「じばく」
(第一話)
ああ、なんでこんなことになってしまったの。
意識ははっきりしているのに、その正反対に全く自由の無いカラダ。
あの瞬間、おそらくその瞬間からそうなるのと決まったのよ。
何故そうなったのか理解するより先に、私は現状を受け入れてしまっている。
嘆き哀しむ、いいえ泣き叫ぶ時間は十二分にあったわ。
勿論声も涙も出ない。そういう感情が溢れただけだった。
気が狂わないのは不思議。
あの日、アソコに行かなければ・・・。
そうよ。コンナコトにはならなかったはずなのに。
あの日、夫と出かけた走行会。
夫から誕生日に贈られたツナギとヘルメット。
奮発してオーダーメイドしたそれは、身体のラインにすっきりとフィットしていた。
赤をベースにしたレーシーなそれをつけた私を見る、彼の眼差し。
サーキットでの、夫の友人達の冷やかしも、まんざらではなかったわ。
「どうせなら、走ってごらん。・・・大丈夫だよ。」
体験走行。ツナギさえ着ていれば走行可能だったの。
家を出るときには、そんなこと思いもしなかったのに。
もうすっかりその気で、コース走行の申しこみに記入していたのよ。
免許は一年前に取ったの。夫とは未だ交際中だったわ。
それからも一人で走ることは殆ど無かったし、ツーリングも数回行った程度。
サーキットを走るなんて想像もしていなかったのよ。
夫は、もしかするとツナギをくれたときから企んでいたのかもしれない。
それも分かったから、安心して走ることにしたのかも知れないわ。
1周目は、やはり緊張したわ。スローペースで周っただけ。
でも、公道を走るよりは難しくなくて、徐々に速度を上げていったの。
他のバイクも同じ速度で流れていて、不安感はすぐに快感に変っていった。
少し前を走るレプリカに合わせてコーナーに。不用意だったわ。
切りかえしたとき、その瞬間はきたの。
どうなったのかは分からない。憶えているのはカツッ!という音だけ。
急に低くなった視界が横向きに広がったのに、気がついたの。
目の前に、ツナギを着た女が・・・。ワタシだわ、私が倒れている。
それと・・・・・・でも、なぜ私が。
「臨死!?」そう思ったとき、フッと・・・。
記憶は其処までなの。
いつからそうして居たのか、分からなかった。
薄暗いなかで、じっとしている自分に気がついたの。
何も考えていなかった。ただ、周りが見えていたわ。
ここは、どこ?いったい私は・・・そうだわ。
コースで転んだのよ。きっとそう、よ。じゃぁ・・。
病院?違うわ。病室とは思えない・・・。
ひどくゆっくりと、ぼんやりとそんなことを思ったわ。
どれくらい経ったのか、はっきりしなかったけれど。
気がつくのに、そんなに時間はかからなかったはずだわ。
ここは、ここは家のガレージ。隣に夫のバイクが見える。
間違いない。家のガレージだわ。
私のバイク。ああ、やはりそうだったわ。転んだのね。
ライトにテープを貼ったままのカウルがひび割れている。
それと、ブレーキレバーが元から折れているわ。
右のステップが妙な方向を向いている。
それだけね。素人目には酷く壊れている様には見えない。
そこで気がついたの、今だから落ち着いて話せるわ。
その後、どれくらい動転して、どの位の間泣いていたか、分からない。
それは・・・。
夫のバイクを、私のバイクを見ているワタシが居なかったのよ。
見えていて、意識も感覚もあるの。
私のバイクを中心にして、周りを感じているのよ。
どうにもならないのは、私がバイクから離れられないこと、よ。
私の意識は、ここに確かに居るの。
ただ、意識は縛られていて、ここを離れられない、の。
何故?自分に聞いても虚しいだけね。
いつまで、こうやって同じことを考えていればいいのかしら。
今は・・・いつでもいい。時間も、もうあまり意味を持たないわ。
そのままじっと、ココにこうして居るしかなかったのよ。
あ、この音は、シャッターのモーターが、シャッターが開いていく。
だれか入ってくるのかしら。
車が、家の!彼が帰って来たのよ。
脇に停まった。ドアが開いて、ああ、貴方!
助けて!私よ!私はココよ!
