ドラマティックレポート 15



 正月の夜に馬車馬の如く働いた俺は、<浜離宮>に戻って、欠伸を挟みつつ経過を報告した。
 「…てことで、寛永寺にゃ焼死体一丁と、生首一丁が残ってるってぇわけだ。多分は拳武も動くだろうが、秋月の方でも介入しなきゃならないかもな」
 焼死体は、うまくいけば地震による寛永寺延焼の被害者ってことで通るかもしれねぇが、生首が問題だ。…ま、柳生本人が、「緋勇にやられた」とか言い出しゃしねぇと思うが。んなことしたら、世界ビックリ大賞に出られらぁな。
 「分かりました。警察関係は私が何とかします」
 ほー。いやに素直に頷いたな。本気で緋勇に肩入れしてるらしい。
 御門は、ぱちん、と扇子を鳴らした。
 「さて、龍脈も安定して万々歳と言いたいところですが…」
 後を引き取って、薫が手を合わせて俺を見上げた。
 「ごめんね、祇孔。政界がうるさいの。しばらくはこっちに来てくれると嬉しいんだけど」
 まぁな。あれだけのことがありゃあ、秋月は引っ張りだこだ。
 元々ここが俺の職場だし、薫の頼みとありゃあ喜んで馳せ参じ…と言いてぇんだが。
 なーんか、空しいんだよなぁ。
 あれだけ『普通』じゃねぇと感じ、博打してる時にも似た高揚感があった秋月の護衛が、日常生活の延長に思えてくる。
 あれだけ強烈な人に出会っちまっちゃあお終いだ。
 つくづくすげぇ人だったな、先生は。
 今なら如月の言った「彼は自然そのものだ」って言葉が理解できるぜ。
 血が好きなのを隠しもしねぇ、そしてそれが『変態』だってぇのを弁えてる、その上「普通じゃないことに自負を覚えてる」ってぇある意味根暗な感情もけろっとして吐き出す。
 かと思うと、龍脈を操って仮にも大地の化身である黄龍を打ち破る…しかもそんじょそこらの方法じゃねぇ、キャパシティ以上の『氣』をぶち込むってなどえらい方法で、だ…能力があるにも関わらず、それを威張るで無し、極々当然のように振る舞う。
 あんな人は、この世に二人といねぇ。
 あの人と一緒なら、この先絶対退屈しねぇって自信がある。
 強制されて四月に接触した時にゃ、まさかこんなことになるたぁ欠片も思って無かったぜ。
 「なぁ、薫」
 「なぁに?」
 「俺ぁ、その……緋勇に惚れちまったんだけど、よ…」
 さすがに照れ臭くて、頭を無意味にがりがりと掻く。
 だが、薫は驚いた様子もなく頷いた。
 「うん、そうなると思ってたわ。祇孔も星を戴く人だから」
 運命だの星宿だのってな言葉は嫌いだが、その星のせいで先生に会えたんだし、一緒に生きていけるのかもしれねぇと思ったら、そう悪くは無い気もした。
 ま、問題は。
 これからどうやって口説くか、だが。
 御門が、あからさまに鼻で笑った。
 「せいぜい頑張ることですね。お前如きにどうこう出来る相手とは思いませんが」
 確かにな。『どうこう』の中身にもよるが、器の違いってやつは確かに存在するがな。
 ま、しかし、これからそんなに『血を見る戦い』ってやつは、そんなに転がってねぇ。
 だとしたら、緋勇の熱を解放するのは、アレしかねぇだろ。
 くっくっくっく…俺の出番だ。
 如月や壬生が俺以上の技を持っているとは思えねぇ。
 歌舞伎町の夜の帝王の二つ名はダテじゃねぇんだ。目一杯頑張らせて貰おうじゃねぇか。
 ………腎虚にならねぇ程度に。
 
