くー兄ちゃんと俺 3 その2
七代はがっちがちに緊張して正座していた。今のところ九龍は、朝子先生を気遣ってかモロに清司郎に喧嘩を売ってはいないのだが、事情を知っている者が聞けば皮肉の数々に居たたまれなくなる。
しかし、清司郎はさすがは年の功というか、おそらくは本人も断罪されるのを覚悟の上だったのだろう、反発することもなく受け流している。
何だかもう、勘弁してください、と七代の方が土下座したい気分になってきた。
そんな気持ちを込めて九龍を上目遣いで見つめてみると、話の区切りでふっと息を吐いた。
「…まあ…千馗が世話になったのは確かだしな…」
ぼそっと呟いて頭をガリガリ掻いたので、ようやく毒は吐き終わったのだろうとほっとする。
身じろいだのでそろそろ話を切り上げるのか、と思ったら、九龍は姿勢を正して清司郎と朝子を見やった。
「さて、今後の件ですが」
あぁそういえば、茶番ではあるがそれを済ませないといけない。主に朝子に対して。
朝子の中では遠い親戚で弟のようなものになった七代がこれからフェードアウトすることについて、巧い説明をしておかなければならない。
「千馗は帚木の方で預かります。と言っても、千馗は4月には就職するので、独り立ちという形にはなりますが」
そこまでは七代も納得済みの話なので、うんうんと頷いていたのだが。
九龍が続けた言葉に、意表を突かれて飛び上がった。
「問題は、白の方です。これから学校に上がる年齢だし、俺はまたエジプトに向かうし、千馗は仕事が始まったら忙しくて子育てなんてやってる場合じゃ無いだろうし。ということで、白だけでもこの家に置かせてやってくれませんか?」
な、何で!?と混乱してから、そういや朝子先生に対しては自分と白は兄妹設定だった、と思い出した。何となく九龍も清司郎も自分と白の正体を知っているので、そういう話が出るとは思っていなかった。
けれど、改めて考えてみれば、当たり前のことだった。
本当に七代と白が兄妹だったとしたら、この神社に居候するのもセットだったし、去るのもセットになるはずだ。白がこの先どうするかについては、責任を負うのは七代だと言うのに、そういうことを全く考えていなかったのは落ち度と言わざるを得ない。正直、義王のことで頭が一杯だったのだ。
零は戸籍こそ無いものの、OXASの封札師でもあるし、社会的な身分は約束されている。
だが、白にはそういうものが一切無い。
そして零と違って白は外見が幼女なのだ。これから義務教育を必要とする年齢以外には見えない。
もっとも、白がこれから成長するのかどうかについては、どうもよく分からないけれど。七代の<眼>には、元々白は人間とあまり変わりないのだ。幼女型であれ、白鴉型であれ。だとすれば、成長するのだろうが…毎年大きくなって大人になる白、というのも想像が付かない。
万が一、ずっと外見は成長しないのだとしたら…ここにそう長くはいられない。
「…くー兄ちゃん」
「千馗、お前な。自分が就職するのに合わせて白も連れて行く気かも知れないけどな。公務員には転勤があるんだぞ、転勤が。そんな半年とか1年に1回転勤するかもしれないのに、白まで付き合わせる気か?」
朝子先生には、国会図書館の方(消火器詐欺のようだ)に就職する、と言ってある。辻褄は合わせてくれているが、七代的には完全にノーガードだったので、どう考えれば良いのやら。
「…うちは、構わんぞ」
「へっ!?清司郎さん!?」
「そうよ、白ちゃんがうちの子になってくれるのなら、それも素敵だと思うわ」
白は本来朝子先生を主にするはずだったのもあり、本能的にかかなり懐いているし、朝子の方も何か感じ取っているのか白を本当の妹のように可愛がっている。
その点だけを考えれば、非常にありがたい話ではあるのだが。
「でも…ですね、俺としては……何というか……」
正直、考えていなかったのが祟って、何も言えない。
