「オシマイの始まり」

(夏)
夜の並木道に蝉が鳴いている。
蝉も街路樹くらいしか居場所がないのか、街の明かりのせいか群れて鳴く。
さらに、ちょっと変った鳴き方の蝉が加わった。夏バテした蝉なのかトーンが低い。
いや違う、バイクだ。近づいて、それと分った。

黄緑色の小さいヤツに、乗り手はチョコンとくっついて、流してくる。
あずき色の半キャップを額に引っ掛けている。ダックテールだ。
髪を染めている。なびいているが背にかかるくらい長いはずだ。
髪の色とは不釣合いに日焼けした顔だ。いい男、と惚れた女なら見るかも知れない。
何か少し不機嫌そうだが、訳は分らない。そういう表情だ。

五島清海、キヨミと読む。男三人兄弟の三男坊だ。
三人目の子が出来たとき、父親は今度は女の子だと勝手に決めつけていたらしい。
生まれたのは男の子だったが、考えていた名前をそのままつけた。
少しは気をつかったのか、それでも漢字は入れ替えたようだ。
「ひでぇ親だ。」キヨミが怒ったところで、どうにもならないのだが。
本当のところは、キヨミ自身その名がまんざらでもない。気に入っているのだ。

キョミは溜まっていた喫茶店を出て、行くあてもないから家に帰る途中だ。
「お!コオロギがバッタに乗ってお帰りだぁ〜。」
帰り際、喫茶店の前でバイクに乗ったとたん仲間の一人に冷やかされた。
ソイツも本当は妬いているらしいから、キヨミも怒らないが、黙ってもいない。
ジャブにはストレートでお返しだ。スクーターに乗ったソイツに向かって喚く。
「お前に言えるかぁ?そっちは、ラッキョウがゴキブリに乗ってんじゃないのか。」
ソイツが口を尖がらせてフクれる。反撃が、少し効き過ぎたみたいだ。

ジョークで済んでいるうちに手を振ってバイクを出した。ニヤケながらだ。
左折して表通りの並木道に出る。走り出すと涼しい。ゆっくりと流す。
「コオロギか・・・。」だんだん、ムッツリとした顔になる。
「ん、蝉が鳴いてるのか。」赤信号で停まったキヨミも蝉に気がついた、と。
「お?」
蝉の声を掻き消すように、背後から野太い排気音が迫り、キヨミの横についた。
小気味良いエンジンの振動が空気を伝わってキヨミの頬に伝わった。

Vツイン。半端な排気量ではないエンジン音だ。
黒い皮ツナギ、すらりと伸びた足がキヨミの目にとまった。
束ねた髪がヘルメットから伸びている。「おんな、か?」
赤いガソリンタンクが妙に大きく見えるのはソノせいか。
「DUCATI、ああ、これもソウか・・・ふっ。」
国産車でないことくらいしか、キヨミは知らない。

キヨミの口元が少し攣った。笑っているようにも見える。もう、ソノ気だ。
相手のドカがどうするかは知らないが、信号が変ったらGOだ。勝手に決めている。
黄色。スロットルを大きく煽る。ギヤは停まったときから1速のままだ。
ドカの排気音に消されていたキヨミのバイクの排気音が響く。甲高い。
排気音で兆発しているつもりだ。が、迫力はかなり不足してる。無理がある。
ドカの方はシレッとしたままだ。キヨミのことはまるで無視しているようだ。

青!
半クラッチのままスロットル全開、2速、3速はあっと言う間だ。
「くそっ!」3速に入るあたりで、ドカは悠々とパスして行った。
相手にしてくれたのかどうかは判らない。当然の結果だ。
4速、全開のままキヨミは食い下がった。つもりだった、が。
「うっ!」ドカの太いタイヤがスルスルと眼前に迫った。
「とととっ」追い抜ける計算はしていなかったから、キヨミは慌てた。
一瞬の事だ、考えたわけではない。ドカの左側をすり抜けた。全開のままだ。

