黄龍妖魔學園紀  お友達編 下


 
 そうして、何か他とは違う雰囲気の部屋に入ると、そこには緋勇が座っていて、本など広げていた。
 「あぁ、遅かったな」
 「緋勇さん!あんた何してんのさ!」
 「何って…卒業試験中だと言っただろうが。明日は眼科の試験なんだよ」
 言いつつ本を閉じた緋勇は、目の前の壷にばさりと本を放り込んだ。
 葉佩が慌てて覗き込む。
 「…あれ?何だ?こりゃ」
 「理屈は知らんが、部屋に通じるらしいな。ついでに、依代も引き出せる」
 ほれ、このように、と緋勇はコウモリの翼を取り出して見せた。
 びろーん、と翼を広げている葉佩と興味津々に覗き込んでいる八千穂、それに警戒心も露に睨んでいる皆守、という3人を見て、緋勇はうっすらと笑った。
 「何だ、なかなか良い<氣>の流れになったじゃないか」
 「はい?」
 「単純に言えば、お前を中心にまとまってきた、仲良くなったな、ということだ」
 「うわお!マジ!?やったね!」
 ひゃっほう!と叫ぶ葉佩を手招きして、緋勇は棒きれで床に図を描いてやる。
 「ここは、ピラミッドの逆向きのような感じで、下に行くほど狭くなってるな。そして、下に行くほど<陰氣>が濃い…つまり、敵も強くなってる、という仕組みだ。お前のその装備では、下に行くのはまずいだろうな」
 「はぁ…でもどうせ奥に行かないと…って、宝は!?緋勇さん、宝はあった!?」
 「宝…ねぇ」
 目をキラキラさせている葉佩を焦らすように、緋勇はゆっくりと腕を組んでしばし考えた。
 「いわゆる貨幣価値が高いもの、と言う意味では何も無かったような気がするな。個人的に興味深いものはあったが」
 「え…何があったんすか?」
 ぶすっとした表情でアロマパイプを上下させている皆守をちらりと見て、緋勇は人の悪い笑みを浮かべて見せた。
 そして、わくわくとした表情で見つめている葉佩の頭を撫でて、軽く言う。
 「高濃度のエネルギー体が封じられてるな。喩えて言えば…マグニチュード15くらいのエネルギーか。暴れたら関東一円が沈むくらいだな」
 「マグニチュード15…うおっ!想像つかねぇっ!」
 えーと阪神大震災がマグニチュード8として…とぶつぶつ計算する葉佩の後ろから、八千穂が不安そうな顔で緋勇に迫った。
 「え…それって、いつかは関東大震災が起きる…っていうやつ!?やだー!そんなの怖いよーっ!」
 「あん?いや、俺が龍脈を掌握している限りは、そんなもん起こさせるつもりは無いから」
 さらりと言って、緋勇は肩を竦める。
 「つーか、マグニチュード15ちゃんも、俺が食いたい。こんな高濃度エネルギー体を、放置しておくのは勿体ないしな」
 「…食う?」
 黙って苦い顔をしていた皆守が、ついに耐えきれなくなってぼそりと突っ込んだ。
 だが、緋勇はそれ以上『食う』について解説するつもりは無いらしく、また図を描いた。
 「エネルギーを封じているのは、12の鍵。大広間に封じられた扉があっただろう?あれを全部開くことで、エネルギー体への道が通じる、といった仕組みだろうな」
 「へー。それで?どうやって鍵を開けるんすか?」
 「さぁな。たぶんは、それぞれの区画に<墓守>がいるんだろう。それを倒すことによって鍵が開かれるんじゃないかと思うが」
 それから緋勇の持った木の棒が、複雑な模様を描いた。
 「それに、このルートを歩いていくことにより、それ自体が解呪の印を踏んでいると見たな。もっとも俺は、封術については聞きかじりだが」
 「…えーと、難しいことはよく分かんないんすけど…それはつまり…」
 おそるおそる顔を上げた葉佩に、緋勇は深い溜息を吐いた。
 頭の悪い子供に噛んで含めるように、はっきりとした発音でゆっくり言ってやる。
 「ま、要するに。お前は何も考えずに開かれたルートを歩いて行けば良い。そうすれば、自然と次のルートが開かれ、最終的には最奥部に到着するさ」
 「うすっ!そういう単純な話は得意でぃっす!」
 ガッツポーズをした葉佩を、額を押さえながら見た緋勇は、また溜息を吐いた。
