倉庫にしまう
たぶん、そこへと足を向けたのは、ほんの気まぐれだった、と言えよう。
義王はただ、己のライバルと認めた男のことを思い出していただけのことだったから。
いや、思い出そうとしていた、と言うべきかも知れない。何せ、思い出せるのはあの特徴的な眼だけだということに気付いて愕然としたのだから。
いやいや、んなわけねぇだろ、オレ様。
他にも思い出せることはあるだろう。
あーー、鴉乃杜の制服を着ていた、とか。
髪は黒、眼鏡は無し、だとか。
他には…他にも…そうだ、体格だ。体格は…確か…そう、確かあの時はカラスの奴らが後ろに控えていた。体育会系な野郎二人に挟まれていたからやけに小柄に見えたのだ、そうに違いない、と、御霧から七代の身長その他のデータを貰った義王は思った。
ちなみに義王と七代の身長差は1cm。
あれを小柄と言ってしまうと、己の方が背が高いとはいえ誤差範囲な1cmでは己まで小柄となってしまう。それゆえ意地でも小柄とは評しない。
それはともかく、体格は特徴のない小柄…もとい中肉中背。デブでもなければ筋肉質でもない。義王より6kgばかり軽いが、記憶に残るほど痩せているというのでもない。
それと同じく、顔も平凡と言えた。たぶん一般論として、整ってはいるのだろう。不細工な面だ、と感じたことは一度もないのだから。だが、だからこそ記憶に残りづらい顔だった。
その他大勢として光景の中に溶け込んでしまうような男だった。あの眼を真正面から見さえしなければ。
そう、あの眼だ。
色は普通に日本人らしい焦げ茶色の虹彩だ。瞳孔だって、普通の大きさに違いない。
なのに何だってあんなに人を惹き付けるのだろう。
義王は、あんな眼で見られたことなど、一度もない。敵意でもなく、憧憬でもない、ただ魂の全てを無理矢理白日の下に晒そうとでもしているかのような強烈な光。
本人は意識しているのだろうか?どうだろうか。こちらが反応すると、すぐに覆い隠すように巫山戯た態度を取るところを見るに、その視線の意味を知っているようにも思う。
もっとも、あの戯けた態度も嫌いではない。
そもそもが義王に対して、萎縮するでも媚びへつらうでもなく、ただの普通の友人に会っているかの如き態度を取る人間はいない。オトモダチが欲しいなどと思ったことは一度たりともないが、それでも、その態度は認めたくはないが奇妙に心地よいものだった。
自分が喋る言葉によって相手がどう反応するか観察することなぞ、息をするように自然にやっていることだったが、あの封札師を前にした時だけは、そんなことも忘れてしまう。自分が上なのだ、と知らしめようにも、あの男のマシンガンの如き無意味な戯れ言の嵐には、こちらの言葉が相手に聞こえているのかすら怪しく思えてくる。
かといって、それが、不愉快、ということもない。
何も考えずに脊髄反射で会話する、ということが、存外に心地よいものだと初めて知った。
今のところ、義王にとって七代は『奪うべきお宝の持ち主』であり『好敵手』であるのだが、ふと気付くと肝心のお宝のことより七代自身のことを考えている自分に気付いて驚くこともある。そして、最も驚くべきは…それに気付いても、悪い気はしない、ということだろう。
腑抜けている。
確実に、腑抜けている。
…と、2ヶ月前の自分なら言うだろう。
ヒトに執着を憶える、など初めての経験だ。もちろん、己が作り上げた盗賊団の者たちも、それぞれ意識に入れてはいるのだが、それと七代とはまた異なる気がする。
何が異なるのか、となると、これまた不可解な気持ちになるが。
そう、そんな風に、ふと気付くと七代のことを考えてしまうのだ。答えが出るわけでもないのに。
そうして、考えている内に、己の中の七代のイメージというものが随分と曖昧なものであることに愕然としたのだ。冒頭に戻る。
だから会いたくなった…というと嘘になる。ただ、思い出したくなっただけのことだ。
大概はへらへら笑っているアレは、どんな顔だった?髪型は?眉は?鼻は?唇は?
