前編
12月も下旬となってくると、やたらと忙しくなる。
政界のパーティーだの何だのとマサキが引っぱり出されるせいだ。
まったく・・こんなことやってる場合じゃねぇってのに、『お偉いさん』ってのはいい気なもんだぜ。
俺は、パーティー会場からの帰り道、秋月家御用達キャデラックの中で、ようやくタイを緩めて一息吐いた。
「ご苦労でしたね、祇孔」
マサキ・・薫が労うように言う。
「いんや・・・俺は、別に・・・ま、窮屈だったのは確かだがな」
こういう時に限って、御門の野郎は結界の張り替えだとか称して、<浜離宮>に残ってやがる。
まあ、ともちゃんたちに襲撃されて、結界が綻んできてんのは確かだけどよ。
「ところで、祇孔。明日は、貴方がお迎えに行くのですか?」
・・・・あ?迎え?
誰を?
薫は、あれ、という風に首を傾げた。
「晴明から聞いてませんか?しばらく緋湧さんを<浜離宮>で匿う、と・・・」
あぁ!?全っ然、聞いてねぇ!
御門の野郎・・いつの間に・・・!
何だかんだ言いつつ、あの野郎、先生のところに毎日見舞いに行きやがったからな・・俺の知らない間に、そういう約束を取り付けても不思議はねぇが・・。
にしても。
あの御門に、そこまでさせるなんざぁ、末恐ろしいお人だな、あの先生は。
「緋湧さんは一人暮らしだそうで、今、身体の弱っている時に、襲撃にあってはいけないから、と。敵に知られないよう、晴明は、今、結界の張り替えをしている最中です」
そりゃ、理屈に適ってるようで、微妙に論理に隙があるな。
<浜離宮>にゃ薫がいるんだぜ?
先生と薫、両方を守るためにゃあ、一カ所に集めた方が、そりゃやりやすかろうが、そもそも、そのせいで、余計な敵を<浜離宮>に呼び寄せることにもなりかねねぇ。
御門の野郎、秋月至上主義のくせに、何やってんだか。
薫にもしものことがありゃあ、征希に申し訳がたたねぇだろうに。
しかも、俺には秘密ってこたぁ、自分一人で両方守るつもりだったのかねぇ。
そりゃ、客観的に見ても、ちと無理ってもんだろ。
ここで俺が知ったのはラッキーってやつだろ。御門にとっても。
ま、先生の方は、俺が面倒見てやるぜ。御門は、薫を守ってりゃいいんだよ。
・・実際、俺がこの情報を知ったのは、俺の運じゃねぇ。薫の意志だ。
惚れた男が他人を向きゃあ、そりゃ面白くねぇだろ。
・・・・・・ってことを不愉快じゃなく考えられるなんざぁ、俺も大人になったねぇ。
違うな。
自分に嘘をついちゃ、いけねぇ。
素直に認めるか。
俺は、どうやら、先生に惚れちまったらしい。
薫は大事だし、守ってやりてぇと思う。
・・・だが、なんか、違うんだよなぁ、あの先生は・・・。
最初、薫の絵で見たときは、正直、失望した。
そこに描かれていうのは、極々平凡な容姿の男で。
<黄龍の器>ってぇんなら、それなりのカリスマを持ってるって、俺が期待するのも無理ねぇ話だろ?