 だが、すぐにでも飛んでいきたかった大事な情人のところに、俺が行けたのはそれから二週間も経ってのことだった。
 まったく、御門の野郎、ありゃあ絶対妬いてやがんだ、人に山ほど仕事を押しつけやがって。
 しかし、俺ぁ頑張った。
 愛しい先生と思う存分イチャイチャするためと思えば、徹夜仕事も何のその。
 で。
 ようやく体が空いたんで、緋勇のマンションに来てみれば。
 一応、普通に俺を中に入れてくれた緋勇は、平然とのたまった。
 「いやぁ、最近龍脈の流れが落ち着いてるせいかさー、俺も何だかすっかり落ち着いちゃって。あの燃えさかるパトスは、若さ故の過ちじゃなく、乱れた龍脈のせいだったんだなー」
 ……待て。
 あの乱れまくりの先生はどこへ行った。
 いや、よく考えろ、俺。むしろこれは好機じゃねぇか?体だけの関係から、きちんとした恋愛感情へ移行する絶好の機会とも考えられる。
 俺は、目の前に座っている緋勇の手をしっかり握って、目を見つめた。
 相変わらずふてぶてしいっつーか爛々と光ってんな、先生の目は。
 「先生。あんたが好きだ」
 これまでの人生で、最も真剣に想いを込めて、そう告げる。
 恐ろしく光っている黒い瞳が、面白そうに煌めいた。
 「それで?」
 それで…って。
 「いや、だから。あんたときっちりお付き合いしてぇんだが…恋人として」
 念のため、誤解しようのねぇ単語を補足しておく。
 緋勇の目に、失望とかうざそうとかの陰性の光は無い。
 ってこたぁ、脈が無ぇこたないと思うんだが。
 「俺は、恋愛感情に興味無いんだが?」
 「付き合ってみりゃ、イイもんかもしれねぇぜ?セックスだって、やってみりゃ面白いもんだったろ?」
 「んー…まあ、不良共をどつき倒す程度には、暇潰しになったけどー」
 気の無さそうな声に、ぐさぐさとプライドを傷つけられる。
 この俺のセックスが暇潰し程度かよ…。
 ま、まあ、確かに女相手にゃ自信があるが、男を抱いたのは初めてだがな。それにしたってなぁ…先生だって、それなりによがってんじゃねぇか。
 「何にしたって、俺、最近勉学に励んでんの。ちゃんと受験するんだ」
 そう言って示した先には、言葉通り参考書の山が。
 どうしたってんだ、先生よ…そんな普通の高校生みてぇなこと言っちまって。まさか、あの人外魔境な先生は、龍脈の鎮静とともにいなくなった、なんて言わねぇだろうな。
 「何だ…?あんた、普通に大学生になるのが夢、なんて言わねぇだろうな?」
 まあ、これから先の人生、何が似合うかと言われると…ピンとこねぇんだけどよ。そこはそれ、先生のことだから、俺の予想もつかねぇようなことをしでかしてくれると信じていたのによ。
 「ま、そーゆーことだから。俺の受験勉強の邪魔、すんなよな」
 それっきり俺には興味を失ったように、先生は机に向かった。
 しばらく呆然と見守る中、紙がぱさりとめくれる音と、シャーペンがさらさら流れる音だけが室内を満たす。
 
 何だ、これは。
 
 俺が惚れたのは、こんなに『普通の』人だったのか?
 あの強烈な個性は、黄龍の賜だったのか?

