くー兄ちゃんと俺 3 その1
ついにこの時が来た。
七代は大きく息を吸って、ぽちぽちととメールを打って送信した。
「件名:電話下さい
内容:可能なら、で良いですが、直接話がしたいので電話下さい。
駄目な場合は、その旨返信御願いします」
すかさず鳴りだした着信音に、一回で出て耳に当てる。
「どうした!?何かあったのか!?」
「義王…結論から言います。くー兄ちゃんが週末に来る」
焦った様子が声から分かったので、少なくとも現時点では身の危険は迫っていないことをまず伝える。
そして、何故そんな用件で緊急電話なのか、と怪訝そうになった恋人に、自分でも頭の中を整理しながら伝えていく。
「えっとね、元々くー兄ちゃん、仕事が3月くらいに終わるから一度日本に帰ってくる、とは言われてたんだけどね。どうもこの週末に帰ってくるらしいんだ。土曜の午前には神社に来るって書いてあるから…っと、そういやいつも通り土日で外泊許可取ってるんだよね?」
「オウ。…あんだよ、まさかテメェ、今週は会えねェとか言わねェだろうな!?」
「御冗談を。…むしろ、くー兄ちゃんが義王に会いたがってるのが恐いんだよ」
ああもうせっかく恋人と会える週末だというのに、帰ってきたらまずは神社に挨拶に来て、それから義王とも会って、更にホテルで夕食まで予約してあるらしい。そりゃまあ久々に会えるのは嬉しいが、義王と二人きりになれるのは土曜夜か下手したら日曜になってしまう。
ひとしきりブツブツ愚痴ってから、七代は何となく声を潜めて部屋の隅に向かって座り込んだ。
「まあね、たぶんくー兄ちゃんの怒りの矛先は、まずは清司郎さんに向かってるみたいなんだけどね…一応くー兄ちゃんにはある程度の事情は話してあるんだけどさ、くー兄ちゃんも独自に調べたみたいで、清司郎さんが俺を身代わりにして封印の生贄にしようとしたって知っちゃったんだよねー。ものすっごい慇懃無礼に切り込んでくると思うよ…うわああ、今から胃が痛い」
自慢じゃないが、七代に九龍を止める術はない。義理と力関係からも、純粋な実力から言っても、だ。
せめて九龍が理性を残していて清司郎さんを虐めなければ良いんだけど、と祈るくらいしか出来ない。
「でもね…第1ラウンド終了後には、今度は義王の番だからね?くー兄ちゃん、決して義王との仲を反対はしてないけどさ、積極的に賛成はしてないって言うかー品定めする気満々って言うかー」
「ハッハァ!このオレ様を品定めとはイイ度胸じゃねェか!!」
自信満々に上機嫌な笑い声を上げる義王とは反対に、七代の顔色は優れない。
「うん…そうなんだけどね…俺もさ、うまいこと言って札をOXASから貸し出しして貰うつもりだけどさ、義王もちゃんとフル装備で来といてね?ボス戦くらいの心構えでいてよ?…本気だからね?」
「そこまでか!そこまでなのか、そのテメェの従兄弟って奴は!ハッハァ!面白いじゃねェか!」
心底楽しそうな義王に、七代の表情も少しだけ緩む。
義王との逢瀬の時間が削られるのは癪だが、義王が楽しそうなのは嬉しい。
もっとも、楽しいと思えるのは、九龍に会うまでだと思うが。
「ま、それによ。くー兄ちゃんくー兄ちゃんとテメェはブラコンか!って感じだったテメェがよ。従兄弟よりオレ様に会いたいと思ってるってだけでもおもしれーってかよ」
義王の低く笑う声が耳元で響いて、七代は、うわ、と携帯を耳から離した。義王に耳元で喋られるのは、たいていが、うにゃうにゃな時なので、どうも普段聞くには慣れない。
携帯をぶらぶらさせながら少しだけ考える。
そういえば、クリスマスまでの自分なら、九龍が帰ってくるとなったら何を置いてでも大歓迎しただろう。
いつの間にか、くー兄ちゃんは2番目になっていたんだなぁ、と改めて気付いて苦笑する。
ごめんね、くー兄ちゃん。恩知らずな従兄弟で。
「ま、そういうわけだから。土曜の昼くらいには神社に来てくれるとちょうどいいかな。…さすがに、ホテルでドンパチしないだろうから、会ったら速攻でホテルに向かって他人の目があるところでお話し合いする方が安全だと思う」
まあ、義王の希望はそのドンパチやらかす方だろうが。
はてさて、どうなることやら。
さて、その土曜日。神社の面々には既に従兄弟が来る、とは説明してある。
