黄龍妖魔學園紀  クエスト編 上





 彼らは墓場に立っていた。
 葉佩と緋勇、それに皆守と取手。
 下の遺跡へと通じる穴の前で、葉佩は厳かに宣言した。
 「本日は、俺の金稼ぎに協力して頂きます」



 ロープを伝って降りてきた男四人。黙っていた皆守がようやく口を開いた。
 「…で?」
 「でって何っすかー。皆守ってば言葉を出し惜しみしてると伝わるものも伝わらなくなっちゃうぞっ!」
 「余計な言葉が多すぎて伝わらないよりマシだ」
 うんざりしたように言い捨てた皆守の調子に、葉佩が暗視ゴーグルを額に押し上げて、首を傾げた。
 「いやん、皆守さんってば怒ってるぅ?」
 「怒ってねぇよ!単に説明しろよ、と!」
 「え…何を説明すんの?えーと、これから遺跡を巡って前回取りこぼしたアイテム回収とクエストに励みまーす!とか?」
 葉佩はHANTを緋勇から受け取って、マップを呼び出した。
 「最初に来たときにさー、不連続な反響音を確認したところがあるんだよねー。なのに爆弾持ってきて無くってさー、ひょっとしたら奥に宝が眠ってるかもしれないって思うと、落ち着かねーのよ。でもって、ようやく爆弾買えたから」
 マップを覗き込んでいた取手が、おずおずと指で通路を辿った。
 「う、うん…こことか…ここも、崩れるはずだから…それから、ここも落ちたら宝物庫への搬入路に辿り着くはず…」
 目をぱちくりさせた葉佩が、奇声を発しながら取手に抱きついた。
 「うっきゃああ!そうか!そうだよ!取手くんは、この区画の主なんだっ!うわあ、それじゃどこに何があるか分かる!?分かるの、ひょっとして!」
 「く、く、詳しくは…その…あんまり…興味、無かった…から…」
 首からぶら下がるように抱きつかれて、取手が青白い顔をうっすら赤く染めてしどろもどろで答える。
 「そう?でも、頼りにしてるからねー!」
 「う、うん…頑張るよ…」
 もう一度きゅーっと抱き締められて、取手は長い腕をどうしたものかと上げたり下げたりして、結局何もしないままだらりと降ろした。
 それを面白くなさそうな顔で眺めていた皆守が、火の点いていないアロマをピコピコさせながら聞く。
 「おい、葉佩。お前の武器…マシンガン、か?あれはどうした、あれは」
 葉佩は、かくかくとした動作で取手から腕を離した。
 そして、やはりかくかくと振り向いて、大広間の正面のドアへと向いた。
 「さっ!張り切って参りましょうっ!」
 「…右手と右足が同時に出てるぞ」
 「はっはっはっ!」
 葉佩がドアに手をかけたところで、緋勇がぼそりと呟いた。
 「予備の弾丸くらい、買っておけ…」
 くるりっと葉佩が振り向いた。
 だばーっと涙を流しつつ緋勇に詰め寄る。
 「お金、無いんですぅっっ!!」
 一瞬の間をおいて、皆守のかかと落としが葉佩の脳天にめり込んだ。
 「いってぇえ!ひっでーよ、皆守っ!」
 「お前、<墓>をなめてんのかっっ!武器も無しで行くんじゃねぇっ!」
 「コンバットナイフはありますっ!」
 「んな素人が使うようなナイフ一本でどうするってんだっ!謝れ!塩垂に謝れっ!」
 「しほたる〜?…っって誰だっけ?」
 てへっと効果音が付いていそうな笑顔で、葉佩が首を傾げた。
 皆守が無言で足を振り上げる。
 頭を押さえた葉佩がきゃーきゃー叫びながら逃げ惑っている間、緋勇はHANTの情報を呼び出していた。
 「塩垂…あぁ、あの水槽頭か。HANTも無いのに良く名前が分かったな、皆守甲太郎」
 だが、その皮肉は葉佩のたーすーけーてー!という悲鳴にかき消された。二度言う気は無いのか、緋勇が肩を竦める。
 追いかけっこをおろおろと見ていた取手が、ふと思いついてズボンのポケットを探る。
 取り出した財布の中身を確認していると、緋勇が覗き込んで面白そうに言った。
