夢を見る


 七代が寇聖まで訪ねてきたのは、日も翳り始めた頃だった。まだまだ空の色は変わらないが、既に陽は中天から降り始めている。
 「おっせェ!」
 「あはは、ごっめーん!義王一番最後に回したからなー」
 「んだとコラァ!テメェ、良い度胸じゃねェか!」
 わしっと頭を掴んでやると、悲鳴を上げながらも本気で避けたりはしなかった。
 「だってだって、うちのガッコが出発地点よ!?絶対一番に会いに行くのは非効率だし、だったらまだしも『一番最後』の方が中途半端より怒らなそうな気がしたの!ほら、『一番』だよ、『一番』!特別!」
 「んな言葉で誤魔化されるかァ!」
 いくら終業式後の学校とはいえ正門前だ。それなりに学生はいたが、騒ぎの元が義王と知るとそそくさとその場を離れていく。おかげで思う存分七代にヘッドロックをかましてから、義王はようやく七代を離した。
 乱れた黒髪を手で撫でつけつつ、七代がへらりと笑う。
 「ひょっとして待っててくれた?」
 「馬鹿言え」
 きっと来ると思っていた。どんな顔で来る?とか何を言う?とか考えていたら、大して退屈もしなかった。
 それを待っている、と普通は言うのではあるが。
 「クリスマスにガッコの正門で待ちぼうけなんて、デートにすっぽかされた人みたーい…痛い、痛いです!」
 ヘッドロックの上に、ぐりぐりと頭頂部を拳骨で揉んでやると、七代がまたしても嬉しそうな悲鳴を上げた。まさか、あの変態情報屋の性質が移ったのではあるまいな。
 「街に出る気はしねーんだよ!取って付けたようなっつーか取って付けた電飾がシャベェ!」
 義王は本気で言ったのだが、七代は一瞬の間を置いてからけたたましく笑った。
 「と、取って付けたって…そ、そりゃそうだよ!付けなきゃ付かないもん!」
 何がツボだったのか知らないが、腹を抱えてけらけら笑ってから、七代は涙の滲んだ目尻を拭きつつ、何かを思い出すような顔で義王を見つめた。
 「俺の好きな推理小説のシリーズに、そんな感じの話があるよ。街中がクリスマスに飾り付けしてるのに、強制されて余計反発した主人公の教授は電飾を自分ちだけ付けないんだけど、しまいにぶち切れて巨大な電飾と自動再生するクリスマスソングを家に仕掛けて自分はクリスマスが終わるまで旅行に出る話」
 「…何だそりゃ。で?推理小説ってんならそいつが殺されるのか?」
 「主人公だって言ったじゃん。そうじゃなくて、帰ったら家の中で人が死んでて、教授は探偵役。面白いよ?興味あるなら読んでみる?」
 「オレ様が読書するような人間に見えるか?」
 「見えないけど。意外と読んでたら楽しい。…いいなぁ、義王と一緒に図書館行って静かに本を読む、なんてちょっと素敵なデートだよねー。周りの人間はどん引きで」
 一言余計だが、うっとりしてる様子が本気で夢見てるようだったので、殴らないでいてやった。代わりに冗談めかして言ってやる。
 「…テメェが泣いて頼むんなら、付き合ってやってもいいぜ?図書館ってやつによ。お宝はねェかもしれねーが、お宝にまつわる話があるかもしれねェしな」
 「あら、素敵。じゃあ、泣いて頼もうかしらー。冬休みに図書館デートなんて、中学生みたいでいいよね」
 今ではない未来の話。
 七代はまるでそれを当然のように舌に乗せたが、義王の目には、その笑顔が完璧に整いすぎて見えた。
 ダテに七代の眼をお宝認定してずっと見てきた訳じゃない。そのいつもは圧倒的な輝きが、霞がかったように柔らか過ぎることくらい容易に知れる。
 どうでもいい話をさも楽しそうにして。
 義王の問いに完璧な答えを返して。
 笑って、嬉しそうな顔をして。
 これは、義王が求める七代だ。自分の明日を掴み取る覇気のあるしなやかな強さを持つ男。義王を腹の底から楽しませる、同等の力を持つ男。