スパッと抜けた。そのまま5速、速度が乗り始める。「はは・・。」
(げっ!)声をあげたわけではない。目をむいた。
キヨミは、次の信号の事をまるで考えていなかった。それも一瞬のことだ。
そのまま信号無視するほど、まだスレてはいない。やはり慌てた。
(ひゃあぁあ〜)歯を食いしばっているから悲鳴は出ない。
後輪を数回振って、なんとか横断歩道のあたりで停まる。
右にハスに構えて、エンストしている。立ちゴケ寸前だ。

ドカが1メートルほど手前に、停まる。
フルフェイスのシールドを上げたところで、目が合った。
「え・・」
キヨミは正直ドキリとした。
黒目がち切れ長な瞳、上目遣い・・・。暗さでそれ以上は見えないが。
視線をそらせない、フリーズしている。・・・そのまま・・。

クルマのクラクションとライトの点灯で、キヨミは我に返った。信号が変っている。
両足べったりだ、足を踏み変えてキックする。かかった、イイコだ。
チェンジペダルを数回蹴り込むと、一気に発進した。
「くっ!」2速だったらしい、が構わず全開だ。半クラッチで、出た。
そのまま左折してわき道へ入る。キヨミには、この辺りは庭のようなものだ。
あとは、後ろも見ずに一目散だった。逃げ足は速い、「早い」というのか。

我に返ったとたん、キヨミに猛烈に恥ずかしさがこみ上げていた。
エンジンが一発でかかって、即発進できたのがせめてもの救いだ。
「うぅ、ちょ〜恥ずかしいぃ〜」低めのギヤでバリバリ走っているのは、照れ隠しだ。
一応、キヨミも自己分析していた。
あの通りは40km制限だ。信号も多い。
一人で力んで、突進して、左側スリ抜けて、慌てて滑って、エンストして・・・。
おまけに、綺麗な(たぶん)女のヒトに笑われて(たぶん)しまった。
「ああぁあ、オシマイだぁ〜。」

いったい何がお終いなのかよく分からないが、結構ヘコんだようだ。
こういうときには「帰って寝る。」のは、キヨミも同じだ。
「起きたら、忘れている。」のも同じ、いつもはキヨミもそうだ。
が、翌朝はいつもと違った。目覚めても、あの切れ長な瞳は覚えていた。
明け方、ソレが夢に出てきたせいもある。


(秋)
昼なのにコオロギが鳴いている。植え込みの中から聞こえている。
本当はコオロギかどうかも、キヨミは知らない。まぁ秋の虫には違いない。
教習所の2輪車庫の脇のベンチだ。少し早く来すぎたキヨミは座って待っていた。
さっきから向かいの練習場で教官?がスラロームや一本橋をやっている。
「ダサい、ウェアーだなぁ」ゴリラのような体格の教官が750を操っている。
ジャージのような制服だ。遠くからだとブーツも長靴にしか見えない。
赤や青のゼッケンをつけた教習生が、教官のあとを走るのが見える。

キヨミは先週、運転適正のペーパー検査を受けた。
酷い結果だった。Cが普通らしいが、ABはなし、Cはひとつだけだった。
あとはDかEばかりだ。「だぁから、試験は嫌いだ。」フクレるしかなかった。
診断のアドバイスも読みようでは「運転には向いていない」とも読める。
初っ端から、散々なことだ。
例の1件で、いろいろ考えたらしく、キヨミも免許を取る気になった。
自宅から近いこの教習所に通うことにしたのだ。
ペーパー試験などは嫌いだが、避けては通れない。学科も必須だ。

秋風が心地よい、ベンチでキヨミはウトウトし始めた。お気楽だ。
「うっ、痛っ!あぃてて・・」
「なんで?アンタがここにいるのよぉ?ねぇ?」
「あっ、お前、てめぇこそなんでここに?、ナニをいきなり・・・」
キヨミの幼馴染の沙耶香だ。キヨミの耳を引っ張ったままだ。
ホイと手を話すと、指をフッと吹いた。おちょくっている。ハハハと笑う。

