現行民法の単独親権の現状
最終更新日:'04.10. 7.

 
 単独親権は、現行民法の第819条によって規定されています。

 父母が協議上の離婚をするときは、その協議で、その一方を親権者と定めなければならない。
2 裁判上の離婚の場合には、裁判所は、父母の一方を親権者と定める。
3 子の出生前に父母が離婚した場合には、親権は、母がこれを行う。但し、子の出生後に、父母の協議で、父を親権者と定めることができる。
4 父が認知した子に対する親権は、父母の協議で父を親権者と定めたときに限り、父がこれを行う。
5 第1項、第3項又は前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所は、父又は母の請求によつて、協議に代わる審判をすることができる。
6 子の利益のため必要があると認めるときは、家庭裁判所は、子の親族の請求によつて、親権者を他の一方に変更することができる。

 上記の条文の「その一方」を「少なくとも一方」と代えてくれるだけで共同親権が実現できます。

 現行民法の第766条は以下のようになっています。

 父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者その他監護について必要な事項は、その協議でこれを定める。協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所が、これを定める。
2 子の利益のため必要があると認めるときは、家庭裁判所は、子の監護をすべき者を変更し、その他監護について相当な処分を命ずることができる。
3 前2項の規定は、監護の範囲外では、父母の権利義務に変更を生ずることがない。

 この条文通りになっていれば、日本でも親子が交流できない、というようなことは起こりえないのですが、実際には養育親が親子の交流を妨害してしまうと家裁には何の権限もないのです。殆どの家裁関係者は親子の交流が継続できるように心を砕いて惜しみない努力を続けてくださっているとは思いますが、調停や審判の内容を養育親が無視しても何らの法的制裁も受けないため、養育費を払っているのにもかかわらず子どもに会えない父親・母親が日本には多数います。
 膨大な訴訟・調停を抱える家裁になると、時間的な制約のため、どうしても細かな点まで目が行き届かず、切り捨てられてしまう父親・母親が出てきてしまいます。家裁にしてみれば何千件のうちの一件かも知れませんが、当事者にとっては我が身にも代えることができない我が子です。どうしてもトラブルが発生することになります。また、離婚訴訟を有利に運ぶために、非養育側の親と子どもとの関係を引き裂き、激しい精神的苦痛を与えることにより、離婚訴訟に勝利することを目ざす弁護士もいます。家裁で埒があかない事態になってしまった非養育親が、連れ去り、心中、果ては殺人などの違法行為に走ってしまうような事例もマスコミに報じられています。

 こうした事態に対して、子どもを想いつつ違法行為にも走らない非養育親は、養育親に対して奴隷的忍従を強いられることになります。それでも親子の交流ができればまだ我慢もできるでしょう。しかしながら、非養育親が忍従の限りを尽くしても養育側が子どもとの交流を認めようとしない場合、養育側に対して激しい憎悪・怨念を抱くことになってしまいます。ところが、非養育親の心のケアを行っているようなウェブ・サイトでも、こうした憎悪感に対しては厳しい答が返ってきます。あくまで、子どもを監護している養育親に対しては感謝の念を持つべきだと言われます。結局、我が子への思いを果たせない非養育親には、この日本の中では心の苦しみをぶつける場所すら存在しないのです。日本では長引く不況の影響で多くの自殺者を出していますが、経済的理由による自殺者の大半は実はこうした家族間の問題によるのではないかと想像します。私自身、行き詰まればこの世には何の未練もありません。親子の交流に冷淡な日本には何の魅力も感じません。
 やり場のない苦しみに耐えかねた非養育親は、最後には仕方なく我が子の存在を頭の中から抹消し、養育費支払いを拒否して新しい人生の方に向かうことになり、経済的にも精神的にも被害を被るのは実親と引き裂かれた子どもたちということになります。「青年の主張」といった弁論の場では、継親に育てられた子どもが涙を流して継親への感謝の気持ちを述べるようなシーンが見られます。実親がしっかり面倒を見ていれば、彼らが涙を流すような必要があるのでしょうか?

 離婚にはさまざまな事情があります。子どもを虐待する親もいます。事情によっては親子の交流に制限ができることも子どもの利益のためにはやむを得ないことでしょう。しかしながら、親子の関係を断絶する理由のない離婚も数多くあります。また、子どもへの愛情の深い側が配偶者より離別を宣言されてしまう、ということも数多くあります。現状では、親権を親同士で争う場合、特段の事情がなければ親権は母親の方に行きます。暴力夫でもなく、酒乱でもなく、経済力のある子煩悩な父親でも親子の関係を裂かれることがあります。それに対する救済手段は現行法には全くありません。親が親としての想いを果たそうとしても何もできない、これが基本的人権を蹂躙する憲法違反でなくて何なのでしょうか?

 民法学者のの中には、二宮周平立命館大教授、棚村政行早大教授のように、面接交渉権明文化、共同親権法制化に前向きな研究者もいます。しかしながら、夫婦間に紛争がある場合には非養育親と子との面接交流は子の利益にならないから認めるべきでない(こういうことを言う法学者から見れば、私のような人間は、子どもを大切にする虫けら以下、基本的人権の対象外の存在で、世の平和のためには早くこの宇宙から消えてなくなれと言うのでしょう)と書いてある民法の本、調停合意内容を無視して父親と子との面接交流を拒否し続けた養育親に対して500万円の慰謝料を命じた浜松地裁の判決を批判するような民法の本も書店に並んでいる状況で、他の先進諸国の動向とは逆に、共同親権・共同監護は日本では時期尚早、状況的に無理などと言われているのが現状です。私の寿命が尽きるのと日本が共同親権になるのとどっちが先かというくらいに、共同親権への道のりはまだまだ遠いと言わざるを得ません。


 
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