 「先生…」
 背中から、そっと忍び寄り、首筋にキスを落とす。
 途端、うざったそうに頭が振られ、俺の顔に髪がぺちぺちと当たった。
 それにもめげず襟元を緩めさせようと這わした手が、遠慮のない力でべしっとはたき落とされた。
 全然、する気は無ぇってのがはっきりしている。
 何だかなぁ…。
 「なぁ、先生」
 「何だ?」
 目は参考書に落としたまま、面倒くさそうな返事が戻ってくる。
 「俺ぁ意表を突いたあんたの性格に惚れたんだけどよ」
 「あっそ」
 「それが、普通に受験勉強します、なんて肩すかしもいいとこじゃねぇか」
 先生が、俺の腕の中でくるりと回転し、至近処理から見返した。
 相変わらずの強烈な黒い光に、何もかもが色を失う。
 「俺をどう思おうと、それはお前の勝手。俺は俺。お前の思うように動く訳じゃ無い」
 光に飲み込まれて、どこか遠くで聞こえるような声を、どうにか理解する。
 そう言い切れる個性は、確固たるものなんだろうが…物足りねぇ。俺が惚れたのは、ビックリ箱みてぇな性格だ。
 ふぅ…俺も、たいがい舞い上がってたのかねぇ。
 立ち上がって、緋勇を見下ろす。
 綺麗な黒髪が、つやつやと天使の輪を描いている。
 「俺の見込み違いだったようだな」
 思い切り溜息と共に言ってやったのに、緋勇は振り返らねぇ。俺の言葉に、異論を唱える気は無いんだろう。
 「じゃあな、緋勇」
 もう二度と会わねぇってのを込めたつもりだったが、緋勇は片手をひらひら振るだけだった。
 緋勇のマンションから出て、自分のバイクにもたれてタバコに火を点けた。危ないのどうのという意識はどこかに行っちまってた。
 ふーっと大きく息を吐くと、白い有害物質は、ふわりと空気に溶け込んでいった。