 「甘やかすな。葉佩の武器だ、葉佩に稼がせれば良い」
 「あ…で、でも、その、稼ぐためにも、武器がいるんじゃ…」
 「本人がコンバットナイフで何とかなると判断したんだろう、ナイフで苦労させておけば良いだろうよ」
 大広間を一周して帰ってきた葉佩が、息を弾ませながらぷぅっと頬を膨らませた。どうやら聞こえていたらしい。
 「へーへー、ナイフで苦労させて頂きますよっ!何つっても、名前も九龍(くろう)っつーくらいだし…いでええええっ!」
 「つまらん洒落で脱力させんじゃねぇっ!」
 「脱力してんなら、全力で蹴るのは反対です、皆守さんっ!」
 背後から蹴られて吹っ飛ばされた葉佩が、腰を撫でながら涙目で取手の方に駆け寄った。
 「えーん、取手くーん!皆守がいじめるー!」
 「あ…え、えっと…」
 「取手っ!構うんじゃねぇ!」
 背中に葉佩、目の前に肩を上下させている皆守、という状態で、取手はおろおろして、結局財布を手に振り向いた。
 「あ、あの…葉佩くん…僕、5000円くらいなら、出せる…けど…あ…弾丸代って、どのくらいか知らないんだけど…」
 「…甘やかすな、と言うのに」
 緋勇の言葉にかぁっと頬を紅潮させて、それでも財布は差し出したままな取手に、葉佩はんー、と首を傾げた。
 財布と取手の顔を見比べて、それから財布ごと取手の手を両手で握る。
 「ありがと、取手くん」
 意外とその声が落ち着いていたので、取手は顔を上げた。
 「でもさ、友達から金は借りないことにしてんだ。そう教えられてるし」
 そうして、にかりと笑う。
 「ま、先輩とかただの知り合いとかは別だけどねー。そーゆー相手からは借りて借りて借り倒しちゃうよ、俺は」
 「借り倒すなっ!」
 皆守の突っ込みを身を捻って避けておいて、葉佩は、手をひらひら振った。
 「ま、そーゆーわけだから。取手くんの気持ちはすっげー嬉しいです!でも、金じゃなく、取手くんの<力>を貸してねっ!」
 「う…うん…ごめんね、余計なこと言って」
 取手は財布を畳んでポケットにしまった。顔が赤いところを見ると、恥ずかしがっているらしい。
 葉佩は取手の背中をぺしぺし叩いて、両手を腰を当てて見上げた。
 「何で、そこで謝っちゃうかなぁ。俺の方こそ、せっかくの気遣いを無駄にしてんだからさー、怒ってくれていいんだよ?俺、はっきり言って、怒られてもそのまま聞き流しちゃうからね、どんどん怒ってOK!」
 びしっと親指を立てたところで皆守が再度全力で突っ込んだ。
 「聞き流すなぁっ!しっかりこのボケ頭に刻み込んでおけっ!」
 頭を両手で掴まれてがしがし振られて、葉佩がぎにゃあ!と意味不明な鳴き声を上げた。
 「目ぇ、回るっ!回るからっ!」
 「あ、あの…皆守くん、その辺で…」
 ぼそぼそと声を掛けられて、我に返った皆守が手を離す。慌てて葉佩が皆守から距離を取って、取手の背中にしがみついた。広い背中にひとしきり懐いて、
 「んもー、皆守さんってば怒りんぼさんなんだからー」
 と、ぶつぶつ呟いてから、葉佩は暗視ゴーグルを掛け直した。
 「そーゆーわけなんで、張り切って参りましょうっ!」
 「ま、頑張れ。死んだら、後は何とかしてやるから」
 「…死ぬ前に何とかして欲しいですぅ〜」
 しくしく泣きながら葉佩は緋勇からHANTを受け取って腰にしまった。
 代わりにコンバットナイフを抜き取って、右手に持ったまま歩き出す。
 「いーざゆーかん〜憧れの〜遺跡へ〜♪」
 「歌うな!」
 調子外れの鼻歌に皆守が蹴りを放った。
 どうにもこうにも葉佩の不真面目な態度が気に入らないらしい。
 <墓>には、緊張感と懼れを持って挑むべき。だが、目の前の<転校生>からは緊張感の欠片も見つからない。無論、背後の<大地の王>からも緊張感など感じられないが。
