【 奴 凧 】
渋江喜久夫:
昔の男の子はよく正月に凧揚げをしたものだが、最近その風景を見かけない。小学生の頃、和紙と竹ヒゴを使い奴凧を作った。見栄えだけはよかったが、上手く揚がらなかった。奴凧の起源は江戸時代で、町民達がこれ見よがしに武家屋敷の上に奴凧を飛ばし、身分の低い奴が武士を見下す姿を見てストレスを発散していたのだとか。この絵はJTBの新聞広告用(朝日・読売・毎日)に描いたものである。(点描画)
  西谷 史:
この絵はシンメトリーではない。奴(やっこ)の身体の中央で凧の骨組みを交差させ、その上に顔を描いているのだが、拳も、刀の束も、顔の皺も、すべて身体の右側にかたよっていて左側は寂しい……はずなのだが、見ているとなぜか左側に目を吸い寄せられてしまう。奴の顔も、襟元の絵も、左側のほうがのびのびして美しく見える。もちろん、渋江さんは意図的にそうしたに違いない。もしかすると、この絵にはまだ誰も理論化していない美術的な技法がこらされているのかもしれない。そんなことを感じさせる見事な絵だ。

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