 あぁあ。
 早かったな、俺の初恋。


 傷心の俺は、卒業と同時にアメリカに渡った。親の顔を見るという、親孝行もやったし、ベガスでぼろ儲けもやった。
 1年ばかりふらふらしていたが、いい加減俺もモラトリアムを切り上げて、将来ってもんを考えなきゃならねぇ。一緒に住んでる両親は何も言わねぇが、内心ではそう思って…ねぇかもしれねぇな…。「しーちゃんがいつまでもここにいたら楽しいのにー」だもんな…俺が自分で自立しねぇと…。
 さぁて、どうしたもんかねぇ。
 二輪に乗るのと同じく、いや、それ以上に馬を駆るのは楽しい。しかしこの体格だ、騎手になんぞなれようはずもねぇ。獣医…ちょっと違うような気がする。方向性として。
 結局のところ、俺はこの能力を生かして秋月の護衛にでもなるしかねぇんだろうか。それが嫌ってんじゃねぇが、何つーかこう…窮屈なんだよな。もっと俺の自由に出来るもんがねぇかなぁ。…それがガキの言い分だってぇのは承知してんだがよ。
 もやもやした気分でも、馬に乗ってりゃ落ち着くんだよな。今乗ってる奴は、競走馬から脱落しちまった上に、種牡馬としても脱落しちまった奴で、俺みてぇな素人にも貸し出してくれる。
 俺の両親は自然派指向ってやつで、アーカンソーの郊外に家を持っている。で、広大なお隣さんはサラブレットの牧場だ。で、隣のよしみで、俺も乗らせて貰ってんだが。
 思う存分駆けた後、いつも通り厩舎に戻って、ブラッシングしてやる。
 「ほら、シルベスター、足上げな」
 映画俳優の名を持つ牡馬が、素直に足を上げたので、俺は鐙の泥を落としてやった。
 綺麗に整えてやると、シルベスターは尻を振り振り仲間たちの元に駆けていった。
 柵に凭れてそれを見送る。
 和むんだがなぁ…一生モラトリアムやってるのはなぁ…。
 馬をぼーっと眺めつつ人生について悩んでいると、背後から足音がした。
 振り返ると、牧場主のソークスさんがのっしのっしとやってきていた。
 俺の背中をばーんと一つ叩く。いつも元気そうな親父なんだが…微妙に疲れてるような?
 「よぉ、しこー。お前はシルベスターがお気に入りだな」
 「賢いからな」
 「そうか…そうだな…しかし、賢いだけじゃ、望まれないのが、サラブレットの辛いとこだよな…」
 …何だ?
 がっくり肩を落とした様子は…まさか、シルベスターを殺すとか言い出すんじゃ…確かに役には立ってねぇ。しかし、それでも最後まで面倒見てやるって方針が、ソークス氏のいいとこだったはずなんだが…。
 ソークスさんの手は、震えていた。
 「隠すことでも無いから言うがな、しこー。…このままじゃ破産しそうなんだよ、うちは」
 うげ。
 いきなり重い話になってきやがった。
 確かに、最近目立った活躍馬は出てねぇ。ソークス牧場産の馬は、がっちり体格の力強いスタミナタイプが売りだ。だが、最近の競馬は切れ味鋭い短距離がメインレースになってる。しかし、その分サラブレットのガラスの脚ってな言葉通り、すぐに骨折してる馬が多い気がして、俺はあんまり好きじゃねぇんだが。
 しかし、俺の好き嫌いは関係ねぇ。
 馬の売れ筋から離れ、しかも馬に優しい設備が整ってる…つまり維持費がかかる牧場。そりゃまあやばいよなぁ。
 これまで培ってきた血統構成だ、今更短距離対応にしようと思えば、種牡馬も肌馬も、総入れ替えしなきゃならねぇ。それで当たるとも限らねぇしな。牧場経営なんて博打の一種だし…。
 博打の一種、か。
 破産しそうってこたぁ、まだ破産はしてねぇんだよな。
 「シルベスターを売りに出す…とか?」
 予想通り、ソークスさんは重く首を振った。売れるような馬じゃねぇのは俺も承知だ。
 「何とか…馬を減らして、支出を抑えていこうとは思っているんだが…」
 この牧場で生まれた奴は、使い物にならなくても最後まで面倒見てやろうって人情派のソークスさんにとっては、辛い選択だろう。ま、その甘いとこが経営を圧迫したんだろうがな。そういや、奥さんの姿も最近見てねぇよな…。
 しかし、素人の俺が考えても、じり貧ってな気がする。
 近いうちに、二進も三進も行かなくなって、牧場ごと売りに出しそうな気がするな。あるいは、久しぶりに訪ねてみたら家の梁からソークスさんがぶら下がってるとか。
 …牧場ごと、売りに出す…ね…。
 「ちなみに、ソークスさん。この牧場を売り払うと、どれだけのもんになるんだい?」
 ソークスさんは怒りもせずに即答した。もう何度も計算してんだろう。ひょっとしたら、すでに牧場を担保に借金もしてんのかもしれねぇ。
 「いざとなったら、シルベスターはうちが買うから、余所には売らずにいてくれよ?」
 「あぁ、そうする」
 ほっとした顔からすると、自分からは言い出さねぇが、1頭だけでも助かって欲しかったらしい。つくづく甘い人だ。…ま、そんなとこが好きなんだが。
 「さぁて。俺はちょいとここを離れるが…あんまり思い詰めんなよ?」
 肩を叩くと、がしっと抱き返してきた。アメリカ人は行動が大げさだ。

 さて。
 久々に、燃える目標が出来たじゃねぇか。
 日本円にして約5億円。
 その後の維持費も考えれば、10億は欲しい。最低8億。
 …全部ベガスだと目立ちすぎだよな。一部くじか何かで当てよう。
 両手をズボンのポケットに突っ込んで、空を見上げた。アメリカの空は、日本のものより色が濃い。いや、単に東京の空はスモッグがかってんのかもしれねぇが。
 「さぁて、行くか、俺の運」
 伸びをしながらも、俺の頭は、どうやって両親に説明するかを考えていた。

