前編
ここはカブキ地方。周辺では一番の歓楽街である。
煌びやかなおねぇちゃんたちが一杯の街・・の思いっきり外れに、その酒場兼宿屋はあった。
酒場の主人は周りに反骨するかのように硬派な店構えとサービスを旨としており、普段はそれなりに常連の客もいるのだが、生憎の空模様とあって、その晩の店内は、実に静かなものであった。
ヤニで黄ばんではいるが綺麗に磨き抜かれたテーブルは6つ。
だが、座っているのは隅の席に常連の男が一人のみ。
あとは、先刻入って来てカウンターの中央付近に陣取った青年が二人。
今夜の客は、今のところその2組だけであった。
酒場の主人は、初めて見るその青年二人組を、さりげなく観察した。
赤毛の青年の方は、金属部分は肩当てと胸当てのみという極軽い鎧と、腰に下げた細身の剣から、スピード重視の剣士タイプと類推される。
年齢は、ようやく少年の域を脱する程度の若さであったが、年季の入った背嚢と、荷物の少なさから、いわゆる『冒険者』としてはそれなりに経験を積んでいると思われた。
もう一人の黒髪の方は、赤毛の青年に輪をかけて軽装であった。
濃緑色のマントの隙間からは、僅かに、鎧というよりも旅行着に近い皮の服が覗くのみであったが、身動きしても全く金属の擦れる音がしないところをみると、どうやら隠れた部分も似たようなものらしい。
一見、狩人か魔法使い系統か、とも思えたのだが、二の腕の半ばから手の甲までを覆う手甲は魔法の武具ではない無骨な実用性を漂わせていて、彼が武人であることを辛うじて主張しているようであった。
宿屋も兼ねているせいで、冒険者の類に対しては、それなりの目利きを自負する主人の目には、この二人は若くはあっても、無謀や粗暴といった主人が忌避するような雰囲気はなく、こんな雨の夜に迎え入れて話をするにはなかなかに悪くない客と見えた。
そのため、どう見ても未成年な二人組にも酒を勧め、二人が世間話を仕掛けてきても、愛想良く相手をしてやっていた。
「へぇ・・じゃ、魔剣がこの辺りにあるって噂は、マジだったんだなぁ」
赤毛の青年が、酒をちびちび舐めながら、意外そうに感嘆の声を上げた。
二人のうち、この青年の方が人懐こく、主に話を進めたり相づちを打ったりしている。
だからといって、黒髪の方が寡黙と言うのでもない。面白そうに目を光らせて、適所では結構辛辣な突っ込みを入れたりもしている。
聞き上手な二人組に釣られるように、酒場の主人は、冒険者たちが話していった噂話の数々を次々に披露してしていった。
そうして、この地方の話を幾つかしているうちに、剣士タイプには興味があるだろうと話してやった『山に隠れる魔剣の話』に、赤毛の青年が予想通り食いついてきた形だ。
「いやぁ、本当にあるかどうかは、断言出来ないけどねぇ。もう10年も前の話だもんだから」
酒場の主人は、ワインと山羊乳をシェイクしながら、赤毛の青年に肩をすくめて見せて、出来上がったそれを大ぶりのグラスに注意深く注ぎ入れ、黒髪の青年の前にことんと置いた。
「どうも」
小さく呟く黒髪の青年は、何かを考え込んでいるように、すぐにはグラスに口を付けず、手の中でゆっくりと回した。
「しかし、それは、話を聞いた限りでは『魔剣』というよりも『呪いの剣』といった感じだな」
十数秒後、苦笑とともにそう言って、ようやくグラスをすする。
「すっげー精神攻撃が出来る剣かも知れねぇぜ?ひーちゃん」
「使い手本人にか?」
赤毛の青年の反論に、すかさず返した黒髪の青年の突っ込みに、酒場の主人も苦笑せざるをえなかった。
話、というのは、こうである。
十数年前、ある男が、一人でこの地方に立ち寄った。
一本の剣を腰に、もう一本を背中に携えたその男は、宿を立つ時、主人にこう言い残したらしい。
「俺は、この剣を封じる場所を探しているのだが、そこの山の頂上付近にある洞窟が、ちょうど良さそうだ。