本気で会いたいと思っているなら、もっと確実な方法を取る。奴の根城にカチコミをかけるとか。
だが、そこまでしたくない。したくない、というか、したいと思われたくない、というか。
そう、あくまでたまたま見かけただけ、というなら問題ない。お宝を求めて洞に潜り、そこでたまたま七代に会うのなら、それはただの偶然であり、義王が七代を求めているということにはならない。
そんな脳内会議を経て、義王は鴉乃杜焼却炉こと秋の洞へと足を運んだのだった。今更何故秋の洞なのかは分からない。ただの勘だ。あえて言うなら、そこが最も七代の住まいに近い、という理由だろうか。
いなければいないで問題ない。あくまで、偶然、そこを通りかかるだけのことなのだから。
ゆらゆら揺れるロープを掴んでさっくりと内部に降り立つと、存外に近く七代の気配が感じ取れた。何故そう感じるのかも分からないが、ここにいる、と確信めいたものを感じて無意識に唇が吊り上がる。
その感じるままに扉を開き、進んでいく。
ぽかりと開いた空間に、隠人がざわついている。それはよくある光景として。
何だか妙だな、と義王は眉を寄せた。
七代の気配は強い。
なのに、同じ部屋に隠人は消えずに残っている。この辺りの隠人は、義王にとっては雑魚だ。トンファーの一降りで消せる様な奴だ。義王にとってそうならば、七代にとっても雑魚のはずだ。まさかやられているとは考えにくい。
なのに、何故、七代はそこにいない?隠人どもは、何故はしごの下辺りで蠢いている?
とにかく。
考えるのは面倒くさい、とようやくこちらに気付いたらしい隠人どもを、一閃で仕留める。やはり弱い。こんなのに手こずるような男ではないはずだ。
隠人の気配が無くなった今、感じ取れるのは七代の気だけだ。
少なくとも、この部屋の見える範囲にはいない。だが、ここには梯子付きの小屋のような構造物がある。何と言ったか…そう、高床式倉庫、とか言う代物に近い。
義王はとりあえず一番近いものに登ってみた。だが、そこには扉が無く、ただの壁のようだった。
では、他の場所か?
…いや、違う。
七代の気配は、明らかにこの中だ。
おそらくは共鳴しているのだろう<萩に猪>の札を感じつつ、右手で壁をなぞる。
ゆっくりと息を吐き、目を閉じる。
脳内に、この構造物を思い浮かべる。そして、中にいる七代の姿も。
そこにあるはずだ、と思い浮かべた通りの位置に感じたひっかかりに満足して、義王はゆっくりと見えない扉を開き、身体を滑り込ませた。
目を開ける。
最初に見て取れたのは、狭い2畳ほどの空間だ。奥に何やら怪しい光を放つ鏡のような物体がある。
それに櫃のような何か。
絶対にいるはずの七代の姿は見えない。
義王は眉を顰めてから、一歩前へと踏み出した。
左右の石櫃からは、何の気配も無い。ミイラが出てきて襲いかかってくる心配は無さそうだ。
そしてもう一歩。
…黒い塊を、発見。
まさか、な。と義王は盛大に顔を顰める。七代ともあろう男が、怪我をして逃げ込んだ、なんてシャバい真似してるんじゃねぇだろうな。
裏切られた、とでも言うような怒りを感じているはずなのに、何となく足音は控えめに、そっと近寄ってそれの前にしゃがみ込む。血の匂いはしない。ただ、安らかな寝息が聞こえるだけだ。
そう、それは寝ているのだ。
こんな誰も入れない高床式倉庫で、更に奥の櫃に隠れるように身を縮めて。
まるで押し入れに隠れる子供のように、小さく小さく丸くなって。
ここなら安全だ、とでも言うかのように。
何か思い出したくもない光景が過ぎった気がして、義王は首を振った。
その間近で起こった空気の流れを感じたのか、七代が身じろいだ。
