前編
「目が見えなくなった〜〜!?」
村雨は、その叫びに溜息を吐いて、見えない目で、御門がいる辺りを睨み付けた。
しかし当然のように、それを無視して、陰陽師の東の頭領は、優雅に扇子をはためかせた。
「えぇ・・・まったく、あんな禁言術師にしてやられるなぞ、術師の名折れです」
「てめぇも喰らってるだろうが」
村雨の呟きに、御門は悠然と笑った。
「おや、私は、自嘲したつもりだったのですが」
「嘘をつけ」
絶対そうは聞こえなかった。
「てめぇは『嗅覚』なんて実害のないもんを禁じられたと思って、悠長に・・・」
ぶつぶつ呟いている村雨の近くで、空気が動く。
軽い足音と共に、慣れ親しんだ<氣>が傍らに歩み寄り、すぐ近くで止まった。
ふわりと柔らかく鼻腔をくすぐる香り。
普段は気づかない龍麻の体臭を感じて、ささくれ立っていた気分が落ち着いていく。
やや冷たい指先が、そぉっと瞼をなぞった。
「・・では、怪我をしたわけでは無いんだな?」
「まあね。痛みも何もねぇよ。・・・見えねぇったって、光の有無くれぇは分かるしな」
だから、大したことじゃねぇんだ、と、続けようとして、瞼を今度は濡れた感触が這って、思わず黙り込む。
「・・・それで」
猫じみた動作で、一通り、村雨の瞼を舐め終えた龍麻が、幾分固い声音で言った。
「どうすれば、術が解ける?」
「本人を締め上げるのが、一番手っ取り早いでしょうね。無論、私でも解けなくはないですが、時間がかかりますので。ま、多少、ですけどね」
強がっているようにも聞こえるが、こと術に関しては、御門の言うことは正しいのだろう。
「・・出来ることなら、術者本人に解いて頂きたいものですが」
御門が、ぱちん、と扇子をしまった。
「本人は、今、動ける状態では無いでしょうね。不本意ながら、私が術を解きますから、お前は家に戻っていなさい」
それは、いたわりでは決して無い。
敵の再度の襲撃の可能性は、低いとはいえ、無いとも言い切れず。
<浜離宮>に村雨がいれば、秋月狙いの敵は確実にここを狙うが、村雨は戦力としては当てにならない。
村雨が、ガードの薄い自宅にいるなら、第一目標ではないにせよ、意趣返し及び戦力を削るという意味で敵がそこを狙う可能性は高い。
村雨の実力を信じている、と言えば聞こえは良いが、要するに敵の標的を<浜離宮>から逸らそうというあざとい手段であった。
有り体に言えば、囮である。
村雨の隣で、龍麻の<氣>が揺らめく。
だが、それを押し殺して、龍麻は低く呻った。
「・・いいだろう。敵が来たなら、俺が八つ裂きにしてやる。・・・そう思えば、悪くはない案だ」
怒っている。
深く静かに怒っている。
この状態の<黄龍の器>様に逆らって、生きていられる生命体は無いだろう。
「・・・出来れば、殺す前に、術を解かせる努力はして下さい」
全く期待してないような声音で、御門は釘を指した。
「・・努力は、してやる」
見えなくても、龍麻の表情ならくっきりと想像できる。
唇の両端を吊り上げ、目を細めた、一見笑いそのものの顔でありながら、目が炯々と底光りしているに違いない。
背後から首筋を冷たい刃で撫で上げられるような、背筋を寒くさせるものでありながら、凄絶に美しい微笑。
そんな場合でないことは分かっていながらも、思わず敵に同情してしまう村雨だった。
<浜離宮>を出て、自宅・・つまり、龍麻のマンションに向かう。