 あまりその辺を説教するわけにもいかず、皆守はただアロマパイプを噛み締めた。
 


 そうして、ともかくはコウモリもどきをナイフでざくざく切り刻んだ葉佩は、また入り口の扉へと戻った。
 「えーと、五対の土偶…やっぱ、ここで良いんだよなぁ」
 HANTを見ながらぶつぶつと独りごちながら、扉を撫でる。
 そのこめかみからたらたらと血が垂れているのを見て、取手が慌ててハンカチを差し出した。
 「あ、あの…血が出てるから…」
 「おー、サンキューっ!ま、このっくらい、舐めときゃ治るけどなっ!」
 そう言いつつハンカチを受け取って、こめかみを押さえる。
 取手は気遣わしげに見つつ、手をぎゅっと握った。
 「あ…つ、次の戦闘では、僕が敵の精気を吸うから…それで、少しは君の傷も治ると思う」
 「んー。でも無理しなくても良いよ?あんま戦うの好きじゃないんしょ?」
 「好きじゃないけど…君のためだから…僕は頑張れると思う」
 「そ、そ、そそそそそそう?う、うわああ、何か照れるなー!そんな風に言われると!」
 顔を赤くして、葉佩はばしばしと取手の腕を叩いた。
 それからわざとらしくHANTを覗き込んで読み上げる。
 「えーと、五対の土偶、南の扉より黄昏に涙せんっと」
 「…何だぁ?その暗号みたいなのは」
 覗き込んだ皆守に画面を差し出しながら、葉佩が首を捻った。
 「いや、何かさー、この通りにすると、明太子が出てくるんだって」
 「…は?」
 「で、それをアラブの石油王が欲しがってて〜、協会経由で送ると約一万円の稼ぎに…」
 「…いや、ちょっと待ってくれ」
 皆守はアロマを持った手で頭をがりがりと掻いた。
 「突っ込みどころが多すぎてどこから突っ込んで良いのか分からんが。…何故、アラブの石油王が明太子を欲しがるんだ?」
 「えーと…確か煌めくような我が親友に捧げるとか何とか…」
 「明太子を?」
 「うん、明太子を」
 「…普通にその辺のスーパーに売ってんじゃないか?」
 「さー。出てくれば分かるんじゃねーの?天香遺跡印の明太子〜とか」
 皆守は、しばし額に手を当てて唸った。
 激しくこれまでの人生というやつと相談しているらしい。
 「百歩譲って、石油王が明太子を欲しがってるとして、だ。何でここで涙を流したくらいで、明太子が出て来るんだ?」
 「さー。理屈は知らないけど、先輩ハンターたちの汗と努力の結集である報告書がそう言ってるんでいいじゃん」
 けろりとして言って、葉佩は「黄昏〜」と呟きながら西を向き、目を擦った。ばちばち瞬くと、じわりと涙が滲んで、その途端足下から金色の光が天へと立ち上った。
 「うっし、クエスト完了っと。これで、井戸から明太子が出てくるはずっ!」
 「…普通、気にならないか!?本当に明太子が出てくるのか、とか、何で出てくるんだっ!とか!!」
 「やだなー、そんなのいちいち気にしてたら先に進まないじゃーん!理屈は知らないけど、蛇口を捻ったら水が出て来まっす。で、同じように、ここで涙を流したら明太子が出てきます。それで良いじゃないかっ!」
 あっはっは、と笑って、葉佩は目尻に滲んだ涙を拭った。
 隅に向かって座り込んで、壁と相談している皆守の背中をばしばしと叩く。
 「まーまー。あんま考えるとはげるぞー?色々、理不尽なことも、全部気にしない!」
 「ちょっとは気にしろ!ちょっとは!」
 真剣にこの<墓>について疑問を抱いた皆守だった。


 それからも順調にひび割れに爆弾を投げつけたり、敵とコンバットナイフで渡り合ったりした葉佩だったが、ついに躓くときが来た。
 「また、この部屋かー。うぅ、俺ってこの部屋と相性悪いのかも…」
 そう、中庭である。
 「坂の下、坂の下…ってどの坂の下だよっ!」
 うっきー!と天井に向かって叫んだ葉佩に、取手がおずおずと声をかける。
 「あ、あの…良かったら、回復…」
