前編
もう夕日も落ち、空はオレンジ色から紺色に変わりつつ時刻。 小さな公園で、きぃきぃと小さな軋みを上げて、ブランコが前後に振れていた。 漕ぐでもなく、ゆうらりゆうらりと揺らしているのは、膝に買い物袋を乗せた男子高校生であった。 青年とも少年とも表現できる年齢の男が、一人寂しくブランコを揺らす姿は、人の憶測を呼び起こすに十分であったが、幸いにも寒空の中であるためか、その姿を見るものはいなかった。 否。 静かな住宅街の小さな公園に似つかわしくないバイクが、公園の入り口に停められた。 ブランコに乗った青年は、そちらを見もせずに、ぼんやりとゆらゆらと揺れ続けている。 バイクから降り立った者が、近くまで来て、ようやく青年は目を上げた。 「よぉ、先生。何、やってんだい?」 「村雨君。・・君こそ、何をしてるんですか?」 村雨を認めた顔は、別に狼狽えるでもなく驚くでもなく。 ただ、静かに、友人を迎えて微笑んでいた。 村雨は、ブランコの支柱に寄りかかりつつ、ポケットに手を突っ込んで、龍麻と同じ方向を見た。 「俺は、まあ、アンタに会いたくなって来てみりゃあ、ここで見付けたってとこだがよ」 「それは、光栄です」 微笑んだ表情のまま、龍麻はまだゆらゆらとブランコを揺らしている。 「・・・で?」 村雨の、先を促すような一言に、得心したように頷き、龍麻はふわりと柔らかに笑い、村雨を見上げた。 「別に、特に何かしているわけではないですが。ただ、こうしてみたくなっただけです」 そして数瞬の後、付け加える。 「時々、こうしたくなるんですが。やはり、不審人物に見えるでしょうか?」 「いや」 言下に否定し、村雨はもう一つのブランコに座った。 「俺ならともかく、アンタならな。絵になってるぜ?」 龍麻は、数秒、村雨をまるで絵画でも鑑賞するような目で見つめた。 「村雨君も。とても、絵になってますけど」 そうして、くすりと笑う。 「でも、白いコートは、汚れるかもしれませんよ?」 あぁ、と村雨は、ブランコの鎖を見る。次に目をやったコートには、油と錆とで黒い筋が掠れたように付着していた。 「ま、このくれぇ、別にどうってこたねぇがね」 「それは、よろしうございました」 のんびりと、龍麻は、そう言って立ち上がった。 「さすがに、冷えてきましたね。・・それで、何か、僕にご用なのでしょうか?」 村雨も、尻を叩きながら立ち上がる。 「何、メシでも一緒にどうか、と思っただけでね。アンタ、全然呼び出してくれやしねぇからな」 「それは、まあ。村雨君はお忙しいでしょうから」 「つれないねぇ」 くく、と喉で笑う村雨を、じっと見た後、龍麻は少しく首を傾げた。 「そうですね。会わなければ会わないで、特に寂しいとも思いませんでしたが、会えたら、とても嬉しいものですね」 村雨の喉が、妙な具合に鳴る。 数瞬、宙に目線を漂わせて、あ〜、と無意味に発声し、それから頭を掻いた。 「そう言ってくれると・・まぁ、俺としても、来た甲斐があったってもんだけどよ」 「はい」 龍麻は、にっこり笑い、公園の出口へ向かった。 そして、振り返り、買い物袋を持ち上げてみせる。 「ところで、村雨君が、うちで食べるなら、買い物し直すのですが。それとも、どこかに参りますか?」 「あ?・・あぁ、メシ、奢るつもりだったんだが。何にしても、それ、置いて来た方がいいんだろうな」 「そうして頂けますと」 そして、二人、龍麻のマンションに向かう。 村雨はでかいバイクをごろごろと押し、龍麻は買い物袋を下げて、他愛もない話をしているうちに、マンションに辿り着き。 龍麻が袋を置きに行く間、村雨はバイクの横でタバコを吸う。 一本が無くなるほどの時間の後、龍麻が降りてきた。 「お待たせいたしました」 「いや・・・じゃ、行くか」 持ってきてあったヘルメットを龍麻の頭に被せる。 どうすればいいのか分からない様子の龍麻の顎に手をかけて持ち上げさせ、ヘルメットのバンドを留めてやった。 そして、バイクの後部座席に乗せ、 「しっかり掴まってな」 と、手を自分の腰に巻き付けさせた。 