ドッグタグにて 2 前編



 久しぶりの登校日。おそらく受験生な面々にとっては「私の貴重な時間を食いやがって、爆発しろ!」くらいの気分にもなろうが、大学進学などとっくに諦めている七代のような人間にとっては、久々に友達に会える貴重な日だった。もちろん、呼び出せば個々に会うことは可能だろうが、相手の都合を考えるとちょっと遠慮してしまうのだ。
 そんなわけで、2週間ぶりの友との邂逅を楽しんでいた七代だったが、さあ帰ろうと言う段になって、教室に現れた飛坂を見て首を傾げた。
 飛坂は戦友だし会えば話の盛り上がる相手ではあるが、確か普通に大学受験に励んでいるはずだ。きっと学校が終わり次第さっさと家に帰るか図書館に勉強しに行くか、どちらかだと思ったのだけれど。
 「あ、巴」
 気付いた穂坂がいつも通りののんびりとした声を上げる。それににこやかに答えてから、飛坂は七代を見た。実に悪い笑顔だ。何か企んでいるような、言葉にすれば「ふっふーん♪」と聞こえてくるような。
 え?え?俺、何かした?とちょっぴり腰が引けているところに、飛坂がずずいっとやってくる。
 「貸しがあったわよね?」
 「…えぇ、確かに。それで、何のご用命で?」
 そういえば、あの喫茶店以来、初めて会ったのだった。また何か面倒なことでも押しつける気だろう、と幾分安堵する。そういう意味で七代にとって都合の悪いこと、というくらいなら何ら問題ない。
 しかし、飛坂はもっとイヤなことを言いだした。
 「説明。して貰おうかしら。詳しく、ね?」
 「あううううううううう」
 そういえば。
 戦友、ではあるのだが、確か、クリスマスの日、七代は死ぬ気だったので、女の子たちに好きと言われて俺もと答えたのだが、その中に飛坂もいたような、いなかったような。
 非常に正直に回想すると、その時七代は相当にテンパってたので、ほとんど覚えていないのだ。自分が何を言ったのか、どんな顔でどんな風に答えたのか。
 いくら何でも、本当に女性として好きというのではなくあくまで戦友として好きなのには違いなかったので、恋人になるとかそういう展開を期待される答え方はしていないと思うのだが…思い出せない。いやいや、仮にそういう捉えられ方をされていたら、もっと何某かの連絡があっただろうし、ああいう場面でもっと怒られていただろうと思うが。
 「えっと…何を?」
 「おいおい、こいつに何を聞こうってんだ?つーか、お前はまた何か面倒なことに巻き込まれてんのかよ?」
 穂坂がきょとんと首を傾げ、壇は七代を庇うように前に出た。
 それに甘えて逃げ出したいのは確かだが、そうもいかないので七代は唸りながら飛坂をおそるおそる上目遣いで見つめた。
 「えー…ここでご説明申し上げた方が?」
 「そうねぇ…うん、ドッグタグに行きましょ。ゆっくり聞きたいし」
 「…左様で御座いますか」
 何という聞く気満々の姿勢なのか。
 これは相当根掘り葉掘り聞かれるな、どこまで言ったものか、と思案しつつ鞄を取り上げると、飛坂はくるりと振り向いた。
 「あぁ、あんた達も興味あるなら聞く?千馗に好きな子がいるって話」
 「えっ……うわあ、そうなんだ!うん、私も聞きたいな」
 「へっ!?千馗に!?…それはいつもの誰でも大好き、じゃなくてか!?白だの鈴だの幼女可愛い、じゃなくてか!?」
 …親友よ、それはひどかろう。それではまるで俺がロリコンの変態さんのようじゃないか…。
 「違うと思うわよ?本気で好きな人って言ってたから。ね、千馗?」
 「うぐわああああああ」
 何だろう、清司郎さんにばれても欠片も何も感じないが、こいつらにばれると思うともの凄い羞恥心が襲ってくるのは。いやいやいやいや、別に恥ずかしくなんかない。別に何も恥ずかしいことなんてしてない。人を好きになるのは素敵なことだ。何ら恥じることはない。
 …いや、やっぱ高校生なのに同衾したのは恥ずかしいことなのだろうか。しかも年下に泣かされてるし。
