暖かな日差しが午後の廊下を明るく照らしていた。
「…でね、」
 扉の前まで来ると、若い男女の楽しそうな声が中から漏れ聞こえてきた。
「でも、絶対jnへのプレゼントだと思うのよ。
 だから聞いてみたの。"カタリナ、それ神父様へのプレゼント?"って。
 そしたら、カタリナったら顔真っ赤にしちゃって。"ち、違いますっ!"って。
 うふふ、でも顔にはバッチリ書いてあったわよ」
 パメラの声が聞こえた。
「手編みのセーター!
 …ああ、やはり可愛らしいなあ…カタリナ…」
 ジムゾンのうっとりと呟くような声が聞こえた。
「手編みっていいアピールになるわよね。
 私もディーターに手編みの腹巻きでもプレゼントしようかしら。ねぇ、良い考えじゃない? jnどう思う?」
「カタリナ可愛いなあ…カタリナ…」
「ちょっと、jn聞いてるの!? ねえってば!!」
 リーザは談話室の扉をノックしようとして、ふと手を止めた。
『入って良いかの?』
『あら、いらっしゃいませrz様。大丈夫ですわ、今私とjnだけですの』
 パメラの"囁き"が応えた。
 リーザは改めてドアをノックすると、扉を開けて中へ入った。
 中央の机を囲んで、パメラとジムゾンが腰掛けていた。
「おや、リーザ、珍しい」
 紅茶のカップを傾けながらジムゾンが言った。
「誰も遊んでくれないお、談話室なら誰かいるかと思って、遊びに来たお」
『作戦会議か? 余り昼からおおっぴらに会うのも良くないぞ』
「うふふ、リーザちゃん寂しかったのね。こちらにいらっしゃい」
『大丈夫だと思いますわrz様。本当に偶然ですの、私が談話室にいたらjnが来たので』
「リーザも紅茶飲みますか? ミルクたっぷり入れましょうね、砂糖も入れて」
『お茶を頂きに来たのですが、prが先に居たもので。
 いきなり余所余所しくなるのも返って不自然ですしね、そのままこうして』
 お互いに自然な態度を崩さず、素早く囁いた。
『なるほどな。了解した』
「神父様、リーザは砂糖は要らないお」
 言ってリーザは椅子に腰掛けた。
 自分たちの"囁き"は、人間達には聞こえない。
 それでも互いに部屋に入る前には、いつの間にか、囁いて他の者が居るかどうか確かめることになっていた。
 自分たちが"仲間"であることは、絶対に他の者に知られてはいけない。
 だから、余り仲良い素振りを見せてはいけない。
「はい、分かりました」
 言ってジムゾンが、新しい紅茶のカップに角砂糖を一かけ入れた。
『……お主、わざとやっておるだろ』
「え? ……あっ」
 ジムゾンが慌ててカップから砂糖を取り出すのを、リーザは苦笑して眺めた。
『それからpr。"囁き"以外では、その名前で呼んではならんぞ。人間どもに不審に思われたら拙い』
『あ、失礼致しましたわrz様。私まだ、"囁き"と言葉が時々ごっちゃになりますの…』
 この年若い仲間達は、しっかりしているように見えて、時々抜けている。
 たまにやや不安になる事もあるが、まだ仕方ないのかもしれない。
 彼らはつい数日前、目覚めたばかりなのだ。
 そう、人狼としての自分たちの運命に。

 初めて目覚めた時、どんな気分だったのだろう。
 リーザはもうその時のことを忘れてしまった。
 ずっと永い時を一人で生きてきた。
 数百年…数えてはいないが、それくらいになるかもしれない。
 いくつかの戦争も見た。
 栄華を誇った王朝が倒れるのも見たし、人々が争い村が滅んでいくのも見てきた。
 村と村とを渡り、細々と羊や牛を喰いながら、それと知られる前にまた別の村へと逃れていった。
 そうして辿りついたこの村で、リーザは気付いた。
(…同じ匂いがする)
 この村には、狼の血を引く者がいる。
 自分と同じ者がいる。
(…仲間?)
(仲間がいるのであれば…また、御馳走が喰える)
 流石に村の中に一人では、いつか見つかる。
 けれど仲間がいれば…お互いが助け合えば、誰が狼か気付かれずに人間を喰らっていく事が出来る。
 だからリーザは、この村に住み着いた。
 孤児として教会に世話になりながら、ゆっくりと誰が仲間であるか見極めた。
 そしてあの日。満月、真っ赤な大きな月が昇った夜、リーザは囁いた。
『わしの声が聞こえるか。
 仲間よ、わしの声が聞こえるか。
 さあ、鏡に自らの姿を映してみるがよい。
 見えるか、その姿が。生き血を啜り肉を喰らうその姿が。真っ赤な返り血を浴びたその忌まわしい姿が。
 それこそがお主らの本当の姿だ。さあ、存分に人間どもを喰らう事としようぞ、仲間達よ』
 そして彼らは目覚めた。
 人の生き血を啜り肉を喰らう者。"人狼"として。

