
浄土教の根本聖典(大無量寿経)の中に兵戈無用(へいかむゆう)という言葉がある。この平和な人間社会、美しい地球上には 武器や、それを使っての戦いは一切いらないということである。今や、全世界は、ひとつの家族、一個の身体(からだ)であると考えられる。人は、自分の身内のだれが不幸を背負っても心が痛む。自分の体のどの部分が、具合が悪くても、悲しく切ないものである。病んでいる心、痛んでいる体はすばやく、手当てをしなければならない。適切に、癒されなければならない。少なくとも、自分の手でより一層の病の悪化や、傷口をさらに広げるような行為は、愚かな事であり、すべきではない。対峙する危機、困惑、問題、紛争などに、兵戈(武力)をもって、これに当たるは、愚の骨頂と言えはしないか? 何かがおかしい、何か無理がある。自らを、先進国と自負する強大国の掲げる正義、平和、自由、人権などに喉ごしの悪さを感じずにはいられない。
麻薬や偽札などは、作っても使っても、犯罪である。武器もその範疇ではないのか。一切の武器が人を傷つけ、かつ、殺戮(さつりく)する何者でもない。隣人や隣国を、自分とは別物の体であると考え、その別物が、互いに信用できないがために莫大な費用と犠牲を払い、人類の滅亡、地球の破壊をも、示唆するほどの大量の武器を作り、それを売り、使用するなどという時代はもう終わっているのではなかろうか。人類はそんな贅沢は許されないように思う。私がここで、あえて贅沢という言葉を選んだのは、世界中の良識ある人々の地球環境への思い、災害や飢饉を受けた人々に手を差し伸べようとのたゆまない努力に対しての、何かどえらい無駄、かけがえのない贅沢を感じてしまうからである。無数の弾丸を打ち込む費用や労力、関心を持ってすれば、心も体も温まる、腑に落ちるもっと有益なものを打ち込めるのではなかろうか。「太陽と北風さん」のお話は、世界中の子供たちに読まれているであろうに。
普段から、人も国も、喧嘩をしないようにするのが、いいのだろうけれど、喧嘩をしようとする者があれば、しないようにせよといい、喧嘩をしている者があれば、直ぐにやめなさいといい、喧嘩をしかけられたら、なぜこんなことになったのかと考えたり、反省したりするのが普通の良識であるように思えるのだが、農耕民族、菜食主義を祖に持ちその多くが仏教徒である日本人のあまりにも日本的な考え方であろうか。とはいえ、私は日本人である。我々は日本人である。日本政府も日本人である。日本人の考え方や意見を日本人の誇りをもって、アメリカをはじめ他の先進諸国といわれている国々に堂々と進言することは、恥ずかしいことでもなく、むしろ、大いなる愛情に裏づけされた、勇猛と考える。
口当たりのいい正義という言葉ほど信用のできない曖昧なものはない。本来、善いこと悪いことの線引きは、神や天や、御仏やらの、分野であって到底人間のくだす、範疇を逸脱しているのではないだろうか。かりに、悪者に鉄槌を加えたり、審判を下したりしようとすれば、それは、少なくとも両者の中立のものがするべきであって、やられたものの報復(かたき打ち)などあってはならない。子供を殺された親が、相手の子供を引きずり出して同じ手段で殺すなどということがまかりとおるはずがないではないか。
人類は過去において、長さを測るだけの物指しでもって、重さや量を測るなどの間違いを多々犯して来たように思える。悲しいかな、これからも陥りやすい正義観ではある。すべてのものを正しく測れる万能秤(ばかり)など、到底人間にはかなわぬようにも思える。時に、悠然として天に任せる、天に委ねるという謙虚さをあらためて感得すべきである。
ともあれ、ここではっきりさせておかなければならないことがある。私は、何もあの極めて純朴な雄々しきアメリカ人を敵対視するとか、アラブ諸国やどこどこの見方とか言うのではない。ましてや、テロやそのやり方を容認しているわけでもない。卑劣極まりない度重なる(これからもあるであろう)テロ行為に対しては、やり場のない悲しみと憤りを人並み以上に感じているのだ。その彼らに対して、何もするな、このままそっとして置いてやれ、などと言っているのではない。何らかの、武力とは異なる手段と世界中の人類の持つ叡智を本当に使い得たろうかと言っているのである。