 「お前…それで、よく<トレジャーハンター>なんてやってるな…」
 「いやー、これまでも何とかなってるしー」
 「なってねぇだろ!さっきだって、俺がいなけりゃ立ち往生だっただろうが!」
 思わず突っ込んだ皆守に、葉佩はうんうんと頷いて見せた。
 「そうなんだよなー。だけどピンチになると何故か必ず誰かが助けてくれるんだよねー。いやぁ、人徳ってやつ?」
 「…俺は、たった今、お前を助けたことを後悔したぞ」
 「いやん、これからも頼りにしてます、皆守さーん!愛してるからさーっ!」
 「お前の『愛』は軽いんだよっ!」
 「あぁん、重い『愛』なんて受け取ってくれないくせにぃ」
 「軽い『愛』でもいらねぇよっ!」
 ぎゃんぎゃんと言い合う葉佩と皆守を見て、八千穂は嬉しそうに笑った。
 「仲が良くって嬉しいよ!やっぱり、お友達は大事にしないとねっ!」
 「良い子だな、八千穂嬢は」
 緋勇の言葉に、八千穂は赤くなってぱたぱたと手を振った。
 「い、いやだな、緋勇さんってば、何言ってるの!」
 「おっさん!女子高生を口説くんじゃねぇっ!」
 「…おっさん?」
 一瞬ざわりと走った殺気に、3人が黙り込む。
 言った皆守の背筋にさえ冷や汗が滲んだ。
 しかし、緋勇はあっさりとその<氣>を押さえ込んだ。
 「ま、いい。確かにお前らからすれば、俺はおっさんだろうからな。さあ、行け、若人。友達が待ってるんだろう?」
 「おーっ!そうだった、そうだった!緋勇さん、取手くんは、いた!?」
 「ん…まあ、な。ちょいと奇天烈な格好になってはいたが」
 何かを思い出して、緋勇は目を細めて笑った。
 「お前なら…あれを助けることが、可能なのかも知れないな」
 「そ、そう!?よーし!いっくぞ〜〜!」
 自分の両頬をべしっと叩いて、自分で自分に気合いを入れる。
 マシンガンの装填を確認し、コンバットナイフをいつでも抜ける位置に調整する。
 暗視ゴーグルもずれないように着け直して、葉佩は勇んでその部屋を出ていった。
 
 目の前の蛇が睨み合うような模様の扉に、貝の形の石を填め込む。
 すると、金色の光が立ち上って、戒めが解かれた。
 扉に手をかけると、僅かな力だったというのに、まるで招き入れるかのように内へと開いていく。
 踏み込むと、薄暗い中からゆらりと人影が現れた。
 「…本当に、来たんだね…僕には、関わらないでくれ、と言ったのに…」
 隙間を吹き抜ける冬の風のような声が、その奇妙な出で立ちの男の口から漏れた。
 「うそぉ!その声、取手くんっ!?」
 葉佩が素っ頓狂な声を上げる。
 「な、なになに!?取手くんってばビジュアルバンドのボーカルか何か!?パンクでファンキーってやつ!?うわお、意外〜!」
 「んなわけあるかっ!」
 皆守に膝裏を蹴られて、葉佩の体が一瞬泳いだ。
 その様子を見ても、取手の様子に変化はない。
 「僕は…大切なものと引き替えに、この<力>を授かった…この<神の力>を…」
 取手は両手を握ったり開いたりしながら、葉佩の前に手を突き出した。その手のひらに浮かび上がった紋章を見て、葉佩が真面目な声で呟く。
 「<ホルスの目>…確かに、神の力かも知れないけど…」
 「大切なものと引き替えって…ひょっとして、お姉さんが亡くなっ…」
 「僕には、もう音楽が聞こえない。風の囁き、川の流れ…世の中に満ちていた旋律が、何も聞こえなくなった。…だけど、とても良い気分なんだ!」
 八千穂の言葉を遮って、取手は大袈裟に腕を広げて見せた。
 葉佩の眉間にはこれ以上無いくらい深い皺が刻まれている。
 「よく分かんねー…えーと、音楽が聞こえなくなった、でもって、代わりに<神の力>を手に入れた、でもって、とっても良い気持ち…うーん…」
 両腕を組んで、うんうん唸った葉佩は、人差し指を立てた。
 「…取手くん的には、現状に満足してるってことか?」
 「そうだよ!こうして授かった力で、僕は<墓守>をしているんだ…。生徒会執行委員として、<墓>を荒らした<転校生>葉佩九龍、君を処罰する!」