ちなみにその従兄弟はほとんどを外国で過ごして(本当)いるために七代の境遇を知らず(嘘)、今回事情を知って慌てて帰国してきた(嘘)ということになっている。
また、父方の親戚としてはかなり血が濃い方だが(本当)、かつて彼らが住んでいた家は誰も住んでいない状態が長く続いているため(本当)、仮に七代の母が従兄弟の関与を疑って押しかけてきたとしても現在の居場所はばれないだろう、とも説明してある。そして、今後は九龍が七代を預かるため、もう羽鳥家には世話にならずとも済む、とも。
朝子などは七代を遠い親戚と信じているため、ここを本当の家だと思っていいのよ?いつまでも住んでくれても…と言ってくれたが、実際には赤の他人なのだ。さすがにこれ以上居候を続けるのも気が咎める。
もっとも、卒業するまではここにいられるよう頼んでいるので、何も今日が別れの日、というのでも無いが。
神社の境内で落ち着き無く待っていた七代は、タクシーの着く音に鳥居から下を覗いた。
黒塗りのタクシーの後部扉が開き、青年が降り立つ。
「くー兄ちゃん!」
義王と会えなくなるのはイヤだが、それでも大事な従兄弟に会えるのは別問題だ。
見た途端に、まるで迷子のさなかに親を見つけた子供のような安堵感が胸に満ちる。
階段を駆け下りた七代を、九龍は難なく受け止めた。
「よう、千馗!元気そうで何よりだ!」
「くー兄ちゃんも!」
しばしハグをし合って再会を喜んだところで。
ふと目を上げると、九龍の後ろからもう一人降りてきているのに気付いた。いくら九龍で頭が一杯になっていたとはいえ、気配を感じさせないとは大したものだ。
見るからに上品そうな仕立てのコートを纏った青年は、とても背が高かった。七代の頭一つ分は優にある。
背は高いが体格は痩せぎすなのか、少しひょろりとして見える青年は、顔色もあまり良くはなかった。
その青白い顔に、穏やかな笑みを浮かべて二人を見守っている。けれど、七代の眼には、それが穏やかなだけでなく何となくコブラが首をもたげて獲物を狙っているような静かな緊迫感を湛えているのが見えた。
「えーと、くー兄ちゃん。ひょっとして、そちらがその…」
「ん?ああ…」
ようやく七代を離した九龍が、一歩前に出て隣に立った青年を紹介する。
「取手鎌治。俺のバディだ」
恋人、とは言わないんだなーと思いつつも、七代はぺこりと礼をした。
「初めまして。七代千馗です。お噂はかねがね」
そのお噂から想像していたのとは全く異なる姿に、少しだけ戸惑った。何せ九龍から聞いていた話からすると、かなりこう強引と言うか嫉妬深い亭主関白と言うか、何となく義王に通じるものを感じ取っていたので義王タイプの派手な外見を想像していたのだ。まさかこんな一見穏やかそうな姿だとは思わなかった。九龍が横にいなければ、ただ神社に来た参拝客と言っても通じるような静かさだ。
もっとも、七代の目には、その姿のうちに黒く蠢く炎にも似たゆらめきも映るので、あぁこういう人だったんだ、と納得も出来る。
「初めまして、千馗くん。僕も君の話はよく聞いているよ」
緩く笑った顔が、微妙に恐い。これ、見えなきゃ少々陰気だが普通に穏やかそうな人だと感じられるのになー、と頬を引き攣らせながら握手する。
手を触れ合わせると何だか背中がざわりとしたので、失礼にならない程度に素早く握手を解いてから、数秒躊躇った後にぶっちゃけることにした。
「あのー、すみません、俺、何かしました?非常に注意深く隠されてますけど、ちょっと俺に対して敵意を感じるんですが…」
「…鎌治?」
「あれ…そうか…さすがははっちゃんの従兄弟だね」
やっぱり笑った目が恐い。
「…心配しなくて、いいよ。君個人に敵意は持ってないから…」
ふふっと笑った取手の頭を、九龍が容赦なくはたいた。
「ったく、鎌治!誰でもかれでも見境無く妬くのは止めろっつってんだろ!?しかも今回は相手は俺の可愛い従兄弟だぞ!?」
「…その、可愛い従兄弟、という表現が、もう妬けるんだけどね…」
九龍に叩かれても全くこたえた様子のない取手の顔が、今回は本当に笑顔なのを見て、七代はようやく納得した。なるほど、そりゃ恋人が従兄弟とはいえ他の誰かを「可愛い」と言って抱き締めてたら妬きもするだろう。…と、先日義王で学習した。
「えーと、取手さん、俺、くー兄ちゃんは大好きですが恋愛感情は一欠片もありませんし、ちゃんと俺、恋人いますので…」
