「無免許?」
「待ってぇ〜!」
なんか毎日とっても大変だ。
とにかく走らなければならない。
駈けるのである。全力疾走だ。
いつの間にか、周りの皆んなは自転車に乗っていた。
移動手段だ。なければ何処へも行けたものではない。
ところが、僕の家には乗れるような自転車はない。
でも、僕はもう疲れた。限界だ。
「お父さん、自転車買ってぇ。」
3日ほど膨れっ面を続けて、ようやく買ってもらった。
手に入れて気がついた。まず、乗れなければしょうがない。
僕は未だ。自転車に乗ったことがなかった。
近所の寺の境内で練習した。こげば走れると思った。
密かに練習し、サッソウと「公道デビュー?」をしようと思ったのだ。
両手両足の関節が赤チンで染まったころ、なんとか転がせるようになった。
ソレだけではない。
用水に飛びこんだり、垣根に突き刺さったり、散々な目に会った。
「自転車運転免許証」
僕の小学校にはソレがあった。
もちろん免許がないと自転車には乗れない。
学校の校庭に自動車教習所のコースみたいなものを仕立てて。
実際に運転させて、免許の検定試験をやるのである。
お巡りさんやら婦警さんまで招待している。子供だから真剣である。
オマケで自転車に乗れない子達には歩行者の講習も行うのである。
右左折や停止の合図(手信号)や交通法規はもちろんのこと。
結構うるさかったのが、「左側から乗り降りする」と「左足を着いて停止する」の2点だった。
車道側に転倒する事は大事故につながってしまうからだ。
当時の国道の交通事情は凄かった。今の高速道路の交通量が、そのまま下道だったのである。
幸い一本橋やスラロームなどという、意地の悪いモノはなかった。
おかげで僕は一発で合格した。
もっとも、自転車に乗れればほとんど全員合格する。
不名誉なのは「やりなおし」である。トロくても2回目には合格だ。
「免停」
あった。コレが一番効く。
悪さをすると、免許証を没収されてしまう。
大した人数の学校ではないから、「免停中」はバレバレである。
近所で大人しくしているか、全力疾走の日々を過ごすことになる。
免許の効き目かどうかは定かではないが。
幸いなことに交通事故で友達が死んだという記憶が、僕にはない。
最近あまり聞かないが「人は右、車は左」くらいは素直に守っていた。
自転車だから「安全運転」の意識なんて、あったのかどうかも分からないが。
「免許更新」
なんと、年に1回更新検定試験がある。全員受けるのだ。
5、6年生には簡単だ。パフォーマンスの場となる。お祭りである。
ジムカーナ?を気取ってゲンコを頂戴するアホも現れる。
僕は下級生のチッチャイ18インチを借りて出たことがある。
結構笑いをとったのは良かったが、8の字で転倒した。(そのころからお調子者である。)
当然「やりなおし」になり、今度は終始下向きでコースを回った。
昨今、道路上は無茶苦茶である。
右も左も歩道も車道もあったものではない。
歩行者はともかく、自転車、原付バイクなどは無法に近い。
そう感じるのは私だけだろうか?
いい加減な歩行者は、いい加減に自転車の運転をし。
そのうち原付バイクに乗って徘徊するようになるのではないか?
4輪や単車の免許を取得しても、その「いい加減さ」が抜けないヤツもいるのではないか?
コジツケなのは分かっている。でも、そう思えてしまう。
私達は、その同じ道路上を単車で走るのである。
毎日何もないのは幸運なだけかもしれない。
楽しく単車を転がせる世の中になってほしいものである。