 伸ばされた手を避けもせず、むしろ近寄るように葉佩はすたすたと歩み寄った。
 そして人差し指を突きつける。
 「じゃあ、何から救って欲しい?」
 「…え…」
 取手の手は、葉佩の額に当たっている。
 <ホルスの目>が立てる低い唸りも聞こえているだろうに、真っ向から取手を見つめて葉佩は問うた。
 「取手くんは「誰も僕を救えない」と言ったよ?それって、救って欲しいってことっしょ?自分で言って。何から救って欲しい?…本当に、その<力>を得て、嬉しい?」
 「…あぁ、嬉しい、よ…」
 喉にごろごろと絡むような聞き取りにくい声で、取手は呟いた。
 「この手で、他の女の子の精気を吸うんだ…くだらない女どもの精気を吸って、姉さんの手を、元通り、綺麗にするんだ…!」
 「…死んでるのに?」
 「姉さんは、死んでないっ!姉さんはいつでもそこにいるんだっ…!」
 取手は僅かに目を逸らした。
 自分の隣に立つ女性を確認するかのように、視線を上下させ、頷く。
 「姉さんが言ってるよ…君の精気が欲しいって…!君の手の…精気を、寄越せ!」
 取手の手が葉佩の手に伸びた。
 葉佩はまるで何かを渡すような気軽な動作で両手を取手に向ける。
 「葉佩くんっ!」
 飛びだそうとした八千穂の肩を緋勇が捕まえた。
 「やめろ。葉佩に任せておけ。…俺も、興味深い。どこまで『お友達』のためにやれるのかってな」
 背後のやり取りなど聞こえていないように、葉佩はちらりとも振り返りはしなかった。
 握られた手が干涸らびていくのを興味深そうに見守りながら、葉佩は低く言った。
 「一応、聞いておくけどさ。…姉ちゃんって、そんなこと言う人だったんだ?自分の手が動かなくなったからって、他人の手を犠牲にしてでも自分の手を治したいって言う人だったんだ?」
 弾かれたように取手が顔を上げた。
 手を振り払い、背後に飛ぶ。
 葉佩は首を傾げて続けた。
 「ルイ先生によると、取手くんの姉ちゃんは、もう病気で亡くなられてるんだってさ。…取手くんに「精気が欲しい」って囁いてる人は、本当に姉ちゃん?」
 「うるさいっ!」
 取手が耳を塞ぐ。
 「うるさいうるさいうるさい!認めるものか…!姉さんは…きっと、姉さんは、僕が治してみせるんだっ!そうしたら、前と同じように、綺麗な手で僕にピアノを弾いてくれるはず…!」
 「でも、その旋律は、取手くんには聞こえない。…なるほど、確かに救った方がいいやね、これは」
 うんうんと頷いて、葉佩は感覚の無い両手を振った。
 「本人が納得してるんなら、まあいっかーとも思ったんだけど」
 周囲に沸き上がるように現れたサソリもどきを見回して、葉佩はマシンガンを手にした。
 肩を叩かれてびくりと飛び跳ねる。
 「ちょっと、緋勇さん!足音立てずに近寄らないで下さいよっ!」
 「良いから、手を貸せ、馬鹿者が」
 うんざりしたように言った緋勇が背後から葉佩の腕を掴む。
 じわりと湯に浸されたような感覚と共に、腕に精気が戻る。
 「個人的には、ああいう幸せな坊ちゃんは、この手で殴り飛ばしてやりたいがな」
 「幸せ!?僕が幸せだって…!?」
 闇の奥から取手の悲鳴のような声が聞こえる。
 そちらを向いて、緋勇はふん、と面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
 「恵まれてると思うがね。たとえば、俺は両親を悼む気の欠片も無い。何故なら、母親は俺を産むと同時に死んだし、父親は1歳の時に死んだんで、記憶が全く無いからだ。それ故、両親の死は、俺にとって何ら影響を及ぼさない」
 すい、と指した人差し指は、闇の中、完璧に取手の顔に向けられていた。
 「お前が姉を悼むのは、姉を愛していたからだ。幸せな記憶があるからこそ、悼む気にもなる。端から悼むべき記憶が無いのと、思う存分悼むことが出来るのと。さて、どっちが幸せだと思う?」
 「う…うるさいうるさいうるさいっ!」
  きぃいいん!