 いやいやいや、でもやっぱり。
 顔を沸騰させながらふらふらと飛坂に付いていく七代を見て、穂坂と壇は顔を見合わせた。
 あの七代が。
 いつでもおっとり平和そうに笑っていて、会う人会う人誰もを好きだと言って憚らない七代が。
 かく言う穂坂も壇も好きだ好きだ大好きだ攻撃に一度ならずあっている。ああこいつはこういう奴なんだ、と分かったつもりになっていた、あの七代が。
 「ホントに、ホントなのかな…」
 「さあな。…本気で、か!?っつーか、何で飛坂が知ってんだよ!この俺には内緒なのにか!」
 仮にも親友と自負していたというのにはぶられた壇が思わず付いていく。そして当然穂坂も楽しそうに付いていったのだった。

 道々、何も言えない七代に代わって飛坂が状況を説明する。
 「という感じでね、千馗の前の学校の子が来て、千馗は思いきり振った、ってワケ」
 「そいつは…単に、嘘も方便ってやつじゃ無いのかよ」
 「あたしも半分くらいそうじゃないかと思ったんだけど、その時の様子がね。ホントに真剣だったし、それに、今の様子見たら確信に変わるわよ、さすがに」
 …しまった、あれは引き下がって貰うための嘘なんです、と言い抜ければ良かった、と今更気付いたが、もう遅い。
 というか、普段はもっと綿密なシミュレートを施すのだ。今回は、あれから色々と他に考えることがあって、というか義王のことで頭がいっぱいで、すっかり忘れていたために不意打ちになってしまったけど。
 どうしよう。どこまで言って良いんだろう。
 好き…なのは、別に良いよな。お付き合い…も良い…んじゃないかな。
 ……………家に、行ったのも……まあ…………。
 ………………………既に、3回ばかり、したのは…………………うん、はぐらかそう。
 「はぁ…お前がねぇ。ついに年貢の納め時ってやつか…俺も知ってる奴か?つーか、『仲間』か?」
 「うーん…いちるちゃん…はないかなぁ。この間会ったとき、そういうこと全然言ってなかったし…」
 壇と穂坂が半ば楽しそうに、半ばおそるおそる聞いてくるのも全無視して、ひたすら七代は今更乍らにシミュレートし続けた。
 そして、ドッグタグに着いて。
 先頭は飛坂が堂々と入り、無意識に付いていった七代がその次で。
 後の二人も入ったところで、店内がいつもと微妙に異なる空気が流れているのに気付いた。別に異色の客がいるでもなし危険な感じもしないし何だろう、と首を傾げてもう少し丁寧に辺りを見回す。
 いつも通りマスターはカウンターにいたが、何故か足下の方を見て、渋い声で促した。
 「…ほら、接客しないか」
 どうしたんだろう、カナエさんが嫌がってでもいるのだろうか、と思ってから、先に覗いた色の流れに息を飲んだ。
 ゆっくりカウンターの下から立ち上がった人は、後ろを向いていた。
 如何にもイヤそうに、のろのろとした動作で回ってきて、視線を逸らしたまま棒読みで告げた。
 「イラッシャイマセ。コチラノ席ニドウゾ」
 七代が息をするのも忘れて呆然と立ち竦んでいる間に、同じく一瞬茫然自失だった残りの3人が、えええええ!と声を上げた。
 「な、何やってんのよ、こんなところで!」
 「なっ!てめぇ、何を企んでたがんだ!」
 「うわあ、鬼丸くん、バイトなの?」
 無意識に、抱えた鞄を持つ手に力が入る。
 「…!っるっせェんだよ、テメェら!とっとと席に着きやがれ!」
 「……接客」
 「わァってんよ!…クソ、何でテメェらが来やがんだ、ガッコねェんじゃなかったのかよ…」
 ぶつぶつ言いながら手にした盆でしっしっと追いやられて、皆が奥のテーブル席に移動する。
 魂を抜かれたまま素直に座った七代は、それでもまだ義王を見つめていた。
 「あーびっくりした…っておい、千馗?」
 目の前に手をヒラヒラさせられて、ようやく呼吸を再開する。
 「うおああああ…吃驚したあああ」
 「だよなぁ、まさかあいつがこんなとこにいるなんて思いも…」