 「え?あ、そっか、さっき取手くんに吸って貰ったっけ」
 さすがに集まってきた四体の敵全てからは攻撃をかわせず、傷も出来たし取手の力も借りることになったのだ。
 血の滲んだ左腕を目の高さに上げて、葉佩は苦笑した。
 「地続きの間が大丈夫で、何でこの部屋でダメージ食らっちゃうかなぁ。皆守の助力って、やってくれたらラッキーみたいなもんか」
 「ふん…たまたま眠くなっただけでもありがたく思いやがれ」
 「はぁい、皆守さま」
 おどけたように一礼した葉佩の左腕を取手が掴む。
 「えっと…ごめんね、回復したこと無いから…うまく出来なくて…」
 おどおどと断りながら身を屈め。
 葉佩が硬直した。
 皆守の手からアロマが落ちる。
 傷に口を付けていた取手が、ふと眉を寄せる。
 「ごめん…思ったより、回復しないみたいだ…」
 身の置き場がない、といった風に大きな体を縮こまらせる取手に、葉佩があわあわと右手を振った。
 「い、い、いやいやいやいやいやいやいや!か、か、回復してくれるだけでもすっごく嬉しいわけで!たたたた、た、ただ、その…その回復法は…ち、ちょっとびっくりした…かな〜みたいな〜」
 「…え…」
 取手がきょとんと首を傾げてから、眉間に皺を寄せた。
 「ごめん…気持ち悪かったかな…」
 「い、いや、そーゆーんじゃなく、ですな!えーと、その、ほら、手から吸うから手から出てくるのを想像してたわけ!あ、あはは、あはははは」
 裂けた服の合間から肌に直接触れた取手の唇を思い出して、葉佩は赤くなってそこを押さえた。
 「え…あ、そうか…」
 取手が自分の口を押さえてぼそぼそと呟いた。
 「ごめん…何だか、傷を見たら、舐めなくちゃって思って…ごめん」
 「い、いや、だからさー、謝んなくっていいんだけどさーっ!」
 じたばたと意味もなく手を振り回してから、葉佩はその傷に包帯を巻いて隠した。
 「で、でも、もし顔に傷が出来たらどうするつもりかなーっ!ほ、ほら、口の横にも傷があったりするんだけどさっ!」
 葉佩としては、冗談のつもりだった。
 ちょっとした掠り傷だ。それこそ自分で舐めろ、とか、そのくらい傷のうちに入らない、とか言われるか、それとも今度こそ手で治されるかだと思ったのだ。
 まさか、自分の顔がぐいと持ち上げられるとは思っていなかったため、抵抗もせずにあっさり取手の両手に顔を包まれ。
 唇のほんの数ミリ隣を舐められて硬直した。
 葉佩の様子に気づいているのかいないのか、数度舌を往復させた取手は、ようやく顔を離して、ほっとしたように言った。
 「良かった…このくらいの傷なら治せるみたいだ」
 そこでようやく、葉佩とついでに皆守の様子に気づいて首を傾げた。
 完全に固まっている二人を見比べ、それから助けを求める目で緋勇を見つめた。
 緋勇は、面白そうに三人を見ていたが、取手の目を見返してにやりと笑った。
 「なかなか、大胆じゃないか」
 「え…?えっと…その…」
 「男たる者、そのくらい積極的にアプローチする方が俺好みだが…葉佩には刺激が強かったらしいな」
 「え?え?え?」
 俺好み、というところで頬を赤らめた取手に、ようやく葉佩がぎくしゃくと動き始めた。
 「ひ、緋勇さん、取手くんを口説くのはその辺にして、ですねぇ…」
 「く、口説く…?口説く、なんて…そんな…」
 耳まで真っ赤にして首筋を撫でている取手をかばうように立って、葉佩が緋勇を睨んだ。
 何となく、不愉快。
 どうせ本気でも無いくせにちょっかいを出す緋勇も、緋勇の一言で真っ赤になる取手も。
 何となーくイライラして、葉佩は頬を膨らませて、さっき舐められた箇所をごしごしと袖で擦った。
 その様子を見て、緋勇が唇の両端を吊り上げる。
 楽しそう…と言うよりは、玩具を見つけた悪魔の笑みに似ていた。