実際に目の前にしたときも、その感想はあまり変わらなかった。
誰だってそうだと思うぜ?あの連中を見た瞬間、目が行くのは、美里か蓬莱寺・・次に醍醐、桜井、最後に、あぁいたのかって感じで先生だろう。
妙に陰が薄いってぇか、華がねぇってぇか。
むしろ、あれでもっと不細工なら、それはそれで印象に残るんだが、下手に整ってるもんだから、却って印象に残らねぇ。
・・・まぁ、動き出すと、おたおたってぇかおろおろしまくって、こっちを妙に怯えたように見るもんだから、ちょっと面白かったけどよ。
しかし。
こりゃあ、他の男連中も同症状だから、俺だけのこっちゃねぇんだが。
確かに、その場では目を引くのは、他の4人だ。
しかし、後々思い返すのは、あの先生なんだ。
何が気になるのかもわからねぇんだが、ふと気づくと、先生のことを考えてる自分がいる。
どんな顔だったか、と思い返せば思い返すほど、なんだか記憶が薄れていく気がして、無性に会いたくなっちまう。
で、会うと、あぁこんな顔だったか、と一息吐いて、でもって別れるとまた、先生のことばかり考えちまうってわけだ。
まさか、この俺が、誰か一人のことを四六時中思い浮かべるようになるとは思ってもみなかったぜ・・。
そういう自分を客観的に観察して、興味深いとも思うんだが、先生に惚れる決め手は、アレだな。
あのともちゃんたちと戦ったときだ。
攻撃されて弾き飛ばされた先生を、後ろで構えてて(点数稼ぎ、という言葉が頭にあったのは否めねぇ)、優しくキャッチしてやったときのこった。
振り返った顔は、最初は、何にぶつかったんだろうって不思議そうで。
それから、俺を認めて。
笑ったんだ。
ほっとしたように、笑いやがったんだよ。
なんてぇの?それが滅茶苦茶に無防備で、まるで子供が母親を見つけたときの顔ってぇか・・。
とにかく、そこだ。
まだ会って間もねぇ俺を信頼しきって、まさか下心付きで助けられたなんざ思いもかけてねぇんだろう。
あんまり無防備すぎて、こりゃ裏切れねぇな、と思っちまうんだからな。
しっかし、さっきも言った通り、他の奴らも同様に考えてやがるんだよなぁ。
絶対、あいつらも先生を狙ってるっての、ばればれなんだよ。
しかも、先生は誰にも良い顔しやがるもんだから、みんなしてつけ上がりやがって・・。
最初は、故意にやってんのかと思ったぜ。
自分の身を守るために、うまいこと全員に良い顔して、擦り抜けてきてんのかと思って、ちっときつく当たっちまったこともあるが・・・どうやら、違ったらしい。
マジで、先生は、何もわかっちゃいねえ。
まさか男の自分が男に惚れられるなんて、はなっから頭にねぇんだ。
仲間が自分に危害を加えるわけがねぇって思いこんでるし・・。
危なっかしいことこの上ない。
やっぱり、俺が守ってやらなきゃ・・・
・・・って、きっと全員が思ってんだろうなぁ・・自分のことは棚上げして。
翌日。
結局、病院には俺と芙蓉が迎えに行くことになった。
俺が行くことに関しちゃ御門が相当ごねたが、薫を前にしては、あまり多くは言えなかったらしい。
それでもお目付役として芙蓉を寄越すあたり、俺のことを全然信用してねぇな、あの男は。
その御門は、引き続き結界を張り替えている。
凝り性なんだよ、妙なところで。張り終わった頃にゃ、何もかも終わってんじゃねぇか?
んで、病院に着いて、先生の病室に入ると。
「あ、村雨さん、芙蓉さん」
久々に病衣から制服に着替えて(これしか私服を持ってきてねぇらしい)、バッグに身の回りのものを詰めていた先生が、こっちを向いて。
俺を認めて、にこぉっと笑った。
これだよ、これ!
このちょっとはにかんだような、眩しいものでも見てるように目を細めた笑顔が良いんだよ!
見てるこっちが眩しいぜ。
「お迎えに参りました」
俺が感動してる隙に、芙蓉が先に口を開きやがった。
紙のくせに、先生には人がましい態度を取りやがる。
芙蓉のことは、決して嫌いじゃねぇが、あんまり俺の邪魔をすると、縛るぞ、こら。
「あの・・・ですね」
先生が、急に困ったように眉をひそめた。
一所懸命、どう言おうか悩んでるんだろう・・手だけが手話のようにじたばたと踊っている。
「えと・・・蓬莱寺くんが、今日みたいな日は、大事な人と過ごすもんだって・・」
今日みたいな日?
