闇に、染まる 後編
もしも、自分のものにならないのなら、壊してしまえ。
他の誰かのものになるくらいなら、殺してしまえ。
とても、簡単な事の筈だったのに。
死んだのか、と思った。腕の中の、少年の躰は、永久凍土のように冷たくて。
脚元から、ゆるゆると這い上がってくる感触。
自分自身が闇に墜ちる時にも、感じなかった、それ。
モシモ、コノママ、目ヲ覚マサナカッタラ?
躰を埋める深い虚無。
ある意味、この状況は、望ましいはずなのに。
目を覚まさなかったら、この子供は、2度と他の男を見ない。クレイドルだけのものとなる。
凍りつくような冷たさだが、硬直はしていない。柔らかにたわむ躰を抱くことすら可能だろう。
チガウ。ソンナコトハ、望ンデイナイ。
彼を見た瞬間、幸せそうに細められる空色の瞳。
無警戒に笑う声、怒ったときの硬質な声、強い意志を秘めた声、そして、甘い鳴き声。
精一杯、自分に縋り付く、両腕。
目が回りそうなほど、くるくると、よく変わる表情。
この腕の中の、静かな存在とは、全く別の、騒がしい生物。
何故、自分は、これを壊せる、などと考えたのだろう?
塔の入り口から、時折、ノックの音や、怒鳴り声が聞こえる。
どのくらい、時が経ったのか、わからない。
腕の中の子供は、とても静かだ。呼吸の有無も判らない。
ただ、心の臓が、50数える間に1度、僅かに脈打つのが、ただ一つの生きている証。
この冷たい躰が哀れだが、温めた方が良いのか、生体の防御反応だと解して冷やしていた方が良いのか、それも判らない。
シーツを1枚、巻き付けて、抱きしめて眠る。
目を覚ました時、きっと、空色の瞳が、彼を認めて、笑うと、信じて。
そして、幾度も、失望を、繰り返す。
早く、目を開けなきゃ、とリアムは、思う。
もしかしたら、愛しい悪魔は、目の前にいないのかもしれないけれど。
でも、早く、目を開けて、顔を見たい。誰よりも、大切な、貴方の顔を・・・。
クレイドルとの交合は、痛みはあったが、苦痛ではなかった。
闇に閉ざされ、表情は見えなかったけれど、触れ合った肌から、想いが伝わってきたから。
自分は、彼に、大切にされている。
そう考えるだけで、目も眩むような恍惚感が襲う。
変わることに対して、恐怖はなかった。いっそ、変わらないことの方が、恐ろしいかも知れない。
もしも、人間のままで、何も変わらなかったら、自分は、この闇の中で、何も見えず、愛しい男に付いていくことも出来ず、数十年で死ぬだろう。それどころか、容色が衰えるのは、数十年どころか、十年ほどかも。
そんなことを考える方が、余程、恐ろしかった。
その時。
爛れたように、熱く疼いていたそこに、クレイドルの精を受けた瞬間。
一瞬は、熱い、と感じた。
だが、すぐに、それは、凍りつくような不快感に変わった。
躰の最奥から、背筋を這い上り、脳髄を犯す、冷たい波動。
そして、それが、徐々に全身を浸していく。
真冬の朝、氷の張った井戸水に、手をつけた様に。ぴりぴりとした痛みと、その後襲う、無感覚。
なんとか、目を開け、クレイドルの顔を見つけようとした。
自分の躰に、はらりと落ちている長いプラチナブロンドを、捕らえようとするが、力が入らない。幾重にも巻き付けて、辛うじて、指にとどめる。
死ぬのだろうか。
体躯の中心から、感覚が無くなっていく。あれだけ、存在を主張していた心臓の音が、聞こえない。
こんなに、苦しいのに、息が出来ない。
死ぬこと自体が、怖い訳じゃない。
怖いのは、2度と彼の顔が見られないのでは、ということ。
一緒にいたくて、産まれ育った地を捨てたのに、死んでしまったら、それは叶わない。
死にたくない。
絶望が、躰を満たす。
でも、その時、クレイドルの声が聞こえた。
はっきりとは、もう、聞き取れなかったけれど。
大丈夫、と言ってくれた。
お前は、俺のものだ、と言ってくれた。
だから、きっと、大丈夫。
次に、目を覚ました時、多分、きっと、彼は側にいてくれるから。