 隣の壇が相づちを打つ。
 いったんカウンターに引っ込んだ義王が水を持って来て、メニューでべしっと七代の頭を叩いて、ニヤリと笑った。
 「オラ、マヌケ面してんじゃねェぞ?オレ様に見惚れんのはイイけどよォ!」
 「えぇもう思う存分見惚れさせていただきますけどね」
 信じられない。
 この世にこれほどギャルソンエプロンが似合う男がいたとは。
 黒いTシャツにジャラジャラとシルバーアクセサリーをぶら下げた姿は、実にドッグタグには似合っていないが、それも腰に巻いた黒いギャルソンエプロンで帳消しだ。
 額のバンダナと手首のリストバンドだけが真紅だが、これまた良いアクセントになっている。
 要するに七代は心底自分の恋人に惚れ直していた。考えてみれば、義王の制服姿と家でくつろいでる姿と………げほんげほん、しか見てない。こんな普通の私服(いやギャルソンエプロンだけど)を見たのは初めてだった。
 「喫茶店ってよりホスト?…注文、義王さん一つ下さい」
 「錯乱してんじゃねェぞ、しっかりしろ」
 「理由を聞いても?…あ、駄目なのね、OK、聞かない」
 自分の言葉に否定の色が流れたのを素早く見て取って、七代は両手を肩の辺りまで上げて降参の合図をした。まあ極端にもの凄く嫌がられている、というのでもないので、本気でまずい事態では無いのだろうが。
 何とか意識を義王から引き剥がして、いつも通りフレンチトーストとコーヒーを注文する。他の3人も同じように注文して、義王が奥に行ってから、改めてわいわいと今見た光景について花を咲かせた。
 「どうしたのかな、鬼丸くんってお金持ちだよね?たぶん」
 「…盗賊だがな」
 「ほら、アレじゃない?鹿島がガラス割ったじゃない。アレを弁償……って、本人にさせるタイプよね、絶対」
 「うん、賭けても良い。絶対面白そうって意味でも御霧にやらせてちょっかい出しに来る。『ハッハァ!御霧、ご苦労だなァ!』とか何とか」
 「うわあ、今の物真似、似てたよ」
 「あらそう?ありがとう、みのりん」
 きゃっきゃっと楽しく騒いでいると、器用に盆を4つ掲げた義王が、危なげなくそれを目の前にひょいひょいと並べていった。乱暴な様でいて、バランス感覚と運動能力の良さが、この流れるような動きを生み出しているのだろう。普段絶対こんなことはしてないだろうに、その辺のファミレスのバイトなんぞとは大違いの動きだ。
 ちらっと見られて、答える。
 「今日は登校日。んで、巴さんが………あー……この間の件について、説明を求めておいででして……」
 まずは学校はなかったはずなのに、何で制服姿で4人揃って来てんだ、という問いに答えてから、そもそも何でこの店に来たのか、という問いに答えかけて、目の前の相手にも無関係では無いことに気付いた。
 「千馗に好きな子がいるって話をね、詳しく…ってそういや、あの時アンタもいたわよね。あの時はさすがに口を挟めなかったけど、あれはないわよ?ああいうときには空気読んで席を外すべきじゃないの?」
 どう見たって可愛い女の子が好きな男に告白しに来ているのに、堂々と同じ席に乱入するなんて不躾もいいところだ。
 「ハッ!大将が嫌がってりゃあオレ様も引いてやったがよ!…あん時は、むしろ居て欲しがってる感じだったからよォ」
 「あぁん、義王さんてば空気読んでくれてありがとう」
 うん、ここまでならいつもとあまり変わらない態度だろう、たぶん。
 ついでに黒いエプロンごと腰にしがみついてみたら、盆で後頭部をはたかれた。
 「馬鹿やってんじゃねェ!…悪ィ、意外とイイ音した」
 「えぇ、ちょっと痛かったです…」
 抱きついた腕を離し、ばこん、と音を立てた頭を涙目でさすると、義王も髪の間に指を潜らせて触れてきた。少しくらくらしただけで、指が触れても痛くは無い。
 「おしぼり持って来てやろうか?」
 「んー、いいや、そこまででもない」
