、再びエコーで赤ちゃんの小さいことを指摘され、さらにNSTで心拍が遅いことも指摘された。調子が悪いのか?ということで、翌日、もう一回やってみるものの、結果は同じで、とうとう陶生病院へいくこととなり、入院することになった。「子宮内胎児発育遅延」、ゆっくり横になって、血液を赤ちゃんに届けましょう、ということらしい。お気楽な私は上の子を義母に預け、ごろごろとベッドの上でヒマをもてあましてた。友人たちも、そんな危機感を抱くわけでもなく、私のお見舞いに訪れ、談笑して帰っていった。赤ちゃんの心拍は相変わらず遅くて、動きも鈍いらしいのだが、消灯時間になると活発に動いていたので、私ははっきり言ってなんで入院してるのかわからないくらいだった。そして週末の外泊を許してもらえたのだが、やっぱり調子はよくないらしくて、夜にもう1回NSTをつけるため、病室へ帰った。本当なら外泊は厳しかったが、どうしても幸太が心配だったので、幸太と実家へ泊まった。

修太、誕生!

翌朝、お腹が痛くて目が覚めた。陣痛だったのだが、経産婦のくせに全く気付かなかった。しかし、どんどん痛くなるので、おかしいと思い、やっと間隔をはかった。12分くらい。近くにいた母にも聞いてみたが、何せ20年以上前のことで、よくわからないらしい。痛いから病院へ電話してみると、じゃあ来てとのこと。外の世界を楽しまず、再び病室へ帰った。
 小さいから陣痛には耐えられないと言われていたが、案の定、陣痛が強くなってきたら心音がさがった。緊急帝王切開となり、手術室へ向かった。実は幸太も帝王切開をしている。幸太の帝王切開は陣痛がきてからの羊水汚濁による緊急の手術だった。個人医院で産んでいたので、手術台へも自分で乗ったのだが、今回はストレッチャーに乗って、ドラマのような自動ドアがいくつもある手術室へ運ばれた。
 夫は、私を手術室まで送ると、子供の入院するNICUの前でほんの少しのご対面に備えた。帝王切開なら全身麻酔。前回の経験で得た私の教訓。幸太の出産は腰椎麻酔だった。けれどその後の麻酔の影響で、気分が悪かったり、頭が痛かったりで産声が聞けたことはよかったが、産後はとてもつらかった。全身麻酔は眠っている間にすべて終わった。しかし、麻酔から覚めたら後産といわれる劇痛が襲った。痛いが言葉にならない。痛み止めが効きはじめて、やっと夫に性別の確認をした。男の子だった。