跳ぶ男
「あのねぇ、ここはもう仕掛けを解いたから、下まで降りれば良いだけなんだー」
何が楽しいのか知らないが、七代はまるで遠足に来た小学生のようにくふくふ笑いながら義王と御霧を案内していた。
こんなに緊張感の無い男をライバル認定してしまう自分に呆れつつも、それでもやっぱり義王は七代をある意味では認めていた。
何せ直接対決を申し込んでガチの勝負(しかも七代的には連戦だったはずだ)をした結果。
ものの見事に七代は無傷であったのだから、さすがに負けを認めざるを得ない。もっとも七代本人は、札の力だから、と全く勝ったつもりではいないようだったが。それどころか、
「ごめん、トンファーで殴られるの、すっごく痛そうだったから…」
呪言花札を駆使して、こちらに攻撃の機会を一切与えない、というのは、封札師であるからには当然だと思うし、それも実力の内だと義王は思うのだが、七代本人はやたらと申し訳なさそうにしていた。これが義理の謙遜だったりしたら殴ってやるところだが、どうにも本気らしいことは伝わってきて、怒るよりも呆れが先に立つ。何も、封札師にガチの殴り合いなど全く求めちゃいないのに。むしろ、七代が鈍牛みたいにムキムキになったら、とは想像するのもおぞましい。
ともかく、負けは負けだから、と連絡先を教えてやると、ぱぁっと満面の笑みを浮かべて嬉しそうに携帯を操作した七代に、妙な照れ臭さまで覚えてしまった。ハッハァ!テメェはそんなにオレ様のことが好きか!と尻尾をぶんぶん振っている犬の頭を撫でるような感覚だ。
そんな相手が<ライバル>なのだろうか、と疑問を持たざるを得ないが、実際正面から戦って無傷で義王を倒せるような奴は他にいないので、やはりこういうのを<ライバル>と言うので合っているのだろう。たぶん。
ライバル、という響きに高揚するのとは、また違う胸の昂ぶりも感じなくもないのだが、それはともかく。
「ねぇねぇ、じゃあ早速一緒に入って貰って良い?」
年上とは思えない甘えたおねだり口調に、ついつい「しょうがねェな」なんて言いつついそいそと付き合っているのだが。
まさか、勝負の直後に洞制覇ツアーをやられるとは思わなかった。
確かに七代は無傷だった。けれど、精神力とか色々消費したものはあるはずなのだが、そういう気配は一切感じさせない。そりゃもう楽しそうに洞を駆け、嬉々として隠人を倒して行っている。そういうタフなところも好ましいのだが、たぶんそう言ったら、目を丸くして「え…だって、俺、別に怪我の一つもしてないし…ごめん、義王は疲れてる?」なんて自分が優れてることになんか気づかず、明後日の方向に気遣いを見せてしまうだろうことは予測できたので、何も言わないことにした。
代わりに文句を言ったのは、御霧が呼び出されていたってところだ。何でわざわざ他の人間まで呼ぶのか。オレ様一人で十分じゃねーか。
そう言うと七代は、眉を寄せて考え込んだ。本当に、義王が文句を言うのは想定外だったらしい。
「だって、いつも俺とあと二人で潜ってたし…やっぱりね、あんまり多いと面倒見切れないっていうか、みんな退屈すると思うんだけど、かといって二人っきりっていうのも万が一のことを考えるとやっぱり複数でいた方が便利かなって。もしも一人が怪我した時とか、もう一人に見て貰ってて俺は仕掛けを解除するとか、逆に俺が付いてて誰かに助けを呼んで貰うとか。まあ、そんな事態になったことはないけど、くー兄ちゃん…あ、従兄弟ね、ちょっとトレジャーハンターやってる凄い人なんだ、今度日本に戻ってきたら義王に紹介するよ、で、そのくー兄ちゃんが駆け出しだった頃にはやっぱりバディは二人だったって言うから」
「相変わらず、テメェは一言言ったら十返ってくんな!分かった分かった、テメェは二人従えてェんだな?」
「従えたいって言われるとちょっと違う…」
「で、何でオレ様と御霧なんだよ」
別に御霧が嫌いなのではないし、あっちはどうか知らないが、少なくとも義王は綺麗さっぱり流してやったので、特に気まずい空気などというものも感じていない。
ただ、いつもと代わり映えがしない、という一点で、七代と共に洞に来てまで何でわざわざこいつの顔を見てなくちゃならないのか、と思うだけだ。
