第5回 飛田新地・通天閣(大阪西成区〜天王寺区)

飛田新地は、一言で言ってしまえば風俗街だ。
僕も元々その名前を知っていたわけではない。
今回の大阪行きのためにネットで色々調べたのだが、あいりん地区に関する資料を探していると必ずと言っていいほど一緒にヒットするのである。
何度もその飛田新地という名を見るうちに、次第に興味を覚えるようになり、「わかりやすい場所にあるのならちょっと見てみたいな」という程度に思っていた。
あいりん地区を後にして、ともぞう氏とこれからどうするか話し合ううち、「次はその飛田新地を目指そう」ということになった。
しかし、僕は元々そこまで興味も無く資料も持ってなかったので、場所が皆目見当つかない。
ともぞうも同じく詳しい場所を知らず、少し探して僕は「もうええか」と思い、「別の場所に行こうや」と言ったのだが、ともぞうは「いや、おれは飛田新地に行きたい」と、あくまで飛田新地にこだわる。
「わからんのやったら俺が聞いてくるわ」とあいりん地区のスーパーのおっちゃんにわざわざ聞きに行った。
「飛田新地はどこですか?」と聞くことは、「僕風俗店に行きたいんだけど場所がわからないんです」と言うのと同じぐらい恥ずかしいことで、答えたおっちゃんも「兄ちゃん、これから行くんか」と意味深な笑みを浮かべていた。
この男をここまで魅了する飛田新地とはどんな場所なんだろうか。
飛田新地は思ったよりわかりにくい場所にあった。
しかし、「さあ、ここからが飛田新地ですよ」と言わんばかりに、入り口には周りの一帯
とは一線を画すような立派な門がある。
その門からして、昭和の戦後間もなくぐらいの、古いが、しかし厳然たる威厳を感じさせる門だ。
そしてその門をくぐった瞬間、まるで自分がタイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。
何もかもが自分の知っている現代の風景とは違うのだ。
日本式の家屋が並び、しかもそれが個々に独立しているのではなく、長屋のように全く同じような造りの家がどの方向を向いても果てしなく並んでいる。
僕は、風俗街というぐらいだから派手なビルが並び、下品なチラシがそこら中に貼り付けられ、ケバイお姉さんとヤンキー風の兄ちゃんが店の前で呼びこみをしてるような雰囲気を想像していたのだが、そんなものはカケラも見当たらない。
大袈裟でなく昭和の戦後間もなくの住宅街にタイムスリップしたような感覚に陥った。
唯一遠くに見える高いビルが、自分が平成の時代に生きていることを感じさせてくれる。
きっと昔の吉原ってこんな感じだったんだろうなあ(まあ今の吉原にも行ったことは無いが)、とか考えながら奥に進む。
経営の大元が同じなのか、この地域のしきたりか知らないが、どこを見まわしても同じような家に1メーター弱四方ぐらいの白い看板がついており、黒で「若月」とか「金成」というような漢字1文字か2文字の名前が書かれている。
昼間だったが所々店が開いていた。
淡いピンクの光を放つ玄関には大抵座椅子があり、そこに20代ぐらいの女の人が座っている。
その脇には50代〜70代ぐらいのお婆さんがいて、そのお婆さんが「おにいさん、かわいい娘いるよ」と呼びこみをしてる。
そして確かにきれいな女の人も多かった。

人っ子1人いない昼間の風俗街を男2人でぐるっと一回りし、そのまま逃げるように外界へ通じる階段を上り、現代へと帰ってきた。
目の前に吉野家の看板を見た時、言い様の無い安堵感を感じた。もう朝からあいりん地区に飛田新地と、あまりにもコクの深いディープな世界を見てきた僕たちの精神は極度に疲労している。
それだけにその吉野家の看板は、砂漠にオアシスを見つけたような喜びを与えてく
れた。

しかし、今まで見てきたものより遥かにディープな体験を僕たちはこの数時間後にすることになる。


と、その前に、飛田新地を後にした僕たちはともぞうの要望で通天閣に行くことにした(そこから歩いて20分もかからんかった)。
通天閣の中に入るのは初めてだったが、結論から言おう。面白くも何とも無い。ビリケン様の像ぐらいしか見るものも無いし、上に登ったところでさして景色が良いわけでもない。
これで500円は高すぎる。金返せアホ―!

腹立ったから通天閣の電源使っておれの携帯の充電してやった。


第6回、大阪ディープゾーン巡り最終回に続く、、、

※飛田新地の写真は近いうちにアップします