ドラマティックレポート 1
1998年4月。
俺、村雨祇孔は、御門の野郎に呼び出されていた。
とりあえず普段の素行のお説教から始まる話を適当に聞き流す。俺ぁお前の部下じゃねぇんだよ。ぐだぐだ言ってんじゃねぇ。
「さて、そこで」
いきなり御門は話を切り替えた。
どこから出したのか知らねぇが、数枚の紙切れを俺に寄越す。
「これが、<黄龍の器>です」
…はぁ!?
俺が聞き流してる間に、さらっと重大事を挟みやがったな。
仕方なく、気のない相づちを打ちながら書類を手に取る。それは、ある人間についての報告書だった。
「緋勇龍麻。東京真神学園三年に転入、ね」
「拳武の鳴滝館長が自ら後見人となっているようです。古武術も彼に仕込まれたようですよ」
経歴に派手なことは何もない。ごく普通に地元の小中学校、高校へと進み…高校一年で鳴滝に出会う、か。そして、この四月に東京に出てきた。
「それで?こいつが<黄龍の器>として、それがどうかしたのかい?」
御門の眉が癇性に上がる。へぇへぇ、分かってますって。この地の龍脈を司る器が現れたってのはただごとじゃねぇってちゃんと分かってるっての。
俺が分からねぇのは、わざわざ俺に何をさせようってのか、だ。見張るだけなら式共の方が気づかれずに済むだろうに。
「もしも、『偶然』出会う機会があるなら、彼の人となりを探ってきなさい」
偶然、ね。
俺は改めて手元の書類を見る。
そこにクリップで挟まれた数葉の写真は、どれも大した興味を引かなかった。平々凡々な人畜無害そうな顔。あぁ、つまらねぇ。
「機会がありゃあ、な」
どうせ、無理して接触するほどの期待はされてねぇらしい。いずれは秋月として介入するのかもしれねぇが、それまで下手に興味を引かずに、しかし情報だけは得ろ、と言ってるわけだ、この男は。
一応、頭に顔立ちは叩き込んでおくが、取り立てて特徴のない、むしろ特徴が無いのが特徴とさえ言える姿に、溜息を吐いた。
あぁあ、つまんねぇ仕事だぜ。
あんな男のことなんざ忘れちまいたいところだが、どうやら御門の野郎、言霊を練り混みやがったらしく、どうにも落ち着かねぇ。仕方なく、いつもの歌舞伎町から新宿まで出てきた。ターゲットに会うのはあくまで『偶然』。俺がこうして新宿をうろうろしてるときに、相手も同様にうろうろして初めて接触出来るってことだ。ま、俺の運をもってすれば可能かもしれねぇが。
しかし、こんな繁華街に出てくるような奴には見えなかったが。書類上の『趣味』は『特になし』。まったく、つまらねぇ男もあったもんだ。
適当に流していると、真神の制服を着た男が目に入った。決して注視はしねぇよう気を付けながらも、よくよく見てみると。
今まで染めたりパーマをかけたりなんぞしたことが無さそうな黒髪。きっちり襟元まで止められた真新しい制服。そして、写真には無かった眼鏡をかけている。これがまた不細工な代物で、一体いつの時代の眼鏡だよ、と言いたくなる。今時、あんな顔よりもでっかく、しかも太い金属のフレームなんぞよく売ってたねぇ。おまけに、せめて目立たないような色を選びゃあいいものを、わざわざ紺色なんて付いてるもんだから、一昔前の『あ○れちゃん』のようなイメージだ。ただでさえ平凡な顔つきが、眼鏡のインパクトに押されちまうぜ。
俺に深い溜息を吐かせる相手は、背筋をぴんと伸ばして脇目もふらずに歩いていく。いかにも優等生の歩き方だ。あぁ、やだやだ。
が、突然歩みが止まった。それに突き当たった男が罵声を浴びせるが、まったく聞こえていないような素振りで、暗い路地へと入っていった。
一体、何だ?優等生が行くような場所じゃねぇぜ。
ちょっと間をおいて、俺も後をつける。
予想通り、周囲はスナックだのバーだの雀荘だのといった店で埋め尽くされてる。しかも、あの優等生は更に裏へと入っていく。
さすがに人のいないそこへずかずかと進むわけにゃいかず、気配を絶って壁に身を潜める。
すると、緋勇は路地の隅の青いポリバケツに向かって屈み込んだかと思うと、何かを拾い上げた。
何だ?
