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【母の軌跡】

渋江 喜久夫:
「こんなシワクチャな手をいっぱい撮ってどうするだぇ?」と訝る母。「いや、いつか描いてみたくてね」と私。それから1年たらずで、母は父を追いかけるように鬼籍の人となりました。(平成18年10月12日・享年85才)
そして、日々の忙しさにかまけて後回しにしていたその絵ですが、皮肉なことに新型コロナウィルスによる外出自粛のお陰でやっと手がけることができました。
亡き母も一応は女性ゆえ・・・「私の手、こんなに皺が深かったかぇ?」と、草葉の陰でクレームをつけているかもしれませんが、大正・昭和・平成と激動の世を生きた証しの手、つい鉛筆を持つ手に力が入り“デフォルメ”されちゃったということで。(鉛筆画)

 

  西谷 史: 『遠慮なく、あまえられるすごさ』
 この絵を見たとき、反射的に、あいみょんの「貴方解剖純愛歌~死ね~」を思い浮かべた。あれは、好きな人をバラバラにして、自分のそばにとどめておきたいという歌だ。ただ、そんなことを言ってもわかってくれるくらい優しい彼でなければ、あの歌は成立しない。
翻って、こんなふうに自分の手を好きなように描かせてくれる人が、この世に何人いるだろう。人生のある一時だけなら、描かせてくれる人はいるかもしれない。しかし、いつ、どんなときでも描かせてくれる人は、母以外にいるはずがない。「それをわかったうえで、私にモデルになれとは。喜久夫はいつまでたっても甘えん坊だねえ」そんなお母様の声が聞こえるようだ。でもお母様も、この絵をご覧になり、すばらしい出来栄えにきっと喜んでいらっしゃると思う。
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