「……お砂糖甘いお」
 紅茶を一口啜ってリーザは言った。
「神父様はカタリナのことで頭がいっぱいなのよ。ね、神父様」
「な、何を言うのですかパメラ! わ、私はそんな事……
 大体リーザの前でする話でもないでしょう、そんな事」
「うふふ、そうね、止めましょうか」
 パメラはまだ何か言いたげだったが、ジムゾンが目配せをすると、二人とも口を噤んだ。
 リーザは小首を傾げる素振りをした。
 別に、何の話をしていたか知らぬ訳ではない。
 ジムゾンとカタリナが互いを想い合っているというのは、村の者なら誰でも知っている話だ。
 それでもジムゾンは、リーザの前ではその話をしたがらない。
 パメラはにこにことしているが、やはりそれ以上話を振ろうとしない。
 いつも同じ流れだ。
 リーザは黙って、また一口紅茶を啜った。
 若い二人は、顔を会わせると恋の話ばかりしている。
 この村には若い娘が少ない。だからパメラとカタリナも自然と話す機会が多くなる。ジムゾンはパメラからカタリナの話を聞いては、先ほどのようにカタリナへの想いを募らせているのだ。
 パメラはパメラでディーターにご執心のようなのだが、こちらはなかなか靡く素振りもないらしく、一生懸命振り向かせる手だてをジムゾンに相談しているらしい。
 リーザはそんな話を聞くのは嫌いでもないのだが、リーザが来ると、ジムゾンが話を止めてしまうのだ。
(隠さずとも、誰でも知っておる話なのにのう)
 つまらんの、と心の中で呟いて、リーザはまた紅茶を啜った。
 ふと、テーブルの上のものに視線が止まった。
「……パメラお姉ちゃん、それ何?」
「え? これ?
 ああ、これはね、アルビンさんが仕入れてきて下さったの。
 織物の教本なんですって。凄く素敵な模様が乗っていて面白いのよ」
「ほええ、リザも見たいの…」
 リーザは身を乗り出したが、机の真ん中ほどにある教本には届かない。
「あら、リーザちゃん、見える?」
 パメラが本を寄せてくれたが、机の上に広げたままでは、リーザの視線からは酷く見えづらい。
 リーザは本を取ろうと、手を伸ばした。
「ここの椅子はちょっと低いですからね。…よいしょっと」
 その時、不意にリーザの体が浮いた。
「ほえっ」
 ジムゾンがリーザの体を持ち上げると、そのまま自分の膝に乗せ、本を自分の方に向けた。
「これで見えますか?リーザ」
(え?)
 リーザは一瞬、何が起きたか分からずきょとんとした。
 そして次の瞬間、かあっと体が熱くなった。
 すぐに降りようと体を動かす。
「おっとっと」
 ジムゾンはリーザがバランスを崩したと勘違いして、しっかりとリーザの体を押さえた。
「だ、大丈夫ですかリーザ…一回降ろしますね」
 またジムゾンの手がリーザの腋に回り、ひょいっと持ち上げられると、ゆっくりと床に降ろされた。
 ドキドキする。
 頭に血が昇っている。
「よっと」
 またジムゾンがリーザを抱き上げ、自分の膝に乗せた。
 今度はしっかりと腰に手を回し支えている。
「これでちょうど良い高さでしょう」
 頭の上の方からジムゾンの声が聞こえた。
 またリーザの顔がかあっと熱くなった。
 すぐ近くにジムゾンの息遣いが聞こえる。
 自分の鼓動がジムゾンに伝わっているように感じる。
 誰かとこんなに体を密着させたことなど、暫くなかった。
 ましてや、異性の誰かと。
「ち、ちょっ、」
 降ろして欲しい、
 そう言いかけて、リーザはふと気付いた。
 …そうか。
「あら? リーザちゃん、顔真っ赤よ?」
 顔を覗き込んだパメラが言ったが、リーザの中ではすうっ、と熱が引いていった。
 そういう、事か。