 空気が歪む音がした。
 放たれたそれを、緋勇は片手で払う。
 「言っておくが、俺は葉佩ほど甘くは無い。俺の基準は単純明快。…俺に楯突く奴は、全て敵!」
 その場にいた全員の目に、緋勇の体から金色の光が立ち上るのが見えた。
 炎のように渦巻くそれが、緋勇の体にまとわりつき金色の龍となる。
 それは8つの頭の龍となり、四方へ飛散した。そして、床に這うサソリもどきを食らっていく。
 食い尽くしても、光は収まらなかった。
 囂々と音を立て緋勇の周囲を取り巻いている。
 「さて、取手。俺に攻撃をした、その贖いをして貰おうじゃないか」
 ずいっと進む緋勇の腕を掴もうとして、葉佩は悲鳴を上げた。
 手のひらに走った電撃のような痛みに、両手にふーふーと息を吹きかけながらも全速力で駆けていき、緋勇と取手の間に走り込んだ。
 「ちょーっと待ったぁああ!」
 取手に背を向け、両手を拡げて緋勇の真正面に立つ。
 「どけ、葉佩」
 「駄目ですって!あんた、取手くんを殺す気ですかいっ!」
 「あぁ、その通りだが?俺に歯向かったからな。取手もお前を殺そうとしたぞ?何が悪い?」
 「な、何が悪いとかじゃないでしょうがっ!取手くんは、俺の友達なのっ!友達は殺すもんじゃないのっ!ゆー、あんだすたんっ!?」
 カタカナ発音のそれに笑いもせずにただ光を増した緋勇の目に、震える足を叱咤するように、葉佩はますます声を大きくした。
 「俺はねっ!友達は裏切らないっ!友達を殺そうとするってんなら、まず、俺が相手になるからねっ!」
 「良い度胸だ」
 くっ、と緋勇が喉で笑った音がした。
 だがその声に含まれるものに、見守っていた皆守が緋勇の背後から走り寄る。
 「ちょっと、待てよ、あんたっ!」
 緋勇の背中から唸りを上げた<氣>が金色の龍の形となり、皆守を吹き飛ばす。
 「邪魔をする者も、敵と見なす」
 冷徹な声と同時に、葉佩の足が浮き上がった。
 鳩尾に叩き込まれた拳が、二つに折った体を持ち上げる。
 「ぐっ…!げほっ!!」
 苦悶にのたうつ葉佩を冷ややかに見つめて、緋勇は宣告した。
 「もう一度、邪魔をするなら、今度は手加減しない」
 「ぐ…こ、これで手加減…っ!?」
 がはっと吐いた胃液に、血が混じっている。
 喉から喘鳴を漏らしながらも、葉佩はふらつく足で立ち上がった。
 そうして、背中のマシンガンを降ろし、緋勇へと向ける。
 「おいっ!それはやばいだろ、葉佩っ!」
 この男に銃を向ける、それが意味するものを悟って、皆守が叫んだ。
 そして、今度は緋勇を捕まえるのではなく、攻撃するために足の力を撓めた。
 「もう一度、言おう。良い度胸だ。…だが、頭は悪いな、坊や」
 だんっと緋勇の足が踏み込まれた。
 右の拳に金色の光が集まる。
 乾いた音を立てて発射されたマシンガンの弾丸が、緋勇の体に触れる前にじゅっと溶ける。
 そして、拳が葉佩の体に触れる直前。
 
 葉佩は、転がった拍子に床に肋をしたたかぶつけて呻いた。
 慌てて頭を上げると、緋勇と対峙した取手の姿が見える。
 何が起こったのだろう。
 確か、もう駄目だと思った瞬間、肩を強く掴まれて…。
 故意に投げ飛ばされたのだ。取手が、緋勇の攻撃から葉佩を守った?