 今日にも死ぬかも知れないのに、笑っている男。

 それは、義王の求める七代千馗かもしれないが、義王の知る七代千馗では無い。

 「んじゃ、そろそろうちのガッコに戻るからー」
 「待てよ、大将」
 しれっとした顔で義王を宝だと言っておいて、やっぱり完璧な笑顔のまま去ろうとした七代の二の腕を掴む。
 「何?」
 ちょっと困惑した表情になったのに、そのまま力を込めて、門の内側に引きずり込む。門柱の影になって、道路からはすぐには見えないところに押し込んで。
 目をぱちくりさせている七代の、頭を両手で掴んだ。
 「い、痛いんですけど。髪の毛、引っ張ってるー」
 「だろうな。痛くしてんだ」
 ぎりぎりと髪の毛を掴んで握り拳にしたらこめかみの皮膚を引っ張られて七代が半目になった。掴んだ手に七代の手が制止するようにかかったが、力を緩めてなんかやらない。
 「義王!痛いってば!」
 「痛いんなら泣けよ!泣いて喚いて、イヤだって叫びやがれ!」
 ぶち、と何本か髪の毛が千切れる感触がした。
 「ぎ、義王〜!何それ、痛いの嫌い、痛い、本気で痛いよ、これ!」
 「泣けっつってんだろうが!これでも泣かねーってんなら、耳ィ噛み千切るぞコラァ!」
 そう言って、目の前にある耳たぶに齧り付いた。ぎりぎりと犬歯が耳たぶに食い込む。
 七代が悲鳴を上げて、手を義王の握り拳から離して頭を捉えた。引き剥がそうとするが、そのせいで余計に耳を引っ張られて痛くなることに気付いて代わりに義王の肩を叩く。
 「やだ、義王、痛い!」
 泣きそうな声が何故か色っぽく聞こえて一瞬戸惑うが、それでも力は緩めず、ぎちぎちと歯に力を込めた。
 「いた、いた、痛ぁい!」
 ぷち、と皮膚が弾ける音がして、とろりと鉄錆の味が流れ込んだ。
 更に何度かガジガジと噛んでからようやく歯を離してやった。
 間近に見た七代の顔は真っ赤で、目には今にも溢れそうな膜が張っていた。その目で義王を睨みつけてくる。
 「オラ、泣けよ。痛ェんだろ?」
 「義王の馬鹿!弱み見せたくないのに!」
 「いいから泣け!泣いて良いっつってんだ、このオレ様が!だいたいテメェ何様のつもりだ、アァ!?オレ様は守るべきお仲間って奴か!?お仲間だから弱いとこ見せられねェってか!?テメェ、ざけんじゃねーぞ、テメェが馬鹿でとろくせェことくらい分かってんだ、とっとと泣いて喚いてオレ様に助けを求めろ!」
 髪の毛は掴んだままで、がしがしと頭を振ってやれば、ついに七代の目から水滴が飛び散った。
 それでも許さず正面から睨みつけてやると、同じように人を射殺しそうな視線で睨み返してくる。
 そして、そのまま。
 嗚咽一つ漏らさず、涙だけが両目から溢れだした。
 頬を伝い、顎へ辿り、ぱたぱたと地面に落ちてシミを作る。
 次第に睨みつける力が失われていき、茫洋と霞んだような眼になって。
 「…夢を、見るんだ。同じ夢。いつも同じ、同じ、同じ、同じ夢」
 唇をほとんど動かさず、自分が喋っていると気付いていないような表情で、七代は呟く。
 「雉明が、俺が死ななくて良いようにって自分たちを壊せって言ってくるんだ。でも、俺はそれを選べない。雉明と白を殺せない。ずっとずっと後悔しながら生きていくなんて俺には出来ない。だから、俺は、もう一つの選択肢を選ぶ」
 微かに頬が引きつった。微笑みの出来損ないのような表情で、七代はぱたぱたと涙の流れる目を見開いたまま続ける。
 「俺は馬鹿だから、ひょっとしたらって思うんだ。俺は本物の執行者の血筋じゃないし、今までの執行者より<力>が強いって言われるし、だから、俺だけは大丈夫なんじゃないかって思うんだ。たとえ封印しても、死なないで済むんじゃないかって思って。………死ぬ、んだ」