 だが、一瞬でその笑みを消して、ふと真面目な顔で目を細める。
 その気配の変化に葉佩も体を緊張させた。いつでも攻撃出来るよう周囲に神経を張り巡らせる。
 「あぁ、いや、ただお前たちの<氣>を見ただけだ」
 緋勇が軽く手を挙げて制するような仕草をした。それすら王者の風格が漂っていて、葉佩はかすかに敗北感を感じてコンバットナイフに掛けた手を離した。
 「取手のその<氣>の吸収はそこそこ使える能力だが、<氣>の放出の方はイマイチだな」
 緋勇が考え深そうに顎に手を当て少し首を傾げた。
 取手が手を握って俯く。
 「ちょっ…緋勇さんっ!と、取手くん、俺、すごく助かったから!傷治してくれて嬉しいし!」
 取手の腕にぶら下がるように抱きついた葉佩が、きっ、と緋勇を睨んだ。葉佩としては、攻撃力が多少低かろうが、傷の回復が少々だろうが、取手が力になってくれるそのことが嬉しいのだ。その取手の好意を蔑ろにするような発言は許せない。
 だが、緋勇は葉佩の視線を意に介した様子もなく、ふん、と鼻を鳴らした。
 「吠えるな、やかましい。…取手の<氣>は<陰氣>に偏っているからな。それでお前には向かないんだろう」
 「い、陰気って…!陰気って何!取手くんはちょっと引っ込み思案かもしんないけど、陰気じゃないだろーっ!?すっごく繊細で優しいだけじゃんかっ!!」
 顔を真っ赤にして突っかかってくる葉佩を指一本であしらって、緋勇はこれ見よがしに溜息を吐いて見せた。
 「その『陰気』じゃない。いわゆる『陰陽』の<陰の氣>だ。…お前もこんな遺跡に潜っているんだ。陰陽思想くらい知っているだろう?」
 「え…えーと…たぶん?」
 てへっと首を傾げる葉佩に額を押さえつつ、緋勇は淡々と解説した。
 「そもこの天地(あめつち)の始まりは、天と地に分かたれ天の熟しすぎたる部分を地の未だ熟さぬ部分に差し込み掻き回すことによって…」
 「うわー!緋勇さん、その表現エロい〜!」
 緋勇は無言で葉佩を見つめた。
 「うきゃあ〜!清らかな思春期の男には刺激が強すぎでぃっす!!」
 「…日本書紀でもはなっからこういう表現だっ!」
 頬を押さえてきゃあきゃあ叫ぶ葉佩の頭に、一つ拳骨を落として、緋勇は何事もなかったかのように続ける。
 「要するに、だ。男尊女卑がどうとかではなく、陰陽思想では、男は<陽の氣>女は<陰の氣>が優勢とされている。さて、ここまでが前振りで」
 指さされて、取手はおろおろしながら自分の手を見た。
 「その力はお前の姉…つまり<女>に与えるべき<氣>の構成になっている。それを男であり<陽の氣>の濃い葉佩に与えたのでは、効率が悪くなるのも仕方が無い」
 解説終わり、と緋勇は肩を竦めた。
 取手は自分の手をじっと見つめて、それからぎゅっと握り締める。
 「あ…それじゃ…どうしたら…」
 困惑して縋るような目になる取手に、緋勇はふむ、と顎に手を当てた。
 取手の頭の先から足までじっくりと眺めると、取手が居心地悪そうにもじもじしながら赤くなる。
 「お前のそれは無意識に<姉>に合わせたんだろうからなぁ…意識的に葉佩向けに構成しろと言っても無理なのだろう?」
 「あ…す、すみません…」
 赤くなった顔を、今度は白くさせて取手は俯いた。
 取手にとっては、役立たずと責められている気分なのだろう。
 しょうがない、と緋勇は溜息を吐いて、取手に近寄った。
 手を伸ばして、頭をぐりぐりと撫でてやる。
 「自由に<氣>を操れる方がまれだ。気にするな」
 「は…はい…」
 「<姉>に合わせたのも無意識なら、葉佩に合わせるのも無意識に出来るだろう。…お前が、葉佩を助けたいと願っている限りは、な」
 「頑張ります…僕は、葉佩くんの力になりたいから…」
 「その意気だ」