ごちゃごちゃした道路の脇にバイクを停め、龍麻の脇に手を回して降りさせる。 「ま、見た目はこうだけどな。結構、旨いものを食わせてくれるとこが、近くにあるんだよ」 言い訳がましく村雨は言うが、龍麻は物珍しそうに辺りを見回すだけで、警戒はしていない。 村雨にしても、治安が悪い場所であるが、バイクを盗まれる心配はしていないが。 が。 細い路地に入り、数m歩いたところで。 いかにも頭が悪そうな男たちが、地べたにたむろしていた。 無視して(というより、全く視界に入っていない様子で)二人が進むと、下品な声が口々にかけられた。 「よぉ、綺麗な兄ちゃんだな」 「これから、ホテルでやるのかい?おっさん、羨ましいねぇ」 ふと、龍麻の歩みが鈍った。 秀麗な眉が微かにひそめられ、口元が小さく動いた。 「・・・おっさん?」 男のセリフを繰り返したその言葉は、誰にも聞こえなかったが。 「兄ちゃん、どうせなら、俺たちみたいな若いのを相手にしろよ。ひぃひぃ言わせてやるぜぇ?」 「アンタのその可愛いお口でくわえてくれりゃ、何度でもやれるぜ?」 「そのケツ、たまんねぇよなぁ」 「なぁ、おっさん、悪いこと言わねぇから、その兄ちゃん、置いていけよ。怪我したくねぇだろ?」 無表情に反応していない村雨に、男たちが立ち上がり、周りを囲む。 懐に手を入れる村雨を制するように、龍麻が一歩前に出た。 「すみません、村雨君。5分間、下さい」 「・・それじゃ、ま、俺は見学といきますか」 「えぇ、どうぞ、ごゆっくり」 そうして、辺りの男たちを見回す。 日本人形のような優美な口元が、仏像じみたアルカイックスマイルを浮かべる。 ほとんど、慈悲深い、とでも表現できるような微笑みの意味を分からぬ男たちが、ニヤニヤと囲いを小さくした。 5分後。 「相変わらず、顔に似合わず容赦ないねぇ」 「友人を馬鹿にしましたから」 淡々と、龍麻はありもしない埃を叩いた。 地面には、男たちがうめき声を漏らして這いずっている。 「・・・ま、そういうとこも好きなんだがよ」 「ありがとうございます」 男たちに加えた傷は、跡に残ったりはしないように。 しかし、苦痛は最大限に感じるような場所と種類が選ばれていた。 「これに懲りて、あまり他人の中傷を言わないよう学習すればよいのですが」 憂い気にそう呟いて、龍麻は村雨の横に立った。 「あるいは、相手の力量を見抜け、とかな」 くく、と喉を鳴らしつつ、村雨は歩き出す。 それに半歩下がって、龍麻は足音もなく付いて行った。 村雨お奨めの店は、家庭的な韓国料理を出す居酒屋であった。 ほとんどがカウンターで占められていたが、予約してあったのか、小さな和室に村雨は上がり込んだ。 「見てくれは、あれだが、結構いけるぜ?」 その言葉の通り、細い路地の奥にある寂れた居酒屋でありながら、おいしい食事と主人の人柄か、しゅうじ和やかな雰囲気が満ちていた。 龍麻も、柔らかな笑顔で、ちょこちょこと箸を運ぶ。 合間に話すのは、お互いの近況や、仲間たちの噂話。 柳生を倒して以来、初めて会ったこともあってか、それだけのことで、話が弾み、ようやく食事を終える頃には2時間近く経過していた。 「おっと。随分、時間を食っちまったな。そろそろ帰るかい?」 「はい」 ごく自然に財布を差し出す龍麻に、手を振って引っ込めさせて、村雨は会計を済ませた。 バイクで龍麻のマンションまで送り、フルフェイスのヘルメットを受け取って、しばし村雨は何かを言い出しかねるように口を開き、また閉じた。 「上がっていかれますか?」 「いや、その、な。・・・そう、させてもらうか」 言い損ねたことを的確に当てられて、村雨は照れくさそうに鼻の頭を掻いた。 ソファに隣り合わせに座り、しばらく村雨は膝の上に腕を組んだまま黙っていた。 ただ静かに待っている龍麻の方へは視線を向けないまま、ぼそり、と呟いた。 「その、な。俺は・・・アンタのことが、好きなんだけどよ」 「ありがとうございます」 即座に返ってくる返事に、頭を抱える。 