 七代の手が、自分のこめかみを掴んだ義王の腕にかかった。
 引き剥がすように。
 縋り付くように。
 「死ぬんだ。何度も何度も同じ夢を見る。どうにかして違うことしたくても、雉明と白を殺すか、それとも自分が死ぬかって言われたら、俺、死ぬ方選んじゃうんだよ。死にたい訳じゃないんだ。死にたくなんかない。死ぬまでに誰かに会いたいとか、何かしたいって強い希望があるんじゃないけど。やりたいことはすっごくしょうもないことなんだ。本の続きを読みたいとか、燈治の家に遊びに行ってセーラー服の妹見て燈治からかってみたいとか、新作カードゲーム箱買いしてレアカードを蒐のカードホルダーにこっそり混ぜようとか、義王と昇天MIX盛りの早食い競争したいとか、どれもこれもちっさいことなんだけど、でも、生きてたら出来ることなんだ。死にたくは無いんだよ、俺だって」
 だけど、何度やっても死ぬんだ、と力のない声で呟く。
 たかが夢の話だろう、とは言えなかった。
 まるで見てきたかのように鮮明な光景が、いつでも同じに見えるのなら、それは夢では無いのかもしれない。七代の眼は特別だし、七代自身もまた特別な存在なのだから。
 「オレ様は、どこにいるんだ?」
 「え?」
 「その、テメェが死ぬ時だよ!オレ様は何やってんだ!テメェが死ぬのをただ見てるだけなのか!?」
 七代が最期に臨んでいる時に、まさかいないはずはない。絶対に付いていくつもりなのだ。置いて行かれるというのなら、手錠で括り付けてでも離れてなどやるものか。
 「義王は…いるよ」
 そんな場合でもないのに、七代がふっと笑った。だが、その笑みはまるで懐かしいものでも見ているかのようだった。今は無い、何かを悼んでいる微笑み。
 「声が聞こえるから、いるよ。叫んでる。『テメェが死んでハッピーエンドなんかじゃねェぞ!いいか、テメェが死んだらオレ様はそこの神社のおっさんをブチ殺す!その女もだ!テメェが死んだってクソの役にもたたねーんだよ!テメェが死んだからそいつらも死んだんだって言われるんだぜ!聞こえてんのか!』」
 あり得そうな話だ、と義王は眉を寄せた。
 七代の気を引くのに、大声で怒鳴るか、脅迫するかしか思いつかない。そんな自分は容易に想像出来る。
 「…でもね、俺は義王がそんなことしないの知ってる。義王も俺が、義王がそんなことしないって知ってるのを知ってる。…ごめんね」
 この義王が言った訳でも無いのに、七代は項垂れて謝罪の言葉を告げた。
 何を言っても、七代が決めたことを覆せない。夢の中の自分は、どんなにか腸を煮えたぎらせていることだろう。自分の無力さを思い知らされることほど、義王が憎むことはない。
 では、どうする。
 このままでは、同じことを繰り返す。
 夢の話だ。けれど、いつか見た虚ろは、いつか起きる現(うつつ)かもしれない。
 「オレ様の、声が聞こえる、と言ったな」
 「…うん。声だけ。俺は雉明を見ているから」
 「なら」
 無限に繰り返すループを壊す術なんて知らない。
 けれど、何かを変えなくてはならない。
 「振り返れ。たったそれだけならボケたテメェにも出来っだろーが。テメェが<選ぶ>前に、一回でいい。振り返れ。約束しろ」
 「<選ぶ>前に振り返る…」
 七代が、困ったように小首を傾げた。
 何度も同じ言葉を繰り返し、やがて頷いた。
 「分かった。<選ぶ>前に<振り返る>」
 これで何かが変わるのか。そんなことは分からない。
 それでもそれ以上何かを思いつくことも出来ず、義王はようやく手を七代から離した。
 痛そうに顔を顰めつつ、七代は自分のこめかみを撫でた。それからポケットからハンカチを取り出し、顔を拭いた。