 ぼそぼそとした声ではあったが、自分に言い聞かせるように呟いた取手に、緋勇はにやりと笑って、もう一度頭を撫でた。
 緋勇としては、この男は図体はでかいがただの『子供』に過ぎない。葉佩と同様、未熟すぎてつい弄りたくなる愛玩動物の類に見えていた。
 だが、優しく頭を撫でられた取手の方は、また顔を赤くしていた。
 自分が取るに足らない存在であるように思えるところに、急に誉められて、もっとこの人に認められたい、と欲が出てくる。
 そのためにももっと頑張らなくては、と決心して、ふと目を上げると葉佩と目が合った。
 いつも笑っているイメージの葉佩が、その時は妙に無表情で、取手はふと首を傾げる。
 それに気づいたのか、慌てて葉佩が笑顔になった。
 「よく分かんないけどさー、これからもよろしくね、取手くん!」
 「う、うん…僕、頑張るから…」
 「さーて、まずはこのクエストの謎についてかなぁ…取手くんも意見聞かせてねー!」
 そうしてHANTの画面を見せる葉佩を、取手はこっそりと窺った。何だか、微妙に笑顔がおかしい気がしたのだ。どことなく傷ついているような、寂しそうな、そんな気配を感じる。
 けれどそれを口には出来なかった。
 そんなに葉佩をよく知っているというのでも無し、自分の判断に自信も無ければ、仮に当たっているとしても何と言って良いのか分からない。
 だから、誤魔化そうとしている葉佩の思う通り、気づかないふりをすることにした。
 そうして二人で画面を覗いていると、皆守も軽く二人の頭を押しのけるようにして割り込んだ。
 「ふむ…一二の巨人の庭、坂の下より、時と踊らん…ね。ま、部屋は合ってるだろうな」
 「うん、そうなんだよねー。でっかい石像が一二体あるから、それはいいとして…坂の下がなー」
 「でも…坂の下が何カ所かあるって言っても、三カ所くらいだし…全部の場所でやってみればいいんじゃないかなぁ」
 ぼそぼそと言った取手の言葉に、葉佩が、うーん、と唸った。
 「そうなんだけどさー。…実は、時と踊らんってのがよく分からなくって」
 ぱたんと閉じたHANTを、手を出した緋勇に何気なく渡して、葉佩は気乗りしない様子で部屋中央あたりにある段差の下に立った。
 そのまま顎に手を当てて考え込む葉佩を見て、皆守は興味なさそうに石像の一つにもたれかけた。
 「ま、適当にそこで踊ってみたらどうだ?」
 「時の踊り?…知らないなー、そんなの。うーん、ねー、取手くん。時に関するダンス曲って何か思いつく?」
 「え…」
 取手は頭の中で自分の知っているワルツや舞踏曲を並べてみた。
 「えっと…でも、西洋のクラシックが解答…ってことは無いよね…雅楽…あんまり詳しく知らないんだけど…」
 「おー!そうか、そーゆー考え方もあったか!」
 葉佩がぽんっと手を鳴らす。
 考えてみればこの遺跡は日本古来のもの…えー、ちょっとエジプト風味も入ってるけど多分…である。その時代の動作が鍵になっているはずだった。
 「日本古来の踊り…奉納の舞とかかなぁ…うおっ!全然知らね!」
 言いながら葉佩はその場で適当に踊ってみた。
 「ふんばばばばばば、ふんばばば、ふんばばばばば、はっ!」
 「…それは、アフリカっぽくないか?」
 腰蓑一つで踊るのが相応しそうな動作に、皆守が呆れたような突っ込みを入れた。
 「だぁってさー、んじゃ聞くけど、皆守知らない?何か日本古来の踊りっぽいやつ」
 「盆踊りくらいしか知らないな」
 「盆踊りって日本古来かなぁ…」
 葉佩がその場で手をひらひらと踊らせた。
 「やす〜き〜♪」
 「…ドジョウすくいが正解ってのは、すっげぇイヤなんだが」
 ひょっとこの面でも被っているつもりなのだろう、唇を尖らせてがに股で踊っていた葉佩が、すくっと立ち上がって腰に手を当てた。
 「んもー、甲ちゃんってば、文句ばっかり!」
 「誰が甲ちゃんか!」