 「ふん…ま、合格だな」
 緋勇が面白そうに呟いた。
 取手は黙って自分の手を見つめている。
 「その分なら、見込みはある。完全に<陰氣>に成り果てているなら、浄化するのもまた救済かと思ったが」
 ふわり、と緋勇の体が沈んだ。
 先ほどまでとは異なる、まるで攻撃しているとは思えない舞うような動作に思わず見惚れる。
 「はあああああああっ!!」
 裂帛の気合いと共に、緋勇の腕から金色の奔流が取手へと撃ち込まれた。
 「ちょっ!取手くんっ!!」
 慌てて身を起こし、走り寄ろうとした葉佩の目の前で、取手の体が金色の光に包まれる。
 そして。
 それに追い出されるように滲んだ黒い影に目を見張った。
 「何だぁっ!?ちょっと!緋勇さん、何してるんすかっ!」
 黒い染みがどんどんと大きくなる。それは、よく見れば細かな粒子で、気体ではなく固体のようだったが、取手の全身を覆うように膨らんだ。
 取手が悲鳴を上げた。
 次の瞬間、巻き起こったエネルギーに跳ね飛ばされる。
 壁に激突する寸前に金色の光に覆われた葉佩は、ふわりと床に着地した。
 見れば、皆守と八千穂も無事に立っている。
 「お前の分かり易いように言えば、あれが取手に取り憑いて悪さをしてたってとこか。あれを倒せば、新しい展開も見えてくるだろうよ」
 まるで壁が地面ででもあるかのように横向きに立っている緋勇が、くつくつと笑った。
 「お友達を助けるんだろう?お前が、やると良い」
 「うすっ!やりますっ!!」
 金色の光に包まれた時に、緋勇にやられた傷も治っている。
 葉佩は暗視ゴーグルを降ろして、気合いを入れた。
 「やっちー!スマッシュ頼むなっ!」
 「OKっ!」
 手近なコウモリもどきにマシンガンを叩き込んで、葉佩は闇の奥を透かした。
 これまで会ったのとは桁違いにでかい妖物が、こちらを見てにぃっと笑った。
 美しい女の面が、すぅっと息を吸い込む。
 「あ〜、眠い」
 気怠げに立っていた皆守が、葉佩にもたれかかる。
 「サンキュー皆守っ!愛してるぜっ!」
 「俺は、眠いだけだっつーの」
 軽口を叩きながら、マシンガンの射程まで滑り込む。
 腹から上へとマシンガンを乱射した葉佩は、女性の面が驚いたような顔をしたのを見て、にんまりと笑った。
 「ごめんねー、おばさんっ!取手くんのために殺されてやって下さいっ!」
 そうして撃ち込まれる弾丸の数に、壁に立った緋勇が呆れたように首を振った。
 「博愛主義ってわけじゃないんだな。ま、そうじゃなきゃ死ぬだけだが」
 人間のような悲鳴を残して、敵が消滅する。
 HANTの女性の声が、淡々と戦闘終了を告げた。
 心なしか明るくなった室内で、床に横たわる取手に駆け寄った葉佩は、天井から降ってきたものに首を傾げた。
 呻きながら身を起こした取手が、それを手に取る。
 「楽譜…姉さんが、僕のために作ってくれた曲…」
 取手の指が、何かを弾いているかのように交互に動く。
 「あぁ…姉さん…そうだね…音楽は、人の心に似ている…音楽を忘れることは、心を失うのも同然だ…」
 俯いた取手に目線を合わせるように四つ這いになった葉佩が、恐る恐る声をかけた。
 「えーと…取手くん?」
 ゆっくりと取手が顔を動かす。
 そして、被っていた皮のマスクを脱ぎ捨てた。
 「葉佩くん…ごめんね、君の精気を吸ったりして」
 葉佩はぶんぶんと勢い良く首を振った。
 にっかりと笑い、取手に手を出しながら立ち上がる。
 「取手くんが元気なら、それでよしっ!!」
 葉佩に手を取られて立ち上がった取手は、大事そうに楽譜を抱き締めながら、小さく言った。
 「君は…強いね」
 「へ?俺?いやー、強くない強くないっ!緋勇さんのパンチ一つで沈んだもんっ!」
 けらけら笑って、葉佩はばんばんと取手の肩を叩こうとして…背が足りないのに気づいて腰の付近を叩いた。
 「緋勇さん…あの…彼は、何者なんだい?」
 ちらりと取手が緋勇を見た。
 面倒くさそうにヤンキー座りをしている緋勇が、ちらりと目を上げた。まあ、座っているのは壁というのが如何にも人間離れしていたが。
 葉佩は、首を傾げて、それから頭をがしがしと掻いた。