気がつく様子もなく、助手席側に・・・そして。
助手席からは・・・ワタシ?・・・私が・・・。
ワタシは目を伏せたまま、すぐに、こちらには背を向けてしまった。
「大丈夫?3日も寝ていたからね・・・。」
「打撲だけでも、しばらくは大人しくしてなきゃ・・・。」
夫は、紛れもないワタシの肩を抱いて、母屋へのドアに消えていった。
何故?
ああ今、たった今判った、わ。
夫に抱かれた肩に重なった姿・・・。
あれは・・・サーキットで、倒れたワタシの傍らにいた・・・。
ワタシと、それを見る私を見ていた。あの女の姿!
貴方!その女は私じゃない。私は、私はココよ!
(第二話)
「ありゃ〜ぁ、ちょいと派手に転ばしちゃいましたねぇ。」
夫の行き付けのバイク屋のシャチョウよ。
電話すれば家まで来てくれる。夫が呼んだらしい。
「いやぁ、ウチのが先週走行会でやっちゃたんです。」
「大した怪我もなくてよかった・・・はは、大丈夫みたいですよ。」
・・・全然だいじょうぶでないわよ。私は・・。
「もう乗らないと言うかと思ったら。直してくれと言うんですよ。」
・・・あの女?あの女が直せと言ったの?
あれきりワタシ自身には会っていない。私の身体には。
「はぁ〜。」
私の周りを、私には気が付くわけないんだけど、一通り見回して。
髪よりヒゲのほうが濃いわね、このヒト。ホントにシャチョウかしら。
「カウルは前と右側全とっかえ、ブレーキレバーとぉ・・・」
「ああ、ステップ回りもいっちゃってますねぇ。」
「でも、フレームは大丈夫みたいですね・・・試乗してみますから。」
「全部直しちゃいますよ。構いませんよね。」
「見積りは?・・・あぁ要らない。わぁっかりましたぁ!ありがとうございます。」
軽トラに括りつけられて移動、私は二重に縛られてるのね。
でも、あれから数日ガレージで過ごした私にとって、外へ出るのは
苦痛でないわ。もっとも苦痛など元よりない。不自由なだけよ。
もぉ、すっかりスネていたところよ。出来るのはそのくらい・・・。
車で5分ほどの距離だから、バイク屋にはすぐ着いた。
降ろされて店兼作業場に移る。油臭い、家のガレージの方がましだわ。
「・・ぁあ、カウルとぉ、そうそうステップ。それにぃ〜・・・。」
シャチョウが電話している。
大きな声。どうしてバイク関係の人は声が大きいのかしら?
音で耳をやられてるのかしら・・・どうでもいいわ、ね。
「えっ!来週ぅ。コッチに在庫無し?参ったなぁ〜。」
えぇ〜、嫌よ。ココに1週間も居るなんて、冗談でしょう?
「ぶぅわははは、しょうがないですねぇ。納期確定したら電話下さいぃ〜。」
「はい〜、よろしくどうぞぉ、お願いしますぅ。」
ガチャン!
ああ、よろしくないわ。家へ帰らないと・・・無理ね。
「よぉ、姐ちゃん!」
え・・・誰?。
「姐ちゃん、ここ、ここ。こぉっち!」
「あ、ねぇちゃんって・・・。」
店の入り口近く、新車のシートの上。男が座っていた。
革ジャンを着ている。歳は、若いように見える。
「ああ、まだ分かってないね。しょうがねぇな。」
「簡単に言うと、俺は姐ちゃんのお仲間。おんなじキョウグウ、なのさ。」
「まぁ、いいよ。わかんなくても、ちょいと相手が欲しかったとこさ。」
どうやら、私と似た状態らしい、このヒト。
「お仲間って、、、いいわ。でもあんたナニ?」
「俺、ああ俺ね。俺は俺だけど、じゃ分からないね。」
「あっち、この先の大学病院知ってるでしょ。俺はそこに入ってる。」
「う〜ん、なんだ。つまり俺のカラダはそこで寝てんだ。」
「もう3年になる。植物状態なんだな、死んだようなもんだ。」
「ここへはよく来るんだ。バイクが好きなモンでね。」
「姐ちゃんも、そうだろ。違う?似たようなモンでしょ?」
「私?えっええ、そんなモンかもね。でもどこへも行けないのよ、自分では。」
もう、イチイチ説明するほどよく分からない。
でも彼はある程度「わかっている」ようだし、危ない感じもしない。
第一もし嫌でも、逃げられないんだから。
「バイクで転んだのよ、気が付いたらコウなっていたのよ。」
「キミもそう?事故?だったのかしら。」
「あはは、俺はそんなドジじゃないよ。結構乗れたんだぜバイクは。」
「車に突っ込まれたけど、バイクには乗ってなかったのさ。」
「あ〜ぁ、乗ってりゃ良かったかも、メットしてればなぁ。」
「ちょうど停めて、メット脱いで飯を食いに行くところだったのさ。」
「スーパーの駐車場から暴走して来やがってさ、グシャン!・・さ。」
「で、あそこに運ばれて、そのまんま。」
「で、姉さんは?ちょっとは話してよ。」
なんで姐ちゃんから、姉さんに変ったのかしら?