何となく、自分が卒業したら新しい任地で一人暮らしを始めるのだろうと漠然と想像していたが、白のことまで考えていなかった。まさか白までOXASに面倒見て貰うわけにはいかないし。
しかし、朝子先生は七代の動揺を良く取ってくれたらしく、同情的な視線で頷いた。
「そうよね…とっても仲の良い兄妹ですものね…引き離すようなこと言っちゃって、ごめんなさい」
「あ、いいえ、朝子先生は何も悪くないんですけど!…すみません、白にも聞いてから、改めてお話させて下さい…今はホント、何も考えて無かったんで…」
九龍の気配が呆れているのが分かる。ううう、自分で作った設定忘れてるなんて、まだまだ未熟もいいとこだ。
また後で白本人と、それから伊佐知先生に相談してみよう、と考えていると、九龍がふっと息を吐いた。
「それでは、そろそろおいとまします。それから、本日は千馗をお借りします。明日には返しますが」
うわ、ホテルに泊まらせるつもりか…いや、ひょっとしたら義王のところに泊まるののフォローかもしれない。
またしても礼儀正しいんだか腹の探り合いなんだかみたいな挨拶を九龍と清司郎が繰り広げているのを横目に、七代も立ち上がって障子を開けた。
途端に、縁側から鈴がじたばたと手を振っているのが見えた。
ガラス戸を開けると、鈴が涙目で見上げながら「大変なのですぅ〜!」と訴えてきた。
鍵は煙管を片手に、どこか遠くを見るような目になっている。
「…おや、坊。お話はおしまいで?」
「うん、とりあえずは一区切り。…何かあった?」
「えぇまあ。今、坊の良い人とあちらの御仁が連れてこられていた御方が、秋の洞で戦闘中でして」
「はああああああああ!!?」
ちょっと待て。
坊のいい人…は、まあ普通に義王なんだろう。鍵さんにばれているのはそう驚くべきことではない。でもって、あちらの御仁ってのが九龍で、連れてこられていた御方は取手さんで……。
で、何で義王と取手が戦闘中なんだ。
どんな接点があるのか。
いやむしろ義王が何でここに。もっと後の時間に来るよう言ってあったのに。
いやいやいや、待ちきれないというかあんまり待つ気が無かったのかも。いや、そうじゃなくて。
何をどう考えて良いのか分からず混乱した頭を、ぶんっと振った。
ともかくは。
こっそり懐に忍ばせておいた札の存在を、軽く手で押さえて確認する。
本当は洞に行くなら完全に装備を整えたかったのだが…こうなったら仕方がない。
九龍がまだ清司郎と挨拶を交わしているのを確認してから小走りに自室に戻り、手早く目に付いたものをバックパックに収納して背負う。もちろん、いつものダッフルコートも羽織っておく。
玄関に向かうと、朝子先生に
「あらあら、そんなに素早く出かける用意が出来るなんて。よっぽど楽しみなのね」
と微笑ましそうに言われたので、それに調子を合わせて返事をしてから、そういやまた白が妹設定なのを忘れるところだった、と取って付けたように言い置いた。
「すみません、白を頼みます」
そうして、九龍が出てくるのを待ちかねてあわあわ手をさせていると、さすがに九龍が不審そうに見てきた。
見送りに出てきた二人から聞こえないところまで来てから説明しようとしたが、先に境内に取手の姿が見えないのに気付いたようだ。
きょろきょろする九龍に、もう身体は走る体勢になりながら簡潔に説明する。
「あのね、義王と取手さんが秋の洞で戦闘中なんだって」
「秋の洞っつーと…お前の学校の焼却炉ってとこか」
「うん、すぐ近く」
言いながら走るとすぐに九龍も付いてきた。七代はほとんど全速力なのに九龍は息も切らさず会話が出来るあたりがさすがとしか言いようがない。感心すると同時に…この人と戦うことになったらやっぱマズイだろうな、と思う。
いつも通り、裏から回って焼却炉に一番近い塀に飛び乗る。周囲に人がいないのを確認してから敷地内に降り、焼却炉へと向かった。