「うん、それも聞いてるよ」
聞いてても関係ないらしい。嫉妬深い恋人は大変だ。
けれど九龍は慣れているのか顔色も変えずに取手の顔に指を突きつけた。
「とにかく!俺は今から千馗とここの家主にご挨拶に行くから!お前はこの辺で大人しく待ってろ」
「…そうだね…気持ちの良い神社のようだし…参拝でもしているよ」
さして眺めるものも無い神社だ。義王だったら確実に飽きるだろうが、この人なら大人しく何時間でも待っていられるんじゃないか、とは思った。
神社の石段を登っていくと、鈴と鍵が興味深そうにこちらの様子を窺っていた。
「あ、鍵さん、鈴。こっち、俺の従兄弟。鍵さんと鈴はこの神社の神使なんだけど…くー兄ちゃん、見える?」
九龍に秘法眼が無いのは知っているが、何か見られるんじゃないかという気がして紹介してみると、九龍はすちゃっと目にゴーグルをかけた。
「あぁ、こんな姿で失礼。よろしく、可愛い子犬のお嬢さんに狐のお兄さん。千馗がお世話になってます」
優雅に一礼した九龍に、鈴がはわはわ言いながら鍵の背後に隠れる。
あーやっぱり見えるんだなー、宝探し屋ってそういうのも見えないと不便だろうしなー、と頷いていると、九龍がこそっと囁いた。
「ま、実はそうはっきりも見えないけどな。エネルギーの塊みたいな感じだ。声も聞こえないから、お前の方からよろしく言っといてくれ」
残念、秘法眼を使って霊体を見たときのような感じだったようだ。
また手品のようにゴーグルを外してしまい込んだ九龍を案内して玄関へと向かう。
さあ、勝負はこれからだ。
参拝を済ませて神社を緩やかに回っていた取手は、狛犬像に手を触れながら静かに告げた。
「そこの2体。君たちは敵では無いのだろうけど、立ち聞きを続けるのは感心しないな」
軒先に回って室内の話し合いを聞き取ろうとしていた鍵と鈴が、驚いたように振り向く。
秘法眼を持った封札師が自分たちの姿を見るのにはもう慣れた。そして、その従兄弟にも見えたらしいのは、血筋からなのだろうと納得した。
だが、ただの人間であるらしい同行者にまで声を掛けられるとは思っていなかった。
「おや、そちらの御仁も秘法眼持ちでいらっしゃる?」
ともかくは友好的に返答をした鍵に、取手が目を細めた。その視線は危うく、七代のように彼らの姿に焦点を合わせていない。
「残念ながら。僕は特殊な眼は持ち合わせていない。…けれど、少しばかり他の人より耳が良いんだ。君たちの姿は見えないけれど、声は聞こえる。…もう一度、言うよ。立ち聞きは止めて離れて欲しいな。…僕は、石像の類を壊すのは得意なんだ」
取手としては、ただひたすらに九龍の話し合いを誰かに聞かせたくないだけだ。自分は大人しくここに引っ込んでいるというのに、何故他者が聞かなければならないのか。
おそらく他人からしたら意味不明だが、取手本人には当然の権利の主張だった。
九龍の髪の毛一筋、声の一欠片でさえ他の誰にも渡したく無いのだから。
「…鈴、離れて。どうもこの御仁は本気のようだ」
「はわわわわ、ぬし様のお知り合いなのに恐いですぅ…」
じりじりと縁側から離れ、しかし取手の方ではなく更に奥へと引いていった神使に、取手は淡々と言った。
「…あいにく、千馗くんとは先ほど知り合ったばかりでね。…千馗くんのここでの立場がどうなろうと、僕の知ったことでは無いんだ」
ゆるゆると手の平に渦巻いていた音波が、抜けるように平坦になった。
「くれぐれも、彼の邪魔をしないように、ね。…僕はもう行くけれど…」
凍えるような視線を二人に投げかけて、取手はふいっと顔を別の方向へと向けた。
それきり、彼らのことなど忘れたかのようにまっすぐ神社から出て行く。
背後に隠れた鈴を宥めながら、鍵は「はて」と首を傾げた。
あの男は喧嘩を売る気満々だったし、絶対に恋人の側を離れるようには見えなかったのだが、急にどうしたころだろう。
そして意識を神社の外へと伸ばして。
あちゃあ、と唇を歪めた。
「…ま、敵じゃあござんせんがね。どうなることやら。坊もたいがい大変な知り合いをお持ちだ」
神社の石段をゆっくり下りた取手は、その辺でウロウロしていたのに声を掛けた。
「…君、義王くん…だね」
「アァ!?何だ、テメェは!」
名を呼んだだけで殺気だった赤毛の少年に、取手は僅かに目を丸くしてから、ゆるりと笑った。