まぁいいわ。独りで考えているよりは、ずっと気が楽になりそう。
「そう、先週。サーキットで・・・」
ああ、ワタシ。私の身体。
家よ。あの女、いったい何故?
私はココにいることしか出来ない。憑いているだけ・・・。
(第三話)
「ふーん、じゃあ姉さん自身はピンピンしてるってことかぁ。」
「そぉよ。わけがわからないわ。」
「あんまり、そういうのは聞かないな。あ、いろんなの有るのさ病院では、ね。」
革ジャンの坊や(私から見ると「坊や」よ)の話しは分かりやすかったわ。
でも、ますます「私の場合」は分からない。
「あ、俺そろそろ戻るわ。毎日夕方、お袋が来るんだ。」
「なにも出来ないけど。俺はまだ生きてる。それだけでもいいらしいんだ。」
「なんかイロイロ話すんだぜ。なんでも無かったときよりもね。」
「モチ聞いてるだけだぜ、俺はさ・・・。」
「じゃ、また来るわ。姉さんあんまり考えなくても、どうにかなるよキット。」
最後の方は声だけで、スゥッと。坊やの姿は私の前から、消えた。
坊やの家族は母親だけだそうよ。
幸い事故の相手は、結構な金持ちの奥様で、保証は心配無かったらしいの。
独り暮しになってしまった母親を、坊やは心配していたのよ。
もう、何もして上げられないのに・・・。
坊やのおかげで、かなり分かってきたわ。私の状況のことよ。
私の姿は、坊やから見ると透けているそうよ。
坊やのようにはっきり見えるようになると、「もう危ない」らしいわ。
でも、坊やの知っていることもそれくらい。分からない事だらけよ。
あぁ、とりあえずは良かった。それに、ココで独りではなくなったわ。
「おぉお?何処ダァ〜。あれぇ〜?」
シャチョウだわ。何騒いでるのかしら。相変わらず、大きい声。
「おいぃ!お前知らないか?バラシて置いといたんだよ、ここに。」
「え、なんスか?」
たった一人の店員兼整備士よ。整備は二人でこなしてるようなの。
「キャブだよぉ!コイツの。あんなデカイの何処行ったんだ?」
「またっすかぁ?俺は知らないっすよぉ〜。」
「シャチョ〜ォ。勘弁して下さいよ。どこか置き忘れてんですよ〜。」
・・・大丈夫かしら?なんだか不安だわ・・・
「あぁああ、止めた!今日はお終い。明日探すわ。がぁ〜っ。」
時間は決まってないけど、修理が終わるとここは無人。
明かりが消えた後は、じぃっとしているだけ。
昼も夜も、私には関係無いみたいだわ。
眠くもならないし、お腹も空かない。
考えているのか、いないのか。時間の感覚も有るような無いような感じ、よ。
「姉さん。」
「あら、キミ?」
坊やだわ。今は夜中、ね。
「何よ?病院じゃなかったの。」
「うん、最近居心地悪いのさ。お袋は、消灯だから家に帰ったし。」
「そう、・・・。」
ここで1週間、どうなることかと思ったけど。
坊やが毎日来るし、少しずつ情報も入れてくれた。
病院には「お仲間」が出入りするらしくて、「新しい」こともわかるらしい。
「どうやら、ね。俺も姉さんも、まだ中途半端らしいんだな〜。」
「完全にそうなったヒトの方が、ずっと強いらしいんだ。」
「じゃあ、あの女。家のあの女は完全にそうなのかしら?」
「それは、分からないけど。そうかもしれない。俺はそのヒト見てないし。」
私は未だ私自身が「有る」から中途半端。と、いう事らしい、のよ。
でも、中途半端だと不自由だというのは、なんだか納得してしまったわ。
だって不完全なんでしょう。当たり前よね。
私は、この私のバイクに、くっ憑いてないと存在できないのかしら?