小さな呻きと共に、伏せていた顔が上げられる。
あんなに輝いていた目が、今はぼんやりと揺れていた。
「…あれぇ?…おまえ…あれぇ?…おれ、なんで…」
意味不明な呟きを漏らしつつ、七代はゆらゆらと首を揺らしながら上体を起こした。体育座りの姿勢で、義王を真っ直ぐに見つめる。
「あ…そっか、俺、ここに…あれ、俺、寝てた?…ってゆーか、何でいるの?」
何度かぱちぱちと瞬くと、七代の夢見るような眼に光が宿った。義王の顔と入り口の扉、それから奥を素早く交互に見る。
「まさか、と思うけど…奥から転移してきた?そっちが梅の屑札取ったの?」
「ほぉ、札がありゃあれで転移できんのか。良いこと聞いたぜ。いずれそれもオレ様のもんにしてやる」
「ってことは、まだ取ってないのね。…んじゃ、まさかと思うけど、オカシラさんってば秘法眼持ち?入り口は、秘法眼持ちじゃないと見えないはずなんだけど」
「見えるわけねェだろ。感じただけだ」
七代を、とは言わなかった。
その七代は、素直に目を丸くして両手をぱちぱちと鳴らした。
「あらま、さっすが。…思ったより、ここって安全でも無かったのね。気配で通れるなら隠人もやばいんじゃ…あ、どうせ土塊は地面から離れられないし、鳥さんは軽すぎて開けられないか」
一人で納得した七代は、ふわぁ、と一つ欠伸をした。一応敵の前だというのに、暢気なことだ。
そうだ、敵なのだ。義王は七代の持つ札を奪う盗賊団の頭であって、今やってきたのも七代の顔だけ見に来たわけではなく。
「テメェ一人か?」
「うん、一人。一人になりたくて、ここに来たんだー」
「テメェは有象無象どもとつるんでるのが好きなんじゃねェのか?」
「有象無象は酷いなぁ。みんな大事な仲間なのに」
にっと笑って見せる表情は、奇妙に虚ろに見えた。寝起きだからか。さもなくば、本当に…<仲間>という単語に意味を持たせていないのか。
「そりゃあねぇ、俺はみんなといるのが好きですよ?みんな大事。みんなといると楽しい。…でも、たまには一人でいたい時もありますよ、そりゃあ。特にね、おうちって言うのは、一人ほどける場所でなくちゃならないっていうか、何も考えなくて済む場所であって欲しいわけ。なのに、これはきつい。いつでも気を張ってなきゃならないなんてそれどんな拷問よ。自分の部屋も駄目、かといって札を持ってる限りは嫌でも最低白は付いてくるし洞は洞で神使が繋がってくる。俺はもう疲れたよパトラッシュ。もういい加減一人で考えたいよ。ただでさえ俺って相手の反応気にし過ぎなとこあるのに、このままだと俺期待に応えて死んじゃいそう」
歌うように溢れる言葉が、滔々と流れていく。
これまでも、口から生まれてきたような奴とはこういうことか、と思ったことはあるが、ここまで相手を無視して脈絡無く喋るとは思わなかった。
虚ろな笑顔で歌っていた七代が、ぴたりと止まった。
かと思うと、いきなり頭を抱える。
「うわあああああ、で、何で俺、こんなこと喋ってんの?馬っ鹿じゃないの?俺!オカシラは仮想敵じゃないか、それにヘタレたこと言ってどうすんのよ、俺。絶対、こういう奴嫌いなタイプだってのに!でももう駄目、ホント駄目。いつでも強い奴演じるのももう限界。俺はこんだけヘタレですよ悪かったわねってんだこん畜生」
「…何言ってんのか分かんねェよ…」
何か逆ギレされてるっぽいのは分かるが、そもそも何を切れているのかも分からない。
分かるのは、七代が相当参っている、ということくらいだ。
義王は頭の中で御霧から聞いている七代の近況をおさらいしてみた。あの覗き疑惑のはずはない、あれは既に決着済みだ。他に、七代がここまで凹むような出来事があっただろうか?