「くー兄ちゃん、先に入って。俺、すぐに入って閉めるから」
「おう」
扉に手を掛け、引き上げるとすぐに内部の振動と音が伝わってきた。
苦虫をかみ潰した顔で九龍が入り、ロープをするすると伝って降りるのを確認してから、七代も身体を滑り込ませ、下も見ずに扉を内側から閉めた。
そしてショートカットで勢いよく飛び降りる。
「義王!」
中央付近でトンファーを構えていた義王が、振り向きもせずに飛び退った。
目に見えない衝撃波をかわして楽しそうに声を上げる。
あぁうん、楽しそうなのは大変結構なのだが。
それより無言で取手の方へと駆け寄った九龍が恐い。
「義王、何で…っていうか何やって…いや、それもいいや、とにかく下がって!」
素直に七代の斜め前まで下がった義王の前に、札を展開する。
サブマシンガンから放たれた無数の弾丸が地から舞い上がった紅葉にくるまればらばらと地面に落ちた。
「ハッハァ!飛び道具たァおもしれェじゃねーか!大将、テメェの従兄弟はいかれてんなァ!」
日本の高校の敷地内でサブマシンガンをぶっ放される、という事態にも、義王は動揺するどころか高揚しているようだが、七代の意識は一気に冷えた。
冗談じゃない。殺傷能力の高い火器を問答無用で選ぶなんて、何考えてるんだ。
しかし、相手も同様のようだった。取手が押し留めるように手を挙げているが、全く気にせず九龍は音を立ててサブマシンガンのカートリッジを交換した。
「いーい度胸じゃねーの。鎌治の腕を傷つけるなんざぁ殺されても文句言えねーよな」
七代が聞いたことも無いような冷たい声音に、あっちも既に戦闘モードに切り替わっていると知る。さすがに従兄弟だ。戦闘モードでは熱く燃えるどころか冷徹になるあたりがそっくりだ。
でも、同じだとしたら、あそこまでなったなら周囲のことなどお構いなしに殲滅しか考えられない、ということで。
またサブマシンガンを構えた九龍の口元の笑みを見て、七代も唇を吊り上げた。
「義王」
「オウ!」
ただ名を呼んだだけだが七代のテンションも意図も全て読み取った義王が、トンファーを構えて真正面から走り出す。
<眼>を全開にして九龍の動き、取手の音波を確認して、七代は小さく手を動かした。
4人の中で一番冷静だったのは取手だった。既に義王とやり合って八つ当たりの不満は発散していたので、いつもの理性が戻ってきている。
そのため、普段どれだけ九龍が従兄弟を可愛がっているかを知っている身としては本気で戦うのはまずいだろう、しかしこれだけ戦闘モードになった九龍を宥めるのは難しいのでちょっとだけ戦って九龍が正気に戻った時に押し留めよう、と少々遠慮した音波を放っていた。
そう、取手は自分たちが圧倒的に強いと信じて疑っていなかった。伊達に九龍と延々蝶の迷宮に潜り続けたわけではない。
だから、義王が真っ向から駆けてきたときも、こういう性格なんだろうとしか思わなかったし、これじゃあ九龍の良い的だ、と心配しかしなかった。
その義王が、サブマシンガンの弾丸が届く直前に姿を消した。
そのまま霰のような弾丸は七代へと向かったが、それも目前で推進力を失って地面にばらける。
それを見届けたと同時に、真横からの風切り音を感じて咄嗟に腕を上げつつ身体を捻る。
「喰らいやがれっ!」
また腕に当たると思ったトンファーは軌道を変えて、振り向いた九龍のサブマシンガンの横っ面をはたいた。
打撃に逆らわずに手を離した九龍の足下にサブマシンガンが転がったが、同時に手の中に滑り降りてきたファラオの鞭が、ひゅ、と空を裂いた。
いつもなら目にも留まらない速度で踊るそれが今日はやけにスローモーションで、不意を突かれたはずの義王が余裕でかわし…また尋常では無い速度で目の前から消えた。
ち、と舌打ちした九龍が、苛立ったように身を震わせると、身体からぱらぱらと氷の粒がまき散らされた。どうやら凍り付かされて動きが鈍っていたらしい。