ああ、とても理解できないわ。
明るくなったり、暗くなったりしているだけ。
芋の私にとって、時間は、ただそれだけの意味しかないみたいだわ。
とにかく家に帰りたい。今度はそれだけ、思っているのは・・・。
(第四話)
「じゃじゃ〜ん!はい〜っ。お譲さん〜、ピッカピカのカウルが来ましたぁ!!」
え!お嬢さんって。
「ははは、はいはい〜っ。綺麗なオベベに着替えましょうね〜ぇ!」
ああぁ、驚いた。シャチョウの独り言だわ。
私なわけないわね。私に言っているのかと思ったわ。
「今回は早かったですねぇ〜。酷いと1ヶ月以上かかるんですよぉ〜ホントに!」
えぇっ?気が遠くなるようなこと言わないで頂戴。
1週間でも長すぎるくらいなんだから。
「あはは、カウル!カウル!おにゅうのカウル!ほいほい〜。」
ダンボールから取り出して、ヒゲダンス?カウルを持って、お、踊ってるわ。
きょうは、異常にハイね。大丈夫かしら?
確か、おとといはムッツリして口も聞かなかったのに・・・。
シャチョウ、さん?ソウウツぎみなのかしら、ちょっと怖い、わ。
「ふふん、ふふん・・・」
今度は鼻歌、だわ。ちょっと、真剣にやりなさいよ。
あ、ラチェットレンチ。クルクル回したりしちゃ嫌よ、危ないわ、って。
あぁ!先っぽが飛んっ!・・・ボコッ!・・だわ。
「あわぁ〜ぁ!なな、なぁ〜んで・・・・おおおぉ〜。」
あらら、昨日仕上げたばかりの中古バイクのタンクが、傷物になったようね。
それ、タンクは新品でしょう?可哀相〜。
ちょっと?シャチョウ。何処行くのよ、ねえ。
表に行っちゃったわ。どうなるの?私のバイクの修理は。
・・・しょうがないわね。気分転換かしら・・・
そんなことしなくても、イツもころころ気分が変るみたいなのに・・・。
「おい!コレお前やっといてくれ。午後試乗するから、上げといて。」
「はぁ、シャチョウ。出かけっスか?」
「ん、ぁあ。営業だエイギョウ。二時間くらいで戻るから・・・頼む。」
結局、お兄さんが作業することになったわ。
誰でもいいから早くして、家にかえりたいのよ。
「なぁにが、エイギョウだか。どうせパチスロかなんかだろ〜。」
あら?そうなの。それは、ブツブツ言いたくもなるわね。
「奥さんにバレても知らねぇから。」
まぁ、それは一番大変かもね。
でも、確かに営業屋さんが多いんでしょ?アソコって。偏見かしら・・・。
「まぁったく。オモシロそうな修理だと手ぇ出させないくせに・・・。」
貴方も大変ねぇ。頑張ってね。
あぁ〜。でも、今日試乗して問題無ければ。明日には家に戻れるのね。
・・・それで、どうなるということではないけれど・・・。
いったい、どうなっいるのかしら?気になるわ。家のワタシのことよ。
ここに居たら、何も進まないわ。
「只今ぁ、帰りましたぁ。はは、保険担当事務員さん?は、今日はお休みですね。」
シャチョウが戻ったわ。ご機嫌は治ったよう、ね。
事務員さん?・・あぁ、奥様のこと。そういえば今日は来てなかったわよ。
嫌ね。奥様が居なかったから機嫌が良かったのかしら?
