共同親権実現の方法(地域共同監護)
最終更新日:'04.10.12.

 
共同親権法制化と言っても、民法の第766条や第819条の条文をちょっといじるくらいのことです。国会議員がその気になれば、一日でできるくらいのことでしょう。これだけでも、家庭裁判所などの対応は大きく変わるだろうし、親子の間を引き裂いて激しい精神的苦痛を相手側に与えることにより離婚訴訟を有利に進めるという戦術をとる弁護士はいなくなると思うので、大きな進歩には違いありません。
ですが、これだけでは、共同親権・共同監護になったことにはなりません。離別した親同士が子どもの養育に関してはいがみ合うことを許さない、という社会的通念ができてくれないと、法律だけでは意味がないのです。これは現行の民法766条が決して面接交流を制限をしてもいないのに、面接交流を阻害されている実親が日本中に多数いる、ということでもわかります。罰則を設けるべき、という主張もありますが、これでは、養育親が子どもを非養育親に会わせたくないという気持ちを増幅させることになってしまいます。
児童福祉法になるのか、あるいはもっと別の法律になるのか、現時点では理系の私にはよくわかりませんが、親権絶対ではなく、子どもたちを社会全体で監護養育してゆく、という社会システムが必要だと思います。町内会になるのか、あるいは、小学校の学区になるのか、その地域に住んでいる住民が共同でその地域の子どもたちの成長に責任を持ち、どういう子どもがどの家に住んでいるかを相互に把握し合い、イベントを企画することもあるだろうし、学校に申し入れをすることもあるだろうし、登下校に付き添うこともあるだろうし、ときにはいじめ問題で相談しあうこともある、というようなシステムが法律上で強制されるべきだと思うのです。離婚により離れて暮らす親の共同監護もこうした地域共同監護と同じ枠組みで考えることができると思います。
こういうことを言うと、子どもの名簿を地域で共有などしたら、各家庭のプライバシーが守られない、子どもが危険にさらされる、という意見がよく出てきます。でも、各家庭の中で子どもを虐待していても周囲がその危険性に気づかないプライバシーなら守られる必要はありません。現在、公立学校の中にはホームページを公開していても、学校行事日程などについて全く記さない学校があります。大阪池田小の事件、ロシアの北オセチアで起こったテロ事件によって小学校が過剰防衛に走りすぎているのではないかと思います。とにかく何も起きて欲しくないという事勿れ主義だけで全てを見えなくしてしまう、というのでは、地域住民も離れて暮らす親も、たとえ児童虐待があることがわかって子どもたちを守ろうとしても何もできません。そんな危険な状況があるのなら言ってもらえれば何とかしたのに、ということがあっても知りませんでしたで終わってしまいます。社会の皆で分担し合って共同で子どもたちを守る、そして、みんなの目の届くところに子どもたちを置いておく、という視点が必要だと思います。
北オセチアのテロのような場合には、地域住民、まして学校関係者の手には負えません。その危険性があるなら、国家規模の警備が必要でしょう。こうしたレベルの危険性は、情報を公開する、子どもを見えるところに置いておく、ということで危険にさらされるというレベルのものではありません。大阪池田小の事件のような場合には、学校内で絶えず、地域住民が何らかの活動、NPO活動かも知れないし、清掃協力かもしれないし、あるいは、学校施設を利用した趣味サークル活動かも知れないし、そうしたことが行われていれば、容易に外部侵入者が入り込む、ということは防げるのではないかと思います。そうした活動に参加している、非養育親も交えた地域住民がお互いを見知っていてなおかつどんな人なのかを理解しあっている、ということがあれば、不測の事態は充分に防げるはずです。女性の親だけがこうした活動に参加するのでは女性の社会参加を妨げることになるでしょう。男女にかかわらず強制的に子どもを監護する活動に参加するための休暇を取得させる(取得しない人には年間10万円増税ペナルティとか必要でしょう)制度が必要だと思います。
離婚した親の間に激しい心のわだかまりがあって同一時刻に同一の場所にいることが難しい場合でも、地域共同監護に参加する日時を分ければ何の問題もありません。非養育親でも、地域共同監護に参加することにより、同じ屋根の下に暮らしていなくても我が子の成長を見守ることができます。幼児であっても、保育施設に地域共同監護という発想が入っていれば、養育親が働いている間、保育施設の用具の修理をしたり、子どもたちの食事を作ったりすることで非養育親も地域共同監護に参加し、我が子を見守ることができます。子どもの方でも、離婚により決して自分は見捨てられたりしたのではない、すぐそこの手の届くところで自分の実親が自分を見守っていてくれているのだ、ということを実感できるでしょう。もちろん、和歌山カレー事件のようなことが起こらないように、単独行動ができないように常に何人かが組になって行動するように、というガイドラインなども設ける必要があるでしょう。
また、このような地域への参加を強制するのは問題である、という意見もあるでしょう。ですが、国内に起こる様々な問題に対して無関心でいることは許されない、という考え方でできた法律があります。2009年より施行される裁判員制度です。裁判員は余程の理由がない限り任命を拒否することはできません。納税が義務であるのと同様、個人が社会を無視して生きることは許されないのです。人間は皆年老いていずれは思うように身体も動かせなくなります。年金・老人監護を考えなければならないときが誰にも必ず来ます。明日の世代を育成することに対して背を向けることは許されないはずです。もちろん、親であれば実の子に対しての責任からは逃れられないはずだし、子に対する義務はむしろ親としての喜びであると言うべきです。

共同親権・共同監護と言うと、子どもの世話でも勉強でも離婚した男女が一緒に子どもの面倒を見なければならない、という発想をなさる方もいらっしゃいますが、「共同」という言葉がついていても、同一時刻に同一場所にいいて同一の発想で監護しなければならない、というようなものではないと思います。


 
   TOPページ    Paintboxのページ    共同親権法制化運動ブログ    民主党応援団