「僕も、村雨君のことは、大事な友人だと思っていますので、どうぞ、お気を楽にして、何でも面倒事を申しつけて下さって結構ですが・・・」 「いや、そうじゃねぇって」 どうやら言い出しにくいような仕事を頼みたいと思われている、と気づいて、村雨は、慌てて手を振った。 「そうじゃなくて、だなぁ」 「はい」 「だから、その・・・惚れてんだが。アンタに」 首を傾げて、龍麻はその意味を考えている様子だった。 1分近くが経過して、どこか怪訝な表情のまま、龍麻は静かに言葉を紡いだ。 「それは、恋愛感情、ということでしょうか?」 「そういう意味だ」 誤解もできないくらいにはっきりと言いきって、村雨は盗み見るように隣に座る龍麻の横顔を見た・・つもりだったが、きっちりとこちらを向いている瞳に、幾分顔を紅潮させた。 「僕は、男ですが」 「そりゃ、知ってる。別に、アンタを女だと思って好きになったんじゃねぇ。ついでに言っとくが、俺は、男が好きってわけでもねぇ」 「だとしたら、何故・・」 「人に惚れるのに、理由がいるかい?・・・俺だって、まさか男を好きになるなんざ、考えてもなかったぜ」 どこか拗ねたような言い草に、龍麻は微かに笑った。 笑ったまま、静かに 「とても、光栄だと思うのですが・・・」 その続きは、否定の言葉だと理解した村雨が、咄嗟に龍麻の口を手で覆った。 「いや、何も、今ここでアンタからも愛の告白を受けてぇなんて思ってねぇよ。ただ・・・」 ただ?と繰り返したのだろう、村雨の手のひらに、くすぐったい感触が触れた。 「アンタ、今、誰とも付き合ってねぇだろ?ちょっと試してみねぇか?」 温かな息が、手のひらにかかる。 まるで初恋を知り染めた頃の中学生のように、顔を赤くして村雨は手を引っ込めた。 「何をでしょう?」 「だから、よ。俺と付き合ってみねぇかってこった。恋人として」 龍麻の首の傾げ具合が、また否定の言葉を想定させられて、村雨は口早に続けた。 「いや、何も、アンタの嫌がるようなこたぁしねぇ。ちょっと・・・恋人の真似事だけでもしてみてくれねぇか、と・・・」 「はぁ・・・それで、村雨君にどのようなメリットが・・・」 「それで、アンタが俺と付き合って不満がねぇってんなら、ホントに恋人になっても不都合はねぇだろ?」 「・・・そうなんでしょうか?」 何かを忘れている、とでも言いたそうな顔で、龍麻は考え込む。 その手を取って、村雨は真剣な表情で龍麻を覗き込んだ。 「なぁ、先生。こうして、俺に触られんの、イヤかい?」 「いえ、別段・・・」 「俺と恋人ってぇのは、真似だけでもイヤかい?」 「いえ・・・まあ、実のところ、具体的に何も思い浮かばないというのもあるのですが・・・」 「じゃ、お試しってので、問題ねぇな?」 「はぁ・・・そう・・・なんでしょうね、多分・・・」 やはり何か間違ってるような、と首を傾げ続ける龍麻に、村雨は強引に結論づけた。 「じゃ、2週間ばかり、よろしくな、先生」 10日後。 登校日のため、真神学園のメンバーは、久々に顔を合わせていた。 昼休みには屋上に集まって、弁当などつつきながら、のんびりと日向ぼっこを楽しんでいたが。 「ところで、よ。ひーちゃん。妙な、噂を聞いたんだけどよ・・・」 ぼそぼそと京一が言い出したことから、妙に緊迫した空気が流れ出した。 「はい、何でしょう?」 「いや、まさかなー、とか思うし、ひーちゃんに失礼だよなー、とか思うんだけどよ・・・」 「京一、はっきり言いなよ!訳、わかんないじゃん、それじゃ!」 「うっせーな!俺だって・・俺だって・・・こんなことは聞きたくねーんだーっ!」 「あの・・・一体、何を・・・」 静かに微笑む龍麻に、京一は大きく息を吸い込み、聞いた。 「あのイカサマ・・・じゃねぇ、村雨と付き合ってるってのは、マジ?」 ぴしっと音を立てて空気が割れたのは、気にも留めずに、龍麻は微笑んだまま答えた。 「はい。現在、恋人としてお付き合いさせていただいています」 「うわ〜〜!嘘だ〜〜!!嘘だと言ってくれ〜〜!!!」 一人、屋上を転げ回る京一を置いて、残り3人は龍麻を囲んだ。 「そ、それは、本当か!?