「だって」
七代が開きかけた口を閉じる。
珍しく口ごもる様子に、嫌な予感がする。殴る前触れのように握り拳を上げてやると、七代は首を竦めて上目遣いでこちらを伺いながら、ぼそりと言った。
「だって、義王が大人しく一緒にいられるのってメンツが限られるような気がして…うちのガッコ全滅っぽいし、かといってかなめんやミカみゅんもどうかと思うし、英雄もうるさそうだし…ひょっとしたらいちるとか気が合うかもしんないけど、とりあえずは安全パイからかなっと」
そりゃまあ、七代が何かしている間暇を潰す相方に、あの鈍牛なんぞがいようものなら一触即発の気配になることは目に見えているが。
それならアンジーでも良さそうなものだが、七代は迷わず御霧を選択した。
「後は個人的に、何体か弱点が見つかってないタイプがいるからミギーのインヴィジブル狙いってのもある。あとそれから…」
義王を見上げる七代の眼に、何かが煌めいた。緊張感を高めるものではない、何かワクワクさせるような光だ。
「俺とね、義王の二人って、たぶん、まずいと思う」
簡潔すぎて意味不明な言葉だったが、何より七代の表情が大変悪戯っ子のようであったので、大体の想像は付いた。
義王も自慢じゃないが自重という単語を知らないが、七代もまた場合によっては過激になる。何せ義王がライバルと認めた男なのだ。同じ力の持ち主がぶつかり合うなら均衡しているが、同じ方向に突き進んだらどうなるか。
「…俺は、ストッパーか」
御霧が心底疲れたように呟いた。大方同じような光景を想像した上に、それを自分が止めなくてはならないことに気付いたのだろう。
「俺はともかく、義王止められそうなの、他に思いつかなかったのよー。頼りにしてますわよ、御霧さん」
「あのな。…慣れてはいるが、、不本意だ」
まあ確かにストッパー狙いなら御霧だろう。アンジーは一緒にはっちゃけるから。
「とことんやりゃあ良いじゃねぇかよ。面白ぇぜ?」
「歯止め聞かなさそうで恐いんです!春秋程度ならともかく、夏なんかで突き抜けちゃうとシャレになんなくなるし」
ほとんど傷を負わずに隠人を倒していく七代だが、さすがに夏の洞あたりとなると無傷ではいられないらしい。たまに間合いを間違って攻撃を食らうんだ、と説明するのに、つまらねぇ、と唇を尖らせる。
「がんがんいきゃあ何とかなるだろ、何とか」
「うん、まあ、たいがいそうなんだけど」
「…あぁ、お前達の会話を聞いていると、胃が痛くなるな…かっちゃんまで、この馬鹿に近かったとは…もう少しは理性を残していると思っていたのに…」
御霧のイヤミにぶいぶい文句を垂れてから。
七代は目の前を空間を手で示した。
「でもね、ホント俺、義王と潜れて嬉しいんだ。燈治はさ、あれで結構常識派の心配性だから、俺のやること止めるんだよねー。うん、イイ奴だし、親友だと思ってるんですけどね?でも、俺は一緒に馬鹿やってくれる友が欲しかったのよー」
さらりと友と呼ばれて、何だか照れ臭い。そりゃ、こっちがダチ公と呼んだのだし、こういうのを友達と言って良いのだとは思う。おそらく頭に<悪>の一文字が付く友ではあるが。
「何だよ大将。付き合ってやっても良いぜ」
認めたくはないが、浮かれて了承しても仕方がないだろう。何せ初めてのオトモダチに期待されたのだから。
そこは秋の洞の最下層だった。何だかしとしと雨が降っているかのように壁が霞んでいる空間で奥は見通せないが、かなり広いすり鉢状の広間だと予測できた。
今のところ敵は見えないが、あの鈍牛が止めるような危険がどこにあるのだろうか。しかし、危険だとしても七代はワクワクしているのだ。たぶん、義王も楽しめることだろう。
「あのね、ここ、梯子を下りて、内側の階に降りて、また梯子があってっていう構造なんだけど」
ぺぺぺぺーと空中に指で絵を描いて、七代が説明する。逆ピラミッドのような構造は予想通りだ。
「でね、その最下層に、春に繋がる通路への扉があるんだけど。…くふふふふふ」
まるで紙袋の主のような笑い声を漏らしてから、七代は、とん、と爪先で地面を蹴った。