そこで、ようやく小さな音が聞こえてきた。
みー。
ひ弱いひ弱い啼き声は、産まれたばかりの動物のものだ。
「…はどうした?お前たちを守ってくれなかったのか?」
低い語りかけに込められるのは痛ましげな感情。まったく、見かけ通りお優しいことで。
俺からは背中しか見えねぇが、どうやら胸のあたりに抱き込んでいるらしい。そして、地面を見つめている。頭が僅かに動くところを推測するに、親を探してるってとこか。
「出産したてを狙われたのか。自然の摂理、と言えば摂理なんだが…」
ふむ、それが分かっちゃいるんだな。
セリフからすると、もう親は生きちゃいねぇんだな。カラスにでもやられたか。最近異常に増えてやがるからな。
緋勇は何か考えて込んでいるかのように動かねぇ。
だが、その『氣』がざわざわと蠢いているのが見える。カラスに敵意でも発したのか、戦闘時のような興奮した『氣』だ。俺の見える範囲じゃカラスなんぞ羽一つ見あたらねぇがな。
さて、どうしたもんかねぇ。
このまま見守っても、『人となり』とやらは一部覗かせて貰った気もするが…。
俺がここに通りかかっても、不自然じゃあねぇ。むしろ、あの男の方が周囲から浮きまくっている。そして、手にしているのが生まれたての動物となれば、言葉をかけるのも不自然ということは無い。
しょうがねぇ。めんどくせぇが、ちっと会話してみるか。
俺が壁から離れて数歩進んだ途端、緋勇がぱっと振り返った。さすがに気配にゃ敏感らしい。
長い前髪と分厚い眼鏡を通してだが、目が驚いたように見開かれたのが分かった。だが、すぐに視線が逸らされる。へっ、どうせろくでもねぇ外見してるぜ、俺は。優等生は関わりたくねぇだろうよ。
怯えたような顔で…つっても顔の下半分しか見えねぇが…俯いて、掌に目を落とす。俺はことさらゆっくりと近づいてやった。何というか、ちょっと虐めてやりてぇ気分になったからだ。生真面目な優等生にわざと絡むってのは、あまり良い趣味たぁ言えねぇが、あんまり露骨に警戒されんのも不愉快だ。
かといってあんまり近づき過ぎんのもいけねぇ。赤の他人が、通りすがりにちょっかいかける距離を保って、俺は立ち止まった。この距離なら、手の中のピンク色の物体も識別可能だ。思った通り、動物の赤子…多分は猫の仔だな。しかし、単にまだ毛が短くて肌の色が透けてるってだけじゃねぇ。まだらに赤いのは、血塗れなせいだ。どうやらこいつもカラスにやられちまってるらしい。
まだまだ底冷えがする季節に、冷たいアスファルトの上で、生まれたての動物、しかも怪我付、が母親を離れて生きていけるたぁ、到底思えねぇ。
そんなことは、常識の範囲内だ。
特に、こんな優等生ならいくら動物の親離れが人間より早いつっても、生まれたばかりで熱も栄養も得られなければ、死ぬしかないことは理解してるだろう。
なのに、目の前の坊ちゃんは俺から守るように掌を覆う。
呆れたな。
ま、ちょっと怪異事件に巻き込まれたっつっても、まだ人の生き死ににまでろくに関わってねぇんだろう。自分には何とか出来るんじゃないか、なんて甘っちょろいことを考えてんのかねぇ。
改めて、正面から見てみると、写真通りに平凡な優等生タイプの男だ。きれいにクリーニングのかかった制服といい、細面な顔といい、完全直毛の黒髪といい。あぁ、見える範囲じゃ、指の爪も綺麗に切り揃えられてやがる。さすがに女の手とまではいかねぇが、白くて細い手は武道家にありがちな節くれ立ったところは全く無い。
伏し目がちの目が、如何にも気弱そうでイライラする。出来るだけあんたみたいな人種とは関わりたくありませんって全身で主張されてる気がするぜ。
あいにくだがな。俺はあんたに興味があるわけじゃねぇが、そんな態度だと虐めてやりたくなるんだ。
とりあえずは、現実を突きつけてやるか。
「それ、どうせ死ぬんじゃねぇのか?」
冗談のような響きを込め、軽く言ってやる。
ちらりと目が上がった気配がした。そしてすぐにまた伏せられる。
「死なせたくないから」
掠れた声は、囁き声を無理に押しだしたような響きがあった。
自分でも不自然さに気づいたのだろう、赤い舌がちろりと唇を舐めた。何故か、それが奇妙なほど妖艶に見えたが、すぐに舌は引っ込んだ。
「さっき、あんたも言ってたが、やられんのは自然の摂理だ。しょうがねぇだろ?」
それはどうせ死ぬんだ、あんたにも分かってんだろう?と更に追いつめる。
緋勇は軽く狼狽したように一歩下がった。反論を考えているのだろう、唇を噛みしめて俯いているが、どこか意識は別の所にあるような感じだ。
その間にも、動物の動きはどんどん弱っている。それも気づかねぇのか?