外の様子は、判らない。
ただ、自分の内側だけを、感じる。
一つ一つの細胞が、冷たい感触に侵され、一度ほどけて、組み直されていく。
これまで、意識したこともない、膨大な数の細胞。
組み替えられた細胞が、組織となり、器官を形成していく。
そして・・・
意識が、浮かび上がる。
早く、目を開けなきゃ。
でも、指の一本すら、自由にならない。
それどころか、何も聞こえず、何も感じない。
泣き出したくなるような、焦燥感。
どのくらい、時が経ったのか、わからない。
ふいに、香りを感じた。
渇望していた、何より大事な、その匂い。彼が、側にいてくれていることの、確かな証。
鼻孔から、満ち足りた想いが、全身を浸す。
更に、どれだけの時間が経ったのか。
リアムは、ようやく、重い瞼を、押し上げることに成功した。
(ジーア様、感謝します)
『魔』になった自分が、『魔』になったことを、神に感謝するのは、筋違いかもしれないけれど。
目の前に、白皙の美貌が、あった。
眠っているのか、目を閉じている。かつて見たような、穏やかな寝顔ではなく・・・憔悴した顔だが。
震えるような、歓喜。
側にいてくれた、という事実と。
彼の顔が、はっきり見えるという事実。
両の眼から、涙が流れる。
(ジーア様、感謝します)
涙でぼやけた視界に、青緑色の色彩が映る。ゆっくりと、しばたいて涙を振り落とし、目前の男の顔を見ようとした。
半ば、夢うつつの表情のまま、クレイドルが長い指を伸ばして、頬に触れた。
「リアム?」
応えることは、出来ないけれど。ただ、瞬きだけが、許される動きで。
いきなり半身を起こしたクレイドルは、リアムの躰に巻き付けていたシーツをはぎ取った。胸へ頭を寄せ、鼓動を聞き取る。そして、口元に指を差し伸べ、リアムの息を感じ取った。
「目を、覚ましたのか」
普段の彼からは想像も出来ないような、呆然とした声で。でも、確かに、歓喜の息吹が混じっている。
リアムは、ゆっくりと、瞬きをする。
「俺の言っていることは、わかるか?」
また、瞬き。
「しゃべれるか?」
目を閉じて、10ばかり数えてから、目を開ける。
ふむ、と考え込んでから、クレイドルは、指をリアムの額に伸ばす。
「少し、眠れ。夢の中なら・・・会話できるだろう」
聞き取れない呟きが、クレイドルの口を動かし、それを確認する前に・・・リアムの意識は沈んでいった。
さわさわさわさわさわ・・・・
草原のただ中に、リアムは立っていた。そして、愛しい男の姿を探す。
名を呼ばれ、そちらを見る。腰まで伸びる草をかき分けながら、クレイドルがこちらに向かっている。
リアムも、走り出す。
そして、クレイドルに飛びついた。全身で、思いっきりしがみついたのに、クレイドルはよろめきもせず、抱き留めてくれる。
ただ、名を呼ぶ。大好きな人の名前を。
黙って、頭を撫でてくれるその手が、とても優しくて、胸が一杯になる。
「気分は、どうだ?」
「最高に、幸せ、です!・・・気が付きました?僕、貴方の顔が、見えてるんですよ!!」
そうか、と答えて、クレイドルが抱きしめてくれる。少し、力が入りすぎてるけれど、痛くは無い。
「これで、僕、ずっと貴方と一緒にいられるんですよね」
陶然と見上げると、クレイドルの表情は、何とも言えない奇妙なものだった。
「・・・後悔は、していないのか?」
「当たり前です!僕、そのために、アンヌンに来たんだし!」
「お前は、まったく・・・妙な子供だ・・・」
何故、クレイドルがそんなことを言うのか、解らない。『魔』になって、クレイドルと一緒にいる、それが目的で、そして達成できたのに、後悔する必要がどこにあるのか。
「あ、でも、もう少し、待ってて下さいね。まだ、瞼を開けるくらいしか、出来ないから。でも、きっと、全部動くようになりますから、もう少し、時間を下さい」
「ああ、あせる必要はない・・・時間は、たくさん、ある」
「でも、早く、動けるようになりたいな・・・本物の身体の方で、貴方に抱きつきたいのに」