「サヤカ。てめぇ〜」
幼稚園からの付き合いだが、家が近所というだけだ。特にどうという関係ではない。
キヨミとは気が合って、まぁ仲はいい。気心が知れている。サヤカもベンチにかけた。
「アンタは原チャだったでしょ、いきなりぶち抜いてやろうと思ってたのに。」
「う、サヤカも免許取りに来てたのか・・・。」
「バレちゃしょうがないわ。アンタ初日?ふふふ、アタシもう2段階よ。」
サヤカは、長身ではないが合気道を年少からやっている。勿論有段だ。
小学校、中学校とサヤカといると、いじめっ子やワル達も近寄れなかったくらいだ。
たぶん、大きいバイクでもサヤカだったら余裕だ。

どうしたこうしたと、サヤカとジャレあっているうちに教習が終わったらしい。
400や750が続々と車庫に引き上げてくる。
「あれぇ?キヨミぃ。そのメットじゃ駄目だよぉ?説明聞いてなかったね。」
「それ、飾り物らしいよ。規格が合ってないんだって。」
「うぇ?そっそうかぁ?まいったな・・貸してくれるかな・・・。」
入所説明のとき、居眠りしていたのが災いしたようだ。やっぱりお気楽だ。
「ちぇっ、しょーがないな。」いまさらキャンセルもできない。

「五島さん、五島清海さん!」背後から呼ばれた。女の声だ。
「ほーい。」キヨミは座ったまま、振り向いた。
例のダサいジャージと長靴の教官が、、、「五島さん?・・。」
「ぅあっ!」思わず声を上げたキヨミは、立ち上がった。
アノ瞳!例の瞳と、また目が合っていた。間違いない。キヨミには判った。
「今日、初日でしょう?少し説明が・・。あ・?」
キヨミの提げている茶色のダックテールに気がついた。
ハハンといった表情を押し殺している表情だ・・・バレてしまった、か・・。

「それ、駄目なんですよ。説明があったと思います、けど。」
「ぁ、そのぉ〜。忘れたというか、えぇ・・貸しメットとか、ないですか?」
いつの間にか、キヨミは「気をつけ」の姿勢だが、本人は気付いていない。
「そういうのは無いんですけど・・・ちょっと待って下さい・・。」
「あ、ケンちゃ〜ん。ちょっと!」車庫にいる同僚の教官のほうへ向かう。
キヨミは見とれてしまった。スラリとしているのは足だけではなかった。
それに、瞳だけではない。そこに顔があった。ほとんど痺れてしまっている。
想像とは少し違ったが、キヨミの頭の中では。・・・すぐに置き換わってしまった。

しばらくして彼女は同僚と車庫から出てきた。
先ほど教習していたゴリラ教官と一緒だ。ゴリラがメットを提げている。
「あらぁ、今日から教習?可愛いわね。」彼がケンちゃんらしい。
なんか目が大きくて、ひげそりあとが青い。凄いインパクトだ。
「今日はコレ貸しましょう。ワタシが普段使ってるものだけど。」
白いフルフェイスだ。「どうも。」キヨミは受け取った。
随分キレイだ。「へ?」見ると両サイドに赤いバラが書いてある。
「ちょっと大きいかも?ガマンしてください、ね。」
「すんません。」キヨミは何かムズムズしたが、借りるしかなさそうだった。

「じゃぁ、始めましょうか?五島さん。あちらへ行きましょう。」
「あ、はいぃ・・。」
「頑張って!ねぇ〜っ」ケンちゃんが手を振っている。キヨミも手を、上げておいた。
不覚にも、左手と左足を一緒に出して歩きそうになりながら。キヨミも車庫へ向かう。
「あのメットだと。転んだら顔の形が変っちゃいますよ。イイの買って下さい。」
「は、はいぃ。」
「最初は発進、クラッチのつなぎ方ですけど・・・ふふふ、得意でしたね?」
「・・・。」やっぱり、バレていた。オシマイだ。始まったところなのに。

「こりゃあ、どうにもならない。」キヨミは思った。声には出していない。
何がお終いで、何がどうにもならないのかは、キヨミにしか解らない。
女教官、ゴリラのケンちゃん、おまけにサヤカまでいた。
「なんか、ちょ〜面倒ぉ臭そうぉ〜〜。」やはり、声は出していない。


おしまい。