「ジムゾン! どこに居るんだい!
 そろそろ夕飯の用意を手伝っておくれ!」
 その時、レジーナの声が聞こえてきた。
「あら、呼んでるわよジムゾン」
「おや。それではそろそろお開きにしましょうか」
 ジムゾンが言って、リーザを床に降ろした。
 パメラとジムゾンも席を立って、廊下へと向かう。
 不意にリーザの中に虚しさがこみ上げてきた。
『……jn』
 ジムゾンの背中がぴくっと震えた。
 少し意外そうな顔で、こちらを振り向く。
『え…どうしたのですか、rz』
『……のう。
 もしprにとっても椅子が低かったら、jnは同じように膝に乗せたかの?』
「へっ?」
 ジムゾンの顔が赤くなった。
「ま、まさか! そんな事するわけないですよ」
 ジムゾンは言うと、慌てて踵を返し、廊下を足早に歩いていった。
 …やはり。
 リーザはジムゾンと反対の方向に廊下を歩いていった。
 とん、とん、とん。
 足音が廊下に響く。
 廊下の木目を見つめていると、段々と涙が溢れてきた。
「あら? どうしたの、リーザちゃん?」
 声に顔を上げると、カタリナが目の前に立っていた。
 大きな瞳で心配そうにこちらを見つめている。
「……」
 リーザもカタリナの顔を見返した。
 大きな瞳に長い睫、形の良い小さな唇。
 女性らしい綺麗な、愛らしい顔立ち。
 ジムゾンが心奪われるのも無理はない。
 だが、
(面食い、だからといって、外見ばかりで判断して良いわけではないわい)
 リーザの頭に少し意地悪な考えが浮かんだ。
「リーザ、ちゃん?」
 涙を浮かべたまま身じろぎもしないリーザに、カタリナが心配そうに問いかける。
「……リナお姉ちゃん……」
 少し俯いて、しゃくり上げるような素振りをしながら言う。
「あのね、あのね……神父様がリーザいじめるおっ」
 言って、わっとカタリナに抱きついた。
「リーザの大事にしてたぬいぐるみ、神父様が捨てちゃったお。
 リーザは大事に箱の中にしまっておいたのに、神父様間違えて箱ごと捨てちゃったお」
「まあっ! リーザちゃん、それは可哀想に…ちょっと、神父様!」
 カタリナは大慌てで廊下を走っていった。
 向こうの方に神父の姿が見えたらしい。
 大きな声で怒っているのが聞こえる。
「箱の中身も見ないで捨てたんですの!? ……リーザちゃんが大切にって……」
「え? いえ、あの……」
 リーザはその様子をちらと見ると、踵を返して自分の部屋へと向かった。
『rz、何ですか!?』
 ジムゾンの囁きが聞こえた。
『鈍感で面食いなjnへのお仕置きじゃ。
 まあ、ちぃっとくらい良いじゃろ。愛しのknと喋れることじゃし』
『え?え?ちょっと、rz…』
 まだジムゾンが何か言っていたが、残りは無視して部屋に入った。

 扉を閉めると、一つ大きな溜息をついた。
 壁に大きな姿見が掛けてある。
 リーザはその前に立ち、自分の姿をじっと見た。
 大きく目を開き、にこっと笑ってみる。
(…なんだ、)
 自分も、そう悪くもあるまい。
 鏡の前で色々なポーズを取ってみる。
 やはり、ジムゾンが鈍感なだけなのだ。
 きっとそうだ。
 …いや、
(この髪型が、良くないかな)
 リーザは自分のツインテールをぎゅっと握ってみた。
 確かに、大人の女性はあまりしない髪型、かもしれない。
 パメラのように下ろし髪にしてみたら変わるだろうか?
 そんな事を考えている自分に、リーザはふと苦笑した。


(明日は、数百年ぶりに髪型を変えてみるかの)



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