甘えるように、顔を擦り付け、上目遣いで見やると、クレイドルの頬に赤みが差した。
(こういうところが、可愛いんだよね、クレイドルって・・・)
「大好き・・・」
つい、口に出してしまうと、クレイドルの顔が更に赤くなり、馬鹿者、と言いつつ、躰をもぎ放した。
「・・・俺は、もう抜けるぞ」
もっと一緒にいたくて、ぷぅっと頬を膨らませるが、効果は無い。もっとも、夢の中より、現実に一緒にいたいので、かまいはしないのだけれど。
ふと、思いついて、問うてみる。
「そう言えば、クレイドル、僕の夢の中に来るのって、これが初めてですか?」
「・・・・・・・・・いや」
認めたくなさそうに、渋々答える様子に、確信する。
「ひょっとして・・・僕の所にお泊まりされた時、夢の中に入ってきました!?」
思わず、くすくすと笑ってしまう。
クレイドルにキスされたことで、あんなにもびっくりしたのに。
「僕、あれが、自分の隠された欲望だと思って、すっごくショックだったのに・・・な〜んだ、違ったんだ」
「・・・それで、泣いたのか」
「びっくりしたから。・・・でも、本当に、クレイドルとキスしたい、とか、触って貰いたい、とか考えるようになりましたよ?」
だから、いいんです、と言ったら、何故か呆れたような顔をされた。
どんな顔をされても、幸せ。誰より好きな人と一緒にいられて、大好きな人が、自分を好きでいてくれるのが解るから。
薄れかけるクレイドルに、手を振って、叫ぶ。
「現実の方の僕に、キスして下さいね〜!!」
早く、動けるようになればいいのに。
一杯、話したいことがある。
一杯、やりたいことがある。
時間は、たっぷりとあるらしいけど、でも、早く、動けるようになればいいのに。
リアムは、自分が動けるようになることに関しては、疑ってはいなかった。
だって、自分は、最高に運の良い人間だから。
彼と出会えて、彼を愛して、彼に愛された人間だから。
世界で最高の運を持つ人間だから、願いが叶わない訳が無いのだ。
目を閉じ、目覚めるのを待つ。
きっと、愛しい悪魔は、待っててくれる。
そして、キスしてもらうのだ。
次回予告!!
『魔』になっちゃったからには、怖いものなし!やりたい放題、Hも、し放題の筈だが、そうは問屋が卸さない・・・?次回、作者の趣味が炸裂する!『温泉』・『誘い受』・『舌足らず』・・・さあ、これから、中身を推測してみよう!!(笑)・・・次回、「リハビリテーション・プログラム」で、お会いしましょう!
あとがき
前編で切ったら、全然違うイメージの話になっただろうなぁ・・。ま、これが、予定の話だけど。
というわけで、次回から楽しいアンヌンライフの始まりです(笑)。クレイドル様が、「は?サド?・・誰のこと?」って言うくらい、妙にリアムに甘いのは、こういう具合に、一度「相手を喪失する」ことのダメージを知ったからです。いや、一応、うちのリアムはクレイドル様にめろめろだけど、クレイドル様もリアムに惚れきってるのよ・・。そういう設定ですので、あしからず。
どうでもいい話:私の夢は、昔からアクション系というかドラマみたいなのが多いんですが、ある時の夢は、自分が中年男で、ゾンビだか吸血鬼だかに捕らわれた少女(4〜5歳くらい)を助けるという内容でした。で、助けたは良いんだけど、何か、女の子、顔色悪い。手が冷たい。にっと笑った顔が邪悪。やべーかなーと思いつつ、おんぶすると・・・首筋にかぷっとやられました・・。その時、首筋から全身に走った、冷たい凍えるような感覚が、何とも言えず「人間外」って感じで、目が覚めてからもドキドキしてました。・・ってわけで、今回の「リアム闇に染まる編」は、その時の感触を思い出しながら、書きました。・・・その時の衝撃の1/10も書けてないけど。なお、その後主人公は、日光に触れたとき、煙を出しながら焦げました。この時の感触もまた、人間外で・・。いつか役に立つかなぁ、これも・・。