横に並んで歩く龍麻も、どう介助したらいいのか分からないらしく、村雨の袖を掴んで、右、とか段差、とか言ってはくれるが、どうも歩きにくい。
「先生」
呼んで、身体を引き寄せ、肩に手を回した。
普段なら、体格差を感じさせるこの体勢は、龍麻のお気に召さないはずなのだが、今日は大人しくしているばかりか、そぉっと手を伸ばし、村雨の背中のあたりの服を掴んだ。
耳元に口を寄せ、囁いてやる。
「もっとしっかり腰に手を回して、縋り付いてくれる方が嬉しいんだがねぇ」
「う、うるさいっ」
だが、文句を言いつつも、言葉通りに龍麻の手に力が込められるのを感じて、村雨は心の中で小躍りする。
(いやぁ、たまには目の一つや二つ、見えなくなるのも良いかもしれねぇなっ)
いや、良くは無いだろう。
どうせ、術を解けば治る視力障害だと思って、暢気な男である。
部屋まで辿り着き、龍麻の誘導でリビングのソファに座って、ふぅっと一息吐いた。
思ったよりも、緊張を強いられているらしい。
目聡く、龍麻が走り寄ってきた。
「疲れたか?」
「ん?いや、別に、そういうんじゃねぇんだが・・」
膝に、心地よい重みを感じる。
乗せられた龍麻の顔を撫でながら、村雨は首をごきごきと音を立てて回した。
「やっぱ、やりづれぇな、何かと」
「・・・自業自得だ。・・・まったく・・・禁言術師ごときに遅れを取るなんて、情けないぞ」
冷たい言い草だが、微かに言葉の端に滲むのは、不安。
フツーではない力を持っているとはいえ、フツーではない立場に身を置いている、ということも、また事実。
普段は考えない(あるいは考えないようにしている)、『村雨を、失うかも知れない』ことが、現実に起こりうるのだ、と。
その想念が、龍麻を怯えさせ、産卵期の軍鶏のように神経を尖らせているのが、触れ合った肌から感じ取れた。
言葉で、大丈夫、と言うことは、容易い。
しかし、解決にはならないだろう。
ここは、考えることすら止めさせるに限る、と、村雨は真剣に考えた。
どうやってかは、推して知るべしってとこだが。
村雨が、何を考えているかも知らず、龍麻は小さく呟いている。
「第一、運が良いなら、視覚を断たれるなよ。御門みたいに、嗅覚くらいなら不都合ないのにさー」
「まあな。先生の顔が拝めねぇのも辛いが・・」
そう言って、村雨は龍麻の両脇に手を差し入れ、膝の上に抱き上げた。
「でも、先生の匂いが嗅げねぇってのもなぁ・・寂しいだろうからなぁ」
くんくんと音を立てて、龍麻の首筋に顔を埋める。
「ば、ば、ば、馬鹿っ!・・なんか、H臭いんだよ、お前の言い方はっ!」
身を捩るも、本気で抵抗はしていない。
見えたなら、さぞかし真っ赤な顔をしているのだろう、と思うと、少し勿体ない気もしたが、これはこれとして楽しむことにする。
「何がだ?先生の匂いは、いーい匂いだ」
「・・・そんなに臭うか?」
どちらかというと体臭は薄い方だが、汗でもかいたか、と、龍麻は、自分の服を持ち上げ、臭いを嗅いだ。
「臭う、じゃねぇよ。匂うんだ」
そう言って、また首筋に囓りつく村雨に、首をすくめて、龍麻は慌てたように言葉を繋いだ。
「ふ、風呂入ろうか、風呂!に、匂いも取れると思うし・・」
にやり、と笑う村雨に、後悔したのは、ほんの一瞬。
「・・勿論、世話してくれんだよな?」
「ばかやろー・・・大したことないって言ったくせに・・・」
反論する言葉は、勢いが無く、ただの照れ隠し。
承諾の印に、村雨の頭を引き寄せ、軽く口づけた。
