取引  後編




 その日は、何故か朝からイライラしていて。
 ひょっとしたら、これまでの寝不足が祟っていたのかもしれないし・・・別の理由かもしれない。
 
 だが、何もかもが、神経をささくれ立たせるようだった。

 教師の退屈な授業も。
 澄み渡る青空も。
 自身の感じる空腹も。

 ・・・・・・・仲間の言葉も。


 きっかけは、些細な言葉。

 ただ、ひーちゃんが、最近、村雨と遊んでばかりで、つれない、と。
 なじるでもなく言われたのに。

 蓬莱寺を、怒鳴りつけていた。
 
 あぁ、やばい。
 止まれ、俺。


 そう、理性が命じているのに。
 口の動きは、止まらなかった。


 言葉の奔流が、とめどもなく溢れ出る。
 
 言ってはいけない。

 頭の片隅で、囁いているのに。
 快感を感じているのも、確かだった。

 途轍もない、開放感。

 「・・・・・・・・・そうだよ結局お前達は何もわかっていないんだお前達は何も見ちゃいなかった俺が誰なのか俺が何を考えているか俺というモノを見てはいなかったんだお前達は気づきもしない俺が俺でないことを俺を見ていなかった証拠だろう俺がどんなヤツかも知らなかったから俺が変わったことにすら気が付かないお前達は俺を知らないお前達の言う友情なんてそんなもの・・・・・・」

 
 言葉が、ぴたりと止まる。

 何故止まったのか、訝しむ。
 その後に、左頬が熱いなって思って。
 自分の背が、教室の壁に凭れてて。
 蓬莱寺が自分の右の拳を左手で押さえていて、なんで、あんなに驚いた顔をしてるんだろう、と思って。

 それから。
 やっと、蓬莱寺に殴られたことに、気付いた。
 
 「・・・・・・ひーちゃん・・・・・・」

 蓬莱寺は、まるで、自分が殴られたみたいな顔をしていた。
 なんでだろう。
 痛いのは、俺なのに。

 ぼんやりと、子供のように首を傾げて見つめている俺に、ふわり、と美里が近寄った。
 そうっと。
 壊れ物でも触るかのように、抱きしめる。

 「気付いて、いたわ・・・」

 美里の声が、染み渡っていく。
 ついで、醍醐が、沈痛な表情で続けた。
 「うむ、気付いていたよ。お前が、変わったことには」
 
 桜井が、笑おうとして失敗したような顔をした。
 「だけどさ、ボク達、元のひーちゃんのことも、本当はよく知らなかったのかなって・・」

 なんだ。
 力が抜けて、床に座り込んだ。
 美里が、一緒に床に座った。
 スカートが。
 ふわりと拡がって。
 キレイだな、と思った。

 「俺。
  死ぬって、知ってて。
  でも。お前達は、知ったら、何とかしようとするから。
  騙してたよ。ずっと」

 本当は、気付いて欲しかったんだよ。
 俺が、俺じゃなくなったこと。


 「だから、お前達が見てたのは、元々、『本当の緋勇龍麻』じゃなかったんだ。
  『見て欲しかった緋勇龍麻』で。
  ・・・どれが、本当の俺かなんて、俺にも判らないけど」

 本当は、気付いて欲しくなかったよ。
 だって、このまま波風たてずに、さようならしたかったじゃないか。


 そう思ってから、気付く。
 さっきの爆発で、何度『俺』と言う言葉を使ったっけ?

 俺が気にしているのは、俺のことばかり。
 俺が俺でないことを知られるのが恐くて。
 今の俺なら、いらないって言われるのが恐くて。
 気付かれないように、としか願って無くて。
 
 でも、同時に。
 気付いてくれないのは、俺のことを見てくれていないことだと。
 寂しくて。
  
 俺は。
 俺のこと。
 俺を。
 俺では。
 俺、って言葉ばかり。


 ・・・お前達のことは、考えてなかった。
 仲間だと思っていた俺に、大事なことをうち明けて貰えなかった、お前達。
 目覚めてから、一度も、ゆっくりと話をすることも無くて。
 それなのに、お前達は、俺を見ててくれたんだろうか。    