 で、半年後。
 俺にとっちゃ予定通りの結果だったんだが、両親、ソークス氏共に、顎が外れそうな顔をしていた。
 「あんたが嫌なら、止めとくが?何も買収仕掛けてるつもりは無ぇんだ。名義は俺だが、これまで通り牧場の運営は、あんたにやって欲しいしな」
 500万ドルの小切手を、ずいっとソークスさんに差し出すと、まだ伸びた顔で、震える声を出した。
 「い、いやー、まさか日本人からアメリカンジョークを聞くとは思わなかったよ!」
 ははは、と笑いながら、小切手を宙に透かす。まるで偽物って印でもないか探してるみてぇだ。
 しょうがねぇから、新聞の切り抜きを一緒に渡してやる。
 「えー、ロト10久々の大当たり、当選者は米国在住の日本人…オーストラリア大陸くじ、当選200万ドルは米国在住の日本人…史上最大の大穴3連単で627倍、買ったのは一人で1000ドルをつぎ込んだ日本人………まさか………まさか………」
 そりゃ信じられねぇだろうなぁ。半年の間に、そんなもんだけで500万ドル当てる奴がいたら、俺でも疑う。だから、一応素性はなるべく隠したし、残り半分は株で儲けた。…最初の資金は当てもんだがな。
 「ま、いいじゃねぇか。とにかく、それは本物だ。売ってくれるかい?」
 ソークスさんは、まだ信じられねぇって顔をしていたが、ぐしゃっと歪ませて笑った。
 「シルベスターの代金が入ってないぞ?1000ドルだ」
 「…シルベスターも気の毒に…それ、馬肉にしたくれぇじゃねぇか」
 言いつつ、財布から1000ドル出す。
 その札を受け取ることなく、ソークスさんは俺の両手を握った。さすがにアメリカン。すげぇ力だ。だが、痛くはねぇ。むしろ心地よい痛みだった。
 俺の能力も、まんざら捨てたもんじゃねぇなぁ。


 こうして若き牧場主となった俺は、久々に日本に帰ってきた。
 何も人情と酔狂だけで広大な牧場を買ったわけじゃねぇ。
 確かにアメリカじゃ1200から1600の短距離にレースが集中している。そして、ソークス牧場の方針を短距離に移行させるつもりはねぇ。となれば、市場の方を移せば良いってこった。
 幸い日本じゃまだ長距離レースも多々あるし、特に牡クラシックは2000、2400、3000だ。得意距離がクラシックから長距離の馬も立派に市場価値がある。
 もちろん、俺に日本の馬主の知り合いがいるわけじゃねぇ。しかし、親父関係でも、秋月関係でも、馬主へのつては十分ある。
 こうなると俺の外見が老けてんのが重要になってくるな。やはり、いくら米国牧場主っつっても若造じゃ信用されねぇとこだ。…ま、書類でばれるが。
 だが何つっても、日本人は『外国』ブランドに弱い。特に『米国産』って言葉に。実際の話、米国の広大な牧場で走り回った幼駒と、日本の狭いとこで走ってた奴とでは基本体力が違うんじゃねぇだろうか。
 しばらくは、宣伝のために、俺が馬主になって日本のレースに持ち馬を走らすのも良い。
 博打人生、上等じゃねぇか。
 こうなったら、とことん賭事の道を極めてやろうじゃねぇの。

 そうして忙しい毎日を送っていると、御門から簡素な連絡が来た。
 同窓会をするんだと。
 皇神のじゃねぇ、あの『仲間』たちとの同窓会だ。何でも蓬莱寺とか劉とか、日本外にいた奴が、久々に日本にいるんだとよ。俺も含むが。
 さぁて、あいつらに馬主資格を持ちそうな奴はいねぇよなぁ。ビジネスって点では時間潰し以外の何物でもねぇんだが。
 しかしまあ、縁もある奴らだ。
 苦い初恋の想い出もあるが、いっそ今の俺を見せて『普通の』人生ってもんを過ごしているだろう緋勇を見返してやりてぇ。
 それで、俺を振ったことを後悔しやがれ。