「足下、気をつけろよ」
なんだかんだと言いつつも、確かに目の見えぬ村雨を心配しているのも確かで、素裸でありながら、龍麻はしっかりと村雨を抱きかかえるようにして、浴室に入った。
背中を流しながら、何気なく、問う。
「目が見えないというのは、どういう感じなんだ?真っ暗、ではないんだな?」
「そうだねぇ」
村雨は、手を伸ばし、自分の手を目の前にかざして、ひらひらと振った。
「真っ暗ってぇより、真っ白って方が近いか。こうして光を遮断したら、何となく分かるしな。こうして、慣れた場所なら、別段、不都合は感じねぇよ」
「ふぅん・・・」
いきなり、龍麻は洗面器に湯を汲んで、村雨の頭から浴びせた。
「ぷわっ!」
「なら、自分で洗え」
じゃぷん、と大きな音がしたところを見ると・・というか聞くと、龍麻は、湯船に入ったらしい。
見えずとも、多分はふてくされたような顔で、頬を膨らませているのだろう、と村雨は苦笑する。
「先生、洗ってくれよ」
返事はない。
「先生ってばよ。悪かった。・・なんか喋ってくれ」
更に無視。
「先生・・・こっちは見えねぇんだ。喋ってくんねぇと、不安になるだろうが」
「・・・最初から、そう言えばいいんだ」
ぽそりと呟き、ざばっと湯から出てくる気配があり。
温かな身体が、村雨の膝に腰掛けた。
「見えないから、助けてくれって、言えばいいのに」
腕が絡む。
「弱みを見せんのは、好きじゃねぇんだ」
「俺の前でも?」
あぁ、とようやく村雨は得心する。
どうやらそこが引っかかっていたらしい。
滑らかな肌に唇を落としつつ、村雨は腕の中の身体を抱きしめた。
「アンタの前では、特に。・・恋人の前では、格好つけてぇじゃねぇか」
「いらない、そんなの」
拒むでもなく、頭を抱き込む腕。
「だって、お前は完璧な男でもなければ、格好良くもないんだから」
「・・ひでぇ、言い草・・・」
くくっと笑って、口づける。
文句も強がりも、全てを黙らせて。
思う様、柔らかな口腔を蹂躙し、龍麻の身体が完全に目覚めるのを待って、ようやく唇を離した。
ひきつれたような吐息を漏らす龍麻を、バスマットの上に横たえながら、囁いた。
「でも、やっぱ、惜しいか。アンタの『その気になった顔』、めっちゃ色っぽいんだがねぇ」
「・・見たきゃ、さっさと術を解け」
出来るものなら、さっさと解いてる。
無論、龍麻も承知の上。
確かめるように身体のラインを辿ると、びくんっと跳ねる。
それを押さえ込んで、舌先で胸の飾りをくすぐると、容易く、甘い声が漏れた。
何度も抱いた身体は、見ずとも脳裏に完璧に描き出せる。龍麻の弱いポイントも。
バスルームに甲高い嬌声が響く。
「・・いい声・・」
「ばかぁ・・・ひゃうっ!」
頭を押さえようと延ばした手を取り、小指の先を甘噛みすると、村雨の体重を乗せてさえ、背がしなやかに反らされた。
濡れた身体が、湯船を出て冷えたのは、ほんの数分。
後は、目も眩むような熱に浮かされ、ただただ甘い鳴き声を上げ続けるだけ。
「ほんっと、アンタの身体、最高・・・ここも」
「やっ!」
「見せてやりてぇくらい、綺麗な色してんだぜ?ま、一回しちまうと、痛々しいくれぇに真っ赤になるんだけどな」
「『見るな』、ばかぁっ!」
くくっ、と村雨は喉を鳴らして笑った。
「見えてねぇって」
「なら、言うなぁ・・」
自分の腕を噛み、くぐもった声で、龍麻は呻く。
声を殺しても、その表情は見えなくても。