少なくとも、義王が聞いている限りではない。続々と仲間は増え、楽しそうに學園生活を送り、洞の探索も順調に進んでいる。依頼とやらも適宜こなしているはずだ。
義王は、それまでヤンキー座りだったため浮いていた尻を、どっかりと降ろしてあぐらをかいた。どうやら七代のパニックはそう簡単に収まりそうにもない。
「あぁもう何やってんだよ俺そもそも最初に怒るべきだったんだよ俺は一人でいたいのに邪魔されたわけだから札を置いて鍵さん酔い潰してまで手に入れた一人っきりの空間に何しやがるって怒って喧嘩に雪崩れこんでりゃ何となく誤魔化せたしオカシラの好感度だって下がらずに済んだのよ無駄に暑苦しく喧嘩っ早いの嫌いじゃ無さそうなんだから何でこんなヘタレたとこ見せてるわけあぁもう絶対嫌われたしそりゃまあオカシラ一人嫌われたからって構わないかも知れないけど俺としては出来れば好かれていたいわけであぁもう何でホント人生にはセーブロード機能が付いてないんだろう」
「付いてっとつまんねェからだろうぜ」
おざなりに返事をしてやると、吃驚したように目を丸くした。どうやら口に出ているのに気付いていなかったらしい。ますます頭を抱えて呻き出す七代に、義王は段々飽きてきて、すっぱりと聞いた。
「で?何があったってんだ?テメェがそれだけ凹んでんだ。聞かせろよ。オレ様のチャンスかもしれねェしよ」
「んあーー」
呻きながらも七代が膝から顔を上げる。上目遣いになりつつ、うー、と唸ってからぽそりと言った。
「別に…大したことじゃ無いんだけど…うすうす気付いてたけど、どうも…俺、死ぬためにここに来たらしくて…それがはっきりして、さすがに…」
「…ハァ?」
死ぬために、とは穏やかではない。そして、それを大したことではない、と言ってしまう七代の神経も、また普通では無い。
「あぁ、いや、何て言うか、死ぬこと自体がどうこうじゃなくて、俺が死ぬの分かってて呼んだのか、みたいなのがショックだったって言うか。そりゃあっちは俺の親でも保護者でもなく、赤の他人なんで当たり前なんだけど…でも、何か」
七代は、誰が、とは言わなかったし、義王も聞かなかった。
「俺ねぇ、すっごく期待に応えちゃう男なのよ。相手の意に沿うように行動してないと怖いんだ。あんまりにもそれに慣れ過ぎちゃって、期待されたら死ぬことさえ選択しそうで、改めて俺ってどうしたいんだろうって考えようと思って、こうやって一人になりに来た訳。…まあちょっとうっかり寝ちゃったけど」
あはは、と笑う七代は、日向で伸びをしている猫のようだった。自分が死ぬという話をしているというのに、そんな気配は微塵も感じさせないふわふわとした空気を纏わせている。
おそらく本気なのだろう、と義王は疑いもなく受け入れた。
七代は、本当に誰かの期待に応えるために、自分が死ぬことさえ受け入れる男なのだ。今、ここでぐだぐだ言ってはいるが、本当にその場になったら、ほんわかとした笑顔で「うん、いいよ」と受け入れてしまうのだろう。己が選択したこと、というのではなく、それを誰かが望んでいるから、というだけの理由で。
「…強ェようだが、そりゃあ弱ェな、七代」
「うん、知ってる」
「だがよ、テメェは、それじゃまずいってんで考えに来たんだろうが。テメェが弱ェって分かってるだけ上出来だ」
七代が軽く首を傾げた。言葉を理解できなかったのでは無いことは容易に知れたが、戸惑っているのも確かだった。
しかし、結局七代はいつも通り軽く流すことにしたようだった。
「あらぁ、オカシラってば慰めてくれてるの、それ」
「馬鹿か、テメェは。何でオレ様がテメェなんぞを慰めてやらなきゃなんねェんだ、気持ち悪ィ」
「き、気持ち悪いとまで言いますか、ひどいわぁ」
よよよと泣き真似するのをぽかりと一発頭を叩いてやる。どうせ本気で嫌っていないことくらい見えているのだろうから、フォローなどしてやらない。
そう、嫌いではない。
生涯のライバルだと興奮した相手が、こんな風に弱音を吐いて、他人に迎合しているだけの性格なのだと告白してきても、嫌いになったり等しなかった。
おかしな話だ。
普段の自分なら、途端に興味を失っただろうに。
「あぁ、オレ様はテメェの眼に興味があるだけで、テメェ自身がどんな奴だろうとどうでもいいのかもしれねェ」