相手は普通の人間だと思っていたのに、どうやら古代の化人と戦うのと同じくらい特殊能力に気をつけなくてはならないようだ、と取手は顔を顰めた。
ならば本気で、と放った音波が、義王の姿を捉えたと思ったのにそのまま突き抜けて壁へと吸い込まれる。
そういえば足音がしなかった、幻覚だったか、と気付いた時には、もう思いも掛けない位置から攻撃が伸びてきて。
縦横無尽に人外のスピードで攻撃を仕掛けてくる義王の動きに翻弄されつつも、そろそろカラクリが分かってきて何とか対応できそうだと思う頃。
「おい千馗!お前、他人にばっか攻撃任せてんのかよ!てめぇは傷一つ無く後方にって随分イイご身分だな!」
九龍の挑発に、七代の眼が煌めくのが壁際の取手からも見えた。
「義王、下がって」
言われた通り飛び退った義王を隣に従えて、七代は静かに告げた。
「発動。芒に月」
目の前で巨大な隕石に押し潰された二人を見て、義王は片眉を上げた。
そりゃ全力で楽しく戦っていたが、相手は七代の大事な従兄弟とその恋人だ。いくら何でもやり過ぎじゃないかと思うのだが。
「殺す気でやって、やっと一撃入れられるくらいだと思うから。相手、くー兄ちゃんだもん。このくらいやらないと止まらない」
さすがに札を駆使し過ぎたのか、こめかみを揉みながら七代が気怠そうに呟く。
その頭をがしがしと撫でてやると、大人しく義王の胸に頭を預けて目を閉じる。
だが、その柔らかな空気は隕石が派手な音を立てて四散したことで一瞬で凍てつくものに変わった。
ゆらりと立ち上がった九龍は牙を剥いた虎のようで、そういうのが嫌いじゃない義王は思わず見惚れてしまう。
その背後にぬぅっと立ち上がった取手と目が合って、大体の意思疎通が瞬時に為された。
二人ほぼ同時に、各々の恋人を羽交い締めにする。
「はっちゃん、そろそろ大人しくして。千馗くん傷つけて、後でぐずぐず千馗くんのことばかり言われるの嫌だしね」
「落ち着け、大将。相手はテメェの大事な従兄弟なんだろうが」
しばしの間をおいて、七代は手の中に滑らせていた札をアーカイブに収納した。
九龍も構えかけていたラーの杖を下に向ける。
「ごめんね、基本、はっちゃんは余裕なんだけど、僕の腕が傷つくことにかけては敏感なんだ。僕、ピアニストなものだから」
「オウ、こっちも悪ィな。大将はテメェのことにゃ無頓着だが、他人が傷つくとなると全力で敵対する性分してやがるんだ」
羽交い締めにしたまま、最初に戦闘開始した二人がそう言い合うと、戦闘モードだった従兄弟同士は、ふぅ、と息を吐いて通常モードへと移行した。
「ま、やるじゃないか、千馗。正直、見くびってた」
「そうでもないよ。目一杯精神力使ったから、もうあれ以上は無理だったし」
にやりと笑って七代を称えた九龍に、七代は疲れた声を返した。
緩められてはいたがまだ取手の腕に囲い込まれた状態で、九龍は武器を全て収納し、代わりに救急セットを取り出して取手に渡した。
「大丈夫だよ…ほとんど、怪我は治してたし…」
「ま、一応使っとけ。…それよか、俺がビックリなのは、千馗が義王を使い倒したことだわ。あれ、義王にも負担かかってっだろ?恋人を自分で傷つけるタイプとは思ってなかったからなー」
札で吹き飛ばすのは、攻撃も兼ねているので無傷とはいかない。それを指摘されて義王は馬鹿にしたように鼻を鳴らしたし、七代は小さく唇を尖らせただけだった。
義王は七代が札だけでなく直接的な攻撃力を持っていることを熟知していたので、七代が自分を盾にして安全なところにいたとは思わなかったし、むしろこうした方が合理的だと七代が判断して実際そうしたことは誇りに思いこそすれ何ら疑問は感じなかった。