・・・あぁ、クリスマスイブだったっけか。すっかり忘れてたな。
というか、『大事な人』?・・いるのか?そんな奴が。
「蓬莱寺くんは、誰か、女の子を呼び出してくれるって仰って下さったんですが・・僕、誰か一人選べって言われても、そんなこと出来ないし・・」
あぁ・・・目に浮かぶようだぜ・・・
よりによって、先生の一番苦手なことを強要しやがったな、蓬莱寺。
さては・・・
「それで、僕が、悩んでたら、蓬莱寺くんが、『仕方がないなぁ、俺が付き合ってやるよ。せっかくのイブに一人じゃ寂しいもんな』って・・」
やっぱり、そういう魂胆か。
良い度胸だ、蓬莱寺。今度身ぐるみ剥いだ上に、簀巻きにして東京湾に沈めてくれる。
「で、それで、あの・・学校が終わったら、蓬莱寺くんが、迎えに来るって・・・あの、僕、あの、すみません!あのあのあの、そちらに伺うのは、その後でよろしいでしょうか!?」
あぁ、もう・・・そんなにおろおろすんなよ・・・見てる方が『もう大丈夫だぜ』っつって抱きしめたくなるじゃねぇか。
きっと蓬莱寺の勢いに押されて、<浜離宮>に来ることを言い損ねたんだろうなぁ。
こっちを立てたらあっちが立たず。
はう〜と溜息を漏らす先生の顔が、苦悩に満ちて、何とも色っぽいぜ。
しかし、どう言ったもんか。
無論、俺としては、蓬莱寺に譲る気はさらさら無いが、あんまり無下に断らせられねぇ。ってーか、先生にゃ無理だ。その上、下手すりゃ蓬莱寺に妙な罪悪感を抱かせて、赤毛猿が迫ったときに抵抗できなくなると厄介だしな。
「しかし、晴明さまがお待ちです。この日のために、結界を張り直されましたし、ご主人様があまり出歩かれるのは、好ましくありません」
ナイスだ、芙蓉。
無表情ながらも、御門の名を持ち出し、先生にプレッシャーを与えてやがる。
どうも先生は『自分のために』されたことを断れない性格のようだからな。
案の定、先生はあうーあうーと悩んでる。
「蓬莱寺には、俺から連絡しておくさ。なぁに、あいつなら、適当に女をひっかけるだろうぜ」
何か考え込んでいた先生が、ぱっと顔を輝かせた。
「あ、そうか!そうですよね!蓬莱寺くんは、僕が可哀想だって言って、僕に付き合ってくださってるんですものね!僕が<浜離宮>に行けば、蓬莱寺くんも大事な方と過ごせるんですし・・・そうですね、そうしましょう!」
・・・哀れだな、蓬莱寺。
全然、先生には通じてねぇぞ。
いや、人のことは言えねぇが。
ま、これではっきりした。先生に一番近い男は、あの猿だと思ってたが、それですら先生にとっては『ただのお友達』だな。
くっくっくっ・・これからが勝負よ。
そうして、蓬莱寺には伝言を残し、芙蓉は入院費の会計を済ませ、車に乗り込んで。
先生は、思い詰めた顔で、俺に訴えた。
「あの・・・うちに寄って行ってください・・・」
これが、二人きりで誘われてんならなぁ・・が、こりゃ、単に自分を家に寄らせろってこったな。
「何でだ?着替えとかは御門が用意してるぜ?」
きっと値段も張って、更にやけにぴったりなサイズをな・・。
先生は、それはそれは情け無い顔をした。
まるで泣き出しそうにぎゅっと手を膝の上で握りしめ・・・
「煮物が・・・」
・・・・あ?
「あの日、慌ててて、煮物をテーブルの上に出したままだったんです・・・そしたら、切られちゃって、家には帰れなくて・・・」
あうーあうーと呻きながら。
「見るのは恐いんですが、放置しておくともっと凄いことになると思いまして・・」
・・・はぁ。
つまり、煮物が腐ってるんだな?
まあ冬とはいえ、1週間室温じゃなぁ・・。
行ってやるか。いいんだよ、御門はちっとくらい待たせたって。
芙蓉も反対してねぇし。
芙蓉を車に残し、俺も先生に付いて、初めて先生のマンションに寄ったが。
はは・・確かに。
ドアを開けた途端に、匂いが漂ってくるぜ。
「しょうがねぇなぁ。先生は、そのバッグ片づけて、なんか用意するもんがあったら詰めときな。・・これは俺がやっとくから」
先生は、そりゃもう飛び上がらんばかりに驚いて、断ったが、俺はさっさとテーブルに向かった。
後ろから涙混じりの懇願が聞こえてくるが、あえて無視。
「ほら先生、時間がねぇから、さっさと用意しな」
で、俺は煮物をビニールに放り込み、鍋を洗い始める。
先生はしくしく泣きながら寝室とおぼしき部屋に引っ込んだ。