 「俺はよ。バカだから、よくわかんねぇけどよ」
 蓬莱寺・・・京一が、頭をがしがし掻いた。
 「ひーちゃんは、ひーちゃんじゃねぇかな」
 「そうだな。お前は、変わったが、変わっていないとも言える」
 「ひーちゃんはさ、真剣に考えすぎだよぉ。
  同じ人間だってさ、落ち込んだときと楽しいときとで、考え方が変わったりするじゃん。
  ひーちゃんの変わり方だって、そのくらいのもんだって!!」
 「腹が減ったときとかな」
 「それは、お前だけだ、京一・・・」
 「あはは、それは言えるかも!!」

 いいなあ。ここは。
 
 美里の肩に、こつんと頭を乗せてみた。

 「俺、ここにいても、イイ?」

 答えは、4人から返ってきた。




 家に帰って、鏡の前で頬に触れる。
 腫れて、熱を持っているそこは、指が触れるだけでじんじんする。
 この分だと、明日には悲惨なことになるだろう。
 それが判っていながら、治癒はかけなかった。
 美里が、癒そうとするのも、断った。

 「なんだか、生きてるって感じ?」
 それとも、京一の愛の証?と言ったら、イヤそうな顔をされた。
 「ひーちゃん・・・後でうらんだりするんじゃねぇぞ・・・」
 「いやだなぁ、この俺がそんなことをしたことがあるかい?」 
 「棒読みは止めろ、棒読みは」

 本当に、幸せだったから。
 痛くてもイイや、と思ったのだが。

 携帯が鳴って、現実に引き戻される。
 しばし、思案して。
 「村雨?・・・あのさあ、今日は、俺、外に出られないんだ。今日だけ、特別。俺んとこ来るの、許してやる」

 さすがに、この顔で、外を出歩く気にはならない。
 ビニール袋に氷水を入れて、頬を冷やしながら、村雨を待つ。

 やってきた村雨は、当然ながら、何が起きたのか知りたがった。
 
 簡単に、説明して。
 言いながら気付いた。
 「そういえば、お前の取引材料が、一つ減ったな」
 もう、俺は悩まないから。
 俺は俺。
 緋勇龍麻。
 「が、まあ、安心しろ。お前への負債があるのは、承知している。1月一杯、お前の自由に、という言葉は撤回はしないから」
 何が楽しくて、男を抱いてるのか、知らないけど。
  
 村雨は、何故か、ひどく傷ついた顔をした。
 
 知らない。
 俺は、何でお前がそんな顔をするのかなんて、知らない。

 
村雨が、口を開く。

 「その顔。治してやろうか?」
 セリフと、顔が合わない。
 まるで、『殺してやろうか?』って言われてるみたいだ。

 「いい。これは、いいんだ」
 俺が俺でいられる、証だから。
 ま、ちょっとした記念物だ。
 新しい緋勇龍麻、万歳。
 
 村雨の手が、俺の頬に伸びて・・・思い切り掴みやがった!!
 「痛い!!」
 「蓬莱寺に、つけられた傷は残しておくのかい?」
 「放せよ、村雨!!!痛いってば!!」
 「アンタが、マゾだとは知らなかったなぁ。俺も、ナイフで傷でもつけてやりゃあ良かったか?」
 「誰が、マゾだ!!いい加減、放せ!!」
 どうにか振り払って・・・掴まれた手が放れる瞬間が、滅茶苦茶に痛かったが・・・睨み付けると、村雨の手は、今度は俺のシャツの首の辺りを捻り上げた。

 「アンタ、蓬莱寺が好きなのか?」

 京一を『好き』なのか『キライ』なのか、と聞かれたら、無論、『好き』なのだけれど。
 だが、今こいつの言っている『好き』は、違う意味のような気がする。
 どういう意味の『好き』なのか、何故、そんなことを問うのか。
 考えるのが面倒くさくなって、俺は、ただ、吐き捨てる。
 「お前には、関係がない」
 
 「知ってたかい?俺は、アンタに惚れてる」

 知らない。 
 お前の気持ちなんて、知らない。


 「ふ〜ん」
 思い切り、バカにしたように、言ってやった。

 そんな風に、人を切り刻みそうな目で囁く『愛の言葉』なんて、知らない。
 
 「信じねぇのか?
  元の、へらへらしてるが人好きのする、だが他人の目を見ようとしない緋勇龍麻じゃなく。
  危なっかしいくせに、いつでも昂然と頭を上げて、俺の目を見る、アンタに惚れたんだよ」
 
