「茶髪について」(God speed HPで401kunさんへのレス)

私は小さな村に生まれ育った。もっとも昭和40年代に人口が五千人を超え、今では「町」になっている。まぁ、かなり田舎である。とりあえず列車の駅もあったから山里というほどではないが。
祖父の代には商売をしていた関係で、隣のマチの駅前で尋ねても私の家は分った。今は無理だ、家屋敷もないし、明治生まれの人でなければ分らない。当時の田舎はそのくらい世間が狭いということだったのだ。そういう狭い世間で私は育った。

私には弟がいる。二人兄弟だ。二人とも髪が赤い、生まれつきだ。どういう加減でそうなのかは知る由もない。両親には関係なさそうだ。学校で子供が群れて遊んでいても、親父は私達を見つけるのに苦労することはなかったそうだ。100m離れていてもすぐに分った。栗毛と言えば聞こえはいいが、そのくらい「皆んな」とは違っていた。

幸いな事に髪の色のことで苛められたり、特別に扱われた記憶は全くない。少しくらい外見が変わっていても「どこの誰か?どういう子供か?」を認識されていたからだろうか。今となっては、本当のところは何故かは分らない、当時そのことを深く考える必要はなかった。自分自信でもその違いは認識していたが、ただそれだけのことである。

私が中学校へ通ったころには、小学校と中学校が校庭を挟んで建っていた。プールや体育館は共用である。小学校を卒業しても、下駄箱と教室が変わるだけである。
変わるのは頭髪だ。いわゆる五分刈り「坊主頭」である。「中学校に行く」ただそれだけの理由で坊主頭にしたが、これといって抵抗感もなかった。校則だかなんだか知らないが、ガクランを買い、床屋に行った。疑問は持たなかった。

中学校時代に、今でも思い出すたび面倒で嫌な思い出がある。この「坊主頭」の件である。私が二年生のときだ。どこから出たのか三年生が「頭髪自由化運動」なんかを始めた。髪の毛なんか伸ばしたって、今さら面や体格が変わるわけではなし、オツムの中身だって変わるわけではない。私はそう思っていた。
細かい経緯は忘れてしまったが、中学生のやることである。生徒会か何かで騒いだようだが、ドコカで却下されて「運動」は腰砕けに終わった。

ところがである、私が三年生になったら、また騒ぎ出すヤツラがいた。再燃したからには火元があるのだが、あえてココではそれは書かない。嫌な思い出になったのには理由がある。嫌な上に面倒だと言ったが、私はそのとき学級委員長をやっていたのである。委員長などといっても、要は小遣いさん、雑用当番である。議長とか代表とか面倒な役は全部委員長まかせである。成り行きでやっていたのである。貧乏くじは、この頃からよく引く。
どうでもいいと思っていた「つまらんコト」の意見を取りまとめるハメになってしまった。

「頭髪自由化案」を取りまとめていて呆れた。賛成も反対も、いちいち覚えてはいないが、何の根拠も説得力もない。まぁ中学生のなりの意見や案ばかりである。とりあえず反対意見の方が旗色が悪かったので案はまとまり、さらに面倒な茶番劇の後、なぜか却下もされずに「運動」は成功してしまったのである。やる以上は真剣にやったが、少しも面白くはなかった。

坊主頭がスポーツ刈りになったって、なにが面白いんだ。正直そう思った。髪の毛なんて、私自身はあまり興味がなかったのだ。
それにどうせ高校に行けば、また丸坊主である。今はどうだか知らないが、近隣の高等学校は「坊主頭」が主流だったのである。

私は甲府市内にある工業高校に入った。古臭い考え方の「少ない」校風で、坊主頭にする必要はなかった。校則がないわけではなかったし「生活指導」などというものもあった。
当然、「なんだ、お前!この髪は・・どうしたこうした・・・。」鬼の首でも取ったように御指導されそうには、なった。簡単である「生まれつきですよ、染めてませんよ。」何もやましいことはないから、当たり前にそう言った。数人の先生方は何事か相談していたようだが、それきり三年間、髪のことは一切お構い無しだった。

正確に覚えてはいないが、就職試験の面接の時は確か「角刈り」で行ったと思う。ただ、そのときに自分の髪の色に関して、それほど意識していたのではないと思う。事実そうだったのだが、適当に「体育会系」(当時そういう呼び方はしなかったが)をアピールしただけである。髪の色も常に一定ではない。日に焼けたりすると赤茶けるし、いまはダークブラウン?だったりする。
ああ、弟は確か就職のときは黒く染めた。そうする必要があったのだと思うが詳しくは知らない。

他人の身体的なことでとやかく言う連中など、程度が知れているのだから相手にすることはない。そのことで、本当に不利益や損害をこうむったりするのなら、今の時代、出るところへ出ればいいのである。
その点子供は辛らつなことでも平気で口にするが、幼稚なものは仕方がない。鷹揚に構えて聞き流せばいい。注意して効き目がある年齢なら諭せばいいことである。

ちなみに私の息子は栗毛だ。おまけにカミサンの天然パーマも受け継いで、少しカールしている。親馬鹿だが、なかなか可愛い。
いったい何が「並?」なのか意味不明だが、髪の色が「ヒト並み?」なくらいで、渡って行けるような世の中にはなっていかないと思っている。中身で勝負だ。自分の気持ちの持ちようである。私は、そう思う。

ただ、私は「風体」には「時と場所と場合」もあると思う。その場に「相応しくない」ということだって現実にはあるのだ。それは個人個人が判断することで、尺度や常識も決めつけられない事だと思う。「好き嫌い」「不快感」などに根ざしたことは割りきって考えられないことだと思う。


PS
岡山の「茶髪」の件に関しては詳細を知りません。
どういう観点での報道なのかも分りませんし、事実関係は知りようもありません。
401kunさんの書きこみに関連して、私の思ったことを書いてみました。