 …俺って、まだまだガキくせぇよな…。

 秋月が噛んでるだろう、未成年の奴らが集まるにはえらく不釣り合いな超高級ホテルが会場だった。
 俺はきっちり白いスーツを着込んでるから、浮かねぇだろうが…他の連中はどんなカッコで来るつもりだろうな。ま、秋月の注意が行き届いてて、ジーパンで来ても泥だらけで来ても、多分慇懃に通すだろうが。
 そんなことを考えつつ会場に入ると、何人かはすでに来ていた。女はすげぇな。化粧すりゃ未成年とは思えねぇ姿に化けられる。
 女たちの中でも、あまり化粧っけのないショートカットが俺を見て手を振った。
 「村雨くん!久しぶりだねー。今、何やってるの?」
 確か真神の桜井だ。横にいた『女』を主張している姉さんが俺をじろじろと見て笑う。
 「すっかりその筋の人じゃない。歌舞伎町で出世でもしてるのかしら?」
 おいおい、やの字のつく自由業と間違えてんじゃねぇだろうな。
 「これでも若き青年馬主だぜ?将来お買い得だぜ、お嬢さん方」
 「やだーっ!オヤジくさーいっ!」
 サービスでウィンクしてやったのに、女どもはきゃあきゃあ騒ぐばかりだった。
 そうこうしてる時に、女たちの視線が一斉に扉に向かった。
 「きゃあああっ!ひーちゃんっ!」
 「龍麻ぁ!会いたかったわよ!」
 口々に叫んでそっちに数歩踏み出す。しかし、緋勇の方も手を振りながらこっちに向かって来たため、何となく俺は女たちと一緒に緋勇を迎えることになった。
 「や、久しぶり」
 相変わらずのストレートな黒髪が目にかかっている。いつもの紺色縁眼鏡を、するっと外して胸ポケットにしまった。
 服装は、仕立ての良い黒のジャケット。見るからに良いとこのお坊っちゃんてな外見だ。
 「村雨も、戻って来てたんだな」
 何のてらいもなく笑いかける。緋勇にとっちゃ俺が何を感じてようとどうでもよいんだろう。普通、振った相手…いや、俺が振ったのか?…に、自然な顔で笑いかけるか?
 「おかげさんで、面白い人生を送らせて貰ってるぜ」
 ちょいと皮肉も込めて言うが、緋勇は
 「へぇ、そりゃ良かったな」
 とだけ返してくるりと別方向に向いた。まるで俺と話したくないみたいな態度だが、以前の手痛い失敗で知っている。緋勇は俺をそれほど意識していねぇ。単に別に話したい相手がいただけのことだ。
 変わらねぇなぁ、と思っていた俺の鼻を、何かの匂いが掠めた。
 緋勇がくるりと振り向いた時に掠めたってことは、緋勇の体か髪あたりから感じたんだろうが…何というか…これは…。
 俺は背後から緋勇の肩を抱いて、髪に頭を埋めた。そして鼻を鳴らす。
 「あ、匂い落ちてねー?」
 ぐりんっと緋勇が頭を反らして、俺を真下から見上げる。
 ちょっと待て。
 この匂いは。
 腐った血と肉と。
 ついでにホルマリン液の匂い。
 緋勇は自分の髪を引っ張って、くんくんと匂いを嗅いだ。
 「いやー、洗ったつもりでも、結構染みついてんだよな」
 いや、緋勇は『普通の大学生』をしてるはずだ。壬生みたいな奇妙な仕事をしてるんじゃない。それが何故、こんな匂いをさせている?まさか、また戦ってるのか?
 「まーた、イヤなもん解剖したのかよ、ひーちゃん」
 いつの間にか近くに来ていた蓬莱寺が、いかにも嫌そうに顔をしかめた。どうでも良いが、木刀の袱紗込みで、よくここに入れたな。
 「おー!聞きたいか?今日の獲物は、3ヶ月でろでろに熟成された腐乱死体だ!」
 「聞きたくねぇよ!!」
 目を輝かせて、どんな死体だったか克明に表現する緋勇と、耳を塞いでぎゃあぎゃあ言う蓬莱寺。
 メシ食う前に、そんな話をするんじゃねぇ、とか突っ込むのも忘れて、俺は呆然と立っていた。
 獲物?
 腐乱死体?
 …普通の、大学生?
 ぐるんぐるんと回る脳みそをそのままに、俺は緋勇の腕を掴んだ。
 「ちょっと待て、先生よ」
 うわ、久々に使ったな、この尊称。何となく、がっかりしたときからまた『緋勇』に戻してたんだが。
 「あんた…普通の大学生をやってんだよな?戦ったりしてねぇんだよな?」
 緋勇は、何を言われてるのか分からない、ってな顔で首を傾げて、こくんっと子供のように頷いた。
 「戦う相手がいないからな。たまに秋月に頼まれて護衛してるから、人間や人外と戦ってるが」
 でもあくまで普通の大学生って顔に、俺は叫んでいた。
 「で、何で腐乱死体なんだ!?」
 一瞬きょとんとしてから、ぽんと手を叩いた。
 「あぁ、俺が医学部に合格したの、知らないんだっけか?」
 い、医学部?
 「なーんか、腑分けにはまっちゃったからさー。合法的に人を切り刻める職業目指して、俺ってば未来のお医者さんよん♪」
 「いやーな医者もあったもんだよなー」
 うんうんと頷く蓬莱寺の頭を、先生がぽかりと叩いた。
 腑分けにはまった。
 つまり、あのとき、柳生を切り刻んだのが、ツボに入った、と。
 で、堂々と血を見たり切り刻んだりできる職業を選んだ、と。
 愕然と立ち竦む俺を見上げて、先生はにっこりと笑った。
 「でさー、今悩んでるのは、温かい体を切れるけど殺しちゃいけない外科医とー、好きなように切り刻めるけど温かくなくてつまらない法医学とー、どっちが良いかなってことなんだがな」
 村雨は、どっちが俺向きだと思う?なんて付け加える。