「…それ、本気でひどい」
今度は本当に傷ついたようだ。
見上げる眼をじっと見つめてやると、お宝は見せてやらないとばかりに目を逸らされた。
つまらなくもあるが、それはそれで本来の目的にはちょうど良い。正面から見ていると、どうせ眼しか見えないからだ。
逸らされた顔にかかるさらさらとした黒髪、筋が通ってはいるが普通に日本人的な高さの鼻、ふて腐れているせいかふっくらと見える唇。まじまじと見ても、やはりそれらは特徴という特徴が無かった。
黙っていると、こんなにも気配の薄い奴だったのか、と義王は首を傾げた。初めて会った時には、あんなにも強烈に輝いていたのに。やはり七代の特徴は、眼に尽きるのだろう。
「テメェの眼は、死ぬまでテメェのモンなんだろ?だったらオレ様の興味は、テメェ自身に向けられてるも同然じゃねェか。…つか、テメェはオレ様に惚れられてーのか?どんだけ他人を誑しこみゃあ気が済むんだよ」
「会う人全員」
どう聞いても脊髄反射としか思えない速度での即答に、さしもの義王も頭を抱える。全員に好かれたい、なんざ正気の沙汰ではない。
「どんだけ好きもんだよ…」
「あらやだ、俺のはただの友愛よ、友愛。俺はただ、愛の言葉が欲しいだけ。優しい言葉は、すっげ綺麗なの。もちろん、オカシラからの愛の言葉も欲しいなぁ。ひょっとしたら他の人とは一風変わった色合いが見られるかも知れないし」
何でそこで色合い、なんて言葉が出るのかは不明だが、何にせよ七代が本気で言っているらしいことは分かった。手をひらひらと振る様子は故意に女性めかせているようだったが。
「愛してるぜ」
「うわあ、限りなく薄めた墨汁みたいな色の愛の言葉なんて初めて見た。でもいらない」
「何でェ、つまらねェ奴」
冗談半分…いや、9割9分好奇心で吐いてみた<愛の言葉>が一刀両断にされて、義王は肩を竦めた。というか、限りなく薄めた墨汁みたいな色って何だ。
しかし、七代はその薄墨色の言葉に大層受けたらしく、ぷぷぷぷ、と息を吐いている。笑いものにされるのは大っ嫌いだが、先ほどまで捨て鉢だった奴が心の底から笑っている姿を見るのは、まあ悪くない。
「やだわぁ、オカシラってば、俺を楽しませるのが得意なんだからぁ」
「てかよ、そのオカシラってのはやめろ。テメェがオレ様の手下になるってんならともかく、その気もねェのにオカシラ呼びしてんじゃねーよ。まさか、オレ様の名前を憶えてねェんじゃねぇだろうな?」
最初っから名乗りを上げてやろうか、と息を吸い込んだが、七代は笑いながら手を振った。
「もちろん憶えてるよー。キングオブ盗賊団の…」
「略すな。いいか、目ん玉かっぽじって良く聞け。盗賊団オブ…」
「いや、普通そこは耳の穴」
「盗賊団。キングオブ盗賊王、」
「うん、何か微妙に日本語変な気がしてさ」
「鬼印盗賊団の頭、鬼丸義王サマよ!…聞けや!」
「それ、途中で止まんないの?うん、胸張って滔々と名乗るところが可愛いから聞くよ、聞くけど」
「可愛いじゃねぇだろ!オレ様は『格好良い』に決まってっだろうが!」
「うん、まあ部分的には」
一々茶々を入れる七代は、すっかりいつもの七代だ。姿勢まで小さく丸まった体育座りからあぐらに変わっている。組んだ足首を掴んで上半身をゆらゆらさせながら、七代は殴りかかった義王の拳を、大げさな動作で避けた。
「俺だって、考えてたのよ。まだ名前呼びするほど親しくもないじゃん?でも、鬼丸って、何かピンと来なくてさ。何でだろうね、お前の名前には違いないのに」
人畜無害にニコニコ笑っている七代に他意はないのだろう。七代が義王の家族背景など知るはずも無いのだが、と胡乱な目で見てやったが、七代は首を傾げるだけで何も考えて無さそうに見えた。
「…まあ…義王、でも良いけどよ。テメェにオカシラ呼びされるよかマシだ」
「そこまで嫌?アンジーが呼ぶの可愛かったから、オカシラって言ってみたかったのに。あだ名だと思えば良いじゃん。まあお前が嫌がるなら普通に呼ぶけどさ、義王。ところで、俺のことも親しみを込めて千馗って呼ぶ?」
「呼ばねーよ。何でテメェと馴れ合わなきゃならねェんだ」
「えー、もっと親しくなろうよ。何か俺、義王と話してるの楽しいし。何だろ、燈治とかと話してるのとはまた違う楽しさだよね。何だろ、これ」
