名馬の部屋

カウンター



レース回顧

ここは、TAKAが開設していたHPを移動して若干手直しました。
馬の名前をクリック(右クリックで『対象をファイルに保存』)するとビデオクリップが鑑賞できます。
動画のダウンロードに時間がかかると思うので、ブロードバンド環境推奨です。
※動画は容量の関係で画質を落としています。ご了承ください。

テンポイント 悲劇の名馬と言えばまずこの馬の名を思い浮かべるファンが多いのではないでしょうか。「天馬」トウショウボーイ、グリーングラスと死闘を演じ、数々の名勝負を生みました。3頭が最後に対戦した有馬記念で宿敵トウショウボーイを破り、名実共に日本一に輝きました。翌年、海外挑戦を目前にしてあの悲劇が起きました。関西テレビ杉本アナ(当時)の実況が印象的です。
トウショウボーイ 天馬と称された名馬。テンポイント、グリーングラスとTTG世代と言われていました。種牡馬としても優秀で、後に三冠馬ミスターシービーを輩出し、後生にその名を轟かせました。
シンボリルドルフ 史上初、無敗の三冠馬。前年の三冠馬ミスターシービーとの数々のレースで、一度も先着を許さなかったほど圧倒的な強さがありました。後にトウカイテイオーを輩出し『華麗なる一族』を形成しました。
オグリキャップ 自分が競馬を始めたのが、ちょうどオグリキャップが活躍していたころでした。(この頃から女性ファンが増えましたね)笠松競馬から彗星のごとく現れ、重賞6連勝(笠松時代を含めオープン14連勝)とジャパンカップでペイザバトラーの3着に敗れるまで連を外したことがなかったというまさに「怪物」。翌年のジャパンカップ(2着)ではホーリックスとともに芝2400Mの世界レコードをマークしました。
タマモクロス 4歳夏までは無名ながら、秋から力をつけ重賞6連勝(オープン含め8連勝)。あの「怪物」オグリキャップと芦毛対決と呼ばれ名勝負を演じました。5歳時の金杯では後方からの15頭抜きという末脚を見せ、向かうところ敵なしという印象でした。史上初天皇賞春秋連覇という偉業を達成し、南井騎手もこの馬とコンビを組んで初めてGTを手にしました。
トウカイテイオー ダービー後の骨折がなければ、親子2代で三冠馬になったと思います。1年ぶりに復帰した引退レース有馬記念で、その年の年度代表馬ビワハヤヒデなど強豪を破り見事に復活し引退に花を添えました。
ミホノブルボン この馬は3歳時から注目していました。(朝日杯3歳ステークス的中)スプリングステークスの時に1番人気にならなかったので不思議に思っていたものです(スタミナ不足を懸念されていた)。短距離血統だったこの馬を(故)戸山調教師がスパルタ調教で鍛え上げ、皐月賞、ダービーを制して二冠馬となりました。
ライスシャワー ダービーでミホノブルボンの2着に来るまでは、名前を聞いたことがあるくらいで全く注目していませんでした。菊花賞を勝ってからこの馬を応援するようになりました。ミホノブルボンの三冠を阻み、翌年メジロマックイーンの天皇賞春3連覇を阻み「関東の刺客」と呼ばれていました。宝塚記念の事故は本当にショックでした。
ナリタブライアン 史上5頭目の三冠馬。4歳時は本当に強くてこの馬が敗れるなんて想像できませんでした。翌年、春の天皇賞を前に故障してからしばらく調子が上がりませんでしたが、阪神大賞典で自分の好きなマヤノトップガンとのバトルは「平成の名勝負」と言われるほどの凄まじい戦いでした。このレースを制し、ようやく復活かと思ったとき、また故障を発症して引退を余儀なくされました。
マヤノトップガン 菊花賞トライアルを連続2着したころから注目するようになりました。菊花賞と有馬記念を勝って年度代表馬になった割にはあまり評価は高くなかったようです。6歳に春の天皇賞を制したときの末脚はほんと強烈でしたね。
サイレンススズカ この馬は4歳春から注目してました。良血ということから注目されていたので、成長ぶりを楽しみにしていました。しかし4歳時は気性が荒くゲートをくぐって出ていってしまった事もありました。それが4歳秋ごろから力をつけ、日本競馬史上前例がないというほどの超快速馬として逃げまくっていました。毎日王冠でエルコンドルパサー、グラスワンダーを破った時、フジテレビ青島アナの「どこまでいっても逃げてやる!」の実況はとても印象に残っています。しかし秋の天皇賞で左前足骨折の事故でこの世を去ってしまいました。このような馬は2度と現れないのではないかと思うと非常に残念です。

※映像の著作権はすべてフジテレビ、関西テレビ、日本中央競馬会にあります。問題が生じた場合、ただちに削除いたします。
このホームページで使用している全ての文章、画像、映像の無断使用、転載はご遠慮下さい。
参考資料:「名馬物語」「名馬物語2」など。