七代は、二人の戦闘力を考慮した結果それが最も効果的だと判断した上で、義王ならそれに応えてくれると思ったし、打ち合わせも無しで完全に義王が自分の意図を理解してくれたことがただ嬉しかった。もちろん、義王に傷が入るのを喜んではいないが、それでも義王なら大丈夫だと心底信じていたし。
そんなわけで、二人とも弁解の一つもせずにそれが当然と認識しているようなのを見て、九龍はがりがりと頭を掻いた。
「まー、なかなかどうして…バディ上がりだと恋人っつーより戦友になるのも分かるんだが。千馗らしくねー気はするが……相当、信頼してんだな」
俺らしいってどんなだろう、と思いつつも、七代は最後の言葉には頷いた。
九龍は七代から視線をずらして、義王を真正面から見た。さっきまでは『鎌治を傷つけた敵』としてしか認識していなかったので、今初めて『千馗の恋人』を見たと言っても過言ではない。
視線に反応して喧嘩腰に身構える辺りは子供だと思うが、鼻持ちならないほどではない。
「知りたいことの一つは分かったな。少なくとも、戦闘能力的な意味では、千馗の横に立てる奴なんだろうよ。問題は、それ以外のとこだがな」
「別にテメェの許可なんざ欲しくもねェがな。オレ様はオレ様の好きなようにやる」
はん、とまた鼻を鳴らした義王の手に触れ、七代は小首を傾げて九龍を見つめた。
確かに義王は一見不良だし…というかそもそも盗賊団の長だが…恋人として一般受けしないのは理解できる。けれど、そう反対されるほどの要素は無いと思うのだ。男同士なのは九龍も同じなのだし。
七代の視線を受けて、九龍は頭を掻いてから眉間に皺を寄せて、それでもまっすぐ見返して言った。
「調べた。ロシア系マフィアの親玉の日本部門愛人の跡取り。…どこの馬鹿がそんな奴に可愛い従兄弟をやりたいと思うよ」
「…へ…」
義王そのものとは全く違う理由と告げられ、一瞬ぽかんとする。
「ろしあけいまふぃあのおやだまのにほんぶもんあいじんのあととり?」
思わずオウム返しにしてから、一言一言を噛み締めてみる。
そういえば、寇聖はマフィアの後ろ盾がどうのとか、その戦闘部門を排出するための教育機関だとか何とか…。
義王が寇聖の前理事長の養子であることは聞いていたが、その情報とマフィアがどうのというのが全く繋がっていなかった。
思わず義王を振り返ると、顰め面で頷いてきた。
「オウ。間違っちゃいねェな」
「えーと………それで、何で駄目なの?」
素で返した七代に、九龍は目を丸くしてから、腹を抱えてくっくっと笑った。
代わりに義王が苦い口調で説明する。
「どう足掻いても裏社会まっしぐらだしよ。命のやり取りも当たり前みてェにある世界だし、ま、堅気とは言えねェからな。普通、じゃねェな」
「まあ、一般論だがな。しかし、養子ってのは悪くはない要素だ。これで実子の長男で血の繋がりを重視されてみろ。嫌でも女あてがわれて、男の恋人なんざ引き離されるだろうよ」
「その点は問題ねェよ。大体がうちの義父からして男の愛人だ」
何か全く知らなかった情報がぽんぽんと行き交うため、七代は眉を顰めて唇を尖らせた。
そんなの初めて聞いた。自分の恋人のことなのに、九龍の方が詳しいってどういうことだ。
もっとも七代の、そういう素性を全く意に介さないところも義王は好きなのだが。
「実は、そこんとこも確認しようと思ってたんだわ。所詮、養子だろ?逃げようと思えば逃げられんだよな?地の果てまで追ってくるってほどのしがらみは無いんだよな?」
「まァな」
うっすら夢想したことがあるのは否定しない。
この『ロシアマフィアの日本部門の後継者』というのが七代の恋人に相応しくない肩書きであることは分かっているし、何よりこれから各地を飛び回るであろう七代のバディでいるために、今の地位を捨てて自由に生きてみる、という道を考えたことはある。
「でもよォ、それじゃオレ様じゃねェんだよな。オレ様はオレ様の力で今の地位を奪い取った。これからも、オレ様はオレ様のやり方で自分の生き方を貫いてみせる」