「ここから助走付けて思い切りジャンプすると、一気に最下層まで飛び降りれるんだよ!やってみたら気持ちいいの!ふわぁってね、浮遊感がたまらないんだけど…みんな、付き合ってくれないどころか、止めるんだよねー」
ここから。
助走を付けて、最下層まで飛び降りる、と。
「あぁ…それは止めるだろうな、かっちゃん。俺でも止める。どう見ても、校舎で言えば5階ほどの高さだ」
「俺、平気。義王も平気だよね?悪の親玉は高いところから登場するもんだし、前、五階から飛び降りたんだもんね?」
そして肩の脱臼と肋骨骨折、腓骨にヒビを入れたのだが。その傷は穂坂によって癒されたとはいえ、それは「平気」とは分類されない気がする。
「着地点は見えないけどねー、思いっきり行くのがコツです。うっかり遠慮すると、手前の段に降りちゃうから爽快感半減するよ」
そういえば。
ここに来てから<梯子>は何度も見かけたが、七代がそれを利用したことは一回もなかった。一々態勢変更して降りてまた向き直るのが面倒なんだろうと思っていたが…単に飛び降りるのが好きだったとは。
「ふむ…馬鹿と何とかは高いところが好き、と言うが」
「ぼかすのそっち!?て言うか俺まで馬鹿扱い?ひどいわ、ミギーさん。俺はただひゃっほうしたいだけなのに!」
もちろん御霧は飛び降りる気なんて無いだろう。無駄なところで怪我を負う可能性のあることに挑戦するタイプじゃない。
で、七代は、その無駄に怪我する可能性を義王に求めている。いや、その可能性が低いと信じているのだろう。敵対していた時でさえ、他人が怪我をするのは嫌がっていたのだから。
「…確かに、面白ェっちゃ面白ェが」
そして期待されたなら応えざるを得ないのだが。それにしても、見えないところまでジャンプか。
んー、と七代が首を傾げる。
「あ、そっか。まだ義王は底を知らないんだよね。じゃ、距離感もピンと来ないし、今度にした方が良いかなー。どうせ依頼で何回も来るとこだしね」
決して乗り気では無いことを悟った七代が、けろりと言った。いつかは付き合ってくれると疑いもしないらしい。
「んじゃ、一段だけ降りて、見ててよ」
七代にそう言われて、とりあえず御霧と(普通に梯子を使って)一段だけ降りてみる。段差もあるし、幅もそこそこある。これを飛び降りるとなると、確かに全力疾走で突っ込まないと、下手に足でも引っかけようものなら大惨事だ。
大体の距離を目で測っていると、七代の楽しそうな声が落ちてきた。
「んじゃ、行くからねー。IYH〜〜〜!」
叫び声が近づいてきて、頭上を飛び越えた。踏切はほとんど音なく、軽く蹴った程度に聞こえるのに、七代の身体は軽々と空間へと飛び出している。
結構な距離を物理法則に従って放物線を描いて落ちていき。
見事に最底の中央部にふわりと降り立った。何であれだけのところから飛び降りて<ふわり>なんだ、と重力に詰め寄りたい。
かしゃかしゃと鳴った装備を押さえてから、七代が振り返って満面の笑みで手を振ってくる。
「…義王、あれに付き合うのは難しいぞ」
「しかし応えねーと男が廃るってもんだ。…おら、退けよ大将!」
一段下からとはいえ、その幅で出来る限りの助走を付けて義王も飛び降りる。
慌てて退いた七代の前に、ずしゃあ!と派手な音を立てて降り立つ。さすがに勢いを殺しきれずに膝も突いた…というか強打したが、気合いですくっと立ち上がると、七代が飛びついてきた。
「わっはー!さっすが!義王さんってばチョー素敵ー!」
「げっ!男に抱きつかれて喜ぶ趣味はねェよ!」
静かに丁寧に梯子で降りてきた御霧が見たのは、義王に腕一本で顔を押さえられながらも、きゃっきゃっと楽しそうに飛び跳ねている七代の姿であった。
俺がストッパーとして期待されているのは、果たしてどちらを制止するためなのだろうか、と疑問を感じつつ、御霧は怪しい気配を放っている扉を確認に向かった。要するに、制止する役目を放棄したのだが。
「だーかーらー!アァ、クソ!大将、テメェちったぁ落ち着け!」
…七代も義王には言われたくないだろうな。
「だって楽しいんだもーん!さー、他にもお奨めの飛び降りポイントはあるからねー。ちゃっちゃと行っちゃおう!」
前言撤回だ。七代がここまで犬だとは思わなかった。「アレ何?アレ何?アレ何?」と勢いよく駆けていく犬の姿を幻視して、御霧は額を抑えた。
