ドラマティックレポート 3
「しーちゃんって、若いくせに恋愛経験って無いの?」
馴染みの姐さんと肌を合わせた後、気怠げに言われて、俺は肩をすくめた。
18歳とは思えないとよく言われるが『恋愛経験』がどうのと言われるたぁ思わなかった。
姐さんはベッドに寝そべりサイドテーブルに手を伸ばしてタバコを一本取った。くわえてライターを灯しながら、また言う。
「せっかく若いんだから、あたしみたいなの相手にせずに、年相応の娘と遊べば良いのに」
「言うほど年齢は離れちゃいねぇだろ?」
「あら、嬉しい。けど、恋愛なんて青臭いこと出来るの今のうちなんだからね?せいぜい苦しむのも青春ってやつよ?」
分別くさく言われて、もう一度肩をすくめる。
『苦しい恋愛』なら、してるつもりだ。
絶対に叶わねぇ、高嶺の花に惚れちまった。
最初は、ただ『何故かウマの合う友人の妹』でしかなかった。それが、段々惹かれて、俺の全てを賭けてでも護ってやりてぇほどになった。
だが、あいつと出会った時点で、俺はもう歌舞伎町でとぐろを巻いてるやさぐれだった。そんな俺が何を出来るって相手じゃねぇ。あいつの代わりにただただ護ってやるくらいしか出来ねぇ。それで薫が笑ってくれんなら、俺はそれで良いんだよ。
…これは『苦しい恋愛』じゃねぇとでも?
姐さんは、どこか遠い目をしながら、いくらも吸ってねぇタバコを揉み消した。
「あのね、恋と愛は違うのよ?しーちゃんは、なりふり構わない『恋』ってものを、一度はした方がいいわね」
女ってやつは、どうしてこう、母性本能とやらで人に構うかね?
だが、もし、姐さんの言う通り『なりふりを構わない恋』ってもんをするなら。
相手は変わった奴がイイ。
俺に超能力的な意味での読心術はねぇが、駆け引きってもんを繰り返すうちに、他人の感情、これから口にするだろうセリフ、反応…そういったもんが、ある程度読めるようになっちまった。
それはそれでつまんねぇんだ。こう言ったらこう反応するだろうって分かり切ってんのも。
だから、恋をするなら、読めねぇ反応をする相手がいい。その方が楽しい。でなきゃ、ただの自慰行為だ。
いつまでも飽きねぇビックリ箱みてぇな奴なら、相手は女でも男でも構わねぇんだがなぁ。
どっかに転がってねぇかな、そんな奇特なやつ。ちょっと変わってる程度の奴ならその辺にもいるが、付き合ってるうちに反応が読めてくるんだよな。
あぁ、つまんねぇ。
その『反応がスタンダードでつまんねぇ』代表の緋勇の報告書を読んで、俺は憂鬱に溜息を吐いた。
何でも、緋勇が特異な能力の持ち主だと知った奴らが、ちょっかいを出してきたらしい。バックにいるのは鬼道衆…江戸時代から徳川に反抗している連中らしい。それがある男をそそのかし、その男は自分の妹を緋勇に接触させ、妹を餌に緋勇を捕らえたらしい。で、人体実験の挙げ句に妹の裏切りにあって死んだ、と。
その妹は、ターゲットであるところの緋勇に惚れてしまったらしい。で、助けたはいいが、兄もろとも焼け死んだ。
緋勇の方も心憎からず思っていたのか、一度は水族館でデートしている。
…で、だ。
御門が言うには、この事件で緋勇が自暴自棄になったり闇の勢力につけ込まれるほど心が弱ったりしてねぇか様子を窺って来い、だと。
表面上はごく平穏に授業を受けたり生活したりしていて、本当のところが分からないんだとか。旧校舎とやらでの修行は中止しているから、それなりにダメージはあるんだろうが。
ま、昨年まで普通に生活してた奴なら、誰かが利用する腹で近づいてきたり、裏切られたりだのといったどろどろしたこととは無縁だったろうからなぁ。しかも可愛い女の子にやられりゃダメージ二倍か。緋勇はあまりもてそうにない外見してるしな。
しっかしなぁ…。
接触自体は、大した面倒でもねぇが、落ち込んでいるだろう奴をつっつくのは鬱陶しいな。
だいたい、俺の柄かよ?もし落ち込んででもいるなら、慰めろってか?