いや、しかし・・・俺は、そういうことに偏見はないつもりだが、しかし、お前は男で・・・」 「うっそ〜!ひーちゃん、村雨君と付き合ってるの〜!?」 「龍麻が、そんなに村雨君と会ってたなんて、知らなかったわ・・・」 苦悩に満ちた醍醐、好奇心満開の小蒔、どこか恨めしそうな美里に詰め寄られても、龍麻はひたすらのんびりと笑っていた。 「そうですね。つい先日からのことですから」 「ね、ね!何で、付き合うことになったの!?」 「桜井、そういうことは、個人のプライバシー・・」 「いいじゃん、気になるんだから〜」 「別に構いませんよ。実は・・・」 そして、龍麻は、あっさりと事の経過を説明した。 淡々と話される内容を、ずりずりと芋虫のように這ってきた京一も聞き終えて。 「何だ、そうか。やっぱり、ひーちゃんは、本気であの野郎が好きなわけじゃなかったんだな!」 いきなり復活した京一が、高らかに笑う。 美里も笑って、胸に手を当てた。 「驚いたわ。いきなり恋人なんて、おかしいと思ったの」 「それで?ねぇ、ひーちゃん、付き合ってみて、どうなの?」 やはり好奇心満開(でも悪意は無い)小蒔は、続きを促す。 その言葉に、数秒考え込んで、龍麻は、さらりと言った。 「そうですね。存外、気持ちの良いものでした」 「・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・」 「・・・・・・うわ〜〜〜!ひーちゃんが、汚れた〜〜〜!!!!」 叫びつつ、京一が走り去った。 走り去った先には、フェンスがあったが、それを身軽く乗り越える。 「・・・蓬莱寺君・・・ここは、屋上ですが・・・」 一瞬で姿を消した友に、龍麻は呟くが、その肩をぽんと叩いて、醍醐も呟いた。 「大丈夫だ。あのくらいでどうにかなるような奴じゃない」 「それもそうですね」 あっさりと頷く龍麻に、ひっそりと胸中で京一に同情する醍醐だった。 「それはともかく」 気を取り直して、醍醐は重々しく腕を組んだ。 「龍麻・・・それは、些か軽率じゃないかと思うんだが・・・」 「うん、ボクもちょっとそう思うよ。だって、お試し期間で、セックスまでしちゃうのはさー・・」 「さ、桜井!女子が、そんな言葉を軽々しく口にしてはいかん!」 「だって、他に言いようがないんだもん」 何だか脱線している二人を微笑ましそうに眺めて、龍麻は缶紅茶を一口飲んだ。 にこにことしたまま、自分には無関係なことでも話しているかのように、ぽつんと言う。 「村雨君とセックスしたことはありませんが」 「・・・あ?」 4人(いつの間にか戻ってきた京一含む)が、龍麻を注視する。 「村雨君は、僕が嫌がることはしない、と仰って、特別に身体に触れたりはなさいません」 「・・・じゃ、何が、気持ち良いって・・?」 「どう申し上げればいいんでしょうか・・・」 龍麻は、しばし首を傾げて、頭の中をまとめる。 「女性扱いされているのではないのですが、大切に扱っていただいていると言いますか・・」 不意に、京一の方を向いて、諭すように付け加える。 「蓬莱寺君こそが、村雨君にお付き合いいただいて、参考になさるとよろしいかも知れませんね。村雨君が女性にもてるのもむべなるかな、と思わせてくれます」 「・・・気持ち悪いこと言わねぇでくれよ、ひーちゃん・・・」 京一は、村雨にエスコートされる自分を想像して、本気でげーっと吐きそうな顔になった。 「どこが違うんでしょうね・・・タイミングでしょうか。こう、さりげなくありながら、細かい気を使って頂いていると言いますか、それを感じさせないくらい自然と言いますか・・・」 顎に指を当てて、考え込んでいた龍麻だったが、小さく溜息を吐いた。 「とても、大切にして頂いているのは分かりますし、それを心地よいとも思うのですが・・・ですが、申し訳ないことに、これはやはり恋愛感情ではないように思うのです・・・」 龍麻の憂い顔とは裏腹に、京一は満開の笑みを見せた。 「やー!やっぱ、そうだよなーっ!ひーちゃんが、村雨なんかに口説かれるはずねぇよなーっ!」 「えぇ・・龍麻は、やっぱりノーマルなんだわ。