濡れ衣なんて不本意だ
壇は今日もしみじみ思った。何でこの親友は、こんなにも自分とは感性が違うのだろうか、と。
今日のずれっぷりは、こうだ。
「でねー、アンジーが言ったのよ。オカシラが改めて挨拶に来るはずだって。いやもう、楽しみで楽しみで!仮想敵のとこわざわざ挨拶に来るって、すっごく義理堅くない?どんな挨拶かなーいつ来るのかなー」
大事な花札に矢をぶっ刺して奪っていった盗賊団の頭領が、わざわざ挨拶に来るのが楽しみって何だ。
そもそも花札が大事なのはお前なんじゃないのか、そのお前が奪われてへらへらしてていいのか、いやそれ以前にお前は花札を集めたいのかそうでないのか。
宿敵的な意味で楽しみにしているというのなら、まだ分かる。しかし、七代がそういう意味で燃えている気が全くしない。表情からするに、単に友達が訪ねてくる、くらいの感覚のように見える。
そもそも、こいつが本気で怒ることってあるのだろうか。そりゃあ勝負事には本気でかかってくるし、不正には真剣に怒る奴ではあるのだが、いわゆる罪を憎んで人を憎まずの典型のような奴で、行為そのものには怒っても、「人」に怒ったところを見たことがない。
そういうところは、檀とは相容れない。壇はこれで結構あの鬼印盗賊団の奴らが大っ嫌いになっている。見かけたら即喧嘩を吹っかけるレベルだ。
そういう全く合わないところも含めて七代という男を親友と認めたのだから、それはそれで面白いのだが、それでもやっぱりあの紅髪男が来るのが楽しみ、という感覚は、全く理解できないし理解したいとも思わなかった。
「お前、一応警戒心とか持っとけよ…あいつら犯罪者集団だろうが」
「んー…でも、俺に挨拶しに来るんだしさ。やばいとしたら、女の子達が狙われる時かなーって思うことは思うんだけど、そういうのはしないんじゃないかなーって思って。ほら、仮にもアンジーは同級生だったんだし」
「…半日だけの、な」
机に座ってへらへら笑う親友に、おざなりに突っ込んでおく。
というか、ターゲットが自分なら大丈夫って自信はどこから来るんだ。そりゃ七代は強いんだけれども。
そうやって壇だけがやきもきしていたところに、そいつらはやってきた。
校門付近を埋め尽くす真っ赤な制服集団。
「うわお、壮観。あれだね、絢人が着てるのを見ても別に何とも思わなかったけど、こうして見ると、ファンキーな制服だね、真っ赤って」
「いや、何で感想がそこに来んだよ!」
「お、頭領発見。すげーな、有象無象に混じってても一目で分かるって、結構なカリスマじゃね?」
「単にこの寒いのに縞タンクってのが目立つだけだろうが!」
たとえ自分が付いていても、あれだけの数を相手にするとなるとさすがに骨が折れる。壇は窓から見下ろしながらそんな計算をしていたのに、隣の親友は暢気に笑って窓から上半身を乗り出させて、校門に向かって手を振っていた。
「分かった、お前が馬鹿なのは分かったから、わざわざ位置を教えんな!」
「えーひどいわ燈治さんってば。それに位置も何も、俺目当てに来てんだから俺が出てかないと収集付かないと思うのよ」
それを証明するかのように、校門の馬鹿は大声で七代を呼んだ。
周囲の生徒が一斉に七代を見たというのに、当の本人はますます楽しそうにぶんぶんと手を振っている。あぁもう頭が痛い。
壇は頭を押さえつつもどうしたもんかと考えを巡らせる。校門さえ突破されなければ、あれだけの人数とはいえ一斉に相手をしなくて済むはずだ。少人数ずつなら俺と七代なら何とか…。
などと脳筋な計算を繰り広げていたら、生徒会長がやってきて七代に情報を教えてしまったのだ。曰く、下駄箱には教師が張っていて、外からも入れないようにしてあるが、こちらから外に出られることもない、と。
「正面玄関は駄目っと。でも裏からこそこそ回っていくのも性に合わない上に、遠回りになってそれも止められそうで面倒くさい」
七代がぶつぶつ言いながら、乗り出していた身を引いて教室内を振り返った。
何を見ているのか、幾つかの地点で視線を止めて頷いてから、七代は壇をすっとぼけた顔で見上げた。
「で?俺はご挨拶にお答えしに行くけど、燈治はどうするよ?気になるならお前も来る?あ、みのりんは無理だと思うから、後でどんな会話があったか教えてあげる。もちろん巴さんも大人しく…」