そんなものなのかしらね。
「おっ、上がってるね。おー分かんない、わかんない。元通り、だ。」
「よし、試乗だぁ。見たトコ問題なさそうだけど、一応なぁ!」
なんとか、修理完了。やはり明日には帰れそうだわ。
「はい、お駄賃。それに飯くってこいや。俺はコレ食うから。」
「はぁ。どうも。じゃぁ行ってきます。」
お駄賃?アーモンドチョコのようだけど・・・エイギョウは成功だったらしいわ。
シャチョウは、コンビニ弁当。質素ね、お酒も飲まないみたいだし。
ところで本当に私、何も食べてないけど、不思議ね。生きてるのかしら。
でも、このままバイクが走るとどうなるのかしら?大丈夫かしら?私。
相変わらず見た目には似合わない、大きい排気音ね・・・うるさい、わ。
チョークを戻しきると、幾らかは落ち着いた響きになったよう。
「うん。やっぱり他は問題なさそうだな。エンジンも良さそうだ。」
最初少し渋ったけど。前と変わりなくエンジンは回っているみたい。
私は乗るだけだったから、殆ど気にしてなかったのよ整備は。
乗っかって、走るだけ。
「試乗してくるから。また留守は頼むわぁ・・・。」
走り出したら・・・。
変な感覚。視角がやけに広くて、周りがぐるりと見えるわ。
それなのにスピード感はあまりない。スローモーションみたい。
景色が流れない。おまけに随分先まで見えてるのが不思議。
「気持ち」悪くなりそうなものだけど、そういう体感は、無いみたい。
あ、シャチョウ。いつもと表情が違うじゃない。
こんなに目つきが鋭かったかしら?意外だわ。
それに、ちょっと違うわね、乗れてる。速い、だけではない感じ。
気持ち悪くならないのは、私の状態のせいだけではないかも知れないわ。
これが、あのヒゲダンスのシャチョウかしら?別人みたいよ。
バイク屋だから当然かも知れないけど、好きなのね、バイクが。
「おっ世話になりますぅ。バイク屋です〜。」
大きい声。電話なんだから、普通に話せば十分なのに。
「あぁ奥さん。ご主人まだ帰られてない。あ〜そうですか。」
あの女よ。あの女が電話に出ているのよ。
奥さん?そうよ間違いない。ワタシだわ。
「えぇえ。明日お届けします・・・そうです昼頃でいいスか。」
「問題ないですよ。殆ど元通りですよ。えぇ、調子いいです〜最高です。」
「あぁ、御代はそのとき請求書持って行きます。はいぃ、どぉも・・・。」
受話器に頭下げてもしょうがないわよ。
ガチャン!
さあ、これで本当に家に帰れるわ。でも・・・。
「おっ!姉さん。すっかり綺麗に直ったじゃん。」
「あぁ、キミ。いつ来たの?」
坊やの姿が、すぅーと現れた。私は、もう驚きもしなくなっているわ。
「今しがた。聞いてたよ。明日戻れるんだってね。良かったじゃん。」
「へぇ〜。結構過激なんだなコイツのポジション。」
坊やが跨るのは初めてよ。潰れているのには触りたくなかったらしいの。
「姉さん。よく乗ってるね。俺なんか、こんなの乗ったこと無いのさ。」
「いいなぁ。速いんだろうな・・・。」
「ウチのが選んだのよ。私は、あまり詳しくないの。乗るだけよ。」
「ふーん。なんか勿体無いな。なかなか持てないんだぜ、欲しくても。」
「それより、もうお別れよ。いろいろありがとう、ね。」
「いいのさ。俺も話し相手があって良かった。」
「それに・・・ココか病院なら、多分いつでも会えるさ、キット。」
「そうね。そうならいいけど。」
駄目よ、坊や。私は自分では、動けない。
いつまでコウなのか。見通しもあるわけじゃないし。
私のバイクは直ったけれど、それだけのこと。
私は、相変わらず。コウしてじっとしてるしかないのよ。
どうしよう。どうしようもないわ、ね。
明日考えるわ。シャチョウもそう言ってたじゃない。
そうするわ。
(第五話)
「じゃあね・・・姉さん!」
坊やが手を振ってるわ。最初に会ったときのように、飾ってある新車のところ。
結局、今朝も見送りに来てくれたのよ。
私は軽トラの上から、手を振った、つもり・・・見えたかしら。
すぐに家に着いた。周りを見ているほど余裕はなかったわ。今日は。
「・・んちわ〜!バイク屋でぇ〜す!」
インターホンなのに、嫌ね、ご近所まで聞こえてしまうわよ。
「・・・ャッター開けますから、少し待って・・・。」
女の声・・・来るわ。あの女が。
「はぁいぃ。バイク降ろしてますんで!」
「ふふん、ふふん・・・」
鼻歌・・・シャチョウさん、今日はご機嫌ね。私は憂鬱、よ。
不安?不思議にないわ。苦痛がないからかしら。
今もまだ、どうにもならないし。何も分からないままだけれど・・・。
器用ね、バイクの積み下ろし。・・・商売だものね。
あ、シャッターが開くわ。電動だから少し遅いのよ。じれったい。
ワタシが、あの女よ。足が、ブーツが。あ、ツナギを着ているわ。
「いやぁ、試乗して確認しましたけど。フレーム、やっぱりなんともないです。」
「調子もいいですよ。元通りです〜。」
「ご苦労様。あぁ、すぐ乗りますから、そこでイイです。」
ワタシよ。鏡でしか見てないけど、そうよ。私ソノモノだわ。この女。
「そうすかぁ。・・・怪我もなくて、良かったですね。ヤッちゃったとき。」
「ええ・・。」
良くなんかないわよ!私はコンナになってるのよぉ!