ちゃんと女の子と付き合うべきよ」 小蒔だけが、ちょっと悲しそうに外に目を向けた。 「でも、ちょっと可哀想だよね、村雨くん・・・。ホントにひーちゃんのことが好きなんだろうにね」 「そうなんですよね・・・。本当に、大切に想って頂いているようなので、大変心苦しいのですが・・・」 男同士の恋愛など応援したくはない、されど、懐深くありたい、と両挟みにあっている醍醐が、悩みつつも、真剣に考え込んだ。 「だがな、龍麻。そういうことは、はっきり伝えてやった方が、むしろ村雨のためだと思うぞ。その気もないのに、ずるずると付き合い続けることは、村雨にとっても良くないんじゃないかと、俺は思う」 「そう・・・ですね。僕も、そう思います。・・・気は重いですが・・・」 晴れた青空の下、龍麻は、重い重い溜息を吐いた。 更に3日後。 龍麻は、この2週間で習慣になった、夕食後のコーヒーを村雨のために煎れて、テーブルにことんと置いた。 「ありがとよ」 「いえ」 しばし、穏やかな沈黙が流れる。 それを破るのを惜しむように、囁き声のように小さく、村雨は呟いた。 「2週間、経ったな」 それが意味するものは、龍麻にも瞬時に分かった。 「祇孔」 この2週間は、恋人らしくそう呼ぶ、と決めた通り、龍麻は隣に座る男を、名前で呼んだ。 「今晩は、泊まっていかれますか?」 じろり、と鋭い視線が流される。 「・・そういうことは言わねぇでくれって言わなかったかい?」 最初の頃、よく分からないままに、恋人同士なら夜も共にするものだろうと思った龍麻は、同じように言ったところ、村雨に「我慢が出来なくなるから、それは止めておく」という丁重なお断りを頂いたのである。 「それは、覚えておりますが」 静かに龍麻は言い、村雨の目をまっすぐに見つめた。 「しかし、肉体関係から始まる恋愛も存在する、と伺いましたので。試してみないうちに判断しては、村雨君に申し訳ないかと思いまして・・・」 たっぷり1分ばかり、村雨も龍麻の目を見返した。 そして、おもむろに頭を抱え、呻くような声を漏らす。 「アンタの、そういう馬鹿正直ってぇかくそ真面目なとこ、嫌いじゃねぇが・・・。しかし、きついこと言うねぇ・・」 え?と龍麻は首を傾げる。 「アンタ、そりゃ、全く俺に恋愛感情がねぇって言ってんだろ?」 「そ、それは、まあ、そうなのですけど・・でも、今の時点では、そんな気がする、という意味であって、ひょっとしたら、村雨君に特別な感情が湧くかもしれない、という可能性も否定できず・・・」 困り果てた、というように、眉を顰めて見上げる目は、やや潤んで縋り付くような光を宿していて。 引き込まれそうな漆黒の誘惑を、村雨は勢いよく立ち上がることで断ち切った。 「いらねぇよ。そりゃ、確かに、俺ぁアンタに惚れてる。惚れてる以上、アンタを欲しいと思う。・・・だが、俺に惚れてる訳でも何でもねぇアンタの身体だけ、貰ってもしょうがねぇんだよ」 何か言いかける龍麻の口が開く前に、背を向ける。 「綺麗事のようだが、アンタにゃ汚れて欲しくねぇんだ。アンタも、惚れてもねぇ相手に身体を差し出したりしねぇでくれよ。ホントに惚れた相手に取っときな」 口早にそう言い捨てて、それでも村雨は戸口で振り返り、にやりと口元を歪めて見せた。 「じゃあな。2週間、楽しかったぜ。ありがとよ」 「・・・えと・・・お構いも、しませんで・・・」 咄嗟に、客人を送る言葉だけ舌に乗せ、龍麻は、どことなく茫然と座り込んでいた。 完全に村雨の姿が見えなくなってから、玄関の戸締まりをしに立ち、戻ってソファに身を沈めて、呟いた。 「怒らせて・・しまったかな?でも、恋愛感情が無いのは、嘘のつきようがないし・・・どう言えば、円満に別れられたのか・・・」 数分、考え込むが、あっさりと結論づける。 「でも、これで、村雨君は、普通に友人に戻った、ということですよね。その方が、僕としても気が楽だし・・もうそんなに会う機会はないだろうし・・・これで、良かったんですよね、きっと」 そうして、風呂の準備に、立つのだった。 |