今から洞窟に向かうが、成功したらその付近には近づけないようになるだろう。
出来ることなら、それ以後、そこを乱さないようにして欲しい」
そうして、男は山へ向かった。
数日後、その付近を拠点にしている狩人らが、洞窟の位置が分からなくなったーー遠くからは見えているのに近づくと見えなくなる、いつの間にか違う方向に向かっているようだーーと話したことから、男が剣を封じることに成功したと分かった。
何の役に立っていたわけでもないが洞窟に近づけなくなったのは些か迷惑ではあるし、厄介なものを封じられたのでは後々災いが降りかかるのでは・・と不安が募った街の人々が調査隊を仕立てようかとし始めた頃、街にその男が再び姿を現した。
だが、男は、街を立った時の男ではなかった。
有り体に言えば『ほけらひよひよ』になっていたのである。
口に出るのは「あーうー」と言った幼児語レベルで、目線も定まらずほけらほけらと歩いていたかと思うと、ある夜にそのままふらふらと森に入って行って、獣に喰い殺された姿で発見された。
剣を封じる時に、魂を持って行かれたのではないか、と街の人々は噂した。
これが、この地方に伝わる『魔剣』の噂話である。
無論、未だ剣は発見されていない・・というか洞窟そのものが発見されていない。
「でも、洞窟があったのは、確かなんだよな?」
「あぁ、そりゃ確かだよ。いきなりどっかの魔術師が山を作り替えたってんならともかく、そうじゃないなら、今でも洞窟はあるはずなんだけどねぇ」
酒場の主、人の言葉に、赤毛の青年がにやりと笑った。
いかにも悪ガキ風味の笑いに、続く言葉が十二分に予想されて、主人はちらりと外へ目をやった。雨は相変わらず降り続いている。
「探してみようぜ?ひーちゃん」
「それ以上バカになってどうするつもりだ、キョウイチ」
黒髪の青年は呆れたように答えたが、本気で反対する気はないらしい。
予想した通りの展開に、酒場の主人はカウンターの上に水を零した。そして、指で伸ばしつつ、
「ここが、ここだとするだろう?で、この辺が山。森がこう来て、こう道が続いてる」
即席の大雑把な地図を絵にしてやる。
「洞窟は、この辺にあったはずだ。あんたらの足なら2時間、不案内だってのを考慮に入れて、3時間経っても辿り着けないなら、迷ってるってことだよ。迷ったら、とりあえず頂上に向かうといい。下ると、下手したら森の中に迷い込んじまうからね」
それから、と付け加えて。
「雨が止んでからにした方がいい。なぁに、この地方の今の時期、そんなに雨は続かないからね。長くても、せいぜい2〜3日のことだから、晴れて十分に視界の良い時に探した方がいいだろう?」
ぶつぶつと呟きつつ地図を頭に入れているらしい赤毛の青年が、顔を上げて、にっと笑った。
「ありがとうな、おっちゃん」
主人は、肩をすくめてみせて、軽く笑った。
「なに、慣れてるだけのことだよ。今までにも、何人かの冒険者たちが、洞窟を探しに行ったが、誰も辿り着けなかったんだ。ピクニック気分で行っておいで」
それに笑い返した黒髪の青年が、何気ないように聞いた。
「一応、尋ねておきたいのだが、その冒険者たちに、魔法使い・・というか、結界に詳しいような奴らはいたのか?」
問われて主人は数瞬考え込む。
「いやぁ、どうだろうねぇ。冒険者たちが泊まる宿はうちだけじゃないから絶対とは言えないけど、そんなパーティーを組むような本格的な冒険者は来てないかもしれないな。興味を持つのは剣士タイプだし、なにせこういう土地柄だろう?皆、息抜きに来て、ついでに話の種に洞窟も探してみようかって感じだからねぇ」
「それなら、良い」
黒髪の青年が、笑った。
それを見て、酒場の主人は、黒髪の青年がつい先刻まで浮かべていたものは、彼の本当の笑みではなかったのだと知った。