村雨が身じろぐ度に、ひくん、と震える爪先が。
途切れ途切れに漏れる熱い息が。
何より雄弁に、龍麻の様子を語っていた。
「見えなくても、アンタのことなんて、手に取るように分かるんだぜ・・?」
足首を掴み、ぐいっと押し広げる。
「こうやって・・・入れる直前には、すっげぇ不安そうな顔するとか」
指でそこを広げながら、殊更ゆっくりと含ませる。
「全部、納めきるまでは、目もぎゅっと閉じて、耐えてるような顔するんだよな」
無言のまま、龍麻の拳が村雨の頭に降ってくるが、いかにも力のないもので。
「で、入れちまうと、目ぇ開けて、俺を見て、安心したように笑うのが、また、たまんねぇんだが・・今日のところは、諦めるとするか」
ちなみに、辛そうな顔をしてるときも、それはそれで興奮するんだが、それは言わない方が無難ってことで。
瞼の裏では、龍麻が耳を真っ赤に染めて睨み付けてくる姿がくっきり映っている。
しかし、その強気な視線も、村雨が動き出すまでのこと。
緩く、腰を左右に揺さぶるだけでも、息を飲んで震え出す。
「あ・・・あっ・・ん!」
きつく食いついてきていた粘膜が、徐々にまとわりつくような感触に変わり。
くちゅ、と滴るような音が聞こえ始めれば、もうこっちのもの。
が。
視覚が断たれた分、聴覚が鋭敏になっているとは言っても。
キューッキュッキュッキューッ!
(この音は、いただけねぇよなぁ・・)
バスマットと、龍麻の背中が擦れて立てる音は、徐々に激しくなってきて。
(ベッドの軋む音くれぇなら雰囲気出るんだが、こりゃあ、ちっと・・・な・・)
今度、音のしないバスマットを買ってこよう、と、妙に冷静なことを考えてたりして。
というか、そもそもバスルームでしなきゃいいんだが。
(とりあえず、今日のところは・・と)
「龍麻」
声をかけて、龍麻が返事をするのも待たずに、背を抱えて、抱き上げる。
「ひゃうっ!!」
いきなり落とされて、最奥まで突かれた龍麻が、悲鳴を上げる。
「ひ・・やぁ・・!・・・あんっ・・!」
そのまま腰を掴んで下から突き上げると、声を殺すことももはや出来ずに、鳴き続ける。
ぱたぱたと髪が顔にかかる感覚から、龍麻がいやいやと言うように頭を振っているのが分かる。
が、やはり無意識に腰を浮かそうとしているのか、龍麻の足がじたばたと足掻いているため、かかとがバスマットを擦って、キュッキュッと耳障りだったり。
(う〜ん・・・先生が、バックさえイヤがらなきゃ、問題ねぇんだがなぁ・・)
しっかりと腰は動かしながらも、村雨は、暢気に、あーでもない、こーでもない、と考えて。
結局、さんざんに体位を変えつつ、立位に落ち着いたときには、龍麻は息も絶え絶えであった。
「ばかやろーばかやろーばかやろーばかやろーー・・・」
いつ終わるとも知れない罵詈雑言を呟き続ける龍麻を、抱きしめつつ、村雨はにやにやと笑った。
普段なら、龍麻が気絶したなら、ベッドまで運んでやるところなのだが、自分一人ならともかく、さすがに目の見えない状態で、恋人を無事に運べる自信が無く。
龍麻が目覚めるまで、脱衣所に座り込んで、温かな身体の感触を楽しんでいたのだ。
「いやぁ、今日も可愛い声だったぜ、龍麻」
返事は、後頭部への拳骨。
「知るか、ばかっ!!」
言って、村雨の腕から抜け出し、立ち上がろうとして・・・へたりこんだ。
くくっと笑って、村雨は顎を撫でた。