マフィアの仕事が嫌だと言って逃げるなんざ負け犬のすることだ。仕事の方をこっちに合わせるくらいのことが出来なくて何が力だ。
胸を張ってそう言い切った義王に、九龍は目を細めた。17歳のガキだが、肝が据わっているのは認めてやろう。もっとも、九龍からすればその考えですら甘いと言いたいが。
「ま、ただ提案したかっただけだからな。お宝が好きって聞いてたから、最終手段としてトレジャーハンターになって世界各地に飛んでくって手もありだって」
正直、トレジャーハンターもマフィアとまでは言わないが法的にぎりぎりな組織だと思うが、もしも義王が望むのなら斡旋してもイイと思っていたのだが。
「お宝は好きだがな。オレ様は自分の力で勝ち取るのが好きなんだよ。そうじゃなきゃ生きてるとは言えねェ」
どうやらまだまだその気は無いようなので、いつでも転職は可能だし、とそれ以上は何も言わないことにする。
何より、可愛い千馗がうっとりと恋人を見つめているのにも微妙に苛立つし。
しょうがないので、せめて色々と根回しが出来るよう、顧客を開拓だけはしておこう,と思う。これでもアラブの石油王だとか陰陽師だとか、各方面に圧力を掛けられる人材と知り合いなのだ。それにちょいとマフィア方面が加わるのもイイかもしれない。
打てる手だけは打っておくが…万が一にも。
口には出さずに、目だけで義王に伝える。
万が一にも、その義王の出自故に千馗に害が及ぶなら。
葉佩九龍はありとあらゆる手を使ってそいつらを潰す。
同じく義王が目だけで返答してきた。
誰がそんな目に遭わせっかよ。このオレ様が千馗を選んだんだからな。
世の中には、個の力だけではどうしようもないこともある。おそらく、義王はまだそれを味わう機会が少なかっただろうとは思ったが、とりあえず今のところその覚悟だけは買っておくことにする。
「気は済んだかい?それじゃ、そろそろホテルに移動したらどうかな。…ここは嫌いじゃないけれど、落ち着いて再会を喜ぶ場所でもないと思うんだけど…」
背後からのくぐもった声に、九龍は息を吐いた。
「ま、その通りだな。後はホテルでやるか」
「まだ、何か義王に文句あるの?」
ぶぅっと頬を膨らませて不満を露わにした七代に、九龍は苦笑して腰に手を当てた。
「ちげーよ。後は単に従兄弟様の再会を祝してのお話だ。そんな威嚇すんなよ、寂しいじゃねーか」
七代の最愛の人間の座は、数ヶ月前までは明らかに九龍だったのだが、今は完全に入れ替わっているらしい。従兄弟の同胞愛であって恋愛感情では無いとはいえ、漠然とした喪失感と微かな嫉妬があるのは否めない。
もっとも、色々と感情を見て当たり障り無く対処しようとする七代が、それでも背中の毛を逆立てて威嚇する猫のようになるのを隠そうともしないのは、それほどに恋人に惚れ込んでいるのだろうと思えば、祝福したい気持ちにもなる。何はともあれ、大切な人間が出来ることはめでたいことだ。
「じゃ、ホテル行くか。…で、そもそも何でお前ら戦ってたんだよ」
ロープを掴みながら何気なくそう呟くと、すぐ下を追ってきた取手が僅かに笑いながら答えた。
「…ちょっと、ね。君が千馗くんにかかりきりなのが面白くなくて」
「またか!お前の独占欲は、ホント病気だぞ!」
「ご心配なく。治す気は全く無いから」
その二人の言い合いを聞きながら、本当にただの八つ当たりだったのか、とちょっと七代はむかっとしたが、それをおそらくは嬉々として買った義王も同罪か、と文句を言うのは差し控えた。
それよりも、自分に対してはあれだけ甘い声を出す九龍が、恋人にはどう聞いても冷たく苛立ったような声を出すのにドキドキする。あんなあしらいをして嫌われたりしないのだろうか。
けれど、どれだけ言われても取手が平然と受け流して、どころかどこか嬉しそうな色を纏っているのを見て、これがこの二人の睦言なんだろう、と思うことにした。