 「説明、難しいんだよなー。本当は部外者でー、でも探索には来て貰わないと困って〜、あ、でも、緋勇さんがここにいることは内緒にしておいて欲しいんだけどっ!」
 ぱんっと拝むように両手を合わされて、取手は慌てて手を振った。
 「あ、うん。分かった、内緒にしておく。…その…君の正体も良く分からないんだけど…あ、生徒会には報告しないからっ!」
 「俺?俺は…<トレジャーハンター>!世界中の<秘宝>が俺を待っているっ!」
 びしぃっと人差し指を天井に向けてポーズを取った葉佩に、取手が思わず吹き出した。
 「あ、可愛い!取手くん、笑うと可愛い!」
 大発見〜!と嬉しそうに笑う葉佩に、取手は戸惑ったようにもじもじしながら周囲を見回した。
 皆守に半目で見られているのに気づいて、ますます体を小さくする。
 睨まれている、と言うのでは無いが、何となく…好意的には見られていない気がしたので。
 対して、八千穂は嬉しそうに取手と葉佩を見ている。
 「良かったね〜、取手くんっ!」
 「あ…ありがとう…」
 「でも、あの黒いのって、何かなぁ…」
 うーん、と首を捻る八千穂に、葉佩も一緒になって首を傾げた。
 が、すぐにけろりとして腕を頭の後ろで組んだ。
 「ま、どーでもいいじゃん!よく分かんねーけど、取手くんは音楽が聞こえるようになったみたいだし、結果オーライってやつで!」
 「そうだねー!考えるの苦手だしっ!へへっ」
 「あ、俺も俺もー!考えるより産むが易しっ!とかー、下手な考え休みに似たりとかー、当たって砕け!とかー」
 「砕くなっ!」
 思わず蹴った皆守に、葉佩はおおう!と悲鳴を上げて取手の背後に逃げ込んだ。
 「取手くん、助けてーっ!皆守が虐めるーっ!」
 「え…」
 おろおろと背中の葉佩を見た取手が、不意に手をぎゅっと握って皆守を見つめた。
 「は、葉佩くんを虐めたら、ぼ、僕が許さないから!」
 普段は丸い背筋をぴんを伸ばしてそう言った取手に、皆守はぽかんと口を開けた。落ちかけたアロマを慌ててすくい上げて、うんざりしたような声を出す。
 「お前…小学生じゃねぇんだから…」
 「取手くーんっ!ぼかぁ嬉しいよっ!!」
 きゃあきゃあ言いながら葉佩が取手の背中に抱きついた。
 そのままよじよじとおんぶのように登ったが、取手は動じずぴくりともしなかった。
 それを良いことに首にしがみついた葉佩が、取手の肩越しに皆守に舌を出す。
 「葉佩…てめぇっ!」
 「やだわ、皆守さんってば大人げないんですものー」
 「女言葉になってんじゃねぇっ!」
 「み、皆守くんっ!精気を吸うよ…!」
 きゃあきゃあと追いかけっこを始めた3人を見て、緋勇は壁に座ったまま呟いた。
 「若いねー。やっぱ俺も、もう年だわ」
 

 
 ロープを伝って地上に戻ってきて、取手はごそごそと着替えをした。
 それから、葉佩にプリクラを差し出す。
 「その…君と僕との、友情の証に…」
 「友情!?お友達っ!?うわお、取手くん、ありがとーっっ!!」
 取手にがしっと抱きついてから、葉佩はいそいそと生徒手帳を取り出し、シールをぺたりと貼った。
 「僕の力は…化人にも効くから…君がまたここに来るときには、呼んで欲しい。君は僕を助けてくれた…今度は、僕が君の力になる番だ…」
 んー、と葉佩は首を傾げたが、すぐににかりと笑った。
 「恩義とかは必要無いけどー。でも、取手くんとも探索してみたいし、遠慮なく呼ばせて貰いまっす!」
 「う…うん」
 葉佩のテンションに付いていくのがやっとな取手は、少し戸惑ったが、しどろもどろながらに頷いた。
 それを面白くなさそうに見ていた皆守が、皮肉げに唇を歪めた。
 「こいつに付いていくのは大変だと思うがな」
 「うん…僕も、そう思うけど…でも、一緒に行きたいんだ。僕のこの力を、葉佩くんの役に立てたいから…」
 そうして、自分の手のひらに浮き出た<ホルスの目>を取手はじっと見つめた。
 これは弱き心から生まれたものだが、使いようによっては攻撃も回復も可能だ。あんな風に無茶をする葉佩の役に立てるに違いない。
 それなら…この力を得たことを、後悔せずに済む。
 「…話がまとまったところで」