くそ、しかしうだうだここで考えてても仕方がねぇ。
嫌な仕事は嫌な仕事で、さっさと済ませちまった方が精神安静上良い。
しょうがねぇ、今回ばかりは、無理にでも接触機会を作るか。
しかし、そんな俺の期待と裏腹に、平日は緋勇がうろつくことはなかった。学校と家の往復のみだ。さすがにそこで接触するのは無理矢理過ぎる。
落ち込んでんのは俺にゃ関係ねぇが、さっさと気晴らしにでも出かけやがれ。
そう念じたのが通じたのか、次の日曜、朝から緋勇が出かけるのを確認した。式に上空から見晴らせると、どうやら駅に向かうらしい。
さて、仲間は集めず、駅でどこかに行くとなると。
…あの女とデートした場所に、思い出を噛み締めるために行くってとこか。
これは、あくまで俺の勘だが、あの男の行動パターンなど対して斬新なところはねぇ。賭としちゃあ、面白くもねぇ範疇だ。
さて、向かう先が品川水族館として…俺も、デートか何かを装って『偶然』出会うのが自然か。男一人で行くような場所じゃねぇしな。かといって、誰かに理由を話して一緒に行くのは、後々面倒だ。何せ、接触したら女を放っておいて緋勇と接触しなきゃならねぇ。ならば、式に女性型を取らせても良いが…そこまでしなくてもイイか。どうせそこまで勘ぐりゃしねぇだろ、悲しみのどん底にいる優等生さんは。
ま、出たとこ勝負だ。いい加減策を練るのもうざってぇ。
てことで、俺はバイクを駆って先回りするのだった。
私服で水族館内に入り、中を彷徨く。入り口付近にゃ式を飛ばして見晴らせてある。
そのうち、式の目を通して緋勇が入ってくるのが見えた。
へ、どんぴしゃ。
相変わらず俯き加減で、影薄く歩いてやがる。
さて、水族館内に入ってはきたが…いきなり出会うのは不自然だぁな。ま、順路は決まってんだから、どうせなら向こうから見つけさせる方が自然だろ。
そう思って、興味もねぇパンダイルカの前で張ってたが。
来ねぇ。
いつまで待っても来ねぇ。
まさか、水槽を見ている間に背後を通り過ぎちまったか?いくら視線は水槽っつっても、気は背後に張ってんだ。そんなヘマしねぇし…。
しょうがねぇ、こっちから出向くか。
順路に逆らって通路を進んでいくと…いた。
所々に配置されているベンチに座りこんでいる。疲れた人間用のもんだが、当然通行の流れを妨げるため、人気の水槽の前には無ぇ。
しかし、よりにもよって、ウツボの前に座らねぇでもよかろうに。
しばらく眺めていても、緋勇が動く様子はねぇ。ぼんやりとウツボを眺めている。いや、見てんのはウツボじゃなく、死んだ女の面影ってやつかもしれねぇが。
白いTシャツ(青い英字プリント付き)にジーンズという、こざっぱりといえば聞こえはいいが、極々平凡な格好で座っているところは、相当注意をしないと風景の一部のように埋没している。
誰も気に留めないのをいいことに、緋勇はずっと同じ姿勢で座り込んで動く気配を見せねぇ。
このままじゃ埒が開かねぇよなぁ。
しょうがねぇ、俺もこんなとこにいるなぁうんざりだ。さっさと仕事を済ますか。
今度ははっきりと気配を立てて緋勇に近づく。すると、すぐに顔を上げて、俺と認めて目を細める気配があった。気配がってのは、相変わらず長い前髪が邪魔してて、はっきりとは見えなかったからだ。
俺はサングラスをちょいと持ち上げて、ウィンクしてやった。途端、慌てたように周囲を見回す。
てめぇだよ。俺が用があんのはてめぇ以外にいねぇよ。
座り込む正面に立って、軽く手を上げる。
「よっ。また会ったな、真神の」
「はぁ…1ヶ月ぶり…かな?」
小首を傾げながら、ぼそぼそと答える。よっぽど耳を澄ませてねぇと聞こえないほど小さな声だ。
ざわつく客の声に紛れそうなそれを理由に、隣に座る。肘が触れるほど近くに座ってやると…故意じゃねぇ、ホントに大の男二人並んで座ると狭いんだ…縮こまって俺から離れようとしやがった。
しかし、身を縮めるにしても、何となく妙な姿勢だ。腹でも庇っているような…いや、腰に巻いたウェストポーチをか?まさか、俺が財布をスるとでも思ってんじゃねぇだろうな。
「ん?どうかしたのかい?」
わざと声に出して言いながら覗き込んでやると。
黒いウェストポーチから、白い毛皮が顔を覗かせていた。
お、目が合っちまったぜ。
小さく啼いたそれを慌てて手で囲むところを見ると、猫を連れ込んだのがばれるとまずい、と感じているらしい。ま、ペット持ち込み禁止だろうしな。