「あぁ…とても攻撃的だね。でも、牙を剥く相手は選んだ方がいいよ。…僕の名は、取手鎌治。千馗くんの従兄弟の恋人、と言えば分かるかな」
千馗くん、の時点でほとんど殴りかかる直前にまで緊張した筋肉が、最後まで聞いて弛緩する。
義王にとって、九龍はまあ少々嫉妬の対象ではあるが敵では無いし、その恋人となると完全に対象外である。
義王の目に映る取手は、黒に近い紺色のロングコートといい、衿から覗く黒のハイネックといい、顔色のわるさといい、ほとんど黒ずくめの死神を連想させるような青年だった。もっとも、背は高いが頬の痩け方は貧弱な肉体を連想させたが。きっと肋骨も浮いたようなガリガリなんだろうなァ、従兄弟は戦闘タイプと聞いてたがこんな奴のどこがイイんだ?とまだ見ぬ九龍を思う。
そんな義王の思考を知ってか知らずか、取手はにっこりと微笑んだ。
「…君とは、話がしたい、と思っていたよ…。確か、この近くに、洞…というのがあると聞いたけど」
「ハァ?そこまで行かなきゃ出来ねェ話か?」
「話、なら出来るよ。…でも、戦うのには、その方が都合が良いだろう?君に敵意は無いけれど…でも、千馗くんを傷つけると後が面倒だから。…君が相手してくれる方が良いな」
ぶわっと義王の全身から殺気が吹き出した。もっとも、取手も九龍と付き合っているうちにかなり場数を踏んでいる。その程度でたじろぐような神経は持っていない。
「アァ!?テメェ、千馗に恨みでもあんのかよ!」
「まあ…そう言えなくも無いんでね。…どうする?」
義王が一瞬袖口の何かを探りかけて、ちらりと視線を神社にやった。
不服そうに顎をしゃくる。
「確かに、ここじゃ面倒だ。…来い」
恋人にはばれないように場所を移動するあたり、よっぽど取手に勝つ自信があるのか、それともかかあ天下でばれないようにこっそり片を付けようとしているのか。
きっとどっちもなんだろうな、と自分たちのことを考えながら、取手は義王に付いていった。
学校の裏手の細い道に入り込み、塀をまたぐような木の枝に飛びついて、義王が塀の向こうへと降り立った。取手の耳をもってしても着地音が微かにしかしないあたりはさすがだ。
取手も枝を掴んでくるりと回転し、學園の敷地内へと降り立つ。
土曜日とあって学校はとても静かだ。そんな中、義王が持ち上げた焼却炉の蓋の軋みが辺りを震わせ、すぐに途切れた。錆びだらけのボロボロに見えたが、きちんと油が引かれているらしい。
先に義王が中へ入る。
何だか懐かしい気分になって頬を緩めながら、取手は長身を折りたたむように焼却炉を潜り、ロープを掴んだまま、そっと蓋を閉めた。
下は少し開けていて、ゆらゆらと松明の灯りが長い影を作っていた。
「さぁって。大将に手ェ出す気にならねェくらい疲れさせてやるよ」
唇を猛々しく吊り上げて、義王がばさりと上着を放った。
対する取手は、何も手にしないまま立っている。
「…もうすぐ、僕の誕生日なんだ」
「ハァ!?それがどうしたってんだよ!」
「君たちは、まだ離れた経験が無いようだけど…じきに君も味わうようになるよ。…任務で、世界中、どこに行ったかも分からず、会えるのは数ヶ月に一度、それもいつか分からないし、どれだけの期間共に過ごせるかも分からない」
地を這うように、くぐもった声が怨ずる。陰々滅々とした調子で取手は続けた。
「その貴重な逢瀬の時間を……邪魔されて喜ぶほど、僕はお人好しには出来ていないんだ」
顰め面で聞いていた義王も、何となく理解できた。
自分に置き換えて想像してみたら、七代がどこかに飛ばされて半年後辺りに会いに来たとして。その久しぶりの再会を、零だの壇だのが邪魔しに来るとしたら。
そりゃ、ぶちのめしてでも排除したくなる。
理解して、次の瞬間、取手の恨みが七代に向いていることにも気付いて、トンファーを構えた。
義王もいずれは遠距離恋愛の身、誕生日も近いというのに恋人との時間を邪魔された取手に同情はするが、七代に害を為すというなら話は別だ。
「…八つ当たりなのは、十分承知の上だよ。…君にも、含むところが無い、とは言わないし」
「ハッハァ!上等じゃねェか!世界ランキング1位のトレジャーハンターだか何だか知らねェが、どれだけのモンか、見せて貰おうじゃねェか!」
地を蹴って距離を詰める義王に、取手はゆっくりと手を翳した。