 その声に、取手はびくりと体を揺らし、振り返った。
 炯々と光る目が、自分を見つめている。
 緋勇が足音もなく近寄ってきて、触れ合うくらいの距離で取手を見上げた。
 「お前の<黒い砂>を追い出すために、<陽の氣>を注ぎ込んでやったが、もう必要無いだろう?人間、陽と陰はバランスが取れているのが一番だ」
 「え…えっと…あ、その、ありがとう、緋勇さん」
 「だから、返せ」
 おたつきながら自分の<黒い砂>を追い出してくれたことに礼を言えば、緋勇はにやりと何かを企んでいるような顔で笑った。
 返せってどういうことだろう、手から精気を返せば良いんだろうか?と考え込んだ取手の首もとのシャツが引っ張られる。
 釣られて頭を下げた取手の首に、緋勇の手が回る。

  うちゅー。

 「ひ、ひ、ひ、ひ、ひ、緋勇さぁあああんっっ!何やってんすかああっ!」
 一番に悲鳴を上げた葉佩を後目に、緋勇はしばらく取手と唇を合わせていたが、不意に手を離した。
 何かを食い終わったかのような仕草で、自分の口を拭う。
 「ふー、ご馳走さん」
 「ご馳走さん、じゃないっしょ!!ちょっと、あんた取手くんに何するんですかっ!?あんた、そーゆー趣味っ!?」
 「<氣>を返して貰う、と言っただろう?この地は龍脈が断たれていて、下から補充出来んのでな」
 「こ、拳から注ぎ込んだじゃないっすか!手から戻せばいいっしょおお!?」
 「本当は、もっと効率の良い取り返し方もあったんだがな。それは勘弁してやったぞ?」
 にやりと笑った緋勇が、指でちょいっと取手をつついた。
 ズボンの上から…取手の下半身を。
 「緋勇さぁああああんんっっっ!!!」
 じゃきっとマシンガンを構えた葉佩の顔は真っ赤だ。
 同じく取手の顔も真っ赤である。
 それがふらーっと倒れてきたため、葉佩はマシンガンを放り出して慌てて取手の体を支えた。
 取手は手で口を覆ってぶつぶつと呟いている。
 「うん、うん、野郎にキスされても、それだけでどうにかなったりしないからなっ!?気をしっかり持てよ、取手くんっ!!」
 目の虚ろな取手の肩を揺さぶって、葉佩は涙目で緋勇を見上げた。
 「緋勇さぁん…」
 「若いなー」
 「謝れっ!取手くんに謝れっっ!」
 「あっはっは、悪かったな、若人。ま、お望みなら、もっと気持ちの良いキスしてやるから、勘弁な」
 「それ、謝ってねぇっっ!」
 ぎゃんぎゃん噛み付く葉佩を適当にあしらって、緋勇は手をポケットに突っ込んで歩き出した。
 「さ、帰って寝るぞ。明日は眼科の試験なんでな」
 「もー、信じらんねぇっっ!」
 未だ身動き一つしない取手の頭をわしわしと撫でながら、葉佩は去っていく緋勇の背中を睨み付けた。
 皆守が新しいアロマを入れて火を点ける。
 「良いじゃねぇか。気持ちよかったんなら」
 「よかねーだろっっ!あぁ、取手くん、大丈夫かっ!傷は深いぞがっくりしろ、べんべんっ!」
 「…深くてどうするっ!」
 とりあえず突っ込んだ皆守だったが、顎に手を当ててしばし考え込んだ。
 「おい、葉佩」
 「何よ」
 「ひょっとして…お前、あいつと一緒のベッドに寝るのか?」
 「うん、そりゃまあ、そうなるけど…おおおおおおおおっ!?」
 ふと気づいて葉佩は悲鳴を上げた。皆守の胸ぐらを掴み、がしがしと揺さぶる。
 「どどどどどどうしよう、皆守っっ!俺、そりゃ外国暮らしもしたし、でっけぇ野郎どもと仲良くもなったし、唇くらいは奪われたこともあるけど、ケツは無事なんだよっケツはっ!どうしよう、ひょっとして俺ってば貞操の危機っっ!?」
 「…あー…まー…しょうがねぇ。やばかったら、俺んとこ逃げ込んで来い。床くらい提供してやるぜ」
 「うううう、ありがとう皆守ぃ…ちょっとだけ心強いよ…」
 だばだばと涙を流しながら、葉佩は項垂れた。
 ぐいっと拳で涙を拭って、きらりんと星空を見上げる。
 「お父さんお母さん…貴方の息子のケツをお守り下さい…」
 「…ひょっとして、お前のご両親は…」
 「いや、ぴんぴんしてるけど」
 とりあえず尻を蹴った皆守は、未だ手で口を覆ったままフリーズしている取手もついでに軽く蹴った。
 ようやく電池が入ったかのようにぎくしゃくと腕を降ろす。