「してるわけないでしょ!あたしを誰だと思ってるのよ!」
「生徒会長殿の気持ちは分かるんだけど、実際あそこまで行くのって、俺と燈治くらいしか無理なんじゃないかなぁ」
たったそれだけの言葉に、親友の信頼を感じて壇は胸を張った。
「だな。ま、女は大人しく…」
「壇!」
鬼の生徒会長殿に締め上げられている間に、七代は窓の下へと椅子を動かした。それに乗って窓枠を乗り越えるのかと思いきや。
とんとんとーん、と軽い足取りで教室の半ばまで戻った七代が、勢いよく走り出したので壇はぎょっとして動きを止めた。釣られて飛坂も七代を振り向く。
「ちょっと!千馗!」
「きゃあ!千馗!」
穂坂と飛坂の悲鳴も気にせず、七代はそれはもう楽しそうな声を上げて軽々と椅子を蹴って外へと飛び出した。綺麗に宙へと舞った身体に、壇は思わず飛坂ごと窓から身を乗り出す。
「ここ、3階!」
七代、という男は、正直身体能力は高くない。そもそもが小柄で筋力も無い。だがそれを本人も自覚しているせいか、別の能力は鍛えられていた。
すなわち、柔軟性。
こいつの前世は猫だ、と言われても信じる、と言い切れるような身のこなしで地面に降り立った七代の足下からは、ドスッでもズシャアッでもない、たすん、とでもいうような音しかしなかった。まさしく「重力、仕事しろ」だ。正直、こいつに関してだけ重力は半分しか働いてない、と言われたって信じられる。
3階からモロに飛び降りたというのに全く足を痛めた様子もなくてってけてーっと走っていく七代に、壇は慌てて自分も窓から身を乗り出す。
「ちょっ…俺も行くから待てって!」
「壇、あんたまで飛び落りるんじゃないでしょうね!」
「いや、俺には無理だっての!普通に俺には重力働くんだよ!」
「誰にだって平等に働くわよ!」
そんな生徒会長の罵りを聞きながら、壇は普通に2階の窓のひさしへと降り立ち、次は一階のひさしへ、と順を追って降りていった。あぁもう、既に七代は話を始めている。何だってあんなに校門に近づくんだ、すぐに囲まれっちまうじゃないか!
「えー、っていうか、オカシラ、シャバーい。こんな徒党組んで来るような奴じゃないと思ってたのにー」
「ハァ!?テメェ、オレ様のどこがシャバいってんだよ、アァ!?」
「だからぁ、こんな有象無象の数で力押しってのがさ、何かがっかりー」
あぁ、こんな事態でも七代は通常運転だ。
むぅ、と唇を尖らせて本気でがっかりしている顔を見たら、たいがいの人間は言い訳をしたくなる。七代に嫌われたくない、もとい馬鹿にされたくないという一心で。
「アンジーがオカシラオカシラ言うからさ、どんだけ凄い奴かと思ってたのにさ。何?自分の力じゃなく物量信じるタイプ?まあそれもトップの立場としては悪くないと思うけど。完全に<頭領の力>オンリーでまとめ上げてるより<組織の力>ってもので戦うのはさ、有効だとは思うわけ。でもさ、俺的には盗賊団っていう集団じゃなくお前が挨拶しに来るんだと思ってたからさ、残念な気分だよ、まったく」
両手を肩幅に広げて「はぁ」なんて溜め息吐いてる七代の外国人風アクションに、頭領は絶句してから校門の隙間から腕を伸ばして七代の襟元をがしっと掴んだ。
「んだと、こらぁ!俺様は誰よりも強ェんだよ!こりゃあ御霧の差し金だ!」
「…義王」
眼鏡を押さえてこちらも溜め息を吐いた鹿島に、襟元締め上げられたままで七代がちらりと冷たい目を投げかける。
「やぁだ、参謀ちゃんてば、シャバーい」
「…持てる力は使わなければ意味が無い」
「うん、正しいよ。でもシャバーい」
「あはっ!七代にはミギーも傘ナシだね!」
「それを言うなら形無しだ!」
うん、何というかあの突っ込まずにはいられない気質には同情の余地がある。しかし、この眼鏡こそが厄介事を引き起こす元凶であることは間違いなく、壇は拳を打ち付けてから校門へと走りより、七代の肩を掴んで引き寄せた。校門の鉄柵に阻まれて、案外と簡単に七代の衿から頭領の手が離れた。
「うわん、ボタンが吹っ飛んだー」
情けない声で地面を探し始めた七代の代わりに、闘志を隠すことなく正面から仁王立ちする。それに反応して、盗賊団もにわかに色めきだった。