今、目まで笑ったその顔は、研ぎ澄まされた鋭利な刃物のように、ある種危険な、だが人を魅入らせる何かを漂わせていた。
2日後、二人は山を登っていた。
ところどころに両手も使って登らなければならないくらいの険しい部分があるものの、全般的にはなだらかな山道に、息を乱すこともなくさくさくと進んでいく。
「それにしても」
黒髪の青年が、苦笑混じりに話しかけた。
「結局、剣の効果は不明なままだな。少しは役に立つものだと良いんだが」
「俺的には、精神攻撃っつーか、実体持たねぇやつにも攻撃できる剣なら万々歳なんだけどよー」
言って、赤毛の青年は腰の剣をぽんと叩いた。
「こいつの切れ味も悪くはないんだけどな。やっぱ、霊体の類を相手にすんには、ちっと頼りないねーよ」
「そういうやつは、俺が相手をしてやってるだろう」
「それが気に入らねーっての」
眉をぴくっと上げて、何か言いかけた黒髪の青年の出鼻を挫くように、赤毛の青年は鼻の頭をぽりぽりと掻きながら情けなさそうに続けた。
「ひーちゃんが戦ってる間、俺は何もできねーじゃん。落ち着かねーよ、やっぱ」
黒髪の青年は、開いた口を数秒後に閉じ、代わりに少しばかり歪めてみせた。
「おまえは、もう少し落ち着いた方が良いな」
「まーた、そーゆーことばっか・・」
「ま、確かに攻撃方法が多いに越したことはないからな。せいぜい、魔剣には期待するとしよう」
話は終わり、とばかりに言い切って、歩む速度を速めるのに、赤毛の青年も慌てて追いすがった。
「多分、この辺りからあっちへ入ると、洞窟がある辺りに辿り着くはずなんだが・・」
山の8合目付近で、太陽の方向と頂上を確認しつつ、黒髪の青年は目を細めてある方向を眺めた。
洞窟そのものは見あたらないが、鬱蒼と茂った木々の合間から、直に岩肌の覗く崖のような地形が覗いている。
背嚢からロープを取り出し、手近な木にくくりつけながら、赤毛の青年は同じ方向を見やった。
「どうするよ?とりあえず、正攻法で向かってみるか?」
「そうだな。どういう誤魔化しがあるのか、試してみるのも一興だ」
そうして、ロープをなるべく一直線になるように木に結びつけながら洞窟の方向へ向かっていく。
30分も進んだだろうか。
「おっと」
黒髪の青年が、面白そうな声を上げた。
「見ろ。いつの間にか、逸れて来てるぞ」
「お。本当だ。へぇ、気づかねーもんだな」
二人は振り返って、ロープの張りを確認する。
それは、道から一直線に進んできたはずの道筋が、緩やかに曲がっていたことを示していた。
ロープを巻き取りながら逸れ始めたところまで戻りつつ、黒髪の青年が分析した。
「全くの『拒絶』系結界じゃなく、人の五感に訴えかけてそこへ至らせないようにするタイプの結界だな。拒絶系に比べると、さり気ないだけに人の興味を引きにくい。人を立ち入らせないのが第一目的なら、効果的だ」
「それにしちゃ、街の人にわざわざ注意してんのがバカだけどな」
「そうだな。だが・・いきなり何の説明もなく、今まであったはずの洞窟に行けなくなった、となるとそれこそ調査隊が出そうだからな。結果的には、10年間も誰も辿り着いてないわけだし、『ほけらひよひよ』になった男の方が正解じゃないか?」
「・・俺は、『ほけらひよひよ』以下かい」
「キョウイチらしいぞ」
「ひでぇよ、ひーちゃん・・」
赤毛の青年ーーキョウイチがしくしくと泣き真似をすると、黒髪の青年ーータツマは、くっくっと笑い、キョウイチの肩を叩いてやった。
「冗談だ。その男が結界を張ったのは『ほけらひよひよ』になる前だからな。おまえが『ほけらひよひよ』以下ってことはない。・・・・多分」
「最後が余計です、ひーちゃん」
軽口を叩きつつも、ロープが曲がり始めた位置まで戻って来た二人は、改めて洞窟の方向へ目を向けた。
景色も風の流れも、何の変哲もないようだが、自分たちの残した足跡は、確かにその方向から逸れている。