「ガソリン5リッターばかり足しときましたけど。半分くらいかなぁアト。」
「ありがとう。支払いは主人が伺うそうですけど・・・。」
主人?シュジンですって?・・・。
「あぁああ、構いませんよぉ!いつもイラしてますから。その時でぇ。」
「それじゃ、もしなんか問題あるようだったら電話ください。」
あぁ、シャチョウさん。帰っちゃうの。・・・そうよね。
ふたり?二人っきりになったわ。どうしよう。・・・怖いわ、私。
ああっ、この女。いったい、どういうつもり、なのかしら。
どこを、見てるのよ?私のこと見えてるのかしら?
「ふふふ、なに黙ってるの?」
「・・・えぇ?・・・。」
「奥様?・・でいいわね。まだマトモ?かしら?」
「・・・。」
「口がないの?ああ、ごめんなさい。何もないんだったわ。ほほほ。」
「・・・ふざけないで!アナタいったい何なの!?」
「どぉいうことよ!?なんでコウなるの?説明なさいよ!」
出来ればつかみ掛りたいわよ!出来ないのよ!
「・・ほほほ!あらまぁ奥様。元気いいわね。変ではないよう、ね?」
「笑わないで!笑わないでよぉ!変になりそうよ!ナリソウなんだから・・・。」
泣けたら、泣き出しそうだ、わよ。もう限界よぉ。
「んふっ。そう、狂っていなければ面倒がなくていいわ。そう正常なの?」
面倒ない!?どこが正常なのよ!?
「なっ何が面倒ないのよ!あんた普通じゃないわよ!どうしてくれるのよ!?」
「・・・。」
「ああっ、何考えてるのよ!?返事なさいよぉ!?」
もぉ駄目!この女変よ。私も変よ。全部変だわ、だってオカシイわぁ。
「黙りなさい!」
「!?」
「・・・いいこと?分かったから、少し静かになさい。」
何が分かったのよ?なによ、偉そうに・・・。
「大人しくしないと、バイクごと売り飛ばすわよ。」
「えっ!?・・・」
「そうよ奥様。簡単だったのよ?今からでも、遅くはないのよ。」
「ふふふ、ゲンが悪いから。処分したほうがいいという話しもあったのよ。」
「電話しましょうか?バイク屋が喜んで引き取るわ。」
「・・・やっ、止めて。それだけはよして。お願い、だから止めて。」
「そぉ・・・。」
今、家に居られなくなったら、どうしようもないわ。
落ち着かなくちゃいけない。何も分からなくなるわ。それは絶対に駄目よ。
「フッ。気が静まったようね。じゃあ、続きは走りながらにしましょうか。」
こ、この女。喋ってない。口を、口が動いてないわ。
「そうよ、当たり前でしょう。奥様はどうやって喋ってるのかしら?」
「あ・・・。」
「ふふ、奥様の考えていることは全部分かるわ。筒抜けよ。」
「それに、他の人から見たらバイクと喋るのなんて異常よ。気違いだと思われたい?」
セルボタンを押すと、一発でエンジンはかかったわ。
エンジン音も関係ない。声で会話していないのよ。意識で、かしら。
そうでなければ、走りながら会話など出来るわけないのよ。
しばらく暖機したあと、バイクは走り出した。
運転は、滑らかよ。かなり上手みたいだわ。
近所のスタンドによってガソリンを入れる。満タン。
どこへ行くというの?私はどうなるというの?