相変わらずの戯れ言の嵐だ。これをまともに受け取ったら巻き込まれて痛い目を見るのはこちらだろう。
楽しそうに囀っている七代は、どうやら復活を遂げたようなので、いつまでも付き合ってられるか、と義王は腰を上げた。
それに構わず壇とは違う理由をつらつら挙げていた七代が、突然ぽんと手を叩いた。
「あぁ、分かった!義王は俺が守らなくても良いからだ!」
「ハァ?」
さっさと帰る気だったが、そう言われると何だか気になって足を止めた義王を、七代は悪戯っぽい目で見上げた。
「義王たちはさ、好きこのんでこれに首突っ込んでるじゃん?だから、自己責任っていうか、ある意味俺の知ったこっちゃないっていうか、俺が守る必要無いだろ?だから気ぃ抜いて喋れるんだろなー」
うんうん頷く七代は、ようやく納得できたという喜びしか感じていないようだった。たった今、自分の仲間たちは守るべき相手なので気を遣っている、と言ってしまったにも関わらず。
これまた誑かしの手段なのだろうか?と義王はひっそり眉を寄せた。
何となく、嬉しい気はしたのだ。あのカラスどもとは違って対等だと言われたみたいで。
いやいや、そんなことで絆されたら馬鹿を見る。相手は会う人間全部を誑かそうとしている大ボケ野郎だ。天然ぶってどこまで計算しているのだか分からない。
怒りはしないが不愉快そうな表情の義王を見て、七代は、んー、と呟いた。
「え?俺、何かまずいこと言った?守らないって言っても、お前らが本気で取り込まれそうならちゃんと助けるよ?もちろん、その場合札は回収するけど」
「この札はオレ様のモンだ!テメェなんぞにやらねェよ!」
「あー、まあしばらくはそうだろうけどさ。でも執行者以外が持つと、いずれ隠人化しちゃうし、適当なところで俺に渡してくれると嬉しいんだけどなー」
おそらく。
それも本当のことなのだろう。あの洞に蠢く隠人どもは、何かが札に憑かれた成れの果てだ。たっぷりと情報を集めた札を身近に置いていて、無事に済むことは無いのだろう。
七代以外は。
だが、情報としてそれは知っていても、義王自身は己が変成するという気は全くしなかった。確かに札の力は凄いがコントロール出来ない程ではない。その辺の有象無象どもとは違うのだ。
この札の力を以て他の札も集め、また他のお宝を集める。それが義王の描くシナリオだ。つまり、呪言花札は最終目標ではなく、ただの<お宝の一つ>に過ぎないのだが、七代というライバルの存在によって、現在の最大目標になったと言って過言ではない。今現在ちょっとへたれたところを見せてはいるがこの七代という男と競い合って手に入れるのならば、他のお宝は少々お休みしてでも集中する価値がある。
相手は義王とは違って呪言花札が最終目標のようだが…とは言うものの、七代が本気で札を集めようとしているのかについては、どうも疑問の余地がある。大体が、執着しているものならば、あっさりと手放したり他人に預けたりしないと思うのだ。
「…テメェは花札集めて、どうするつもりだ?タダのお仕事ってか?」
「あー…俺が集めてるんじゃないのよ。花札が集まりたがってるだけ」
小首を傾げてちょっと困ったように答えた七代に、義王は目を見開いた。
意外な答えだ。
いや、あり得る答えなのか。
どうもこの七代という男は本人の弁の如く、己が集めたい、という執着よりも、札が集まりたがっているから、という他者(?)の意向で動きそうなのだ。札にどれだけの人格があるのかは知らないが。
義王の考えを知ってか知らずか、七代はまっすぐ義王の腕へと指を向けた。
「でも、そこの萩に猪、その子はちょっと珍しい。俺がここにいるのに、それでもそっちにいることを望んでる。…取らないから、ちょっと話して良い?」
七代がお話ししたい、と言っているのは、どうやら花札のようだ。手首に巻いたベルトの下に仕舞い込んでいる札をあっさりと見破られ、義王は舌打ちしつつ札を抜いた。
別に、言うことを聞いてやる義理は欠片も無いが、好奇心及び、正直なところ、この札が己の元にいることを望んでいると言われたのが少々嬉しかったので、渡しはしないが指で挟んで七代に見せてやる。
七代も手を出そうとはしない。ただ目を細めただけだった。その顔がまるで幼子を見守る母親のように優しいものだったので、義王は少々息を詰めた。