 俺は、誰か特定の人間を(男女を問わず)、そう言う意味で『好き』になったことも、『好き』と言われたこともないけれど。
 それでも、『好き』な相手には、そんな目をするものではない、と思う。
 
 「だって、違うだろ?お前のソレは、ただの征服欲だ。
  秋月柾希も、秋月薫も、救えなかったお前が。
  それを代わりに成し遂げた俺に、劣等感を抱いて、その代償行為として、俺を貶めて、自分の心を守りたいだけ。
  俺を支配して、自分の力を再確認したいだけだろ?」

 ふわり、と身体が浮いた。
 また、か。

 壁に凭れて、自分の右拳を撫でながら驚愕の表情を浮かべている男の顔を見るのは、本日2回目だ。  
 何だって、みんな、考える前に人を殴るんだろう?
 
 だが、村雨は、すぐにその表情を消して、また俺の襟を捻り上げた。
 「ご高説、感謝するぜ。どうやら、アンタには、俺の心が、俺以上に理解できるようで」
 剣呑な目の光り。
 だが、俺を脅かすには、100年は早い。
 痛みも、傷も、俺にとっては恐怖の対象にはなり得ない。
 だが、暴力で従えようという意志は不愉快だから、俺は、村雨を睨め付けてやった。
 目で、村雨を牽制しつつ、殴られた部位に意識をやる。
 よりによって、同じ側を殴られて、危うかった奥歯が、ダメかも知れない。
 完璧に抜ける前に、俺は、何とかそれを元の位置に舌で押しやって、治癒すべく、神経を集中した。
 
 腫れ上がった顔が、元に戻っていくのが、鏡を見ずとも感じられた。
 まったく・・最初から治癒しておけば、余分な痛みを感じずに済んだか。

 「・・・俺が付けた傷は、さっさと消すんだな」
 
 村雨の声は、まるで猛獣の唸り声だ。
 何を威嚇しているつもりかは知らないが・・第一、さっきから、何の所有権を主張しているんだ、この男は。
 傷に、『誰がつけた』もあるか。
 あえて所有権を言うなら、『俺の傷』だ。

 「だが・・・蓬莱寺が付けた傷も、消えたな」
 村雨は、俺の顔を手繰り寄せて、唇に噛みついてきた。
 「アンタは、俺のモノだ」
 「1月一杯は、な」
 その支配欲にウンザリしつつも、一応、指摘はしておく。
 ふん、と村雨は、嗤った。
 肉食獣の笑みで。
 「それが終わったら、解放される、と思ってるかい?・・・後はな、自由競争なんだよ。
  アンタを口説いちゃいけねぇって法はないだろ?」
 
 このバカは、どうやら、依然『俺に惚れている』という思いこみを撤回する気はないらしい。
 せっかく、俺が、その勘違いを指摘してやったのに。  

 まあ、いい。
 バッドエンドが好みだというなら、敢えて破滅への道を進んだらどうだ?
 俺は、付き合う気は無いけど。








 元の俺と

 今の俺が

 変わらない、と言ってくれた、真神の連中と




 元の俺じゃなく

 今の俺に

 惚れたと言った村雨と




 俺が、どっちに救われたのか、なんて




 俺にも判らない。











 本当は

 村雨の言葉も








 少しは



 
            




                      
嬉しかった。







あとがき
本当は、シリアス禁止とかこれとかの、一連の出来事のコンセプトは
『一目惚れじゃない恋をしよう』でした。
うっわ〜、文字にしたら、めっちゃラブラブや・・
それが、何故こんなことになるのか?それは私にも判らない(笑)
至ってノーマルな嗜好の男子高校生が、なにゆえに、同性、
しかも、出会って間もない男に惚れるのか?
何故、『村雨』なのか?
という、ある意味、村主人としては悩むべきではないところに引っかかって
さんざん、考えた末が、これです。・・って、これかい(笑)。
とは言うものの、お気づきの方も多いでしょうが(ほとんどじゃ)
まだ、ラブラブになってません(笑)
『マニュアル人間で行こう!』までには、もう一段階必要そうです。
ですが、今回は、この辺で・・


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