 「皆守甲太郎さんのことですが?」
 勝手に人をちゃん付けするな!と言おうとした皆守は、隣から小さな声で
 「いいなぁ…僕もあだ名で呼ばれたい…」
 と聞こえてきたため、げほげほとむせた。
 ぱっと顔を輝かせた葉佩が、取手に駆け寄って手を握る。
 「え?なになに?取手くんもあだ名で呼んでいいの!?」
 「『も』って何だよ、『も』って!俺はあだ名で呼んで良いとは一言も…!」
 「うん…あ、葉佩くんがもし良ければだけど…」
 「OKOK!めちゃくちゃOK!うわー!どうしよう、何て呼ぼうかな〜…あ、俺も何か付けてね!」
 「聞けぇっ!」
 「え…えと…どうしよう、でも、本当は僕、あまり人からあだ名で呼ばれたこと無いんだ…」
 「あ、そうなんだ〜…俺なんか、バッキーとかくろろんとかチョロQとかそりゃもう色々とあるんだけどさー」
 今度こそ自分に意識を向けさせようと息を吸い込んでいた皆守は、チョロQという単語に思わず吹いた。
 皆守とて男の子。ご幼少のみぎりには、後ろにタイヤを滑らせたらぎゅるんっと走っていくチョロQの一つや二つ持っていたのである。
 ミニカーとは違う丸っこく小さな車のフォルムと、意外と早く走るそのスピードや、チョロQの『チョロ』という響きが、確かに葉佩のイメージに合っていて、そのあだ名を付けた奴のセンスに感心する。
 「そりゃいいな。よし、お前のあだ名はQちゃんだ」
 「…止めてー!18歳にもなってチョロQは止めて〜!」
 「それじゃ、九ちゃん」
 「耳で聞いた分には一緒じゃん!」
 顔を真っ赤にしてぶんぶん手を振り回す葉佩に、何か他のあだ名を考えようと、取手は一所懸命考えた。九ちゃんが駄目…それじゃ九龍じゃなくて、名字の葉佩の方から…。
 「あ…えっと…は…はっちゃん…」
 「八っつぁん?俺は落語のうっかりさんですかぁ!?」
 「ぴったりじゃねぇか」
 「え…そ、そうじゃなくて、葉佩の『は』なんだけど…駄目かな」
 しょぼんと肩を落とす取手に、葉佩は慌てて手を振った。
 「だ、駄目じゃない、駄目じゃない!うん、良いと思うよ、はっちゃん!Qちゃんよかなんぼかマシ!」
 「だから九ちゃんだって」
 「どっちも『きゅーちゃん』じゃんか!」
 裏手突っ込みをした葉佩は、それから首を捻った。
 ぶつぶつと取手鎌治取手鎌治…と呟く。
 「はっちゃん…てことは、とっちゃん?いやん、何かルパンの銭形警部みたい」
 「それは、とっつぁん」
 「あ…あの…姉さんは、かっちゃんって呼んでくれたんだけど…」
 ほんのり薄紅色の頬で、期待に満ちた目で見られて、葉佩はぐっと詰まった。おそるおそる聞いてみる。
 「い、いいの?その…姉ちゃんと同じ呼び方を、俺なんかが、しちゃって良い?」
 「うん…葉佩くんなら…あ、えっと、はっちゃんなら、良いよ」
 「そ、そう?それじゃ、遠慮なく…かっちゃん。…う、うわぁ!何か照れる!照れちゃいますよ、こん畜生!」
 ばしばしと叩かれて皆守が顔を顰めた。
 「何で、あだ名で呼ぶくらいで照れてんだよ、俺!何つーの!?可愛い女の子に初めてあだ名で呼びかける小学生じゃあるまいし!なぁ!!」
 「俺に同意を求めんじゃねぇっ!」
 とりあえずネックハンギングツリーをかました皆守に、葉佩がじたばたと身藻掻いた。
 「おおう!死ぬ!死ぬから!」
 「いっぺん死んどけ!」
 「…ひどい…甲ちゃん…」
 いきなり潤んだ瞳で見つめられ、弱々しい声で呼ばれて、皆守は思わず手を離した。
 床に蹲ってげほげほと咳き込む葉佩の背中をさすって、きまり悪そうに呟く。
 「あ〜…わ、悪かったよ、九ちゃん」
 「くすんくすん」
 「…わざとらしい泣き方するんじゃねぇっ!」





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