 露になった顔は…どことなくうっとりした色を帯びていた。
 「ファーストキス…だったんだ…」
 「あー…そりゃ気の毒にな…」
 「緋勇さん、か…強くて格好良い人、だね…」
 「…取手…?」
 これは、駄目だ、と皆守は悟った。
 夢見る乙女の顔になっている。
 カウンセラーあたりに言わせたら、心の防御反応だろう、ということになりそうだが、実際問題としては、取手がぽやーんとした顔で緋勇が去った方向を見ているのが、今ここにある事実だ。
 どうしたもんか、と皆守は思った。
 そして、一瞬で思考を放棄した。
 面倒くさいことには関わらないのが一番だ。
 「さて…あ〜眠いぜ。帰るか…」
 「お、おう…俺も帰ろうっと…じゃあな、やっちー、おやすみー」
 「うんっ!お休み、葉佩くんっ!今日は面白かったよっ!」
 元気良く手を振る八千穂を見送って、葉佩はのろのろと男子寮へと足を向けた。
 ふわふわとした足取りで歩いていく取手の後ろから付いていきながら、葉佩は『もしも』についてせっせとシミュレートを重ねたのだった。


 さて、葉佩が心配したような『何か』は起きないまま数日が過ぎ。
 半分寝たような顔で音楽室に座っていた葉佩は、戸口から現れた人物を見て立ち上がった。
 イスががたんっと大きな音を立てたが、クラス全員が入り口を向いたため注目はされなかった。
 「今日からピアノの授業に入ります。A組の取手くんを特別講師として迎えました」
 微妙に音楽教師の顔がひきつっているのが気になるところだ。
 取手は、小さく礼をした後、立ち上がった葉佩のところへとのそのそとやってきた。
 「君達が取り返してくれたから…僕は、再び音楽を奏でることが出来る。ピアノを弾いていると、これが僕にとってどんなに大切なものであったか分かるんだ。そして、そのたびに君たちのことを思い出すんだ」
 「そ、それは…どうも…」
 寡黙な取手が熱を込めてそう話すのを、ちょっと呆然と見てから、葉佩は照れ臭そうに笑った。
 「ま、良かったよ!取手くんが元気そうで!!」
 「うん…本当は、あの人にも聞いて欲しかったんだけど…」
 葉佩にだけ聞こえるような小さい声で呟いて、取手は顔を上げた。
 「今は、君のために弾くよ。君達が取り返してくれたものが、僕にとってどんなものなのか、その耳で確かめて欲しい。それから」
 また小さな声に戻って、葉佩に囁いた。
 「あの…今度、あの人にも聞いて欲しいんだ。それで…それに相応しいくらいの音かどうか、君に確かめて欲しい」
 「え…い、いや、俺、音楽的素養は無いんだけど…うん、でも、聞くよ!寝たりせずに目ぇ見開いてしっかり聞くから!」
 「うん…それじゃ、後で」
 穏やかに微笑んで、取手はピアノに向かった。
 クラスの皆は少しざわついていたけれど、ピアノの音が流れ始めると静かになった。
 葉佩は、取手の大きな手から紡ぎ出される繊細な調べに目を細めた。
 技巧の優劣など分かりはしないが、それがとても心地よい音であるのは確かだった。
 
 ただ。

 何となく。

 その熱を込めて囁くような、訴えかけられているような旋律が、自分ではなく緋勇に向けられたものだと思うと。
 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、ちくり、と胸が痛んだ。
 だが、葉佩は慌ててそれをしまい込む。
 友達が誰か他の人間を好きになったら、応援するのが友情ではないか。…まあ、相手が年上の男だということは、この際目を瞑っておくとして。
 焼き餅だなんて、そんなのは、『友達』としてあるまじき感情だと思う。
 取手が望むように、緋勇にこれを聞かせる機会を持たなくてはならない。
 さて、そのためにはどうしたら良いだろう?
 
 葉佩はふと目を閉じた。
 こんなに胸がちくちくするのは、この音を聞いているからだろう。
 全身で恋を歌い上げている、その熱に巻き込まれたからなのだろう。
 誰か特定の人を好きになるって、どんな気持ちなんだろう。
 そっち方面にはかなり疎いと自他ともに認めている葉佩は、小さく溜息を吐いたのだった。




中編に戻る


九龍妖魔学園紀に戻る