そちらへ向けて踏み出したはずの一歩が、自然に僅かな角度ぶれているのだ。
「特に、『結界』らしい『氣』は感じられない・・ってことは、無理矢理こじ開けるべき対象も無いってことだ」
独り言のように呟くタツマに、キョウイチは何も言わずに待っている。
『氣』の流れを読んで操ることにかけては、自分がタツマの足下にも及ばないことをよくわきまえているのだ。
幾度か下唇を引っ張って考え込んだタツマは、背嚢から布を取り出した。
「五官を断って、地脈を読みながら進むとしよう。・・おまえも、目隠ししろ。引っ張られると困る」
「転ばないように気をつけろよ、ひーちゃん」
「おまえもな」
目隠しをして、キョウイチはタツマのマントの裾を掴んだ。
それを確認して、タツマはまるで見えているかのように確固たる足取りで歩を進める。
時折落ち葉に足を取られながらも、特に大きな怪我もなく十数分ほど歩いた頃。
「・・ここまで来たら、もう大丈夫だろう」
その声に、キョウイチも目隠しを取った。
目前には数mほどの崖があり、上を仰ぐと、洞窟らしい黒い空間の上部が覗いていた。
「あそこかー。んでも、全然『邪悪』って気配はしねーよな」
「そうだな。聖なる気も感じないがな」
「『敵意』も感じねーし・・じゃ、俺、先行くわ」
言って、キョウイチはロッククライミングの要領で崖をするすると登り始めた。
猿のように身軽に斜面を這っていくキョウイチの姿に、タツマは軽く肩をすくめて、崖の上の『氣』を探ることだけに専念した。
キョウイチが崖の上に姿を消して数分後、ひょっこりと顔が覗き、ロープが垂らされた。
「やっぱ敵さんは、いねーわ。ゆっくり上がって来いよ、ひーちゃん」
この程度の崖なら、2度も足がかりを得られたら跳んで登れる自信があるタツマだったが、あえてキョウイチの好意に甘えて、ロープ利用で登っていく。
最後は弾みをつけてトンボを切って崖の上に降り立ったタツマは、ロープを巻いているキョウイチを後目に洞窟の入り口に向かった。
洞窟の高さは、人の身長の倍ほどで、しゃがんだりせずに奥まで歩いて行けそうだった。
もっとも、中は緩やかな上り坂になっている上に、入り口から数mほどですぐに曲がっているため、奥までは見通せなかったが。
「松明、点けるか?」
「必要になったらで良いんじゃないか?」
ところどころ、天井部分に隙間があるのか、洞窟は全くの暗闇では無かった。
二人は、壁に印を付けながら、周囲の気を探りながらゆっくりと奥へと進んでいった。
途中3つほど分岐があったため、行きつ戻りつしつつ小一時間も経っただろうか。
坂を登ると、突然に仄明るい開けた空間に行き着いた。
すぐには進まず、その空間の入り口付近で、二人は辺りを見回し、すぐに奥の『それ』に気づいた。
まるで岩を刳り抜いたように、正面の壁に1m×3mくらいの『棚』がある。
そして、そこに横たえられたものは、細長い棒状のものーーつまりはっきりとは見えないが、剣とおぼしき物体である。
「・・なんか、めっちゃ無造作に置かれてるように見えんだけど」
困惑したようなキョウイチの声に、タツマも下唇を引っ張る。
「そうだな・・術が施されている気配も感じられないんだが・・」
あまりに無警戒すぎて、そこへ行くのが躊躇われ、入り口で突っ立っていたが、いつまでもこうしていても仕方がない。
それでもさすがに正面からは行かずに、二人、二手に分かれて壁沿いにそこへ向かう。
半ばほどまで進んだだろうか。
突然に、全くの突然に、剣の正面に『それ』は出現した。
「まずは答えて欲しいんだがねぇ。アンタらは、ただの通りすがりかい?それとも、ここが目的で来たのかい?」
二人の高まった緊張を逆撫でするかのように、わざとらしいほどにのんびりとした声で、『それ』は問いを発した。