「アァ!?今度はテメェに負けねーからな!」
そして、やっぱり「俺はやるぜ俺はやるぜ俺はやるぜ」と突っ走っていく犬も隣に見えて、ひょっとしてこの放たれた二匹の犬のロープを掴みに行くのは俺なのか!?と御霧はぐったりと溜め息を吐いたのだった。
春の洞へと繋がる通路を進んでいき、扉の前で七代が止まった。
「ここはね、春秋の連っていう子がいるんだけど、秋の底の割には結構手強いよ。遊んでく?」
「ハッハァ!退屈してたとこだ!ちょうど良いじゃねェか!」
「よし、決まり」
七代が吹き矢に<芒に雁>をぺらりと張りながら、扉を開いた。
ざざっと水を掻き分ける音と共に、大きな隠人の姿が現れる。
「…何か、ミギーをチョー睨んでる気がする」
「いや、気のせいだ。きっとそうだ」
大きな角を振り回した鹿が、眼光鋭く御霧を捉えて甲高く鳴いた。
「<紅葉に鹿>とは別の子なんだけどなー。ミギーには鹿全般に嫌われる要素があるんだな、きっと」
「どんな性質だ!」
御霧はツッコミながらも背中に負った弓を降ろして構えた。
「ハッハァ!確かに倒し甲斐がありそうじゃねェか!」
義王も舌なめずりせんばかりにトンファーを構える。
「周りの骸骨さんたちと、鹿さんと、どっちとやりたいですかー?」
「もちろん…倒すならでけぇ奴に決まってるぜ!」
「義王らしいわ」
けらけら笑って、七代は周囲の雑魚を殲滅するのに専念することにした。
数分後。
周囲を片付けた七代が加わったこともあり、春秋の連が沈んだ。
秋の洞は既につまらない場所になっている義王からすれば、いい気分転換になっただろうと思いきや。
義王は、まるで血をはねのけるかのような動きで(血なんて一滴も付いていないのに)ぶんっとトンファーを振ってから、七代に顎をしゃくった。
「おい、大将」
「何?」
何で機嫌が悪いんだろう、と義王を見た七代は、義王の視線が手の中の開国の銃に向かっていることに気付いて首を傾げた。まさか、飛び道具が卑怯、なんて言うわけ無いし、何が気に入らないのか。
義王と手の中の銃を見比べていると、義王が七代の襟元を締め上げてきた。
「テメェ、オレ様との勝負で手ェ抜いてやがったのか!?」
「へっ!?そんな滅相もない!トンファー恐いから全力で避けたって言ったじゃん!」
「なら何でオレ様相手には、それ使わなかった!?インディアンごっこより威力が高ェじゃねーか!」
<芒に雁>の札が既に手持ちにあったことは分かっている。何せ目の前で手に入れたから。でもって、迷うことなく吹き矢に張ったので、効果が分かっていると思われるのも仕方がない。
「えーと、ですね。…とりあえず、力緩めてくださいな、首伸びるから!このダッフルコート気に入ってるんだから!便利だし!」
主に五色乱星陣羽織的な意味で。
ぎりぎりと首を絞めていた義王が、ぱっと手を離す。
うげげ、と喉をさすりながら、七代は開国の銃から札を剥がした。
「吹き矢は優れものよー?相手麻痺るし。…あと、さすがに俺、人間の眉間に銃をぶっ放すほど神経太く無いのよ」
いくら札憑きでも相手はナマモノ…もとい、生身の人間だ。札で変化した武器とはいえ本当に弾丸が発射される銃で眉間を狙うのは恐すぎる。万が一にも一発で脳みそぱーんしたら悔やんでも悔やみきれない。
その点、吹き矢で麻痺させるのは、あまり心が痛まない。普通に一発で眠って欲しかったくらいのもので。
「オレさまがそのくらいで死ぬかよ!」
「いや、死ぬから!普通に銃って一発で人殺せるから!しかも狙ったの額だし!」
「そもそもそこ狙うからじゃねェか!」
「…じゃ…」
「じゃ?」
「弱点狙うのは、人として基本でするー」
「どんな常識だよ!」
怒鳴り合ってはいるが、理由に納得したのか義王の気配が和らいだ。さすが公言しただけのことはあって、舐められるとか甘く見られるとか手抜きされるとかが最高に嫌いらしい。
というか、いつでもいつでも最高のテンションでお相手しないと機嫌損ねるっていうのも疲れる話ではある。
まあ、義王相手だとそうでもしないといつの間にか喰われそうだけど。
