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2013年5月5日:説教概要
「エリシャの召命」
T列王記19:19〜21

エリヤの祈りによってもたらされた大雨によってパレスチナ各地は潤わせられ、荒れ地を耕す風景が見られるようになっていました。エリヤは畑を耕している牛の群れを眺めていたかと思うと、その一番後ろにつけていた若い男に近寄っていきます。シャファテの子のエリシャです。エリヤは自分の外套を脱ぐと、やおら、それをエリシャの肩にかけて通り過ぎます。それが何を意図するものなのか、その意味を問うまでもなく、エリシャには何が要求されているのかが分かった。外套をかけるという行為は、神が命じた「エリシャに油を注げ」という行為とは違っています。

しかし、エリシャのシンボルである外套をかけられるということは預言者の働きに召された、召命を受けることを意味します。すべてを捨ててエリヤに従い、神の仕事を引き継ぐ後継者として選ばれたのです。大切な決断の時です。大切な決断をする・・・時間をかけ、慎重に、十分祈ってから・・・そのためには、どういう働きであるのか、また自分の賜物は・・・さらには、自分の生活がどうなるのかを知らなければ簡単には決断できない。

しかし、エリシャは単純に召命に応えています。エリシャはそんな大切な決断を畑に立ちながら、またイエスさまの弟子たちの場合もガリラヤの道端でその場でくだしています。ここで、エリシャの決断について見てみたいと思いますが・・・エリシャの家系については「シャファテの子」とあるだけで、詳しいことは分かりません。それに12くびきの牛を持って耕していることから豊かな家の息子であったのかもしれません。

しかし、豊かであろうと貧しかろうと・・・若者エリシャにも、彼なりの人生設計があったろうと思われます。様々な考えが頭をよぎる中・・・エリシャは自分にかけられた外套の重みを感じるんです。神の権威を秘めたずっしりと重い預言者の働きを表すもの・・・「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、任命したのです。」選びの圧倒的な恵みの重みです。外套をかけられたエリシャは何の迷いもなくきっぱりと今までの生活と縁を切って神の召しに従って行った。

次にエリシャの願いについてですが・・・彼は一つのことをエリヤに願い出ます。「私の父と母とに口づけをさせてください。それからあなたに従っていきますから」(20)エリシャの願いには、今まで世話になった愛する家族との別れを惜しむという情的な側面が含まれています。しかし、実際に彼が催した会食は、今までの仕事、生活をすべて放棄したという決意が含まれていたことは否めません。そして、このエリシャの願いに対してのエリヤの反応はというと・・・エリヤの外套をかけられ、その意味を把握したエリシャはすでに、エリヤの権威を感じ取っています。そこで彼はエリヤの許可を求めたものと思われます。エリヤの短い言葉が返ってきます。「行って来なさい。私があなたに何をしたのか」・・・一種謎めいた答えです。賛成しているのか、反対しているのかどちらとも言えない答えです。・・・これから先、エリシャはエリヤの後継者となるべく者です。

しかし、エリヤがどんなに大きな存在であっても、その魅力と影響力がどんなに大きくても、自分の意志決定を任せるほどに引き込まれてしまってはいけない。神と私との関係の中で受け止めていくことを教える言葉のようでもある。