「ハッハァ!面白ェ!テメェが代わりにご挨拶受けてくれるってェのかよ!」
頭領も楽しそうに声を上げる。こういう力馬鹿は壇としても戦いやすい。余計なことを考えなくて済む。
しかし、やる気満々だった壇の耳に、七代の暢気な声が入った。
「あ、ボタンめっけ。ついでに、朝子先生もめっけ。燈治、大人しくしててね」
さすがの壇も担任の目の前で暴力沙汰に及ぶことは控えられるため、首を巡らせて息切って走り寄ってくる担任の姿を認めて拳を降ろした。
「七代くん!壇くん!何をしているの!」
「何って…アンジー経由で知り合いになった他校の生徒さんがご挨拶に来たというだけのことですが」
気負った様子もなく、のほほんと答えた七代に、担任の様子が少しだけ弛んだが、すぐにアンジーという単語に反応して校門の向こうを見回した。
家庭の都合でたった1日でスペインに帰ったはずの女生徒の姿を見つけて、担任は声を上げる。
「アンジーさん!どうして…」
「あはっ、アンはまだ帰れないんだヨ!やることがあるからネ!」
心配していた女生徒の事情に気を取られてから、ようやく本題の「他校の集団」に戻った教師に、盗賊団の参謀は、まるで優等生の口調で言い放った。
「実は、この七代千馗と壇燈治に、我が校の女子更衣室を覗いたという疑惑がかけられていまして…我々としても、こうでもしないと不満分子を押さえられそうになかったので」
「は?」
壇はぽかんと口を開けて、辛うじてそれだけ声を出した。
我が校?女子更衣室?覗き?
それぞれの単語の意味は分かっているのに、何を言われているのかさっぱり分からない、という希少な事態に陥った壇は、隣に立つ親友を振り返った。
ちょっと見下ろす形の視界で、やや俯きがちになった七代の耳が真っ赤に染まっているのが分かった。全身がぷるぷる震えているので、お、怒ったのか?と考えた瞬間。
「ぷっ…あはははははははははははは!」
激しくけたたましい笑い声が親友の口から放たれた。
「なっ、何それ、受ける!チョー牧歌的!こっここまで人集めといて、よりにもよって覗き、とか!やぁだもう可愛い!」
腹を抱えて途切れ途切れに叫ぶ言葉には、本気で受けているんだろうなぁ、という笑いしか含まれていなかったが、聞きようによっては喧嘩を売っている内容に壇は視線を親友から外へと向けた。
やはり喧嘩を売られたと感じたのだろう眼鏡は眉間に皺を寄せて不機嫌そうだ。肝心の頭領は…先ほどまでの壇と同様ぽかんと口を開けていたので、ちょっぴり溜飲が下がった。
「ひっ久々のヒット!よし、受けた!ご挨拶の御礼は俺もしなくちゃね!いやホント、ここまで笑ったの、ここんとこ無かったわー」
どうにか笑いを収めようとした七代が、失敗したのか喉を痙攣させてまた吹き出す。
ひーひー腹を押さえている七代に、担任がおそるおそる声をかける。
「あの…七代くん?」
「あー…あぁ、すみません、朝子先生。チョー受けちゃったぁあ、俺」
目元を指で拭っている七代を厳しい目で見てから、担任は校門へと顔を向けた。
「事情は分かりました。とにかく、こちらでも調査します」
「えぇ、こちらも調査中です。では、我々は引き上げさせていただきますので」
案外あっさりと引く眼鏡に、頭領は不満の声を上げたが、七代が
「んじゃあねぇ。こういう漫才なら歓迎だからいつでもいらっしゃあい」
などと声をかけたため、へっ!と中指を立てて不敵に笑って去っていった。
やっぱり余計な波風立てたような気がするが、親友はまだぷぷぷぷと笑っていた。
普通なら高校3年生のこの時期に、他校の女子更衣室を覗いていた、などという噂はかなりのダメージになるはずなのだが、こと七代に関しては全くもって無害な話であった。その辺の個人情報は集められていないのだろうか、などと気を回していた壇に、担任は七代共々の事情説明を迫ってきた。
「んなこと言われても…俺たちは全く…」
「てゆーかさぁ、あいつらのガッコってどこだっけ?」
指導室へと歩いていきながら、七代が暢気に手帳をめくりながら聞いてきた。
「いや、寇聖だろ?ほら、あの情ほ…香ノ巣の」
「あー、絢人の!…えっと、それって、裏門にトウガラシがあった?」
二人の会話に、担任が眉を顰めて問う。
「…知っては、いるのね?」