「…そう、気に入ってるんだ。…あぁ、うん、まだ大丈夫ならいいんだ。俺も、この人は気に入ってるから、出来れば隠人化して欲しくないだけ。…へぇ、そっか。猪鹿蝶って言うくらいだもんねぇ。…うん、気をつけとく。ありがとう。…あぁ、少し安定させとくよ。情報量はどうしようもないけど、整理くらいは出来るから」
外から見ればまるで独り言だが、どう見ても七代は札と会話していた。それもまるで既知の親しい人と話しているかの如く。
とてもとても愛しいものと話していた、という表情を残したまま、七代は目を義王に移した。何故か、その顔を真正面から見ていられなくて、義王は少しだけ視線をずらす。
「…テメェは、人んちの札と何話してやがった」
「うん、ちょっと。交友関係とか」
「札のかよ!」
「…でも、義王よかあの眼鏡参謀くんが先に隠人化しそうだってさ。猪くんは義王を気に入ってるのもあるけど、<牡丹に蝶>と<紅葉に鹿>が心配でこっちに来られないんだって。…鹿島も俺に札ちょっとでも預けてくれたら、もうちょい札を安定させてやるのになぁ。矢で射たりするから、鹿が浸食する気満々なんだもん。でもお前と違って絶対見せてもくれなさそう。あ、器が小さいって言ってるんじゃないよ?ちょっと用心深いだけかな。参謀としては良い性質だよね」
溜め息を吐いてから、慌てて御霧のフォローをしている。そんな必要は無いのに。むしろオレ様を器がでかいと褒め称えろ。
ちょっと思考がぶっとんだ自分に気付いてこめかみを指で揉んでから、札を元の位置に戻す。何となく、いつもよりもそれが温かい気がした。
七代が腰を上げる。ズボンの裾や尻をはたきながら、ゆうるりと伸びをする。
「あ〜あ。何か今日は色々あったけど。…まあ、良い日だったな。義王と一杯お話できたし。ちょっと気が紛れたかも。ありがと」
礼の言葉がさらりと出てくる。環境的に、あまりそういう言葉に触れていない義王は、僅かにぎょっとした。たかがたまたま出会ってちょっとしたお喋りをしただけのことだ。礼を言われる筋合いは無いはずだ。
「うーん、御礼したいけど…ホント、何も持ってきてないんだよなー。ここにあるお宝は米と小麦とカレーパンだし。ほら、高床式倉庫だから穀物庫なんだよね」
「テメェんとこのガッコじゃ高床式倉庫にはカレーパンが蓄えられてるって教えてんのかよ」
「そんなこと言われても、俺が洞作って石櫃配置したんじゃないんだもんよ。ひょっとしたら札の記憶の高床式倉庫にはカレーパンも入ってたのかもしんないし…ってゆーか、意外と義王は真面目に授業受けてんだねぇ」
高床式倉庫を知ってるなんて意外、と七代が目を丸くする。
義王だって、そりゃまあ真面目に授業を受けているとはとても言い難いが、それでもお宝の価値を判断するに当たって歴史の勉強くらいはそれなりにしているのだ。数学なんかに比べたら。そもそも高床式倉庫なんて中学生かそこらで習うものでは無かったか。…とは言うものの、中学生時代に真面目に授業を受けているなんて、もっと恥ずかしい気がして、義王はそこはスルーすることにして、とにかく本題の御礼がどうのという戯言を訂正させようとした。
「オレ様は、テメェと馴れ合うために来たんじゃねぇ。お宝を手に入れるために来たのよ」
「うん、そのついでに俺を浮上させてくれたから、俺的にはすっごく感謝してるんだよねー。でも、花札はあげられないしー、一般的に言う価値があるものって俺持ってないしなぁ…くー兄ちゃんなら義王好みの宝物とか色々持ってるんだろうけど。俺にあると言えば…」
「だから!オレ様は別にテメェを救おうなんぞと…」
「あ、そうだ!眼か!」
「メカがどうしたってんだ、俺様はガソダムだのロボットだのには興味ねェぞ」
「何よそれ。そうじゃなくて俺の秘法眼」
ニコニコしながら、七代が自分の目を指さす。釣られてつい正面から眼を見てしまう。相変わらず薄暗い洞の中でも強烈な光を放っている眼だ。キラキラと照り返す波のような光がまっすぐ義王に向けられた。
「…ま、確かにお宝だな。最上級の。…だが、貰えねーだろうが!テメェごと寄越す、とか言うんじゃねぇだろうな!」
「俺ごと?まあそういうことになるけど…いや俺をあげる、とかじゃなくて。もちろん俺を奪って!なんて言ってないからね?」
「言われたくもねーよ!」