「いきまくってたからなぁ・・・どうする?しばらく、まだ、ここにいるかい?」
うーっと威嚇するような呻り声が聞こえたかと思うと、龍麻が離れていく気配がする。
どうやら、立ち上がらずに、這って移動しているらしい。
村雨の目が見えていたなら、目の前でそんな屈辱的な格好はしないだろうが、見えないと思って、実利を取ることにしたようだ。
その辺の割り切りは、すっぱりしたものである。
がちゃ、とドアの開く音がした。
村雨は、ゆっくりと身を起こし、こちらも半ば四つ這い状態で、龍麻を追う。
床の上を確認するように手を這わせ、伸ばした先に、龍麻の足首。
にやりと笑って、握る手に力を込めた。
龍麻が驚愕して、振り返るのが、何となく分かる。
それに、満面の笑みを浮かべてやった。
「いやあ、そんな『のしかかって下さい』と言わんばかりの格好をされちゃあなぁ。無下に断るのは、男が廃るってもんだよなぁ」
「・・・・・・見えて無い奴が、言うなぁっ!!」
こうして。
二人がベッドに潜り込んだのは、更に数時間を経てからである。
合掌。(いや、龍麻に)
翌朝・・というか昼。
ごそごそと動き始めたのは、龍麻が先である。さすがは、黄龍の器、回復力が違う。
たまには、自分が朝食の用意でもしてやるか、とキッチンに立ったは良いのだが、茶碗と箸を握りしめて、考え込んだ。
(白ご飯に味噌汁、それにおかず・・・目が見えないと、食いにくい、よな、きっと)
むしろ、サンドイッチとか手に持てるものが良いかも、でも、材料を買いに行くとなると、メモを残すわけにはいかないし、声をかけると村雨起こしてしまうし・・。
数分悩んだ末、寝室に戻った。
「村雨〜、俺、ちょっと買い物に・・」
考えてみれば、病人でもないのに、寝かしておかなくてはならない理由が思い当たらなかったからである。
むしろ、体力回復されると、また夜が大変で。
「村雨〜」
肩に手を当て、揺さぶると、いきなりがばっと村雨が起きあがって、抱きついてきた。
「にゃっ!?」
不意を突かれて、なすがままにベッドに倒れ込む。
目を上げると、意外と覚醒した顔の村雨が、にやつきながら見下ろしていた。
「飯より、アンタを食いたい」
・・・・・・この男も、なかなかどうして、体力回復の早い男である。
素晴らしいカップリングと言えなくも無い。(別の言い方では『やりまくりカップル』)
くっきりはっきり平手打ちの跡の残った頬を撫でながら、村雨は、一人ベッドの上にいた。
龍麻はコンビニまで買い物中。
新聞も読めず、テレビを点ける気にもならず、ぼーっとしていると、携帯が鳴った。
何とか手探りで探し出し、受信する。
「あぁ、村雨さん?聞きましたよ、目が見えないんですって?」
あの野郎、と村雨は呻った。
壬生と御門は、とりたて仲がよいわけではない。むしろ、立場上、悪い。
それを押してまで連絡したとなると(龍麻が連絡したのでない限り、御門しかいないだろう)、余程村雨を心配して・・ではなく。嫌がらせであろう。
目が見えないのを良いことに、もとい、立場を楽しんで、もとい、この時とばかりに(全部同じ意味か)、龍麻に甘えまくって、二人きりでいちゃいちゃと過ごそうと思っていたのに、なんてこった。
「さぞかし御無柳をかこってらっしゃるだろうと思って、如月さんのところで、小イベントを企画しましたので、龍麻と一緒に、是非・・」
邪魔する気か。
俺と龍麻のラブラブいちゃいちゃ生活を、あくまで邪魔するつもりなんだなっ!