このまま放っておいて、手の中で死ぬ感触を味わせてやっても良いが、目の前で落ち込まれるのも鬱陶しい。
しょうがねぇ。とりあえずは、こびりついた血を何とかしてやるか。しかし、乾いたものでごしごし擦るのは良くない気がする。
俺は懐に手を突っ込んだ。途端、目の前の男が警戒するのが分かる。さすがに、ただの優等生じゃねぇか。が、残念ながら札を出す気はねぇ。出来るだけこっちの正体はばれねぇようにするつもりだからだ。
指先が目的のものに触れ、引き出す。洗い立てのハンカチは、普通に木綿だ。ガーゼ生地なら良かったんだが。
道路脇の店先に無造作にある水道の蛇口を捻る。水に濡らして、差し出した。
「拭いてみりゃどうだ?そいつが怪我してんなら、助けようとするだけ無駄だろうよ。もし、そいつの血じゃねぇんなら、助かる見込みはあるが」
何てな。もしこいつの血じゃないとしても、そうそう生き残れねぇたぁ思うがな。
緋勇は、おずおず、といった態で俺からハンカチを受け取ったが、僅かに眉を顰め、手の中で揉んだり頬に当てたりした挙げ句、頭を下げた。
「これ、冷たいから」
やはり掠れた声でぼそぼそと言う。
ま、確かにこんなに冷たいもんで拭いたりしたら、体温を奪って危険かもしれねぇな。しかし、どうせ血に濡れてても、冷えていくのに変わりはねぇが。
緋勇は、逡巡したように、掌を顔の高さまでゆっくりと持ち上げた。
そして。
いきなり、あの赤い舌を出したかと思うと、ゆっくりと動物を舐め出したのだ。
おいおい、何をしてんだ。
そう言葉にはならなかった。あきれ返って見守るしかねぇ。
動物の赤子だぜ?しかも血まみれ。ついでに言うならゴミバケツの横に生まれた奴だろう。それを自分の舌で舐めるなんざ、正気の沙汰とは思えねぇ。
そりゃ親猫がやってんなら、おかしい光景たぁ思わねぇ。むしろ、そうするのが当然に見える…ってことは、一番仔には負担がかからねぇやり方ではあるんだろうが、何せ不潔だ。
呆れてものが言えない、たぁこのことだ。
しかし、俺の視線をよそに、親猫のような丁寧さで全身を舐め終えた緋勇は、いきなり制服のボタンを外しだした。もう、何をやっても驚かねぇ。
中の白いワイシャツのボタンも外したかと思うと、緋勇は猫の仔を直接肌に抱き取った。
そりゃ、いちいち理に適ってるやり方だってぇのは認める。
認めるが…普通、そこまでやらねぇよなぁ。究極のお人好しなのか、それとも動物の命も人間様のそれと同様、地球より重いのだ、なんて青臭いことを考えているのか。
やはり親猫のような繊細さでボタンを留めていった緋勇は、俺にハンカチを差し出した。思わず受け取りながら出たセリフには、呆れたような響きが隠し切れねぇ。
「物好きだねぇ、あんた」
目は伏せたままだが、見えている口元は、苦笑じみて僅かに歪んだ。てこたぁ、自分でも自覚はあるんだな。
「死ぬべき運命のものなら、俺が何をしようと死ぬ。もし、これで助かるのなら、元々助かる運命だったんだろう」
「運命論者かい?あんた」
俺は『運命』だの『宿命』だのいう言葉が好きじゃねぇ。俺の運命を星だか何だかに決められてたまるかよ。
しかし、緋勇の言葉に、諦めだの気負いだのは感じられねぇ。言ってる本人にとっては、自然の摂理も同然なんだろう。
<黄龍の器>。
大自然の龍脈を統べる存在。
ひょっつぃたら、目の前の『優等生』は、思っていたより大物なのかもしれねぇ。ま、仮にも<黄龍の器>が、まるきりの平凡な能無しってこたぁ無いだろうがな。
「…それじゃ」
一言残して俺の横を通り過ぎるのを黙って見送った。
何気ない素振りだが、俺を警戒しているのが分かる。牽制するような『氣』が背中から俺へと網のように張られている。
ま、味方たぁ言えない相手に背中を向けるのは、あんまり良い気分じゃねぇだろうな。そう考えると、なかなか見かけに寄らず度胸は据わってんのかもしれない。もっと度胸があるなら、牽制すらしねぇだろうが。
さて、今日の収穫は。
見かけは、写真通り『優等生』。
伏し目がちで、全く目を合わせず、ぼそぼそと喋る様子は『気弱』と表現しても良い。
しかし、やることは、結構大胆。単に常識外れなのかもしれねぇが。
ま、総じて言えば、俺のことを徹頭徹尾警戒していたせいか、草食動物が恐る恐るこっちを窺っているようなイメージだったな。
つまんねぇ男だ。俺なんざ歯牙にもかけねぇくらいの力があるくせに。
俺は溜息を吐きながら、タバコをくわえた。
つまんねぇ仕事だったが、これで御門の言霊からは逃れられると思やぁそう悪いばかりでもねぇ。
そう己に言い聞かせて、俺の縄張りへと帰っていったのだった。