「奥様真面目にバイクに乗ったことないでしょう?どぉ?」
「あ、え、えぇ。そうね。乗ってるだけ。緊張したのは教習所くらいよ。」
「周りで言うほど、難しいとも思わなかった。免許も簡単に取れたわ。」
「ふーん、運動神経いいのね。確かに動きやすいわ。このカラダ。」
「でもね。バイクは他のスポーツと違って、気を抜くと死ぬわよ。あ・・。」
「・・・。」
「今は分かりきってるようね。ふふ、奥様。もう半分死んでるのかも・・・。」
「そんな・・・。」
「いまさら驚くことないでしょう。気がついているはずよ。」
「・・・えぇ。でも、でも私はここで。それにワタシが・・・。」
ああ、やっぱり想像していたことに近いわ。きっとそうよ。
でも、この女は何故?いったい誰なのよ?
「私が誰かって?私は私よ。今は私が奥様、よ。うふふふ。」
「・・・。」
「あはは、ごめんなさい。奥様可愛いから、いじめてみたくなるのよ。ふふふ。」
「・・・奥様のご主人の恋人、よ。」
「えっ。なんですって!」
「驚いた?でも正確に言うと。恋人だったのよ四年前までは、ね。」
「そっ、れはどういう?」
「聞いて。私は3年半前に、死んだわ。彼と分かれた半年後よ。」
「肺癌だったの。もって半年だと言われたわ。告知どおりね・・・。」
「そうと分かって、彼と別れたのよ。私には将来が無い。そう思ったの。」
「愛していたのよ彼のことを。」
「なぜ?彼が私を愛していたからよ。それなのに、死んでしまうのよ私は。」
「死ぬと分かっていて、愛されているのはつらかったのよ。」
「だから、分かれたのよ。病気のことは言わなかった。」
「それは、素晴らしいタイミングだったわ。ほんとうに・・・。」
「分かる?プローポーズされたのよ。」
「でも、受けなかった。・・・そういうことよ。」
「そうよ。間違っていたかも知れない。彼の気持ちは考えなかった。」
「でも、それだけじゃない。間に合わなくなって分かったの。」
「私は、私自身の気持ちも良く分かってなかったのよ。」
「独りになって、そうなって初めて気がついたのよ・・・。」
「彼に彼に会いたい。ずっと一緒に居たい。そう思いつづけて、死んだの。」
「・・・。」
「・・・だから。コウなってしまった。ココに居るのよ。」
「死んでから、彼の周りにいたのよ。ずっとよ。」
「だから・・・そう、奥様のことも良く知ってるわ。」
「それでも、結局何もしなかった。出来ない状態だったのよ。ずっと。」
「分かったかしら?それが私よ。」
「聞きたいことがあったら、聞いて。もう、あまり時間がないの。」
「う、でも。でも何故?なぜ私の中に貴方が・・・。」
「それは、奥様のせいよ。でも他に方法が無かった。」
「どういう意味?あのサーキットでの転倒のことでしょう?」
「そうよ、奥様は自分から出てきてしまったのよ。」
「出てきた?死んだってこと?でも、ワタシは生きてるのよ・・・今も。」
「私は医者じゃないから分からない。でもあの時、そうしなければ奥様は死んだわ。」
「・・・死ぬことが分かったのよ。ほうって置けばそうなったわ。」
そんなことが、そんなことが有るのかしら?
私が死なないように、私の身体に、このヒトは居るというの?
「そうよ、結果はそうなったわ。」
「白状するわ。私は医者でもないけれど天子でもなかった、のよ。」
「抜け出た奥様を見て、気持ちが動いたわ。」
「そう、私も生きたかったの。」
「ずっと出来なかったことが、できる。そうも思ったのよ。きっとそうよ。」
「・・・・。」
しばらく会話がとぎれたわ。
その間に、わたしは「分からない」ことを無理やり理解した。
ツジツマは合っているわ。たぶん全部本当のこと、なんだわ。
ここは?