「何を?あぁ、学校の場所ですか?はい、友達になった奴の高校なんで。でもって、裏口のすぐ内側にトウガラシが植えてあるのが印象的で」
担任には礼儀正しい口調になった七代の言葉を聞きながら、壇は心の中だけで、「印象的も何も、お前<トウガラシの取れるとこ>としか覚えてねぇんだろ…」と突っ込んでいた。
まあ、七代ののらりくらりとしたかわしによってか、それとも単に証拠不十分によってだか釈放された二人は、仲間に心配されつつも普通に帰っていった。
壇は、少なくともそう思っていた。
こんな根拠のない疑い、すぐに晴れるだろう、そう思っていた頃が俺にもありました。
後から思えば、七代が改まって「壇にまで迷惑かけてごめん」なんてしおらしいことを言うのが兆しだったのかも知れない。
数日後。
今度は校門で他生徒を威嚇しているのは派手な縞タンクの頭領一人であった。あれで七代にシャバいと言われたのがショックだったのだろう。
相変わらず警戒心どころか喜色満面で駆けていく七代の後を追って、壇も走って校門へと向かった。
「テメェの仕業か?」
挨拶も無しに顎をしゃくられて、壇は、またしても「はぁ?」とマヌケに口を開けた。
「ノー」
しかし、親友はさくっと否定した。何を、とも言われていないのに。
「とぼけんなよ、じゃあ誰がやるってんだ、あんなこと」
いやだから、何があったと言うんだ。
七代はへらりと笑って、両手を肩幅に広げるという欧米人じみた仕草をした。
「やぁだ、俺、一般人だもん。テロリストの真似事なんてしないしー」
いや、だから。
何をしでかしたんだ、千馗。
「ほっほー。うちの女子更衣室の壁だけが綺麗に崩されたのは、テロリストの仕業だってェのか?」
何だそりゃ。
「あらぁ、怖いねぇ。最近、物騒なこと多いしー。でも誰でも覗き放題で、みんな喜んだんじゃない?」
にっこり笑う七代の顔は、大変大変無邪気だった。
…どう聞いても、七代の仕業としか聞こえなかったが。
いやいや、この親友がにっこり笑うその影で結構過激なのは知っていたが、いくら何でも他校の壁を吹っ飛ばす、なんぞという派手なことまではやらない…というか無理なのではないか、と壇は思った。七代の能力は、基本的に札に関することであって、爆弾の扱いはその範疇に無いはずなのだ。たぶん。
盗賊団の頭領も、絶対に七代の言葉を信じていない。じろじろと値踏みするように七代の顔を見つめている。
何を考えているのか七代はくすくすと笑ってから、一歩前に踏み出した。いくら馬鹿とはいえ自分の札を狙っている盗賊団の頭領からほんの数10cmのところにまで近づいて、更に顔を覗き込む。
時間にすれば僅か数秒のことだったろうが、二人が真剣に相手の目を見つめ合ったのは確かだ。
先に緊迫した空気を崩したのは七代だった。
「んー、ごめんねぇ。どうやらお前が本気で俺だと思ってて、かつ俺だとしたら面白いって思ってるみたいなのは分かったんだけど」
七代が小首を傾げて心底申し訳なさそうな声で言う。
「本気でマジレスすると、天地神明誓って俺じゃあ無いんだな。…ちぇ、そこまで面白がられるなら、俺がやれば良かった」
後半の呟きは聞こえなかったことにしよう。
ちらりと見た頭領の方は、一瞬顔を顰めたので、気に食わなかったんだろうな、ということが見て取れた。
しかし、すぐに先ほどまでと同じく唇が吊り上がった。それはもう楽しそうに。
「そういやぁよ、七代」
「何?」
「テメェ、さっきから『俺はやってない』っつってるよな?」
「如何にもゲソにもスルメにも」
「…で?誰にやらせたんだ?」
「あら、やだ」
食堂のおばさんのような口調だったが、どこか本気で驚いているような声音だった。
壇からは七代がその時どんな表情だったかは見られなかったが、それを正面から見たはずの頭領の目が、一気に猛禽類めいた鋭さを表したので、壇は咄嗟に拳を握った。
さりげなく壇の前に身体を滑らせた七代の声は、相変わらず柔らかく笑っているような響きだった。
「やだもうオカシラってば、そういう揚げ足取りには頭が回るんだからぁ。…でも、ざーんねん。俺には、そんな特殊技術持った知り合いなんていませんでした。俺ってば、ごくごく普通の男子高校生なもんですから」
嘘つけ。
おどけたような声音にも頭領の視線は緩まなかった。喉元を食い破ろうとしているかのような視線を七代に向けている。