 笑って見上げると、義王も目を細めてもう一度だけ頭を撫でて、それからその手をヒラヒラとさせて合図としてから、入ってきた客の方へと向かっていった。うん、後ろ姿もいい男だ。
 入ってきた女子高校生が、びっくりしたように義王を見てから、頬を染めて友達同士でひそひそ言い合っている。きっと良い男がいたので喜んでるのだろう。気持ちは分かる。こんなにイイ男を放っておく方がおかしい。
 ぼーっとそちらの様子を眺めていると、隣の席の壇が、目の前のコーヒーを睨みながらぼそっと言った。
 「何かさっきの……いや、何でもねぇ。思い違いだ」
 「鬼丸くんと、すごく仲良しになったんだねぇ」
 「…穂坂、俺が濁したことをすっぱり言うんじゃねぇよ…」
 「何か変だった?元々俺、義王と仲良いよ?」
 うん、たぶん、あのくらい……普通……じゃなかったかな。
 一切れフレンチトーストを切って食べる。相変わらず美味しい。義王も甘いものは嫌いじゃなかったはずだ。今度家でも作ってみよう。
 「それで…千馗、好きな子っていうのとはどうなったの?告白したの?」
 同じくフレンチトーストを頬張りながら飛坂が聞いてくる。さすがは生徒会長、追及の手を弛める気は無いらしい。きっと良い情報屋になれるだろう。
 「したよー。現在、じわじわとお付き合い進行中」
 というか、飛坂の目の前で告白は為されたのだが。
 あっさり答えると、3人がええええ!と叫んだので、他の客や義王の視線が集中する。慌てて声を落とした飛坂が、顔を寄せるようにして小さく言う。
 「ちょっと!そんなの聞いて無いわよ!?」
 「そりゃまあ…わざわざ言うことでもないかと…」
 キスもした。3回寝た。でもデートはしてない。
 …あ、いや、あまりにも物が無いのでキッチン用品を色々と揃えに行ったっけ。一緒に買い物するのはデートか。ちなみに、七代自身も稼いでいるし七代の趣味で買いそろえたので自分で払うつもりだったが、義王がここはオレ様の家なんだからオレ様の金で買うのが筋だと言って譲らなかったので、義王のゴールドカードでお支払いとなった。納得できるような悔しいような。確かに、あの家は二人の家ではなく義王の家なのだけれども。
 「相手は!?」
 「それはちょっと…先様のご都合と云うものも御座いまして」
 別に口止めされてもいないが、言いふらすことでもないと思う。
 眉間に皺を寄せて睨んでいた飛坂が、んー、と唸る。
 「…みんなが認める美人じゃないって言ったわよね。それから、タイミング良く千馗が弱ったときに一緒にいる。そして、ここが一番分からなかったんだけど、不思議系。…あたし、みのりかと思ったんだけど」
 「ええっ!?私じゃないよ!?…うーん、私なら、それはいちるちゃん、かなぁって思うけど…あ、美人じゃないって言ったら失礼かな。でも、いちるちゃんって美人て言うより可愛いだと思って」
 「不思議系か…不思議系…って俺が一番不思議系だと思うのは零なんだがな。あいつは不思議系だ。ホント見てて飽きねぇよ」
 「あらやだ、いつの間に零呼びなの燈治ってば隅に置けないわぁ。うん、燈治になら零を任せられるよ、幸せにしてやってね!」
 「何でそうなるんだよ!」
 確かに自分とだけだと偏るので、燈治も参考にしなさい、と零には言ったけど、本当に親交を深めているとは思わなかった。ちょっぴり寂しい。
 それにしても七代としては、『いつも弱った時に側にいるのが不思議』と言っただけで、不思議系、なんぞと言った覚えは無いのだが。人間の誤った伝達の例のようだ。不思議系、という言葉から義王が導き出される確率などほぼ無いだろう。
 3人がわいのわいのとアレでもないコレでもない、と仲間を品定めしているのを半分くらい眺めながら、七代はもう半分で義王が働く姿を見た。素直に普通の労働をするところなんぞ想像も出来なかったが、なかなかどうしてサマになっている。おそらくマスターに一目置いているのが主な要因だろうが、ハイハイと指示に従っているようだ。