「あぁん、つれないんだからぁ、もう」
男の癖に、時折女言葉になったり仕草がなよっちいのは何なのだろう。もっとも、本気で特殊な性向を疑っているのでもないが。どうも巫山戯ている時にしか出ないようなので。
七代が、ずいっと義王に顔を近づける。話の流れからすると、何となく避けたい気分にもなったが、それでも七代の眼に魅入られて動けない。
先ほどまでの態度とは違う真剣な眼。しかし、よく見ると底に寂しそうな気配も秘めている。ここに来たときに連想した、押し入れに小さくなって隠れるひとりぼっちの子供も、そこにひっそりと息づいていた。
「俺の眼を、ね。一日貸し出す券をあげる。もちろん、俺や仲間に害を及ぼす場合を除く。それ以外なら、お前の好きな時に呼び出して、1日俺を使えばいい。あるはずなのに何故か通り抜けられない場所、とか、そういうのには便利かも。…まあ、見えるだけで、結界とかあったら解除するのはまた別の人間が必要だと思うけど」
そう考えると、あんまり盗賊団には役に立たないかなぁ、なんて呟いている七代を、呆れた目で見てやる。おかしな眼は持っているとはいえ、一応一般人のはずなのに、盗賊団の手伝いまでする、なんて気軽に言うバカがいるか。
ひょっとして、盗賊団を所詮はガキのお遊び程度に捉えているのだろうか。これで結構本当に犯罪者集団なのだが。裏から手を回して捕まらないというだけで。
それとも全て承知の上で言っているのだとしたら…それでも御礼をしたいほどに参っていた、ということだろうか。
「…ま、くれるってんなら貰っておくけどよ」
「うん、使って、使って。もちろん、俺が死んだら無効だから、使うんなら早めに言ってね」
「テメェはそんなに早く死ぬつもりかよ」
「…どうかなぁ。死ぬつもりなわけじゃないんだけどさ」
困ったように首を傾げる七代に、義王はきっぱりと告げてやった。
「オレ様はな。テメェが気に入ってんだ。勝手に死ぬんじゃねぇ。テメェは最後までオレ様と札を争うんだ。オレ様の期待に応えてみせろ」
死ぬのを期待されたら死を選んでしまうと言うなら、死なずにライバルでいることを期待すれば生き残るだろう。単純な話だ。
言われた七代は、目を丸くしてから、えーと、と呟いた。
指先でこめかみを掻き、その指で唇を押さえる。
また、えーと、と呟いた。
眉を寄せて悩んでいるようなので、本気で生き残る気が無いのか、と苛立ったところで、義王は七代の耳が赤みを帯びているのに気付いた。そう言えば、まっすぐに見ていた瞳が、うろうろと辺りを彷徨っている。
「えーと…あー…ありがとう」
掠れて消えるような声音のそれは、それまでとは全く異なっていた。ひどく恥ずかしそうなそれに、何故か義王まで照れくさい気持ちが湧き上がってくる。
「おっオレ様はだなァ、別にテメェなんぞがどうなろうと関係ねェが、テメェが生きてる方が面白ェだろうな、ってだけでだな」
「うん…頑張って、生き残るよう努力するよ。…死ぬ方に誘惑された時には、義王の顔思い出して踏ん張ってみる。…あ、何か出来そうな気がしてきた。俺って単純」
まだ頬が赤いまま七代は、へへへ、と笑った。
「あんまりにもさ、普段生きてる分には大仰過ぎて、『お前が生きてた方がイイ』なんて言われないもんじゃん?実際、俺、初めて言われたし。…うん、でも、俺が欲しかった言葉かも。生きてて良いんだねぇ、俺。あぁもうホント、オカシラってば俺を喜ばせるの得意なんだから!義王のために、俺、頑張って死亡フラグ回避するから!」
何か自分のセリフと微妙に異なって伝わっている気もしたが、確かに意図は合っていなくもないので、わざわざ否定するのは止めておいた。仮にそんな言葉一つで七代の命が買えるというなら安いものだ。
…いや、そこまで入れ込んでいるわけではない。ないはずだ、たぶん。
結局、それから二人で連れ立って洞の入口まで戻り。
七代は明るく、「じゃあまた今度会ったときは敵同士ってことで!」なんて人懐こい表情とは真反対の言葉を吐きながら、ぶんぶんと手を振って去っていった。
義王もまた、それを見送ってからゆっくりと歩き出す。
そういや、そもそも七代の顔を確認しに行ったんだっけな、と思い出そうとして。
浮かんでくる七代の表情が、やけに可愛らしいものばかりであることに、顔を顰めたのだった。