「…テメェの目は、大したお宝だぜ」
「あらそう?でも取り出すとたぶん何でもないタンパク質の塊になるので持ってくのはやめてね?ってゆーか盗るな。俺はまだもう少しこの世界を見ていたい」
盗るな、と言う割りにはまだ頭領のごく近くにいる七代は、少しだけ視線を空へと彷徨わせた。それから視線を元へと戻す。
「うん、俺、この世界が好きだから。まだまだもっと見たいものがあるんだよね」
「それはテメェにしか見えねェもんか?」
「さぁ…分からない」
おそらくその確率は高いのだろう。七代とはまだほんの1ヶ月と少ししか共に過ごしていないが、それでも七代の視界と己のものがかなり異なることは壇はよく知っていた。
「オカシラ的に、この世界は楽しい?」
「マァ、な」
「んじゃあ、たぶん、同じものが見えるんじゃないかな。うん、きっと」
「そうかよ」
七代が微笑みながら言った言葉には、全く根拠が無いと思えたのに、頭領は素直に頷いた。あいつはきっと、まだ七代が見ているものを知らないんだろう、と壇は思った。そうでもなければ、同じものが見えるなんて、期待すら出来ないだろうに。
「ま、今日のところは引いてやるぜ。面白ェもんも見られたしな」
口元を不敵に歪めた頭領が、親指で自分の目を差す。
「おやおや大したお構いも出来ませんで」
お前はどこの主婦だ。
頭領相手にどんな目をしたのだか知らないが、そんなことは欠片も匂わせない七代が、相変わらずすっとぼけた声で別れの挨拶をする。
「あーばよ」
ひらひらと手を振りながら去っていく頭領は、普通に徒歩で去っていった。さすがに校門前から萩を散らして消えるのはいただけないらしい。
まるで友達に名残を惜しんでいるかのような表情で手を振っている七代を横目で見て、壇は小さく溜め息を吐いた。
一見、人畜無害。たぶん、性格は悪くはない。時々想像しない方向へぶち切れるが。
今回のもそうなのだろう。女子更衣室を覗いた、という濡れ衣を晴らすのではなく、その他大勢も女子更衣室覗き犯に巻き込む、という斜め上の解決法は。いや、何も解決してないが。
「で?」
その一言で聞いてやると、七代は小首を傾げながら壇を見上げてきた。そして大層楽しそうに目を煌めかせて微笑んだ。
「壇まで疑ってる?やだなぁ、俺は、何もしてないよ?」
「お前は、何もしてないとして、だ。…いや、誰が、とまでは聞かねぇ。とにかく、何が起きたんだよ?」
「あー、うん、オカシラが言ってた通りなんだけど」
七代の目が遠くを見た。まさか寇聖まで見通しているわけでもなかろうが。
「ちょっとね、俺は、愚痴っただけなのよ。俺ってば他校の女子更衣室覗き疑惑かけられちゃったのーって。うん、本気でそれだけなんだけどね…うん」
「…誰に?」
「日本にはいない従兄弟に」
電話で家族に愚痴をこぼした、と言うなら、それはまあ割とあることだとは思うのだが。
しかし、確実に、「それだけ」ではあるまい。
更に聞こうとした壇の口を封じるように、先に七代が喋り出した。
「従兄弟はね、かつては新宿で高校生しててね…まあ、その時のクラスメイトが新宿にいなくもないみたいでね。それ以上は、俺は知りません」
すっぱり言い切った口調に、それ以上を伝える意志がないことを壇は感じ取って、開きかけた口を閉じた。
それに、大体のことは分かった…ように思う。
「…そうか、お前の従兄弟だもんな…」
ただ、それだけ呟くと、七代もちょっぴり苦笑に近い微笑みを浮かべて頷いた。
「うん、俺の大好きな従兄弟だよ。…ちょっと過保護な、ね」
可愛い従兄弟が濡れ衣を着せられたら特殊工作も厭わない。そんな従兄弟が俺も欲しい…いや、やっぱりいらねぇ。
壇が失礼なことを考えているともつゆ知らず、七代は笑って壇を見上げた。
「まあともあれ、濡れ衣は晴らせたと思うよ?良かったね」
その女子更衣室壁爆破事件が起きたのが、七代が完璧に授業中の時刻であり何の時限装置も見つからなかったことから、七代の仕業でないことは早くに明らかになった。そしてそれがすぐさま覗き犯=爆破犯となった訳ではないが、確実に話題は痴漢よりも爆破犯に移っていったため、壇と七代が白い目で見られることはなくなっていったのだった。