 それにどうやらこれが初日でも無いらしく、女子高生のグループが時々入ってきてはこっそりきゃあきゃあ言っている。
 段々混んできたのかすぐ隣のテーブルにも案内されてきた。普通に接客した義王が、隣を通り過ぎる際に3人の盛り上がりに僅かに眉を顰め、七代が「仕方ないよ」という意味で苦笑して見せたら、やはり苦笑を返して去っていった。
 話に夢中な3人と違って、七代はさっさとフレンチトーストもコーヒーも終わらせてしまったので、ついつい隣の女子高生の会話にまで耳を傾けてしまう。
 「ねっ、格好良い人でしょ!」
 「ホントだー!新しいバイトの人かな」
 「でも、ちょっと声掛けづらい雰囲気じゃない?」
 「えー、でも結構優しいって。ミコがさ、ココア零しちゃったら、すぐに店の奥に連れて行って世話してくれたって!」
 「わぁ、店の奥、だなんて大たーん!」
 …それって、世話してくれたのマスターじゃないかなぁ、と大体生態を把握している七代はのんびり思った。ま、女子高生の噂なんてそんなもんだろう。幸いにして、入れ食い状態だからって女子高生をつまみ食いするような男じゃないことくらいは良く認識している。むしろ、そういう状態で疑われそうなのは七代の方だろう。
 しかしどうやら隣の席の女子高生達は随分と積極的なタイプらしく、義王がフレンチトーストを持ってくると声を掛けた。
 「ねぇねぇ、どこの高校の人?」
 「アァ?…寇聖だよ」
 一瞬凄みかけた義王だが、接客商売、ということを辛うじて思い出したのか、素直に質問に答えた。うーん、黙ってればイイだけの話だと思うけど。
 「うわぁ、寇聖ってあの全寮制の?すっごーい」
 …何が凄いんだか。
 「ねぇ、恋人いる?ってゆーかー今度のバレンタイン、アタシ達と遊んでくれない?奢るからさぁ、カラオケとか」
 そういえば、もうじきバレンタインだ。チョコレートかぁ。いつも貰うばかりであげることなど考えたこともなかったが、今年はひょっとして自分があげる方なのだろうか。…しまった、そこまで焦らしておいて俺がプレゼント、というのをやれば良かったか。一生に一度しか出来ないネタをやり損ねてしまった。
 かちゃん、と小さく音を立てて皿を並べ終えた義王が、背筋を伸ばして無表情に言う。
 「恋人はいる。バレンタインはそいつと過ごす。以上、ご注文の品はお揃いでしょうか?」
 「ええええ!やぁだ、ざーんねん!」
 「ほらぁ、やっぱり恋人いるんだよー」
 「ちぇー、せっかく格好良い男見つけたと思ったのにー」
 女子高生達が不満の声を漏らすのを無視してさっさと立ち去った義王の背中を見送っていると、一瞬の静けさの後、壇たちがまたしても驚愕の叫びを上げた。
 「ええええ!?ちょっと待て、あいつにも恋人いんのか!?」
 「うわ、初耳よ、初耳!色恋沙汰とは無縁だと思ってたわよ、何となくだけど!」
 「そっかー、鬼丸くんにもそんな人いるんだ。…アンジーかな?あ、でもアンジーは千馗か東京BMをヒーローって言ってたっけ。私たちって、他に寇聖の人知らないから」
 まあ、そうだよなぁ、義王に恋人って、普通に驚くよなぁ。今までの経過からして、女よりもお宝、デートよりもガチの勝負ってとこしか見てないし。
 うんうん、と納得していると、飛坂がちらりと鋭い視線を向けてきた。
 「意外と驚いてないのね、千馗」
 「いや、驚いてますとも」
 主に、バレンタイン当日は会うこと決定らしいと知って。
 そりゃまあ恋人なんだから、バレンタインは一緒に過ごすのが当たり前なのは、言われてみれば当然なのだが、今まで女の子たちに囲まれてチョコ回収に励む日だった身からしたら、たった一人の相手と過ごすなんて全く思いつかなかったのだけれど。
 きっと、するんだろうなぁ。…くー兄ちゃんにガラナチョコでも送って貰うか?
 それとも普通にザッハトルテか何か焼いて、後は大人しくいちゃつくか?それともフルコース?