御霧も相当苦労してるだろうな、と思いつつ何となく御霧を眼で探すと、閉ざされた扉を調べに行っていた。こっちのことは放置らしい。冷たい奴だ。
「今度、弱点狙い無し縛りで勝負してみる?他にも面白い武器揃ってるけど」
「オレ様との勝負に縛りとか入れんじゃねェ!」
「だって全力だとまた俺が勝つよー。札でずっと俺のターン!だもん」
まあ、どのみちずっと俺のターンやってる分には、弱点無し縛りだろうが何だろうが負けはしないけど。
「クソが!当然の顔して勝つつもりでいるんじゃねェ!」
「呪言花札持ってる限りは負ーけなーいよー」
二人で小突き合いながら歩いていく。
やっぱり、壇や穂坂と一緒にいるのとは違った楽しさだよなー、と七代はしみじみ思った。たぶん、義王も楽しいと思ってくれている。こういうときには、感情が分かる眼がありがたい。
春の洞に入って、またしても七代お奨めの飛び込みポイントとやらで飛び込みに成功して七代に散々褒められたり抱きつかれたりしながら、逆方向に進んでいき。
今度は冬の洞だな、なんて言いながら地上に上がってきたところで、七代がいきなり飛び上がった。
何だ?と思ったらどうやら携帯が振動したらしく、慌ててポケットから取り出して耳に当てている。
「どしたの?燈治…え…あ、うん、ちょっと…いや、一人じゃないよ。…うん、うん…うええええ!そういや楽しすぎて連絡すんの忘れてた!やっべ、マジやば!ありがと、うん、帰るよ!また明日!」
焦った顔の七代が、両手をパンと鳴らして頭を下げた。
「ごめん!居候先に連絡するの忘れてた!何か俺が帰ってきてないって心配してるみたいなんで、俺、帰らなきゃ!悪い、続きはまた今度!」
「…門限気にするガキかよ。シャベェ。…ま、しょうがねーな」
ぽりぽりと首筋を掻きながらもそう言ってやると、七代は本当に申し訳なさそうにもう一度「ごめん」と言ってから、ぱたぱたと走り出した。
その姿が見えなくなってから、義王はその辺の石に腰掛けた。神社の石だが、罰なんて気にしない。
「…さすがのお前も、疲れたか」
「どうなってやがんだ、大将の体力は…」
札憑きの男とやり合って、でかい隕石みたいなのと戦って、更に義王と真剣勝負して。
そこから春秋の洞をノンストップだ。
「あれでテメェは弱ェつもりでいるってんだからたまんねェな」
そういうところが面白いんだが、と義王はくつくつと笑った。どの口で「ちょっと眼が良いだけのひ弱な文化系」なんぞとほざくのか。これだけの距離を駆け回って息も乱さず敵をぶちのめしていっている癖に。
「オイ、御霧よォ。テメェは大将が弱ェと思うか?」
「まさか」
同じくその辺の岩(しかも紙垂付き)にもたれた御霧が即答した。そこからしばし考え込んだが、やはり頷く。
「確かに腕力という点ではお前どころか俺にも劣るだろう。しかし、かっちゃんの強さはそこじゃないからな」
「だな。……けどなァ。何か、こう…イマイチ不安つーか…」
七代は強い。それは認める。
だが、義王は七代が弱音を吐いたところを知っている。目の前にいる人間に合わせて行動する、というのを知っている。だとしたら、今の七代もまた、強さを求める義王に応えて作り上げられたものなのではないか。
七代は、死ぬらしい。執行者というものは、呪言花札を封印するために選ばれ、そして封印するには人間一人分の情報が必要だという。
七代は、もちろんそんなのに付き合う気は無い、と笑って言うが…本当にそうなのだろうか?
義王は空を見上げた。天頂にあった月は、もう傾いてビルに隠れている。
「貴方といると、月が綺麗に見えるのです、か」
「何か言ったか?」
「御霧よォ。テメェは寝ずにしっかり調べろよ?…執行者が死なずに済む方法。何も全員死んでる訳じゃねェだろ。…たぶん」
「貴様……まあいい。かっちゃんのためだからな」
御霧の癖に随分と入れ込んでいるものだ、と義王は鼻を鳴らした。ま、他人のことは言えないので、口には出さないが。
これだけ、周囲の人間に「死なないでくれ」と思われているにも関わらず、あの馬鹿は死を選ぶのだろうか?
またしても、寒さと月の美しさだけを義王に残して?
「冗っ談じゃねェぞ、まったく」
これだけ惹かれさせたのだ。死なせてなぞやるものか。