「ハイカラさん」
黄ばんで角が擦り切れた写真。セピア色と言うのか。
女性が写っている。
ポーズをとっているのか?目線はきていない。
卒業式シーズンによく見かける格好。袴+α、日本髪?。
アニメファンなら、ご存知の方も多いであろう。
ハイカラさん。大昭時代のチャーミングレディ。の、格好だ。
本物のハイカラさんかぁ。可愛いな。だれだぁ?
写真を裏返した。
「○○代」・・・!?
うちのバアさんだ!
ひっくりかえして、良ぉく見る。
コレが、アアなるのか?不思議だ。
うーん、近所のオバチャンの言葉もお世辞ではなかった。
妙に納得した。
私の祖母・・・「オレのバアさん」でいいか。
明治35年生まれ。大昭時代は女学校に通った・・のであろう。
オレの記憶の中では最初から婆さんだ。
昔のことはあまり話さない。聞けば少しは話す。
ジイさんは幸せものだ。オレが幼稚園の時分に亡くなってしまったが。
オレの母親はキレると、よくオレを庭先の小川の中に立たせた。
ピィピィ泣いているオレを石橋の上から引っ張り上げるのは、いつもバアさんだった。
決まり文句は「まったく・・云々」。そう言いながら引っ張る。
まだ腰が曲がっていない頃の事だ。60歳頃か。
オレの母親は「またオバアチャンに怒られる・・。」と言って、オレを叱った。ほんとかぁ?
おぼろげな記憶だ。
オレは殆ど、バアさんに怒られた覚えがない。
オレが悪さをしなかったからではない。悪戯小僧である。出来もそんなに良くない。
バアさんは睨むか、哀しそうな目をするだけである。
それが一番効くのだ。
理由は忘れたが、反抗した。ガキのころである。手を上げた。
強い。
確か2〜3発食らった。カウンターだ。
こっちは最初に1回カスッただけだ。
婆さんのガッツポーズだ。見たら怖いぞ。
以後、オレはそういう抵抗だけは止めた。
茶の間で洋画をよく見た。
「ふぅおっほっ・・」含み笑いだ。バアさんが最初に笑う。
字幕スーパーだ。読んでいない。文字など見えないのだ。聞いている。
訳してくれと頼んだこともある。
「・・・・それは難しい。」答えはいつも同じだ。
80歳。コタツに座る姿はあのE.Tのようである。
なにかあると近所に出かける。交渉?に行くのだ。
あるいは相手が来る。近所のオッチャンなどである。
問題にならない。箸にも棒にもかからない。
役者が違うのだ。
理屈や教養で、かなうオッチャンなど近所にはいない。
もちろん、バアさんは横車など絶対に押さない。正論だ。
昭和58年。オレが東京で暮らすようになり。バアさんを山梨から呼び寄せた。
カミサンとはその1年後に結婚した。社宅で同居である。
ある日カミサンがバアさんにコボしたらしい。
オレの「金の使い方。私が頑張ってるのに、節約しない・・あれやらこれやら」。
当然の愚痴だ。オレのことである。オレは道楽ものだ。
「アレ(オレのことだ)が稼いでいるんだから、当たり前だよぉ。あんた・・・」
あっさりと言われたらしい。
とぼけた感じで言ったのだろう。
後が大変だ。
その後の、カミサンとの顛末はご想像にお任せする。
バアさん。明治生まれの大昭育ちである。
男には最高だ。
茶碗が空くと、手が伸びてくる。意味が解る方はご年配か?
私にとってバアさんは母代わりである。
そんなバアさんも平成3年3月3日88歳で往ってしまった。
「ひな祭り」。バアさんには似合いだ。
最後はカミサンがみとった。入院した当日だ。
バイクに関係無い話だって?
そんなことはない。
オレが生まれて、育った。
今、バイクに乗れるじゃんか。
余談だが。
山梨県は葡萄が有名だが、桃の産地でもあるのをご存知だろうか?
例年4月10日前後から。(桜の花が散りきった後頃。)桃の花が咲く。
中央高速道路の勝沼インターチェンジで下車すれば良い。
運良くイイ時季に当れば、その近辺は桃源郷と言うにふさわしい。
私は桜より桃の花の方が好きである。見ていただけたら納得されると思う。
ご覧になったことのない方。この時季山梨方面へのツーリングは如何だろうか?
山梨では梅、桜、桃と連続でお花見が出来るのである。(葡萄の花は見てもつまらん:笑)
東京からなら十分日帰りコースだ。お勧めする。