今度のことにしても始まってしまったことは仕方ない。行くところまで行かざるを得ないかもしれないが、そんなことは一日も早くやめさせる様、やめたらもうしないように、やりたくても出来ない様に、と考えるのが、世界平和を願う人類共通の思いであり、進めていかなければならない方向である。
どの国の人々も、うたいあげて行進する道は、兵戈無用(へいかむゆう)の一本道でなくてはならない。それには、アメリカ大統領のような人が、言い出しっぺになり、「我々は武器という武器は一切放棄する。みんなも一斉にやろうではないか」とリーダシップをとり、各国へ呼びかけることから始めるのがよい。武器放棄の確約を取り付けることをこれからの首脳会談として、日々奔走するのです。
多義にわたる混沌の世界情勢や各民族の思惑やら認識の違いやら、考え出したらきりもない困惑があるでしょう。何をバカなと、笑われるかもしれない、愚か者と罵られるかも知れない。しかし、肌の色は違っていても、流れる血の色は紅一色。目の色が違っていても、落ちる涙は皆同じではないか。悲しいことはどの国の人も悲しいのです。いかに困難であっても、何年いや何十年かかろうとも、この兵戈無用の一本道に向かって迷うことなく、一歩をすすめ、やがては全人類の大行進としなくてはならないのです。
いみじくも、(このたびの)アメリカ大統領の演説の中には、この、「いかに困難であれ、いかに長期に及ぼうとも正義と信ずるこの戦いを・・・・」と各国に呼びかけている、この声を、そのまま兵戈無用の行進への雄叫びとしたならば、これこそまさに勝ち取らなければならぬ全人類の戦いであると信ずるのです。
何もアメリカ大統領に限ったことではありません。小泉さん、あなたにお願いします。あの選挙最中の凛とした熱いまなざしで、世界に向けて発信しては下さるまいか。どんな小さな事からでもこの目的に向かって、真摯に取り組んで下さるまいか。
今度のことはテロリストにお灸を据えるという意味で、あなたの言う「やれること」は何でもやって下さい。しかし、あまりに長くなったり、訳の分からない戦いにでもなったら、あなたの口から「もういい加減にしてはどうか」と言いだして下さい。そして時期を見て、この兵戈無用論を打ち上げて下さい。今、日本が本当になすべきこと、それは、アメリカの要求にこたえるとか、アメリカを如何にサポートするかではなく、また、他国の、思惑や考え方に左右されずに、独立国日本自身が考え日本人自身が決めそのことに誇りを持って行動することが、つまりShow the flagの本当の意味であり、最も肝要であると思います。日本人の大部分は、仏教徒です。心の深いところで、仏教が息づいています。仏教人である日本人こそ片寄りのないバランスの取れた、精神文化人であるとの自覚を持って、各国に人材を向けて、説得し誘発し、方向付けること、それは、あらゆる武器の一斉放棄の決断、兵戈無用の実践に他なりません。
そして、本当の世界平和や、地球環境を思うならば、このままどの国も、武器を作り続け、これを売買し、これを使用していながら、今後のテロ行動のすべてを根絶するなどの難関の比べてみれば、あるいはこの武器一斉放棄の方が、容易に出来そうには、思えてくるのです。
もしかすると、今こそ人類がよい方向に向かって、平和な世界が構築できるかあるいは、(どの国の関係もおかしくなってめちゃくちゃな)取り返しのつかぬ、人類の滅亡につながりかねない、岐路に立たされているのかも知れない 。
これまで、さんざん甘えさせていただいて、余計なおもちゃを山ほど作り、いじくりまわしていた、腕白やんちゃなガキの人類が、今こそ天地に問われているのかもしれません。「ほら、お前たち自身で賢い大人になれるかなあ」と。
21 Oct. 2001