 涙が拭い去られた後には、まるで何も無かったかのようにいつもの笑みを浮かべている七代が現れた。
 「あぁあ、もう義王さんってば乱暴なんだからー。俺、痛いの嫌いだって言ったでしょ?」
 「ハッハァ!なかなか似合ってるぜ!揃いのピアスでも付けてやろうか!?」
 豹変した態度には触れずに、血の固まった耳たぶを引っ張ってやると、顰めっ面で身を引いておそるおそるといった風に自分の耳に指を当てた。
 「何!?まさか穴開いてるの!?」
 「いや開いてねーぜ?だからピアス付けんならがっつり開けねーとなぁ」
 「冗談でしょ!?これだけでも痛いのに更に針で貫通とか、俺、痛みでショック死しちゃう!」
 大袈裟に身震いするのを笑ってやる。ピアス如きでショック死する奴が、他人のために死ぬなんて選択をするか、大馬鹿野郎。
 耳にこびり付いた血を爪先で掻き取って、うええ、と呻いた七代が、じろりと義王を睨む。
 「ホントに痛かったんだからな。こうなったらお前にも噛みついてやる!」
 避けるのは簡単だったが、さすがに痛い目に合わせた自覚はあるのでやりたいようにさせていたら、七代は義王の首に手を掛けて引っ張り、耳に口を寄せた。
 かりり。
 どう頑張っても甘噛みとしか言いようのないそれは、痛いよりも衝撃的だ。「オイオイ」と呟くと、何を勘違いしたのか顔を離した七代がちょっぴり心配そうな顔で威張った。
 「ざまーみろ!俺だって痛かったんだからな!」
 いや、オレ様は痛くねーよ。
 痛いのは多分、耳じゃなく胸の方だ。
 盛大に顔を顰めてまだ濡れている耳に触れてみると、七代がへにょりと眉を下げて「ごめんね」と呟いた。
 「で?テメェは今から新宿御苑か?」
 「まぁだだよ。何かみんながクリスマスパーティーするからってガッコにいったん戻るんだ」
 くすくす楽しそうに笑って、七代は身を翻す。
 みんなに人気のいつでも笑っている強くてお人好しの七代千馗サマ。
 「行くならオレ様を呼べよ?ここで待機してっからな。最後の最後で無視とかしてんじゃねーぞ!」
 「あぁ、でもごめん。夢とはなるべく変えたいからさ。雉明いるからいちる呼んで、それから付き合い上で燈治の二人で行くつもりなんだ」
 顔だけ振り返って、申し訳なさそうに笑う。
 まるで空気のように嘘を吐くのが、七代という男なのだ。
 「…そう言われたら、行けねーけどよ。クソ、その花札はオレ様のもんになるんだからな!勝手に壊したり封じたりしてんじゃねーぞ!」
 「あははは、最大限努力するー」
 殴る真似をしたら、ひらりと避けて、今度こそ七代は駆けていった。
 

 姿が見えなくなって、数十秒。
 義王は懐から携帯を取り出した。
 「オイ、御霧ィ」
 『…何だ、こっちは忙しい』
 忙しないキーの音も聞こえるので、おそらく命じたとおり執行者が封印しても死なない方法を探しているのだろう。それはそれで大事なことではあるが、もう遅い。
 「大将は死ぬ気だ」
 簡潔に言ってやると、息を飲む音がして、それからキーの音も止まった。
 『どうする』
 「テメェは空いてる奴らを御苑に集めろ。大将は一人で行く気だ。後を追う。それからカラスの奴らに邪魔されねーように封じろ。…オレ様は、オレ様のモンは奪わせねェ。何があってもだ!」
 高らかな宣言に、さしもの御霧も「誰がお前の物だ」とは突っ込まなかった。
 『分かった。10分で集める』
 予想以上の速度に、御霧も全力を尽くすつもりだと言うことが知れた。
 携帯を懐にしまい直し、義王はきびすを返した。

 奪わせない。
 相手がたとえ<運命>とかいうものであったとしても。
 



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