親切ごかしに言ってはいるが、何せ相手は龍麻公認ストーカー及び下僕たちである。
どう考えても、ただの友情では無いのだが、断ればここまで押し掛けてくるだろうことは、想像に難くない。
どうせ邪魔されるのなら、自宅に他人が上がり込むのを嫌がる龍麻のためにも、素直に承諾した方がマシだ。
「・・・それは、どうもご親切に。んじゃ、メシ食ったら、行くぜ」
「お待ちしてます」
龍麻の作ったオープンサンドを食べながら(ちなみに、この程度なら、まっとうに作れるのである)、その話をすると、龍麻はにこやかに答えた。
「そうか、紅葉が気を使ってくれてるんだな」
・・違うと思うぞ。
くそぅ、何だって壬生のこととなるとこんなに甘いんだ、アンタの恋人は誰なんだ・・・とかは、まあ飲み込んでおいて。
ここは、黙って、如月の家に行くことにした。
さて、タクシーを利用して、如月骨董品店に向かい。
「やあ、龍麻。いらっしゃい」
と、主賓を無視した出迎えの挨拶をしたのは、骨董品店店主。
「水くさいですよ、村雨さん。すぐに言って下されば良かったのに」
などと、友達面する手芸暗殺者と、
「いやぁ、楽しみだなぁ」
唯一『馬鹿』が付くほど正直な赤毛猿。
どう考えても、このメンバーは。
「言っとくが、俺ぁ、盲パイ出来るんだぜ?」
目が見えないと思って、麻雀を仕掛けてきても、返り討ちにしてくれる。
「ぬわぁああ!そうか!しまったぁ〜!!」
「・・分かりやすいねぇ、蓬莱寺の旦那は・・」
雄叫びを上げて、頭を掻きむしっている様子が、はっきり「見える」。
くつくつと笑う村雨の横で、龍麻の気が、逆立っていく気配がした。
「・・お前ら・・村雨の目が見えないと思って・・・」
「いや、きっと退屈しているだろうと思ってね。少しでも鬱憤を晴らすことが出来れば・・と、こういう企画にしてみたんだけど」
すぐさま入る絶妙な壬生のセリフに、龍麻の揺らめくオーラが、徐々に静まっていく。
しかし、完全には収まりきらないあたり、いくら壬生の言葉とは言え、完全には信用してない証であろう。
「・・・・・・まあ、そういうことにしてやる」
数十秒の葛藤の後、龍麻は低く呻った。
雀卓は、村雨、壬生、如月、蓬莱寺で囲み、龍麻は村雨の背後に座り込む。
気心しれた相手だと言うのに、『村雨虐めたら許さないぞ』という決意が、びしびしと空気を響かせる。
まるで産卵期の軍鶏のようだ、と昨日も思ったが、今日のこれは、すでに卵を産んで、それを守るために毛を逆立てて威嚇している姿にも似ている。
普段はスパルタ方式のくせに、どうやら龍麻は意外と過保護であったらしい。
もうちょい信用してくれても良いんだが、というのと、くすぐったいような気持ちが交錯する。
しかしまあ、この立場を楽しもうと、他の3人に見せつけることにした。
「龍麻、茶ぁ、くれないか?」
「え?ん〜と・・・こうか?」
ふーふーと息を吹きかける音の後に、村雨の手を取り、湯飲みを握らせる。
それをごくりと飲み、にやりと笑って見せた。
「あーんして、とか言ってくれねぇのかい?」
「・・・茶でそれは無茶・・・って洒落みたいだな」
くすくすと笑みをこぼし合う二人に、3人の気が剣呑に尖った。
「龍麻、そんな奴、放っておけばいい」
「お茶くらい、自分で飲めるでしょう?村雨さん」
「へっ、何とでも言いやがれ」
余裕綽々なのは、点数にも表れている。
目が見えなくとも、さすがは村雨、ダントツトップをキープしている。
「あ〜!くそっ!もうやめやめ〜!」
蓬莱寺が、点棒を放り出して仰向けに寝転がった。
言うまでもなく、ダントツでビリである。
「なんだよ、ちくしょー。今日くらいは勝てると思ったのによー」
「甘いぜ、蓬莱寺。何だったら、花札で勝負してもいいんだぜ?」
