『jn!』
 扉を開けるのももどかしく中へと飛び込んだ。
 神父が右腕を押さえ、納屋の壁にもたれ掛かっていた。
 指の間から生々しい傷跡が見えた。
『申し訳ありません、rz。不覚を取りました。やはりまだ狩人は生きて居たようです。…糞ッ、忌々しい』
『仕方がない。わしらが賭けに負けたという事じゃ。
 待っておれ、今止血する』
 腰に下げていた袋から、持参した包帯を取り出した。
 神父の顔がやや曇る。
『rz、お心遣いは有難い。…けれど、今ここでこうしているのを誰かに気付かれたら…』
 その後は言葉を濁す。
 そう、この場を見られて困るのは…神父の方だ。
『…すまぬの、jn。じゃがこのままにしておくわけにもいくまい。
 このままで集会場に集まれば、お主が襲撃に失敗した狼である事は一目瞭然。何としても血の臭いだけは消しておかねばならん。
 利き腕がそんな状態では、お主一人では止血もままならんだろう?』
『…済みません』
 "襲撃が失敗した"
 実のところ、聞こえたのはその囁きだけだった。だから神父の傷の深さが分かったわけではない。
 ただ、居ても立っても居られなかった。
 自分の作戦が上手くいっていない事への苛立ち、悔しさ。
 そして、
『とりあえず、上衣を脱げ。いくら止血してもその鉤裂きでは意味がない。替えの上衣はあるな?』
 神父は頷いて、上衣を脱いだ。
 痩せてはいるが筋肉質な上半身が露わになった。
 思わずどきりとする。
(何を考えているのだ…わしは)
『さ、腕を貸せ』
 右腕を取り包帯を巻いていった。
 すぐ目の前で、神父の裸の胸がゆっくりと上下している。
 その眼差しは燃えるようにぎらぎらして、どこか遠くを見つめている。
『rz』
『うん?』
『prの仇…必ず取ります』
『…そうだな』
 神父が視線をどこかに向けたまま、ゆっくりと、静かな、しかし強い声で言う。
『申し訳ないが、今日はrz吊りで論を進めさせて頂きます。
 霊能者襲撃に失敗した以上、prが黒である事は分かってしまう。そうなればprに白判定を出した貴方を庇う事は出来ない』
『そうじゃな。それは仕方がない。
 お主を一人残してしまう事になってしまったな。
 辛い道を歩ませてしまう…済まんの』
 それは心からの言葉だった。
 自分はずっと、独りで生きてきた。
 だから分かる。独りで生きてゆくのがどれほど辛いか。
 どれほど苦しいか。
(だから、)
 …もし今日吊られるのが、神父だったら。
 自分は戦い続ける事ができただろうか。
 一度仲間と共にいる時を過ごしてしまったら。
 この楽しさ、心強さを知ってしまったら。
 神父がその眼差しをこちらに向けた。
『…いいえ、rzは本当に頼りになりましたし、貴方が居なかったらもっと早くこちらは崩壊していたと思いますよ。
 本当に有り難う』
 神父の顔に笑みが浮かんだ。
 寂しげな微笑、に見えた。
『先に行っていてください。prも居るから寂しくないでしょう』
 す、と大きな手がこちらに伸びてきた。
『少しの間、お別れですね。…今まで、本当に有り難う。』
 ぎゅ、と、その胸の中に抱きすくめられた。
 細いけれど、自分よりは遙かに広いその胸。
『…すまんの。苦労を掛けて』
 背中に腕を回して抱きしめ返した。
 自分の服1枚を通して神父の体温が伝わってくる。
 とくん、とくんという音がいつもより大きく聞こえる。
 仲間を送る。それ以上の意味はないはず。
 ないはず、なのだけれど。
『jn』
『…はい?』
 最後くらい、少しだけ。
『健闘を祈っておるぞ』
(ちゅっ…)
 少し迷って、さっと触れるくらいに、唇にキスをした。
 誰にもしたことがない、誰にも抱いた事がない思いを込めた、最初で最後のキス。
 顔を見つめる勇気がなかったから、すぐに離れて、そのまま胸に顔を埋め、もう一度力を込めて抱きしめた。
 神父の、少し笑うような息遣いが聞こえた。
『はは、有り難う、rz。
 本当はね、大好きな人にだけするのですよ、そういうのはね』
 神父の手が、ゆっくり自分の髪を撫でた。
『…最後まで鈍感じゃの』
『え?』
『いや、何でもない』
 す、と腕を下ろし、胸から離れた。
 …やはりまだ、顔は見れないな。
 目を伏せたまま背を向け、扉に向かった。

(わしの3000年の想いを込めた餞別じゃ)
(…必ず生き残るのだぞ、jn)

 ひとつ、息を大きく吸い込んだ。
 さあ、覚悟を決めよう。
『行こうか、jn』
『はい』
 もう思い残す事は何もない。
 行こう。最後の戦いへ。

 リーザは口を硬く結び、戦場へと向かう扉に手を掛けた。



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