 や、やられた…。
 先生は、やっぱり先生だった…。
 普通の大学生になって、普通のサラリーマンになるわけなかったんだった…。
 また、騙された〜〜〜!!

 い、いや、先生にとっちゃ騙したつもりは無ぇんだろうな…。自分の思った道を思ったように生きているだけで、他人がどう思おうと関係なし。他人に合わせる、なんざ思ったことも無ぇんだろう。
 炯々と光る瞳が、支配者の目で俺を見る。
 そんなことも気づかなかったのか、と。
 俺をお前の枠にはめようなど100年早い、と。
 
 敗北感が俺の胸を浸す。
 だが、苦いだけじゃねぇ。征服欲を刺激されて、いっそ楽しいくれぇだ。
 俺の能力は、他人よりも簡単に望むものを手に入れられる。そうして今の地位も手に入れたんだが…この人だけは、一生手に入れられないかもしれねぇなぁ。運だけでどうにかなるような相手じゃねぇ。
 …そこが、良いんだ。
 それでこそ、俺の惚れた緋勇龍麻だ。
 「なぁ、先生」
 「何だ?」
 他の奴と話していても、俺が話しかければきちんと俺の方を向いて返事をしてくれるんだ。そう悪くは思われてねぇはずだ。
 「もう一回、口説いても良いかい?」
 先生は、別に驚きもしなかった。
 光る目で俺を見て、口元が笑う。
 「何度でも、どうぞ?」
 目は「出来るもんならやってみろ」と告げている。
 
 両親とソークス氏には手紙を書こう。
 どうしても日本で口説き落としたい相手がいる、と。
 もちろん、ずっと日本にいる気は無い。何と言っても、先生を口説きたいってなだけで自分のいるべき場所を見失うような男は、先生のお眼鏡には適わねぇだろうから。
 緋勇龍麻が緋勇龍麻の道を行くように、俺も俺の道を行く。
 そうして歩いているうちに、道が自然に交わるなら、それが俺と先生の運命ってやつなんだろう。

 「ちょいと本気になりますかね」
 
 呟けば、緋勇が振り返って俺を見た。
 前髪を通してまっすぐに注がれる瞳は、俺の考えてることなんてお見通しだよ、と言うように笑っていた。





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