ふてくされる蓬莱寺に、そう言ってやると、がばっと音を立てて起きあがった。
「言ったな!?てめぇから言い出したんだからな!?後悔すんなよ!」
「京一」
龍麻の声は、それだけでダメージを与えるくらいに刺々しかった。
花札はさすがに盲パイ(つーか盲札)出来ないだろう。
それが分かっていながら、弱みにつけ込むような真似を・・・と、親友に向かって放つには余りにも凍えた空気に、蓬莱寺の動きが止まる。
「だ、だってよぉ・・・村雨から言い出したんだぜ、ひーちゃん・・」
言い訳も心なしか弱々しい。
しかし、龍麻の周囲のざわざわとした気は落ち着かない。絵にするなら、メデューサの如く、髪の毛が逆立っている感じだ。
「先生。ま、アンタの旦那の運を信じなって」
誰が旦那か。
片頬歪めてシニカルに笑い、村雨は札を取り出した。
力も込めずに宙に投げ上げる。
はらはらと舞い落ちる花札が、あるものは表に、あるものは裏を向いて落ちていく。
そして。
「・・・・・・五光・・・・・・」
呆然と蓬莱寺が呟いた。
きっちり5枚、表を向いた札は、村雨には見えもしないが、己の運からして、とりたて騒ぐほどの結果でも無い。
「どうだい?勝負するかい?」
「しねーよ!!くっそー!」
目が見えない村雨以下であることは確実な蓬莱寺は、やけくそ気味に叫んだ。
「な?大丈夫だったろ?」
振り返って、龍麻の方に向かって片目を瞑る。
うぅ、という唸り声の後、首っ玉に囓りつくように龍麻がぎゅっと抱きついて来た。
「おいおい、どうした?龍麻」
頭を撫でてやると、ますます力を込めてしがみついてくる。
多少、困惑しながらも、その感触を楽しんでいると、トゲトゲした気配が突き刺さってきた。
「昼食、取って行くかい?龍麻」
「そうですね、そうしましょう」
ははは、と乾いたわざとらしい笑いとともに、如月と壬生が龍麻を引き剥がそうと試みる。
ぺとっとくっついた龍麻が答える様子はない。
「昼飯か・・・そうだな、食っていくか。先生に、『あーんして』と言ってもらうのも乙なもんだ」
わざと言ったのだが、龍麻は更にくっついてくる。
代わりに二人の気配が冷ややかになって。
「ちょっとくらい目が見えないからと言って、龍麻に甘えるのはどうだろう」
「こんなに手の掛かる人だとは思いませんでしたね」
こういう時には、やたらと息の合う二人だ。
「どうだろう、龍麻の負担を軽減するために、我々が、代わる代わる村雨の面倒を見る、というのは?」
「あぁ、それは良い案です。食事からトイレまで、きっちりと介護して差し上げますよ」
いやだ。
龍麻にならともかく、何でこいつらに面倒見て貰わなくてはならんのか。
そもそも、相手が龍麻だからこそ甘えちゃあいるが、実際のところ、そんなに実生活上に不自由を感じるわけではなく。
しかし、そう言ったが最後、「なら、龍麻にも迷惑かけるな」と来るのは間違いない。
さて、どうしたものか・・。
と、言い訳を考えていると、村雨より先に、龍麻が口を開いた。
「ダメ。これは、俺のだ」
・・『これ』ってぇのは・・やっぱり、俺のことなんだろうなぁ、と村雨は心の中で嘆息した。
所有権を主張してくれるのは嬉しいが、もうちょい言い方が・・。
「い、いや、龍麻、我々は、決して村雨が欲しいわけではなく・・」
「君が、大変なんじゃないかと思って・・」
「・・すると、何か?」
思い切り、赤信号が点った声音。
「貴様らは、俺が、自分の男の一人も、面倒見られない・・とでも?」
YES:龍麻さま、ご立腹。
NO:村雨の面倒は、引き続き、龍麻がみる
壬生と如月が、無言でやり取りしているのが、見えなくとも分かる。
10秒ほどの間の後、白旗が揚がった。