だが、手の囲いは他の客用の角度で、俺には覗き込める。この小ささを見るに、あの時の猫だろうな。確か名前はミャアとか何とか。
白い毛皮に、水色の瞳がなかなかに綺麗な子猫だった。口を開けたときに覗く細い歯も愛らしい。
猫が可愛いのは分かるが…死んだ女の追憶にゃ邪魔じゃねぇのかねぇ。
手を伸ばし、子猫の顎を指ですくうと、ごろごろと喉を鳴らして顔を擦り寄せてきた。人間の手を全く警戒しねぇってこたぁ、よっぽど箱入りに育てられてんな、こいつ。
ちらりと緋勇を見やると、困ったような顔で子猫を見つめていた。というか、俺から視線を外す以上、それしか見るもんはねぇとも言うが。
「よりにもよってウツボの前なんぞで座ってるから、気分でも悪いのかと思ったぜ」
そう言っても、視線は猫と水槽を交互に動くだけだ。
赤い舌が唇を舐めた。こりゃ癖なのかねぇ?それでも声は掠れたように小さいんだが。
「可愛い娘に、でっかい魚を見せてやろうと思って」
えー『娘』…あぁ、死んだ女のことじゃなく、この猫のことか。
「あぁ、雌だったのか」
一応相づちを打つと、かすかに同意の頷きがあり。
…それっきり話が途切れる。
くそ、こいつと話すといつもこうだ。
何で俺が無理して会話を続けなきゃならねぇんだ。
しょうがねぇ、世間話をしたところで、傷心の優等生君が乗ってくるとも思えねぇ。ずばり言ってみるか。
「あー、その、何だ。何か、落ち込んでることでもあるのかい?」
いきなりだが、それほど不自然でもねぇだろ。男子高校生が一人で(いや、猫付きだが)水族館でぼんやり座ってりゃ、何かあったのかと考えてもおかしくねぇ。
「………いや、別に………」
長い沈黙の後、ぼそりと答えが返る。
手強いな。
ま、2,3回擦れ違った程度の男に、延々心情を吐露する奴がいたら、そりゃよっぽどのお人好しか、それともよっぽど参ってるかのどちらかだ。
ん?てこたぁ、そんなに落ち込んでもねぇってことか?あくまで自分で処理できると考えてんのか。
しかし、それにしちゃあ間があった。ちっとは心が動いたってか。
ふむ、もう一押ししてみるか。
猫を撫でていた手を、緋勇の頭に乗せて、撫でてやる。落ち込んでる時にゃ、人との接触ってやつが気持ちよかったりするからな。
「何かあるなら、話くらい聞いてやるぜ?何も関係が無い奴の方が話しやすいだろうしな」
大サービスだ。
仕事ってのもあるが、あんまり一人で感情を処理しなれてんのも気の毒だ、と思ったんだがな。
しかし緋勇は、床を見つめたまま固い声で呟いた。
「そもそも、あんたは何でこんな所にいるんだ?デート中じゃないのか?」
話を逸らすか。
駄目か、全然俺に話す気はねぇんだな。それどころか、遠回しに追い払おうとしている、か。
俺としちゃあ、ここまでで構わねぇんだが、さすがに報告をする時のことを考えると、あまりに得られた情報が少なすぎる。
しかし、ここじゃ、確かに人は行き来してやがるし、込み入った話をする気にゃならねぇかもしれねぇ。
だが、とりあえずは疑問に答えておくか。
「あぁ、いいって、いいって。最初はそうだったが、途中でケンカしちまったしな」
これなら一人でいてもおかしくねぇだろ。しかもフラレ男という情けない存在にあえてなることで、親しみを持たせようとしたんだが。
だが、緋勇は気のない返事をしただけで、また床をじっと見つめている。
くそ、うぜぇな。
「さぁて、俺ぁ行くぜ?一人でこんなところにいるのは居心地が悪くていけねぇ」
あっさり引き下がったと見せかけて。
「どうだ、せっかく会ったのも何かの縁だ。あんたも付き合えよ」
立ち上がった俺は、返事を待たずに緋勇の腕を掴んでベンチから引きずり起こした。
慌てたようにウェストポーチを抱え直すのを、そのまま手首を握って歩き出す。
緋勇は、最初は少し抵抗する気配を見せたが、すぐに諦めたのか普通に俺に一歩下がってたところを付いてきた。
そのままバイクを止めてある駐輪場まで導く。
これで二人っきりになれる場所までご案内ってこった。
元々そんなつもりじゃなかったんで、ヘルメットは一つしか無ぇが、ま、俺の運をもってすれば引っかからねぇだろ。
黒いフルフェイスのヘルメットを投げてやると、緋勇は受け取ってそれをじっと見つめた。かぶり方が分からねぇとか眼鏡が引っかかるとか言わねぇだろうな、と思っていたら、急に俺の腕を振り払った。
「ちょっと待った!二人乗りでバイク!?」
優等生さんにゃ、刺激が強すぎたか?