いつの間にか峠道。ここは、どこ?今まで来たことはなさそうだわ。
「ここ?ここはご主人、彼とよく走りこんだ峠よ。」
「楽しかったわ。彼とのこともバイクも、昨日のことのようよ。」
「そう、彼、奥様と一緒に来たことはなかったわね・・・。」
「奥様。よく見ていて。バイクはこう乗るのよ。」
凄い。私には絶対に、こんなふうには走れない。
走行会のメンバーでも、こんな走りをする人を見たことない、わ。
「ほほほ、先が見えるからよ。普通じゃ、こんなに飛ばせないわよ。」
「あなたもそうでしょう。今は、そういう状態のはずよ。」
「でも奥様も、もう同じ位走れるはずよ。きっと・・・。」
え、どういう意味。私がバイクに憑いているから?
「違うわ。でも説明してる時間が、もうない・・・。」
「考えて、いいえ、考えなくても分かるわ。憶えているから。」
「え?」
「聞いて、いいから聞いて!」
「奥様、私も無理をしたのよ。ココに居ると凄く消耗するのよ。」
「もう少ししか、居られない。それが、分かったのよ。」
「もうひとつ、これは前から分かっていたことよ・・・。」
「彼が、彼が愛しているのは奥様。貴方だけよ・・・それに。」
「もう、貴方達。奥様とご主人二人だけではないのよ。」
なに?それはどういうこと。わかりやすく言って!
「貴方達夫婦なんでしょう?分からないの?」
え!・・・あ、あかちゃん?そんな・・・。
「安心して、私がココに来たときには、もう居たわ。」
「医者でも判らないわよ。きっと。だから無理ないわ、知らなくても。」
「そう分かって、考えが変ったのよ。」
「考えが変らなくても、どちらにしても、長くは居られなかったのよ。でも。」
「やっぱり、私は生きられない。・・・そう思ったわ。」
「もともと無理だったのよ。」
「そろそろ、お別れだわ。ちょうどアソコにトンネルがあるし。」
お別れ?分からないわ?どうなるの私達。
「・・・確かなことは分からない。でも、私が貴方でいられないことは確かよ。」
「どうなるか分からなくても、生きているうちは生きるのよ。死んでは駄目。」
「奥様はまだ生きているわ。・・・貴方私より強い、わ。」
トンネルに入った。照明がないわ。出口は、出口はどこ?
「落ち着いて、奥様。貴方生きたいでしょう?」
「ご主人とあかちゃんと一緒に生きたいでしょう?」
「生きたい。生きたいと思って。心の底から思って。生きるのよ!」
「そう、それでいいわ。たぶん大丈夫よ。やっぱり奥様強いわ。」
「ほら、出口が見えてきたでしょう?」
あぁ、足元の方から光が、あれが出口?
「そう、じゃあ、さようなら。お幸せに、ね・・・・。」
「私は、私は一度死にたいと、死にたいと思ってしまったの、よ・・・。」
フッと。その声が消えた、とたん。
ボォオオォオオォー。
排気音が、バイクの排気音だわ。なんで急に。
出口!停まるのよ早く。何故かそう思ったわ。
あぁ!まぶしい!何も見えないわ!!
アイドリング。エンジンは止まっていない。でも止まっているわ。
明るい。そうよトンネルを出ただけなんだわ・・・。
メーターが目の前にある。スロットルに反応してタコメータの針が動く。
あ、、、私。私がスロットルを回している。
左手はクラッチレバーを握ったままだ、わ。
どういうこと?
目が少し・・・シールドを上げてミラーを覗いた。
泣いていたの?私・・・あ、あのヒト、泣いていたのね。
振り返った。出てきたトンネルから、微かに風が吹いてくる。
「行って。貴方もう元通りよ。生きて・・・。」
声が、声のようだったけれど頭に浮かんだのよ。あのヒトの声が・・・。
行くって、帰り道は?・・・分かる、憶えているわ。
ついさっき、来た道は知らなかったのに、なぜ?
・・・あ、あのヒト。あのヒトの記憶よ。
知っている。さっきまで話していた以上に分かることがある、わ。
そうよ間違いない。あのヒトの記憶がそのまま、残っているんだわ。
考えなくてもいいって、こういうことだったのね。
・・・彼の、夫のことも。そしてバイクのことも、なの?
なんだか、眠りから覚めたような。夢を、夢を見ていたのかしら?
いいえ夢なんかじゃないわ。
サーキットでの転倒も。
バイク屋でのことも。
「坊や」もきっと。大学病院に居るわよ。
そして私には家族が・・・。
そうよあのヒトが言っていたとおりなら。
おしまい