 「鴨のロースト、チョコレートソース添え、なんてどうかな」
 「…は?何だ、いきなり?」
 しまった、口に出てた。
 「いえまあ、バレンタインにフルコース作った場合のメインについて思いを馳せてしまったので。オレンジ風味を効かせれば、チョコも意外と合うんじゃないかと」
 「…あぁはいはい、お前の頭の中は今は恋人で一杯で、あいつのことなんざ眼中に無いってか」
 いえいえ同じことなんですがね。
 んふふ、と笑ったところを穂坂に微笑まれる。
 「うわあ、千馗、幸せそうな顔。いいなぁ、毎日楽しい?」
 「うん、楽しいよ、すごく」
 時々、というか、主に会った翌日、腰と腹の痛みに後悔したりもするけど。
 「私もそういう人出来たらいいなぁ」
 「みのりんなら大丈夫だよ。その気になればすぐに出来るよー。あ、もちろん巴さんもね。二人ともイイ女だもん。いやもうホント、今からでも口説きたいくらい」
 「…お前、恋人が出来ても相変わらずなのな…」
 壇に額を押さえながら呆れたように言われてしまったが、七代としてはそうそう習慣は変わらない。可愛い女性がいたら口説く。これは義王が大好きなのとは別腹だ。
 「でも、その大事なあたしたちにも内緒なのね?」
 「えー…ごめんなさい。ばれたら、ばれてもいいや、くらいのつもりだけど、積極的にカミングアウトはしない方向で」
 そういや義王はどうなんだろう。アンジーや御霧にはばれてるのだろうか。
 だとしたら、そっち方面からばれる可能性もあるのかも。七代の話、というのではなく、アンジーあたりに、鬼丸くんにも恋人が出来たんだね、なんて聞いて、え?チーフと付き合ってるんダヨ?なんて答えられて…あぁ目に見えるようだ。まあ、いいけど。
 結局、のらりくらりとかわしたまま、だべりは終了した。
 帰り際、精算の時にレジに立った義王に何気ないフリで聞いてみる。
 「義王、全寮制で外出厳しいって言ってなかった?」
 ちらっと目を上げて、背後の3人を確認した義王も、何食わぬ顔で答える。
 「オウ、フツーはそうだけどよォ。オレ様は外出届くらいならすぐに手に入れることが出来んのよ。…ま、バレンタインは前日から外泊許可ゲットしてっけどな。それ以外は外出届で我慢しといてやってんだ」
 察するに、バレンタインの外泊許可をもぎ取ったせいで、他の日は外出許可しか取れなかった、と。義王をもってしてもそれとは、なかなか厳しいな、寇聖も。もちろん、規則を破る気なら、そうとは限らないが。
 しかしそれじゃあ上がりの時間を見計らって出待ちしても、単に寇聖に帰るだけか。じゃあいっか。
 「ふぅん、俺もここには『依頼』で来るけどね。せっかくだから、俺もしばらくお仕事に励もうかなぁ。そしたら、しっかり接客してね♪エプロン姿の義王、可愛くて!」
 「バァカ。水だけ出してやらァ!ま、来たら相手してやんよ、大将。オレ様は一緒に行く方が好みだが今回はしょうがねェ」
 たぶん、普通に会話したと思う。ちょっとした秘密を共有する封札師とその仲間の会話だ。今までだって義王に対して他の皆と同じように愛を囁いたことだってあるし、さしてそれと変わらないと思うのだが。
 ドッグタグを出てから、飛坂の視線が痛かった。
 何か考え込んでいるような、まさか、という疑惑の目というか。
 なんとなく。なんとなーく、ばれたんでは、という気が。
 何でだろう。何もおかしなことをした気は無いのに。
 「んー…どう言えば良いのか…覚えがある空気なのよねぇ」
 「何が?」
 「それが分かんないのよ。ここまで出てるんだけど」
 気持ち悪そうに喉を押さえて、飛坂は眉を顰めた。
 「何か分かんないけど、巴さん、勉強はいいの?俺は良いんだけどさぁ。みのりんも試験終わってるんだよね?」
 「え?うん、私はもう終わってる。壇くんは?体育大学選んだんだよね?」
 「おう。…でも、数学と英語だけは試験があってよ…辛いとこだぜ」
 「教えようか?俺、他はともかく、数学だけは割と得意だから」
 「いや、何とか自分だけで頑張ってみる。どうにも駄目なら頼むわ」
 うまく受験に話題を逸らして、ちらっと横目で伺うと、まだ飛坂は考え込んでいるようだった。
 「何かしら、この違和感…あたしの知ってる鬼丸義王の反応パターンじゃ無いから?…でも、何か…うーん…」
 鋭いなぁ。
 義王は大将呼びだし、普通にオトモダチとしてしか会話しなかったと思うのに、やっぱり何かが違うのだろう。
 「義王も恋人出来て、ちょっと丸くなったんじゃない?」
 しれっとして言ってみたら、納得した顔になってから、ん?と眉間に皺を寄せられた。
 「そうね…って、千馗。あいつに恋人出来たのって、最近なの?」
 「へ?…あ、いや、そう思っただけ。今まで、聞いたこと無かったから」
 「…そうよね。まさか、ね」
 まだ不審そうに首を傾げられたが、正解には辿り着かないようだった。
 ばれない方がイイとは思っていたが…常識が邪魔をして目の前の真実が見えなくなるっていうのは、つまり義王と七代が恋人というのがよっぽど可能性が低いと思われてるということで。
 それはそれで寂しい話だなぁ、と七代は苦笑した。



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