「あぁ、しっかりしがみついてくれりゃ大丈夫だぜ?ちゃーんと安全運転で行くから、安心してくれ」
「駄目!絶対、駄目!」
宥めるように言ったのに、もう一度伸ばした手から守るようにウェストポーチを抱き締めて。
「ミアがもし落ちたら、確実に死んじゃうだろ!」
「あ〜」
…確かに。
こんなにひ弱い生き物だ。ポーチから首を出しておくのも恐いし、しまいこむのも恐い。もし落ちたら100%回収不可能だろうしな。
「しっかり抱いておきゃあ大丈夫…って言いてぇが、あんまりきっちりしまい込むと今度は息が出来ねぇかもしれねぇしなぁ」
苦笑しながら顎を撫でると、緋勇は子供のようにこくこくと勢いよく首を縦に振った。
「車にしときゃ良かったな。ま、今回はしょうがねぇ。今度会ったら、付き合ってくれよ?」
言いながら気づいたが、あくまで猫が気になって二人乗りを断っているらしい。てこたぁ俺と二人乗りするのが嫌というのでもなさそうだ。
ま、こんなんでも男は男だ。やっぱでっかいバイクにゃ興味があるのかもしれねぇな。
ここで引き下がっちまっちゃ、結局情報を得られなかったことに代わりはねぇんだが、これで「はい、じゃあ電車でどこかに行きましょう」なんて言うのはあまりにも不自然だ。
しょうがねぇから一人でバイクに跨り、返されたヘルメットを被ってフェイス部分を上げる。
手を挙げて「じゃあな」と言うと、緋勇の視線が、せわしなく周囲を彷徨ったかと思うと、ぺろりと唇を舐めた。
「俺、あんたの名前も知らないんだけど」
「あぁ?そういや、言ってなかったな」
俺に興味が出てきたのか。一歩前進か?
しかし、本名を言うのもなぁ。俺の制服が皇神のだってこたぁ、ちょっと調べりゃ分かることだし、下手すりゃ御門関係から秋月まで調べられるかもしれねぇ。
が、偽名を使うのも気が引ける。
「しこうって呼んでくれ。あんたは?」
「緋勇龍麻」
譲歩して、名字とも名前ともつかないだろうそれを教えると、緋勇は律儀にもフルネームを教えてくれた。ま、知ってるけどな。
「じゃあな、緋勇。また会おうぜ」
改めて呼べるようになった名字で別れを告げて、スロットルを開く。
爆音を残して去ったその場で、緋勇がこちらをずっと見つめているのがミラーに映っていた。
さて、御門にゃどう報告するかねぇ。
ウツボの前でぼーっとしてた時には『氣』が拡散していたが、俺と接触した途端『氣』が収束してまるで鎧のように硬化しちまった。陽の気とも陰の気ともつかねぇ。
少なくとも、陰気に囚われてはなかった、としか言いようがねぇなぁ。
ま、分かったことは…内向的で、自分の感情は自分で始末を付けるタイプだってことくらいか。情が強いって言い方もあるかもしれねぇが、ありゃあ単に引っ込み思案が高じたやつじゃねぇの?
不得手なんだよなぁ。ああいうのって。
くそ、何とかこの役目を他人に押しつけられりゃいいのによ。
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